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竜騎兵と花嫁  作者: 海乃野瑠
第10章 後悔
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10-1

雨が降っている。


ざあざあと水の流れる音がする。


こんなに降ったら、花壇が水浸しになってしまうわ。


何でこんなに体がだるいのだろう?


瞼が重たくて目を開くことが出来ない。


でも外は夜なのだろう。


真っ暗だから。


まるで蜂蜜酒を飲み過ぎた時のように頭がくらくらするわ。


小さな手がそろそろと布団から出ると、確かめるように傍らのシーツに触れた。


それともこのベッドが動いているのかしら?


その時、床が軋むような音を立てて傾き、慌ててベッドに縋りついた。


……ここは、船の上?


雨だと思ったのは、波の音?


「おやおや、お目覚めかね?」


聞きなれないしわがれた声が耳に入った。




重たい足音がぼんやりとした明かりと共にベッドに近付いてきた。


「ほら、これを飲みなさい」


力強い手が背中を支え、口元にコップが当てられた。


喉がカラカラに渇いていた。


エヴァはコップを両手で掴むと貪るように飲み干した。


爽やかな香りがする柑橘類を絞った水のようだ。


目を閉じたままのエヴァの体を同じ手がまたそっとベッドに横たえた。


「ピート、船長を呼びに行け!」


答えは聞こえなかったが、軽い足音が走り去っていく。


……船長ってアルテュスのこと?


無理に目を開くと、ベッドの傍に吊るされたランタンの明かりに照らされて、見知らぬ髭面の男が自分を覗き込んでいた。


「これは、別嬪さんだな!」


男はほうほうと感心したように声を上げ、もじゃもじゃの髭の間から歯を覗かせた。


「……」


その時、近付いて来る慌しい足音が耳に入って、エヴァは期待を込めた眼差しを扉の方に向けた。




船室に入って来た男の顔は影になっていて良く見えなかったが、中位の背ですらりとした姿は夫のものではなかった。


男はベッドに近付くと、起き上がろうとするエヴァを押し止めるような身振りをして、脇に立っている髭面の男に問いかけた。


「で?」


「ああ、何も問題ないようだ。暫く定期的に水分を与えて安静にしていれば元気になるだろう」


横になったままエヴァは毛布を握り締め、不安そうな瞳で二人の男を見比べた。


後から入って来た男はまだ若く、短く刈った金髪に細い口髭を蓄え、体にぴったりと合った黒っぽい色の服を着て腰に剣を帯びている。


男はランタンの明かりの中に屈み込んで、じっとエヴァの顔を見つめた。


近くで見ると目尻には細かい皺があり、どうやら初めに思った程若くないらしい。


「私達の言葉が分かりますか?」


「……」


答えようとしたが声が出せずに頷いた。


「ご安心なさい。ここには誰も貴方に危害を与えようとする者はいない」


「……」


「この船はG国海軍の軍船『セレスタ号』。王のご一行を迎える為にティミリアに駐屯していたが、これから軍港ギースに戻る途中です。私はG国海軍中佐のルイス・ド・クレリゴー、こちらは船医のマティアス・ダノ」


信用できる人達のようだとエヴァはホッとした。


だが、男は眉を潜め非難を含んだ口調で続けた。


「貴方の乗っているボートを見つけたのが昨日の明け方だから、あれから丸々2日眠っていたことになるのですよ。あんなボートで沖に出るなど気違い沙汰だ。貴方はどこから来たのですか? どこに行くつもりだったのです? 転覆する前に我々が通りかかっていなかったら今頃は海の底ですよ」


