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竜騎兵と花嫁  作者: 海乃野瑠
第12章 決心
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12-4

「船長はいったいどうしちまったんだろうなあ?」


『悪酔いブイヨン』はまったく手をつけていない皿を見つめて呟いた。


その日は三日間続いた吹雪も漸く治まり、『ラ・ソリテア号』の船乗り達は久し振りに暖かい食事にありつけたのである。


だが、どんよりとした灰色の雲が太陽の光を遮っており、辺りは昼間から薄暗く、不規則に吹き付ける北風に帆がバタバタと騒がしい。


こんな寒い日に何も食べないで船室に閉じ篭っていたら凍え死んじまうぞ。


あの事件から一年が経ち、やっと少し元気になったと思ったら、船長は年が明けて船に戻って来てから前よりも更におかしくなってしまった。


奥さんの幽霊が現れた時から酒を控えていたのに、この一週間はぶっ倒れるまで飲んでいる。


何とかしないと取り返しのつかないことになるんじゃないか?


でも何とかって、いったい何をすればいいんだ?


「おい、どうした?」


丁度台所の近くに来たアレンが、途方に暮れたように突っ立っている料理長に尋ねた。


「船長のことさ。何でまたあんな風になっちまったのか、あんたは知っているかい?」


「昨夜、船室に様子を見に行ったら死にそうな声で誰かに赦しを請うていたぞ」


「そりゃ、奥さんにだろうな」


航海士は寒さで赤くなった鼻に皺を寄せて頭を振りながら言った。


「船長の辛い気持ちも分かるけどな。最近この船の上は陰気で堪らん。皆歌うことも笑うことも遠慮してコソコソ話している。奴らが怒り易く神経質になっちまって空気がピリピリしているのを感じるんだ。いい加減にしとかないと反乱を引き起こすぞ」


「何かよい手立てはないものか?」


「やっぱり次に寄る港で娼館に引っ張って行かなくてはならないようだな」


「そんなことで奥さんを忘れることができるのか?」


「まあ、何もしないよりましだろう。やって見るしかないよ」


そんな訳でティアベを出港して数週間後に立ち寄った港町で、アルテュスは部下達によって酔い潰されたうえ、ある建物に運び込まれた。




アルテュスと一緒に部屋に閉じ込められた女はユリアという名のこの店の看板娘だった。


背が高く魅力的な体つきをした若い女で、長く艶のある栗色の巻き毛を持ち、愛くるしい顔には微笑むとぽっかりとえくぼが浮かんだ。


少しばかり我が強く気丈なユリアは、大人しい性格とは言えなかったが、姉御肌で面倒見のいい女だった。


性技よりも人の話を親身に聞くことに長けており、その為に評判が良かったのだ。


客にするのは船乗りでも地位のあるものばかり、店に出るようになったのは数年前でアルテュスとは偶然面識がなかった。


女は外から鍵をかけられた扉を一瞥すると部屋の真ん中に置いてあるベッドに近付いた。


娼館にしては質素な内装の部屋で、壁は煉瓦色の植物がモチーフを作るくすんだ深緑の壁紙に覆われている。


家具はこれだけは立派な天蓋のついたベッドと小さなテーブルに椅子が2脚だけで、テーブルの上には葡萄酒の入った水差しとコップが2つと干した果物と木の実が山盛りになった皿があった。


床は板張りで奥の壁際には下の広間の暖炉に通じる煙突が通っており部屋を温めていた。


ユリアは狭く見えるベッドの上に仰向けに寝ている男を物珍しげに眺めている。


随分立派な体躯の男ね。


船乗りは逞しい人が多いけど、この人と比べると皆貧弱に思えてしまう。


男はぐっすりと眠っているようだが、時折うなされているのか苦しそうに顔を顰め身動ぎする。


起こした方が良いのかしら?


「ねえ、起きて……」


逞しい肩に手をかけそっと揺す振ってみたが起きる気配はない。


この男の友人と言う男達に言われたことを思い出す。


でも男と女が寝室に閉じ篭ってやることと言ったら一つしかないでしょ?


起きてもらわなければならないけど、その前に服を脱がしてしまおうかしら?




…………!!!


