9-2
壮大な大型帆船が次々と港へ入って来る様を、人々は驚嘆の眼差しで見守っていた。
外国の船も多く行き交うティミリアの港だが、これだけの帆船が揃うのはそんなに頻繁にあることではない。
「あれは、ド・タレンフォレスト家のご子息率いる船団だ」
「ああ、『ラテディム海のオーガ』殿だろう?」
「新世界から無事戻って来たのだな」
「こうやって陸から眺めているだけで、何だか勇ましい気持ちになるな」
灯台から知らせを受けて駆けつけた者達が、大声で商船に呼びかけ波止場へと誘導している。
丁度港町にある教会の10時の鐘が鳴り始めた。
秋らしい曇り空だが、風が強く雨は降りそうもなかった。
海から吹きつける湿気を帯びた風は上着を着ていても肌寒いほどだ。
海は波が高く緑がかった灰色だ。
そんな中を風にも波にもビクともせずに帆船は厳かに静々と進んで行く。
寒さにも拘らず集まって来た人々で辺りは一斉に騒がしくなり、やがてビールや菓子を売る者まで現れた。
波止場に着き錨を下ろした船からは、次々と陸に係留索が投げられ桟橋が掛けられた。
直ちに海事当局に向うことに決めた『ラ・ソリテア号』の船長が姿を現すと、人々の間に歓声が沸き上がった。
アルテュスは、アレンとメレーヌに商船の警備と荷下しの監督を命じると、帳簿係と水夫を一人連れて細い石畳の道を上がって行った。
子供が数人、目を輝かせ耳を澄ませながら3人の男達の後をぞろぞろとついて行く。
港町の少年にとって、この国で最も有名な私掠船の船長を間近で見て、彼の言葉を聞けるなんて夢みたいだった。
だが男の屈強な体躯や精悍な顔つきに、子供達は少々気後れを感じているようで、さすがに話しかけようとする者はいなかった。
酒場で一杯飲み、ゆっくりと風呂に入って休みたい気持ちもあったが、アルテュスは用事をさっさと済ませ一刻も早く家に帰りたかった。
まだ船に乗っているように幾らか頭がふらついたが、しっかりとした足取りで石の階段を上がって行く。
ティミリアの海事当局は、港を見渡せる丘の上の中世時代に建てられた建物の中にあった。
鉄の兜を被って槍を手にした門番に挨拶をすると鉄の格子が嵌った門を開けてもらう。
入り口前の階段を上がり切った所で、建物の中から出て来た顔見知りの職員が声をかけてきた。
「これは丁度良いところに来られた、ド・タレンフォレスト殿。奥方とご兄弟の泊まられている宿屋に使いを出すところでした」
「何だと?」
相手の不機嫌そうな声に、睨まれた男は慌てて説明する。
「一週間程前にお二人でこちらに来られて、ド・タレンフォレスト殿の船が入港したら直ぐに知らせを寄こして欲しいと仰っていましたので……」
「どこの宿だ」
男の答えを聞くとアルテュスは眉を顰め、さっさと船と積荷の登録を済ませてしまおうと大股に建物の中に入って行った。
「義姉上! どうやら兄上の船が到着したようです!!」
エヴァの許に騎士達を残し、港に様子を見に行っていたヤンが息急き切って戻って来た。
窓辺で縫い物をしていたエヴァは裁縫道具を取り落とし椅子から飛び上がった。
膝がガクガクと震えている。
「ああ、神様!!!」
崩れ落ちないように椅子の背に摑まりながら叫んだ。
「早く港に向わなくては……」
ヤンは慌てて駆け出そうとするエヴァを引き止めた。
「義姉上、どうか落ち着いてください。兄上が船を降りられるのにはまだまだ時間がかかります。海事当局に行かれれば、我々がここに宿泊していることも分かりますし」
「でもヤン、私は早くご無事な姿が見たいの」
だがエヴァが哀願するような素振りを見せても、ヤンは頑として動じなかった。
「すれ違う可能性が高いです。やはり、ここで待ちましょう」
エヴァは渋々頷いた。
「わかったわ。でも下に行って待つことにするわ」
エヴァは宿屋の食堂に下りると、入り口の良く見える場所に腰掛けた。
ここからだったら彼が入って来たら一番に見えるわ。
でも、これからの時間が今までで一番長く感じられるのではないかしら?
上の空で手続きを済ませ、最後に差し出された手紙を見もせずに懐に突っ込んだアルテュスは建物を飛び出した。
『ラ・ソリテア号』の帳簿係と水夫も慌ててその後を追いかけるが、背の高い船長になかなか追いつけない。
エヴァとヤンが港町に来ている。
嫌な予感がするとアルテュスは思った。
家で何かあったのか?