エヴァは困った顔をした。


乗りたくて乗った訳ではない。


「貴方の名前は? お父さんの名前は何というのです?」


「まあまあ、そんな質問攻めにしなくても」


船医が取り成すように口を挟んだ。


「まだ疲れているのだろう。ギースに着くまでたっぷり時間はある。彼女も話したくなったら自分から話してくれるだろうよ」




「頑固な奴だ。港に積荷をほったらかしにしてどこに行っていたのか、言うつもりはないのだな」


城主は挨拶に来た船乗りの息子を見て腹立たしげに言った。


一昨日家に戻って来たばかりだが、部下には一週間後に港に戻る約束をしているので、明日の朝早く発たなければならない。


「……」


アルテュスは不貞腐れた顔でそっぽを向いている。


積荷はちゃんと届け出て、倉庫に運び込まれている。


何故父に文句を言われなければならないのか。


すると父親は違うことを言い出した。


「勝手に嫁を連れて帰って来たかと思えば、今度は離婚でもするつもりか?」


顔を顰めて何も答えない息子に男は溜息を吐いた。


「もう飽きてしまったのか?」


「お話がそれだけでしたら……」


「別にあの娘の肩を持つ訳ではないが、おまえが留守の間は色々と頑張っていたぞ。暴漢に襲われた時は可哀想なことをしたが」


アルテュスは顔を上げて父親を見つめた。


「襲われたってどういうことですか?」


「聞いていなかったのか?」


急に顔色を変えて詰め寄るようにした息子に父親は驚いた顔をした。




エヴァ、エヴァ……


部屋に閉じ篭ったアルテュスはがっくりと床に膝をついた。


……裏切られたのではなかった。


俺は取り返しのつかないことをしてしまった。


父は大事には至らなかったと言っていたが、もし奴らに犯されていたとしても君は何も悪くないのに。


拳をきつく握り締め、歯を食い縛って胸の苦しみに耐える。


エヴァが怖い目に遭っていた時に、傍にいて守ってやれなかったことを悔やんでももう遅い。


彼女を守るどころか、俺は不義を働いたと決め付けて海の真ん中に置き去りにしてしまったのだから。


あの手紙も、指輪も……


妻を襲った者は俺を強請るつもりだったのか?


何かひっかかるとあれからずっと考えていたが、やっと分かった。


エヴァは革靴など履いたりしない。


あの時も、磨り減った木靴を履いていた。


片方だけ俺の手元に残った哀れな小さい木靴。


中に納まっていた可愛らしい足は今頃……


アルテュスは呻き声を上げて床の上に前向きに倒れた。


そのまま床に何度も額を激しく打ち付ける。


腹の底から湧き上がってくる自分自身に対する怒りをどうすれば良いのか分からなかった。




数日後の夕方、ティミリアの港に戻ったアルテュスは、直ちに『ラ・ソリテア号』の乗組員の泊まっている宿屋に向った。


皆はホッとした顔で船長を迎えた。


屋根裏部屋に落ち着いたアルテュスの許にアレンが来て、別の船に仕事を見つけて去って行った男達の人数を伝える。


呪われた船に残る者は少ないのではないかと諦めていたアルテュスだったが、半分以上の男が残っていることを聞いて満足そうに頷いた。


代わりの者は簡単に見つかるだろう。


出港の予定日までまだ後2週間もあるのだ。


行き先は決まっていた。


本当はエヴァと一緒に行く予定だったのだ。


辛い任務を果たした後は、友人のマテオ・ダヴォグールの所に行くつもりだった。


慰めてもらう為ではない。


彼の見解を聞きたかったのだ。


部屋に独りになったアルテュスは懐からくしゃくしゃになった妻の手紙を取り出した。


誰かがエヴァの筆跡を真似たのだろうか?


だが、手紙の文章からはエヴァの気配が感じられるのだ。


読んでいると彼女の優しい声が聞こえるように思えるのだ。


アルテュスは両手で頭を抱えると大きな溜息を吐いた。


俺は何をしているのだろう?


これが偽物だと分かったとしてもエヴァはもう戻って来ない。


血が滲むほど唇を噛んで頭を垂れると両手を組み合わせた。


俺の祈りなど必要としていないだろう。


天使のような君は真っ直ぐ天に昇ったに違いないから。


…………でも、俺にできることはこれしかないんだ。


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