体を弄る熱い手と唇に泥沼のような眠りから引きずり出されたアルテュスは、慌てて飛び起きるとベッドから転げ落ちた。


床に打ち付けた腕を擦りながら立ち上がるとベッドの上にしどけない姿でペタリと座った女と目が合った。


「いったいここはどこだ? 俺はここで何をしているのだ?」


ユリアは緩めたコルセットから零れそうな胸を隠そうともせず、相手を魅惑するような微笑を浮かべた。


「ここは私の部屋。貴方は私のお客様よ」


アルテュスは自分の姿を見下ろした。


シャツはすっかり前がはだけて筋肉の盛り上がった逞しい胸から割れた腹筋は臍の下まで露になっている。


ボタンを閉めようともせずに扉に向った男は、鍵がかかっていることを確認すると、険しい顔つきで女の方を振り向いた。


「どういうつもりだ?」


「貴方のお友達がしたことよ。壊したりしないでね、後で私が酷く殴られるんだから」


扉に体当たりをしようと身構えていた男は、それを聞くと体の力を抜いた。


「明日の昼までこの扉が開かれることはないわ。私はユリア、貴方は?」


「……アルテュス」


「こちらにいらっしゃいよ」


「いや、ここでいい」


アルテュスは窓際の椅子を引くとドサリと腰を下ろした。


女は肩を竦めるとベッドを降りて、男の方に一足踏み出しながら言った。


「貴方が悲しい目に遭ったということは聞いているわ」


「……」


「慰めてあげられるなんて自惚れていないけど。貴方のことが知りたいわ」


ユリアはアルテュスの体に触れるほど近付くとゆっくりと足元に跪いた。




丁度同じ頃、トリポルトのある屋敷では、少年の姿をした娘が緊張した面持ちで主が現れるのを待っていた。


「ヴァデ・レトロ・サタナ!!」


居間に足を踏み入れた男は、椅子から立ち上がったエヴァの姿を見るなり目を剥き、そう叫んで胸元に十字を切った。


自分の方を横目で窺いながら、じりじりと後ずさって行く男の様子を見ていたエヴァは噴出した。


「ダヴォグール様、私は幽霊じゃないですよ」


「……君は本当にエヴァン……いや、エヴァ・ド・タレンフォレストか? 兵学校では俺の生徒であり、俺の親友の妻となった女性か?」


咳き込みながら尋ねた男に少年の格好をしたエヴァは黙って頷いた。


男は笑わなかった。


「奴が言っていたように君は海で溺れたのではなかったのか?」


固い表情を崩さず目を細めて付け加えた。


「場合によっては君は招かざる客だということを理解しておいてもらいたい。あんな男だがアルテュスは俺の友人なんでね」


そして、控えていた召使に大急ぎで酒を持って来るように命じると、エヴァに太い薪が威勢よく燃えている暖炉の前の椅子を示した。


「座りたまえ。強い酒が要りそうだ」


この男にしては珍しく口を噤んだまま、自分も向かいの安楽椅子に腰を下ろすと傍らのテーブルに置かれた酒瓶を取り、杯になみなみと注いだ。


そして、それを一息に飲み干して手の甲で口元を拭った。


「アルテュスなら数日前にここを出たばかりだぞ」


「はい、知っています」


「彼の前に顔を出すのが怖いのか?」


「ダヴォグール様、私の話を聞いてもらえますか?」


頷いた男にエヴァは肩から力を抜き、暫く膝の上に乗せた両手を見つめていたが、やっと決心したように顔を上げると口を開いた。




「私は船長さんが思っているように不義を働いたりしていません」


マテオは片方の眉を上げ、皮肉な笑いに唇を曲げた。


「だが、証拠を見せてもらったぞ」


「……手紙のことですか?」


「ああ」


「あれは確かに私が書いたものですが、ある人の為に代筆したもので、船長さんに宛てたものではありませんでした」


「いや、俺が言っているのは君の浮気相手が書いた手紙だ」


「相手なんていません!! 私が書いた手紙を誰かが手に入れて悪用したとしか思えません。でも船長さんも、船長さんです。あんな手紙よりも私のことを信用してくれれば良かったのに!」


必死になって説明するエヴァを興味深そうに見ていた男は言った。


「何で奴にもそうやって弁解しなかったんだ」


「あの人がそんなものを受け取っていたなんて全然知らなかったし……何も言えないうちにボートに乗せられて。まさかあんなことするなんて思わなかったから……」


話しているうちに声が震えきて、エヴァは口を噤んで必死で涙を堪えた。


少しばかり表情を緩めたマテオは、膝の上で拳を握り締め俯いている親友の妻に言った。


「先に俺が知っていることを話そう。その後で君の話を聞くことにしよう」


エヴァが指先で一筋流れた涙を拭い頷くのを見て男は話し始めた。


「新大陸から戻った日、君が書いた手紙と君の偽の相手が書いた手紙、それから君の結婚指輪がアルテュスの許に届けられたそうだ」




マテオの話を聞いて更に謎が増えた。


だが、ひとつだけ分かったことがある。


アルテュスが留守の間に起こった不可思議な出来事は全て繋がっていると思われた。


襲われた夜に紛失した結婚指輪、サラの婚約者に書いた手紙、サラの失踪……


ぞくりと背中に寒気がして、エヴァは身震いした。


まるで蜘蛛の巣のように巧みに張り巡らされた罠が見えるようだ。


標的は私かしら、それとも船長さんだろうか?


私があの人と結婚したことを喜んでない人達がいることは知っている。


でも、もし船長さんを憎んでいる人の仕業だったら、目的を達成できていないということになる。


思わず立ち上がって叫んでいた。


「ダヴォグール様!! 船長さんが、もしかしたら今頃、船長さんが危険な目に遭っているかも知れません!!!」


青ざめて震えているエヴァを見て、マテオは初めて笑顔を見せた。


「ああ、そうだな。だが奴は自分の身を守る術ぐらい知っているよ。さあ、今度は君の番だ。俺に聞いて欲しいと言った話をしてごらん」


男の優しげな声に思わず気が緩み鼻がツンとして涙が溢れた。


「……ごめんなさい。すぐ泣き止みます」


下唇を噛んで涙を堪えているエヴァの頭をマテオの大きな手が安心させるように軽く叩いた。


「泣きたいなら泣いちまえ」


もう我慢ができなかった。


辛い思い出が次から次へと脳裏に蘇り、エヴァは声を上げて泣いた。


我が家と思っていた城の自分の部屋で狼藉者に襲われた恐怖、愛する人に捨てられた悲しみ、大海原に唯一人取り残された心細さ、そして父の死に目に会えなかった後悔、それらの気持ちが硬く強張った心から熱い涙と共に流れ出していく。


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