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竜騎兵と花嫁  作者: 海乃野瑠
第9章 再会と別れ
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9-6

手首と足首を縄で縛られた男は、薄暗い船室の埃っぽい床の上に転がされていた。


この船の上では一番広くて居心地の良いとされる船長の寝室であるが、くの字に体を曲げて家具の間に挟まっている様子は随分と窮屈そうだ。


やっとのことで上半身を起こした男は、足と肘を使って体の向きを変えようと苦労している。


しかし、自分の体を支え切れず床に崩れ落ちる時に頭を激しく打ってしまい、食いしばった歯の間から呻き声とも悪態とも取れる言葉を漏らした。


皮膚には縄が食い込み、変な形に曲げていた脚は痺れていたが、体の痛みよりも胸が押し潰されそうに苦しかった。


あの時、引き寄せたボートの中を覗いた瞬間、恐怖に体が凍りついた。


底に水の溜まったボートには誰も乗っていなかったのだ。


一瞬頭が混乱して、海に落ちたエヴァを救おうと海に飛び込もうとした。


溺れてしまってから既に何時間も経っているかも知れないのに。


だが、周りにいた部下達に押さえつけられ、その挙句に罪人のように縛り上げられてしまった。


確かに罪人に変わりあるまい。


俺はエヴァを殺してしまったのだから。


港に戻ったらこいつらは俺を行政官に突き出すつもりなのだろう。


こんなに縛ったりせずとも逃げ出したりしないものを。


正直に罪を認めたら斬首されるのだろうか?


それでいいのだ。


死ぬのは怖くない。


今までもずっと死と隣り合わせの生活だったのだから。


……だが、死んだらこの胸の苦しみはなくなるのか?


少しは楽になれるのだろうか?


………………それとも地獄の火に身を焼かれ続けなければならないのか?




『ラ・ソリテア号』の乗組員は、憂鬱そうな顔をして淡々と仕事をこなしていた。


いつものように歌を歌う者もいない。


「おい、おまえは知ってるか? 船長の奥さんはいったい何をしたんだね?」


一人の船乗りが『髭の三日月』の袖を引っ張って小声で尋ねた。


「どうやら噂じゃまた留守の間に間男されちまったそうだぞ」


『髭の三日月』が口を開く前に近くにいた男が口を挟んだ。


「男の俺だって惚れちまうような男振りの癖に、実に女運の悪い男だな、うちの船長は」


「……でも、そんな風には見えなかったけどな」


『髭の三日月』は考え込みながら独りごちた。


俺のことをティムと呼んでくれたし。


美丈夫な船長にお似合いの愛らしい人だった。


青い大きな瞳を輝かし嬉しそうに船長の姿を追っている彼女を見て、船長が心底羨ましいと思ったんだ。


船長は部下の手前照れていたのか、そっけない風を装っていたが、それでも時々彼が妻を見つめる優しい眼差しに気付いてしまった。


二人は愛し合っているように見えたのだが、あれは幻だったのか……




「それで、俺に何をして欲しいのだ?」


食事と用を足す為、甲板に連れ出されたアルテュスは、前に座る二人の航海士の顔を代わる代わる見ながら尋ねた。


アレンとメレーヌは、自分らを含む『ラ・ソリテア号』の乗組員は、誰もアルテュスを司法機関に引き渡すつもりはないことを告げたのだ。


「別に何もしなくていいです。もし何か聞かれたら我々は奥さんが亡くなったのは事故だと証言しますから、このまま『ラ・ソリテア号』の船長でいてください」


「罪を償いたいと思っているのは分かります」


「そりゃ、船長は牢屋に行って運良く斬首にでもなったら、自分の罪の一部を償った気持ちになって少しは楽になるでしょうよ。だけど、そうしないで、海を眺めながら今までどおりに船に乗っていた方が苦しいでしょう? だったらそうすべきだと思いませんか?」


