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竜騎兵と花嫁  作者: 海乃野瑠
第2章 代書人の娘
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2-1

灰色の雲に覆われた空からちらちらと白いものが舞っている。


まだ午後も早いというのに辺りは薄暗い。


天気の所為か道を行く人はまばらだ。


そして皆、暖かい我が家への道を急いでいるようだ。


静かな狭い路地にある隣の建物に寄りかかるように傾いだ石造りの小さな家の戸が開く。


青みがかったスレート屋根の上の捻じ曲がった黒い煙突から煙が一筋流れている。


家の中から出てきたのは深みのある赤のショールに包まった小柄な女だ。


女は何事か家の中に叫び、戸を閉めると、空を見上げた。


ぱっちりとした大きな青い瞳とふっくらとした薔薇色の頬が愛らしい少女だった。


少女は嬉しそうに暫く片手で雪を受け止めていたが、やがてもう一方の手に提げていた籠を持ちなおすと、薄っすらと雪が積もった泥濘んだ道を滑らないように気をつけながら歩き始めた。


教会の前広場で立ち止まり、幼子を抱いた聖母の像の前で片足を折って軽く頭を下げると、教会の裏に続く小道に入って行った。


滅多に人が通らないその道には既に2インチ程の雪が積もっている。


やがて、少女は袋小路の突き当たりにある藁葺き屋根の家の門を潜り、石の階段を上がると戸を叩いた。


戸が開き、血色の良い太った中年の女が顔を出す。


「こんにちは、マリヴォン小母さん」


元気な声で挨拶をする少女に女は笑顔で答えた。


「まあ、エヴァちゃん。寒かっただろう? ほら、早く中へお入り」 


少女はショールに積もった雪を赤くなった手で払い落とし、女の後に続いて家に入る。


女に暖炉に近付くように勧められたエヴァは、玄関で濡れて汚れた木靴を脱ぎ、籠を蝋で磨かれたどっしりとしたテーブルに置くとショールを取った。


黒っぽい服にパリッとした白い前掛けという質素だが清潔な身なりをして、頭には糊の効いた白い頭巾をきっちりと被って髪を覆い隠している。


「父さん、エヴァちゃんが来たよ!」


隣の部屋からか、しわがれた声で唸るような返事が聞こえた。




エヴァが扉を叩いて部屋を覗くと、毛布に包まって暖炉の前のベンチに横になっていた老人は、少女の方を向いてニコリともせずに頷いた。


「こんにちは、ペレック爺さん」


体を起こした老人は、日に焼けて深い皺の刻まれた干し李のような顔を顰めて怒鳴った。


「モナ!! 酒を持って来い」


暫くして部屋に入ってきたマリヴォンは、湯で薄めたブランデーの入ったコップを父親に手渡した。


「な、何だこれは?!!」


一口含んだ酒を大袈裟に暖炉の中に吐き出した老人は、自分の娘を睨みつけた。


「わしが寝たきりの爺だからって馬鹿にしているのか? 言っとくが、わしを騙そうったってそうはいかんぞ。何たってわしは40年もの間、王宮ご用達のブランデーや葡萄酒を運んでいたのだからな」


マリヴォンは父親の怒った口調にビクともせずに、ずけずけと言い返す。


「それが何だい? まさか王様のお酒を父さんが飲んでた訳じゃないだろう? それに医者に酒は一日一杯だけって言われているんだから、今飲んだら夕飯と一緒に飲めなくなるよ」


「イヴォナが生きてりゃ……」


「生憎、母さんは10年前に亡くなっているんだ。これ飲まないんだったら持っていくよ」


マリヴォンがコップを片手に扉の方に向かうと、父親はその背中に懇願するように呼びかけた。


「モナ、モナ、お願いだ。ほんのちょびっとでいい。水で薄めてないやつをくれ」


親子二人の会話は毎度のことなので、エヴァは窓辺にある小さな机の前にちょこんと座り、大人しく待っている。


指貫きのように小さなコップに酒を入れたマリヴォンが戻って来た。


「ほら、これ飲んだら、大人しくするんだよ」


老人は唸り声を出したが、文句は言わずに、ちびりちびりとコップの酒を飲んでいる。


そして、やっとエヴァの方を見ると咳払いをして口を開いた。




10歳の時に母親が病で亡くなり、それからエヴァは父親と二人きりで暮らしていた。


父のゴンヴァルは、ティアベの町の代書人だった。


ティアベは中世から港として栄えた町で、古代の円形競技場のような形に広がっており、西は海、南は山、北と東は森に囲まれている。


先王が建てた城壁と港の入り口にある2つの塔によって、敵国の侵略から守られている。


エヴァ達の家は、港に近い下町にあった。


古く小さな家であったが、二人には十分な大きさで、エヴァと父親はそこで大層居心地良く暮らしていたのだ。


代書人の仕事は大して儲からなかった。


ゴンヴァルは裕福な商人からはきちんと金を取ったが、遠い町に住む恋人や家族に手紙を書いてもらいに来る若い船乗りや貧乏人には無償で書いてやることが多かったからである。


