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それから数ヶ月後、アルテュスは『ラ・ソリテア号』の仲間達とタルへブ海峡の海賊を追い回していた。
海賊なんかに見す見す稼ぎを持っていかれては堪らない。
それに、海賊は敵国の船ばかりだけではなく、我が国の商船も襲うのだ。
実際にやっていることはアルテュスも海賊も殆ど変わらなかったが、私掠免許を持っているかどうかで、戦いに敗れた時の扱いが変わってくる。
国王に発行された私掠免許を持ってさえいれば、敵に捕らえられた場合に捕虜と見なされる。
だが、捕らえられた海賊は絞首刑にされると決まっていたのだ。
数週間の追跡の末、タルへブ海峡近辺を荒らし回っていた海賊船は『ラ・ソリテア号』に横腹に大砲を打ち込まれて沈没しかけ、慌てて降参したのだった。
捕らえた海賊達を一番近い港の海事当局に引き渡した後、アルテュスは針路を南西に変えさせた。
「思えば奴らも哀れなもんですよね。聞けば大半は、半年前にトルーべ海を横断中に反乱を起こしたガレー船『メリディアン号』の水夫だったと言うじゃないですか」
アレンがそう言うと、アルテュスは仕方がないという風に肩を竦めた。
「だが奴らをこの船で雇ってやる訳にもいかないだろ? 俺も『メリディアン号』の船長のように殺されちまうのは嫌だしな」
二人の周りにいた男達はもっともだという風に頷いた。
その中にはスチュヌアの酒場でアルテュスと喧嘩をして怪我を負った二人の水夫もいた。
男達は哀愁の浮かぶ眼差しで、遠ざかっていく陸を眺めていた。
海賊達がこれからどうなるのか皆知っていた。
海の男が最も恐れている死に方は、溺死と絞首刑だったのだ。
北風の吹きすさぶ季節となった。
ラテディム海を避けて通る敵の商船を待ち伏せ、大型船2隻の捕獲に成功し、気を良くした『ラ・ソリテア号』の船長は更に西に向かって船を進めることを決めた。
5日後の夕方にはティアベの港に着く予定だ。
12月28日は幼子殉教者の日である。
その日から大晦日まで船旅は避けるべきと言われていた。
その期間は、海に沈められた町の教会の鐘が鳴り響き、溺死者の行列が波の間に現れると信じられていたのだ。
アルテュスは何度か行ったことのあるティアベの港で新年を迎えるつもりだった。
港町には船乗り達の溜まり場となっている酒場が多かったし、港に近いトリポルトという町にはアルテュスの兵学校時代の親友マテオ・ダヴォグ―ルの屋敷があったのだ。
だがその日、何故か日没近くなって風がぱったりと止んでしまい、船が全然進まなくなってしまった。
夜が明けても風は吹かなかった。
船乗り達は、急に止んでしまった風に不吉なものを感じていた。
魚を釣ることぐらいしかすることがないので、皆トランプやサイコロで遊んだり歌を歌ったりして過ごしていたが、陽気になる者は少なかった。
数日そんな状態が続くと、小さな諍いがあちこちで起こるようになった。
とうとう船長は、喧嘩を止めに入った航海士を殴った水夫を鞭打ちの刑にする羽目になった。
見せしめの為の刑罰であったが、顎に大きな痣をつくったメレーヌはその様子を見ながら冷ややかに言った。
「水夫を鞭打つと風が起こると言われているが、そうなればこの愚か者も役に立ったと言えるだろうよ」
「……!!! 」
まるで命綱に縋るように舵にしがみついているアレンがついた悪態は、風と波の音に掻き消されて他の者の耳には入らなかった。
「早く、帆を畳め!!!」
叩きつけるような激しい雨の中、水夫達は風に逆らい顔を顰めながら必死でメレーヌの指示に従う。
やっとこの数日間、皆が待ち望んでいた風が吹いたのだが、昼を過ぎたあたりから急に空模様が怪しくなった。
急いでその水域を離れようとしたが、雨雲の方が船よりも一足早かったようだ。
やがて立っていられないぐらいの暴風が吹き荒れ、稲妻が光り、雨が降り出した。
まだ畳まれていない帆がバタバタと乱暴にはためき、布の裂ける嫌な音がする。
アルテュスはアレンの隣に立ち、やっと最後の帆が下げられるのを確認すると大きく息を吐いた。
嵐から抜け出すことは諦め、どうやって被害を最小限にとどめながらやり過ごすかだ。
空は黄味を帯びた鉛色で辺りはまるで夜のように暗い。
時々稲妻が暗灰色の雨雲の間を引き裂くように走る。
男達は皆濡れ鼠で、海に投げ出せれないように、悴んだ手で不器用に船縁に結びつけた縄を腰に巻きつけた。