「船長が捕らえられたら、いったい何人の男が路頭に迷うと思うのですか? 船長がこの船の上でしたことによって、我々は皆呪われた船乗りになってしまったのですから」


アルテュスは唇を噛んで俯いた。


船の上では死者は災いをもたらすと思われている。


事故で死んだ者でも船を海の底に引きずり込む力があると信じられているのだ。


怨恨を持っている女だったら、それこそセイレーヌのように恐れられるだろう。


そしてセイレーヌと関わりを持ったこの船の乗組員全員が、将来乗り込む船を危険な目に晒す可能性がある訳だ。


エヴァは人を恨むようなことは絶対しないだろうに。


命を奪うだけでは飽き足りず、俺は思い出の中のエヴァまで怪物に変えてしまったのだ。


悔やんでも悔やみ切れない。


苦しそうに顔を歪めたアルテュスは、魔除けの蹄鉄を打ち付けてあるマストの前で皆の言うとおりにすることを誓った。




ティミリアの港町は武装した警備の兵達でいっぱいだった。


『ラ・ソリテア号』はいつもの停泊場所を使うことが出来ずに、仕方なく隣町の漁港に錨を下ろした。


「いったい何が起こっているのだ?」


波止場で漁船に乗っている男にメレーヌが尋ねると、漁師は驚いた顔をした。


「何も知らないなんて、外国の方ですか?」


航海から戻ったばかりで国の新しい情報は知らないのだと説明すると、相手は納得いったように頷いた。


「数週間前からここらではこの噂で持ち切りなんですけどね。ティミリアにずっと待たれていた王様のご一行がお見えになっているんですよ」


男の話では、王とその家族の為に町の貴族や裕福な商人の屋敷は全て徴用され、更に王と一緒に宮廷も移動して来たのでお付きの者達を泊めるのに宿屋は全て満員だそうだ。


「ティミリアに行ったら泊まる所どころか、食い物にも困るのではないか?」


「そうですね。ここに残りますか? 船の上でも眠れますし」


結局、陸に降りた皆は近くの農家から豚を何匹か調達すると港近くの空き地に石を積んで竈を作り丸焼きにした。


『悪酔いブイヨン』は仲間達の為に、農家から買った栗と麦粉でほんのりと甘い濃厚なスープを作った。


最後の一樽のビールが回され、食後には赤く熟しているのに酸っぱい林檎を競い合って食べた。


船を降りてから、アルテュスの様子は普段と変らなかった。


てきぱきと部下達に指示を与え食料を確保すると、焚き火の近くに腰を下ろし船乗り達の話に相槌を打っている。


ちらちらと不安そうに船長の様子を見ていた男達はホッと胸を撫で下ろした。


気でも狂ってしまうのではないかと心配したが、どうやら大丈夫なようだ。


食事が終わると皆眠るために船に戻った。


月もなく暗い夜だった。


疲れ果てた男達は毛布に包まると次々と夢の国に旅立って行ったが、一人だけ眠れない男がいた。


皆が寝静まった船の中、その男は船室の狭い寝床の上で丸くなり、呻き声を上げて髪を掻き毟り一人苦しみ悶えていた。




窓から聞こえる蹄の音に、図書室の窓辺で本を読んでいたヤンは、本を放り出すと階段を駆け下り霧雨の中に飛び出した。


やっと兄上が戻って来た。


あんな形で港で別れ不安で堪らなかったが、何日待っても『ラ・ソリテア号』は戻らなかった為、仕方なく騎士達と城に帰って来たのだった。


馬を降りて召使に手綱を渡している男の姿を見ると急いで駆け寄った。


「兄上!」


アルテュスは眉を顰めると顔を背け、足早にヤンの横を通り過ぎようとした。


「兄上、待ってください。義姉上は?」


その声にピタッと足を止めたアルテュスは雨に濡れた顔を強張らせ、刺すような眼差しで弟を睨み付けた。


そして、急にヤンの腕を掴むと引き摺るようにして自分の部屋に向った。


途中、彼らを見かけた妹達が近づいて来ようとしたが、ヤンは自由な方の手を振って離れていろと合図をする。


自分の腕を万力のようにギリギリと容赦なく締め付け引き摺っていく兄は、それほど怖ろしい顔をしていたのだ。


部屋の扉を乱暴に開くとヤンを中に突き飛ばしたアルテュスは、扉に鍵をかけると弟の襟首を掴んだ。


「二度と、あの女の話をするな!」


壁に押し付けた弟を睨みながら、地を這うような低い声で言った。


ヤンは血の気の失せた顔で、それでも兄の目を真っ直ぐに見て答えた。


「義姉上のことをあの女なんて言わないでください。義姉上をどうなさったのですか?」


アルテュスの顔がカッと赤黒く染まり、ヤンは殴られると思って歯を食い縛り身構えた。


だが、兄は弟を殴らずに急に手を放すと顔を背けて苦しそうに呟いた。


「エヴァはもうここには戻ってこない」




ヤンは濡れた服のままベッドにどさりと腰を下ろして頭を抱え込んだアルテュスを見つめていた。


何があったのか知らないが、兄上は義姉上のことを誤解しているのではないか?


怒った兄上は怖いけど、何か言った方がいいのではないのか?


両手の拳を握り締めて大きく息を吸い込んだ。


「鴨の丸焼きにボエル何とか産の葡萄酒に塩漬けキャベツと燻製ハムと3年間熟成させたチーズ!!!」


アルテュスはキョトンとした顔で唐突に喚き出した弟の方を見た。


「……何だ?」


「義姉上が兄上の為に準備したものです。それから新しいシャツと肌着と……」


「もういい!」


勢い良く立ち上がったアルテュスは、ヤンの腕を掴むと扉の方に引っ張って行き、鍵を開けて部屋から追い出した。


再びベッドの上に腰を下ろすと虚ろな瞳で雨の雫に濡れ曇った窓を見つめる。


わざわざ俺の好物ばかり取り寄せてくれたのか?


別れるつもりなら、普通服を仕立てたりしないのではないか?


エヴァ、エヴァ……


俺は何か酷い間違いを犯してしまったのではないだろうか?


とてつもなく愚かなことを…………


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