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竜騎兵と花嫁  作者: 海乃野瑠
第12章 決心
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12-5

エヴァの話を最後まで聞き終わったマテオは幾つかの質問をした。


相手の答えを聞きながら何度も頷いた男は、眉間に皺を寄せて考え込んでいる。


エヴァは水で湿らせた布を腫れた瞼に乗せて、ぐったりと椅子の背にもたれていた。


こんなに泣いたのは子供の頃以来だろう。


そんな素振りはなさらないけど、ダヴォグール様はさぞかし驚かれたことだろう。


でも、何も言わずに傍で見守ってくれたことがとても有難かった。


「君が無実だということを信じるよ。初めにアルテュスから話を聞いた時も直ぐには信じられなかったんだがね。どうやらアルテュスも君もまんまと敵の思惑通りに踊らされてしまったようだな。力を貸してやってもいいが……犯人を見つけるには多分時間が必要だろう」


「……はい、ありがとうございます。どんなに時間がかかっても構いません」


エヴァは顔から布を取って椅子に座りなおすと期待するようにマテオの顔を見つめた。


「いや、先程君が言ったようにアルテュスの命は危険に晒されているかも知れないぞ。できるだけ早い方が良いだろう」


マテオ・ダヴォグールは召使に紙とペンを取りに行かせると、立ち上がって部屋の隅の机に向った。


机の窪みに埋め込まれたインク壷の蓋を取った男は、鷲ペンの先で頭を掻きながらエヴァに言った。


「多く見ても俺は半月しか休暇は取れないだろう。それも夏至の前後あたりになるだろうから、その時に結論を出すと決めたら、それまでに色々探らなければならないな。奴の実家には誰か信頼できる者はいるのか?」


「はい、あの人の弟のヤンがいます。危険なのでしょうか?」


「俺は誰か使用人を考えていたんだが、奴の弟か。それはいいな。歳は幾つだ?」


「確か15歳だったと思います。でも、彼を危険な目に遭わせる訳には……」


「アルテュスの為だ。それにこちらからも人を出そう」


エヴァは驚いたように男を見上げた。


「色々嗅ぎ回るのにはオベルが適切だろう。丁度去年から奴の所には見習いが入っているし、留守の間はセラファンとブリスが装蹄の仕事も手伝ってやれるだろうしな」


オベルは陸軍兵学校の装蹄師、セラファンは鍛冶屋、ブリスは馬丁であり、エヴァは兵学校時代にこの三人にとても世話になっている。


エヴァは嬉しそうに目を輝かせた。


「それから、ド・ブロイズは確か君の友達だったな。士官候補生となって他の生徒3人と一昨年の春からリュスカ公の許に行っている。少し早いが、彼を呼び戻してオベルと一緒に行かせよう」


「でもアルカンの任務は終わっていないのではないですか?」


「どうせ最初から二年という約束だったんだ。だから部隊を離れるのが三月ほど早まるというだけのことさ」


「ありがとうございます!!!」


兵学校で初めてできた友人と再び会えることがとても嬉しかった。




「ダヴォグール様、私にも何かできることはないでしょうか?」


真面目な顔でそう尋ねたエヴァにマテオは呆れた顔をした。


「君は既に散々酷い目に遭っているというのにまだ何かしたいのか?」


「でも、私だけ安全な場所で何もなかったようにぬくぬくしている訳にはいきません。力を貸してくださる皆の為にも何かをしたいのです」


「危険だぞ」


「分かっています。だから直接調査に加わるのではなく、例えば兵学校の台所を手伝うとか、この屋敷の女中として働くとか……」


それを聞くと大男の教官は出し抜けに笑い出した。


「奥方を女中としてこき使ったなんてあの男に知られたら大変なことになるぞ」


「でも、私にはその位しかできることが……」


「ちょっと待ってくれ。エヴァ・ド・タレンフォレストとしてはそんなことする訳にはいかないが、兵学校の生徒のエヴァンだったら……いや、暫く考えさせてくれ」


だが、エヴァかエヴァンかなど、屁理屈に過ぎないのは分かっている。


マテオは書き終わった手紙を畳んで熱い蝋を垂らし封印しながら苦笑いを浮かべた。


アルテュスは絶対俺を許さないだろう。


それこそ青筋を立てて怒って、俺は絶交されてしまうだろうな。


「君の義弟への手紙だ。直接本人に手渡すようにさせようと思う。留守にしているとかそういうことはないだろうな?」


「城を出たのは一年以上も前なので分かりません」


「まあ、不在だったらその時はその時で考えるか」


マテオは立ち上がると女中にエヴァを部屋に案内するように命じた。


「君を兵学校に連れて行く訳にはいかないが、少ししたら君と仲が良かった数人をここに来させよう」


案内されたのは以前泊まったことのある屋敷の主人の部屋だった。


エヴァは赤々と火の燃えている暖炉に手を翳しながら考えた。


ダヴォグール様は本当に親切なお方だ。


やっぱり何か彼の役に立つことがしたい。


どうしたらいいのかしら?


急に良いことを思いついたエヴァは両手を打ち合わせた。


そうだわ、私にできることがもうひとつあったわ!