荒れ狂った海の中で『ラ・ソリテア号』はまるでおもちゃのように振り回される。
前の方へ転がっていく桶を追いかけて水夫が一人持ち場を離れた。
「戻れ!!! 戻れ!!!!」
しかし、少年は男達の声も聞こえていないようで前屈みになって船縁に摑まり必死で進んでいく。
ザザザァという音と共に水飛沫を上げて船の底が波の谷間に沈み込み、次の瞬間には船の10倍ほどの高さの波が崩れ落ちてきた。
船がやっと水から出た時には、若い水夫の姿はもうどこにも見えなかった。
「見習い水夫が海に落ちたぞ!!!」
身振り手振りで伝える男達にアルテュスは顔を顰めて首を振った。
愚かな奴だ、縄を腰に巻いていなかったのか。
哀れだが、この海の中から救い出すことは無理だろう。
『ラ・ソリテア号』はミシミシと悲鳴を上げながら、自分より遥かに強い怪物を相手に戦っていた。
一段と強い風に揺さぶられた瞬間、メインマストがまるで木の枝のようにポキリと根元から折れた。
その衝撃で帆船は危なく傾き、転覆しそうになった。
危うい所で船を安定させることができた航海士は唸り声を上げる。
幸いマストの下敷きになった者はいなかった。
男達は寒さと恐怖で顔を真っ青にして、忙しく口を動かしている。
歯をカチカチならしているのか、それとも祈りの言葉を呟いているのか。
船酔いしている者も多いようだ。
その中でアレンだけは、いつもどおりの顔つきで舵を握っている。
アルテュスはマストが倒れるのを見た時、生まれて初めて恐怖を感じた。
背筋をぞくぞくと寒気が這い上がり、濡れた服が張り付いた体に鳥肌が立った。
不安そうにアレンの方を見ると、航海士は船長に傍に来るように手招きした。
そして船長の耳の近くで怒鳴る。
「こんな時化は生まれて初めてですよ!! これ以上長引いたら流石の私もお手上げです!!!」
アルテュスも怒鳴り返す。
「どうすりゃいいんだ?!!」
「もう神に縋るしかないんじゃないですか?!!」
そして大声でパテール・ノステルを唱え始める。
アルテュスも子供の頃に習った祈りの言葉を呟いた。
だが嵐はいっこうに治まる気配がない。
アレンがアルテュスの腕を掴んだ。
「ちょっと舵を取っていてください!!」
アルテュスと場所を入れ替わると、アレンは自分の指から金の指輪を外した。
そしてそれを海に向けて放りながら叫んだ。
「これをあげますから、どうか静まってください!! ほら、船長も海に何か捧げてください!!!」
航海士が舵の前に戻ると、アルテュスは懐から財布を取り出そうとしたが、ふと思い直し、自分の首元を探り金の鎖を引き千切った。
洗礼のメダルはそのまま懐に突っ込み、エメラルドの指輪を海に投げた。
エメラルドには海を静める力があると信じられているのだ。
普段はあまり迷信深くないアルテュスなのだが、今は何でも効き目がありそうなことはやる気になっていた。
暫くするとアレンが怒鳴った。
「もし嵐を治めてくれたら、一ヶ月間一滴も酒を飲まないことを誓う!! それから金曜日には肉を食べないことを誓う!!」
次から次へと誓いの言葉を喚いていた男は暫く黙った後、顔をクシャクシャにすると泣き声で怒鳴った。
「……それから、それから、俺は二度とサイコロに触れないと誓うぞ!!!!」
アレンは仕事には真面目な男だったが、賭け事に目がないという欠点があった。
その為、彼の懐はいつも貧しかったのだ。
「船長も早く何か誓ってくださいよ!!」
アルテュスは考えた。
誓うと言ったって実行できるようなことじゃないと無理だろう?
「ほら、恋人と仲直りするとか、何でもいいですから!!」
そりゃ無理だ。
一生結婚しないとだったら誓えるが。
口を開きかけた時、隣でアレンが怒鳴った。
「船長が船を降りて最初に出会った女を嫁にすることを誓うぞ!!!」
「なっ、何だと?!! いい加減なことを言うな!!!」
だがその時、『ラ・ソリテア号』は波に激しく揉まれ水を被り、まるで今にも木っ端微塵になってしまいそうな音を立てた。
甲板に放り出されそうになったアルテュスは隣の男にしがみつき、やっと息ができるようになると怒鳴った。
「もしも、この船が無事に港に着いたら、そこで最初に会った女と結婚することを誓う。だからお願いだから静まってくれ!!!!!」
初めに会う女が若い頃に夫を亡くしたよぼよぼの婆さんかも知れないとは思い浮かばなかった。
数時間後、随分と落ち着いた波に揺すられる甲板の上、『ラ・ソリテア号』の乗組員は放心したように座り込んでいた。