だが、百姓は自分の畑で取れる野菜を持ってきたし、漁師は釣った魚を持ってきた。


若者達は足の悪いゴンヴァルに代わって薪を割ったり、水汲みをしたりしてくれた。


そして父が仕事をしている間、傍に立ってじっと見つめているエヴァの頭を撫で、時には珍しい南国の貝殻や木の実をくれたのである。


ゴンヴァルは普段は港町の教会の脇にある露店で仕事をしているのだが、ここ数年、冬の間は持病のリウマチが酷くなるので、外に出るのを控えている。


その為、代わりに娘のエヴァが毎日港に通い、仕事をもらって来るのだ。


夏の終わりに15歳になったエヴァは歳の割にはしっかりした子で、母親が死んでから家事全般をこなしているだけではなく、最近はそのようにして父親の仕事も手伝っていた。




元船乗りで商人のペレック爺さんから仕事の話が来たとき、ゴンヴァルは自分の病気を理由にいったん断った。


だが、エヴァが自分が代わりにその仕事をすることを頼み込んだのだ。


父に教わってエヴァはラテン語、ギリシア語、それから国語であるガイデア語の読み書きができた。


死ぬ前に自分が経験した冒険の数々を書き残したいという爺さんの願いを叶えてあげたかったし、なによりも人生の半分以上を海の上で過ごした年寄りの船乗りの話を聞きたかったのだ。


そういう訳でエヴァは、二ヶ月程前から毎日、ペレック爺さんが娘夫婦と暮らしている家に通っている。


物忘れの酷くなってきている老人は、語っている途中でどこまで話したか忘れてしまうようで、エヴァは今まで書いた話を何度も声を出して読み返さなければなかった為、中々捗らなかった。


どこまでが事実でどこからが空想なのかはっきりしないこともあったが、異国での生活や不思議な出来事の数々はティアベの町を出たことのない少女にとっては、とても興味を引かれるものであった。


話し疲れた老人がこっくりこっくりと船を漕ぎ始めるのを見ると、エヴァは立ち上がり机の上を片付けた。


これから港の郵便局兼宿駅まで、ひとっ走りしてこなければならないのだ。


日が暮れて冷え込むまでには、家に帰り着きたい。


「あら、父さんたら寝ちゃったのかい? エヴァちゃん、もう帰らなきゃならないの?」


エヴァが商売道具を籠にしまい、ショールを被っていると、マリヴォンが台所から顔を覗かせた。


「はい、宿駅に用事があるので」


「ゴンヴァルさんの代わりも大変だねえ。じゃあ、これを持って行きな。裏庭の胡桃で作った菓子だよ。お父さんとお食べ」


「ありがとう!」


甘い香りのする包みを潰れないようにそっと籠に入れて布をかける。


マリヴォンが暖炉の傍で乾かしておいてくれたので、木靴は中に詰めてある藁と干草もホカホカと暖かかった。


もう一度礼を言ってエヴァは外に出た。


雪は止んでいたが、気温が下ったようで地面から冷気が深々と伝わってくる。


早く行かなくちゃ。


白い息を吐きながら、ショールをきっちりと巻きつけたエヴァは、雪の積もった道を元気良く歩いて行った。




港町に着いた少女は、寒さにも拘らず大勢の人達が波止場の方へと走って行くのを見て驚いた。


何かあったのだろうか?


エヴァは立ち止まって考えた。


早く用事を済ませなくてはならないと思う一方で好奇心がムクムクと頭をもたげてきている。


宿駅に行く前に、ちょっとだけ何があったのかを見に行こう。


もしかしたら仕事があるかも知れないし。


自分自身にそう言い訳すると、エヴァは皆の後に続いて波止場に向かった。


どうやら皆は港に入ってくる船を見ているようだったが、背の低い少女には男達の背中ばかりで何も見えない。


ああ、もうこんなことやっている暇はないのに。


そう思いながらも群れから離れ、駆け足で坂道を登って行く。


少し行くと左下に港が見渡せることを知っていたのだ。


やっと丘の上まで登ると息を弾ませながら下を覗いた。


丁度港に一艘の帆船が入って来る所だった。


エヴァは目を丸くした。


武装した立派な船だが、嵐にでも会ったのか、真ん中のマストは折れ帆は破れて垂れ下がっている。


甲板には大勢人がいる。


船を眺めていたエヴァは、その中で一際背の高い男が、自分の方をじっと見ているのに気が付いた。


知っている人かしら?


思い出せなかったが、お父さんのお客様かも知れない。


そう思ったエヴァは、その男に愛想よく笑いかけた。


だが、男は不愉快そうに顔を顰めるとエヴァに背を向け、二度と再びエヴァの方を見ることはなかった。


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