男は椅子の上に座ったまま身動ぎもしなかった。


その足元に蹲った女は露になった胸を隠さずに腕で囲い、その癖恥らうように俯き加減に顔を背けている。


そして上からの視線を意識して僅かに向きを変え男の脚に擦り寄った。


自分からは決して手を出さずに男が我慢できなくなるように仕向ける。


どうすれば男の心を虜にできるか十分心得た女の手管だ。


アルテュスは椅子の背にもたれて、そんな女の方をぼんやりと見下ろしていた。


官能的な曲線を描く脱ぎかけたドレスの上から覗く白く丸い肩にむっちりとした乳房。


女は大層魅力的だったが、男は上の空でまったく別の女の姿を思い浮かべていた。


初めての夜、狭い船室の寝床の上でランプの明かりの中に仄かに浮かび上がった姿を思い描くと、悲しみと恋しさに胸が震えた。


染み一つない真っ白ですべらかな肌、慎ましやかな膨らみを見せる愛らしい胸、生まれたての赤子のような柔らな腹、ほっそりとした少年のような腰。


全てが男の欲情を掻き立てるに十分な素質を持っていながらも聖母のように清らかで、組み敷くとまるで天使を犯しているような気分になったのだった。


薄汚い手垢をつけて汚してしまった美しい体。


今は俺の所為で魚の餌食になってしまった愛しい体。


可哀想な俺のエヴァ……


深い溜息を吐くとアルテュスは椅子から立ち上がり上着を脱いだ。


そして、その上着を足元の女に放ると、俯いてぎこちない指で自分のシャツのボタンを留める。


「悪かったな。この体は既に俺の物じゃないんだ。俺はそこの隅にでも寝るから、あんたはベッドを使ったらいい」


そう言うとベッドの上にあった毛布を掴んで部屋の奥に行き、毛布に包まって温かい床の上に寝そべった。


もし君が俺を裏切ったとしても。


……俺には君しか愛せない…………


エヴァの父親のことを思い出すと胸が痛む。


俺は一生悔やむだろう。


何故あの時、ゴンヴァルにエヴァが死んだかと尋ねられた時、何でもない顔で元気ですと答えることができなかったのか。


エヴァ、君を俺を憎んだだろうか?


それでも俺に生きろと言ってくれるのだろうか?


もう何もできることはないが、毎年クリスマスにはティアベに向おう。


君の愛する人々が眠る墓地に行き、俺達が結婚したティアベの教会で君と義父上の為にミサをあげさせよう。


…………そして、最後の審判では喜んで神の裁きを受けよう。


眠りに落ちる瞬間、アルテュスはふと優しい息吹が自分の額と閉じた瞼を撫でるのを感じた。


船の上で愛しい妻の幽霊の傍で眠りについた時のように……




「起きて」


耳元で呼びかけた女の声に飛び起きたアルテュスは目を擦りながら辺りを見回した。


時刻はかなり遅いようで弱い冬の日差しが雨戸を開けた窓に照っていた。


ユリアは既にコルセットをきちんと紐で閉じて肩掛けを羽織り、梳った髪を背中に纏め身支度を整えている。


「朝食の準備ができているわ。どうぞ出て行く前に食べていってね」


小さなテーブルの上には、湯気の立つオートミールの粥や林檎と干し杏を煮たもの、ゆで卵に焙ったベーコンなどが所狭しと並べられていた。


アルテュスは白い光の差し込む窓を見つめた。


不思議なことにとても穏やかな気持ちだった。


エヴァ、君が俺に安らかな眠りを送ってくれたのか?


久し振りに良く眠れた所為か空腹を感じる。


女が素焼きのコップに注いで差し出したビールを一息に飲み干したアルテュスは、テーブルに並んでいる料理を片っ端から片付けて行った。


向かいに座ってテーブルに頬杖をつき、まるで自分の息子を見るような慈愛に満ちた瞳でその様子を眺めていた女が口を開いた。


「貴方のこと気に入ったわ」


男は一瞬ユリアの方を見て片方の眉を上げたが、女が何も言わないので、また皿に目を落として油の滴るベーコンに齧り付いた。


小さく肩を竦めたユリアは小声で歌い出した。


……敵意に満ちて


私は自分自身に不滅の戦いを挑む


自分の心に、希望に反逆するの


そしてその苦しみには少しの同情も沸かない


目を見開いたまま私は死に立ち向かうのだから


敵である愛の意見に従いながら


愚かな者よ


自分自身を愛していないのに


私がおまえを愛することを期待しているのか……




「何の歌だ?」


「知らないの? 王弟ボワイエ公の取り巻きの一人であるデポルテが書いた詩に宮廷音楽家のモーデュイが節をつけた今流行りの歌よ」


くだらないとばかりにフンと鼻を鳴らした男を真っ直ぐに見つめてユリアは言った。


「貴方は奥さんの死に責任を感じているのね?」


アルテュスは顔を強張らせて小さく頷いたが口をきつく閉じたままだ。


「でも、貴方の奥さんは幸せだったと思うわよ」


「何故そう言い切れる」


「だって私が奥さんだったら嬉しいもの。死んでからもこんなに愛されて……とても羨ましいわ」


だが、男は皿を押しやりながら苦々しく言った。


「俺に出会ったことが妻の不幸の始まりだったのさ」


金を渡そうとしたが、女は既にお友達からもらっているからと断った。


「それに貴方は何もしなかったじゃない」


アルテュスは黙って頷くと、椅子の背にかけてあった上着を掴み扉に向った。


扉には鍵はかかっておらず、勢いよく扉を開いたアルテュスは後ろに隠れていた連中にぶつかりそうになる。


「うわっ、船長!!」


「あれっ、ここにいたんですか?」


「びっくりさせないでくださいよ!」


アルテュスは嫌そうに眉を顰めて、慌てている部下達に言った。


「白々しい。おまえらが仕組んだことだろ? さっさと船に戻るぞ!」


だが、港に向う道、船長はアレンの肩に手を置くと言った。


「心配掛けたな。お陰で久し振りに良く眠れたぞ。飯もちゃんと食べたし、もう大丈夫だ」


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