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鬼のように怖ろしい顔をした大男に肩を掴んで揺さ振られ、その娘は泣きながら説明した。
娘の父親は港町の靴屋だった。
一週間前に柔らかい鹿の皮で作らせた女性用の靴を父親の店に取りに来た客に頼まれたのだ。
訳あってこれから外国に向うのだが、この包みをある船の船長に渡さなくてはならない。
だが、彼の船が自分が出発する前にティミリアに着くか分からないので、靴屋の娘に言付けて行きたいとその客は言った。
娘はすすり泣いた。
「お許しください。私は何も知らないのです!! ただその女の方に頼まれただけで……」
「女だと?!」
「金髪に青い目で天使のように美しい方でした。お使いの駄賃にと銀貨一枚下さって。でも、こんな目に遭うと知っていたら……」
泣いている娘の腕をきつく掴んでいた男は急にその手を放すと、娘の顔も見ずに手を振った。
「失せろ!!」
娘が他の客を押し退けながら酒場から飛び出して行くと、立ち上がって成り行きを眺めていた人々は座り直し、何事もなかったかのように自分達の会話に戻った。
小さな包みの中には、思ったとおりルビーとダイアをあしらった指輪が入っていた。
ティアベの小さな教会で、花嫁の指に嵌めてやったものだ。
アルテュスはがっくりとテーブルの前に腰を下ろすと両手で頭を抱えた。
僅かに残っていた希望の光も消え失せてしまった。
たったの半年も待てなかったのか……
男の唇が自分自身を嘲笑うかのように歪む。
自業自得だ。
過去に痛い目に遭っているのに、また同じ過ちを繰り返す俺は大馬鹿者だ。
血が流れるほどきつく唇を噛み締める。
何故、何故だ、エヴァ……!!!
一生俺の傍にいると誓ってくれたのではなかったか?
君は俺の妻になって幸せではなかったのか?
あの笑顔は偽りだったのか?
別れの手紙の文章からはできるだけ傷つけたくないとの思いが伝わってきて、それがまた辛かった。
蜂蜜色の柔らかな髪と薔薇色の頬、澄んだ青い瞳を思い出して、男は悲しみに胸を押し潰されていた。
だが、いくら泣きたいと思っても、涙は一滴たりとも流れることはなかった。
波止場は商船の積荷を降ろす人々で賑わっていたが、その中に夫の姿は見えなかった。
『ラ・ソリテア号』の泊めてある場所に行くと、ヤンが作業をしている水夫に声をかけた。
水夫の話によると、午前中のうちにアルテュスは海事当局に向ったとのことだった。
何か問題があったのかもしれない。
エヴァ達が海事当局に様子を見に行こうとその場を離れかけるとバタバタと二人の男が走って来た。
「デズマル航海士殿!!」
男達が呼びかけると船縁から顔を見せた男が答える。
「今呼んで来ます!」
「何かあったのか?」
ヤンの問いに水夫と思われる男が訝しげにヤンと一緒にいたエヴァと騎士達を見た。
「……もしかして、船長の奥様では?」
もう一人の男が恐る恐る口を開いた。
エヴァの代わりにヤンが答える。
「そうだ。兄は今どこに?」
「船長は今お取り込み中で……」
口篭った男に畳み掛けるように尋ねる。
「場所はどこだ?」
「『赤獅子館』という名ばかり立派な酒場です」
相手は仕方ないという風に肩を竦めて答えた。
いったい兄上は何をしているのか?
船を降りた船乗りが時折、羽目を外すということは知っている。
だけど、乗組員達を船に残したまま積荷も降ろし終わっていない状態で、何故自分だけさっさと酒場に行ってしまったのか?
出港前にエヴァと一緒に港で暮らして、少しは兄のことが理解できたと思う。
そんな無責任な人じゃない筈だ。
ヤンは釈然としないものを感じながらも、説明された酒場に向った。
今度はエヴァが後から小走りについて来る。
酒場でやることといったら、酔っ払って身分の卑しい女と戯れること。
兄上は女といるのではないのか?
義姉上を連れて行って大丈夫なのだろうか?
ヤンはそっと後ろのエヴァを振り向いた。
「やっぱり義姉上は、ここで待っていた方が良いのではないですか?」
港に残ることを提案して見るが、エヴァはにっこりして頭を振った。
「大丈夫よ。早く行きましょう」
もう一通の手紙は男からのものだった。
妻を誘惑した男。
妻が俺を捨てて選んだ男。
いつからだ?
ふと以前港で見知らぬ男と話していたエヴァを思い出す。
もしかしてあの時から既に男がいたのではないか?
―――――――― いくら貴公が自分のものだと印をつけても、彼女の心は自由です。
そして、彼女は私と一緒に行くことを承諾してくれました ―――――――――
ではこいつはエヴァの体にあるあれを見たんだな。
嫌な思い出が蘇る。
あの女のように、エヴァもこいつに脚を開いたのか。
胸の中がカッと熱くなり、アルテュスは苦しそうに顔を歪めギリと歯軋りをした。
妻も相手の男も絞め殺してやりたい。
二人共まだ港にいるのか?
どこに行くつもりなのだろうか?
ヤンと一緒と聞いたが、弟も共犯なのか?
ふらりと立ち上がると硬貨を数枚テーブルに放り、まだ半分程残っている酒瓶を手に酒場を出た。
アルテュスは港に向ってふらふらと歩いていた。
さすがに飲み過ぎたようだ。
そう思ったが、時々立ち止まっては酒を煽る。
そうでもしなけりゃ狂っちまいそうだ。
最後の一滴を飲み干したアルテュスは腕を下げて、前を見つめたまま酒瓶を落とした。
ぼんやりと駆けて来る女を見つめる。
女は泣いているように見えた。
何が悲しいんだ?
新しい男に愛されているんだろう?
そいつと遠くに行ってしまうんだろう?
眉を顰めて睨みつけてやっても、それが目に入らないようにエヴァは赤い顔で駆け寄って来た。
「……船長さん」
何かに耐えているような顔で見上げてくる。
エヴァの顔に触れようと手を上げかけたアルテュスはギュッと拳を握った。
他の男に抱かれた癖にそんな顔をするな!!!
「おかえりなさ……」
急にアルテュスに腕を強く引かれ、エヴァは息を呑む。
「どうしたの?」
尋ねても答えずにエヴァの腕をきつく掴み、顔も見ずに港に向う道を飛ぶように進んで行く。
エヴァは一生懸命同じ速度で走ろうとするが、引き摺られるような形になり、苦しそうに顔を歪めた。
「あっ、靴が!」
躓いて片方の木靴が脱げてしまったエヴァを、まるで荷物のように肩に担ぎ上げるアルテュスにヤンが追いついた。
「兄上、どこに行かれるのです!!」
引き止めようと袖を掴んだ腕を振り払ったアルテュスは、剣を抜き放ち血走った目で弟を睨みつけて叫んだ。
「この女は俺の妻だ。邪魔する者は斬り捨てるぞ!!!」
ポカンと口を開けて立ち止まった弟には構わず、エヴァを担いだまま波止場に向って走った。
後には、エヴァが落とした木靴を手にしたヤンがぼんやりと立っていた。