街角から飛び出してきた何かに激しくぶつかり立ち止まったアルテュスは、素早く剣の柄に手をやった。
狼藉者かと思ったのだが、どうやら違うようだ。
汚れた石畳の上に背負っていた籠もろともひっくり返った男を驚いた顔で見下ろした。
哀れな男はやっとのことで体を起こすと、地べたに座り込んだまま途方に暮れた顔で辺りに散らばった卵を見ている。
大半は割れてしまい、残りは汚い水溜りに落ち込んで売り物にはならないだろう。
ああ、俺は何を焦っているんだ?
アルテュスは硬貨を数枚男に放ってやった。
財布を出した弾みで、懐からガサリと音を立てて分厚い手紙が足元に落ちた。
泥に汚れた手紙を見つめて眉を潜める。
誰からだ?
宛名の筆跡は自分の知らないものである。
だが首を傾げ、歩きながら封を切って広げると、中にはもう一通手紙があった。
こちらはよく知っている筆跡のものだった。
その手紙に素早く目を通したアルテュスの体は、まるで冬の海にでも落ちたように急にぞっと冷たくなりそれからカッと熱くなった。
「何だこれは?!」
几帳面で優しい書き手の性格が表れたその文字は間違いようがなかった。
顔色を変えて破り捨てようとしたが思い直したように懐に突っ込むと、もう一通の手紙を読み出した。
見る見るうちにその顔は怒りで歪み、赤黒く染まって額には血管が浮き上がった。
やっと起き上がった卵売りの男は仁王立ちになった男の顔を盗み見ると、転がるようにしてその場を逃げ出した。
暗い瞳をギラギラさせ歯軋りしている大男は獣のような唸り声を上げる。
そして急に全速力で駆け出すと、後ろから仲間が驚いて引き止めるのも聞かずに、港町を目指して丘を駆け下りた。
ソーセージを焼く匂いと煙が立ち込めた薄暗い酒場は、船乗り達の話し声と酔っ払いの歌声で大層騒がしかった。
一番奥まった席に一人で座った男の顔は暗くてよく見えないが、どうやら先程からかなりのピッチで酒瓶から直に酒を喉に流し込んでいるようだ。
既に空の瓶が5本程テーブルの下に転がっていた。
男は時折唸り声とも怒鳴り声ともとれる声を出して、重い拳でテーブルを殴りつけている。
近くに座った者達は気になるのか、ちらちらと横目でその様子を眺めているが、近寄ったら怪我をしそうなその男に声をかける者はいない。
その時、扉が開き冷たい風と共に頬を赤く染めた若い娘が入って来た。
港町の職人の娘だろうか、酒場に客を求めに来る女達とは違い質素な服装をしている。
娘は店の中をぐるりと見渡すと、入り口近くにいた船乗りに声をかけた。
男は立ち上がって店の奥の方を指差す。
娘は頷くと、男が指差した方向に人混みを掻き分けて進み始めた。
途中、酔っ払った船乗りが口笛を吹いて卑猥な言葉を浴びせ、女の体に触れようとする。
娘は怯えたような顔で男の手を振り払い、暗いテーブルの前に立った。
酒を飲んでいた男は両手で頭を抱え込んでいる。
「あの」
「……」
何度呼びかけてもビクともしない男に痺れを切らしたのか、女はテーブルの上に小さな包みを置くと男の耳元で叫んだ。
「『ラ・ソリテア号』の船長さんですね。お預かりした物を確かにお渡ししました」
急にガシッと腕を掴まれた娘は、恐怖に目を見開き悲鳴を上げた。
「遅いわね」
エヴァは心配そうに扉の方を見ながら言った。
「多分、色々手続きに時間がかかっているのでしょう」
「それにしても、さっき貴方が港から戻ってから4時間以上経っているわ。何か面倒なことが起こったのではないかしら?」
義姉にはそう言ったがヤンも少々不安になってきていた。
こんなに時間がかかるものなのだろうか?
アルテュスと一緒に取ろうと思っていた昼食も、仕方なく少し前に自分達だけで済ませた。
「やっぱり港に行って見ましょうよ。これ以上ここにいたらどうにかなってしまうわ」
そう言うと、エヴァはショールを手にして立ち上がった。
ヤンは頷くと、食堂の隅でトランプをしている騎士達に声をかけた。
万が一すれ違った時のことを考えて、宿屋の亭主に伝言を頼むと、一行は宿屋を出た。
「義姉上」
セイセイと息を切らしながら、殆ど走るようにして歩いて行くエヴァに後ろからヤンが声をかける。
「義姉上、そんなに走ったら転びますよ!」
歩調を緩め振り返ったエヴァは、額の汗を拭い照れたような笑みを浮かべた。
「だって、嬉しくて自然に足が速くなってしまうんだもの」
やがて、辺りは倉庫と思われる建物が多くなり、荷物を運ぶ人々とすれ違うようになった。
もうすぐだ。
もうすぐ船長さんに会える。
まるで羽でも生えたようにエヴァは軽々と坂道を駆け下りていく。
船舶修理場の建物の角を曲がった時、波止場にある大きな帆船が目に入り、エヴァは喜びの声を上げた。




