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竜騎兵と花嫁  作者: 海乃野瑠
第7章 船出の準備
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7-5

海から吹き寄せる風が段々と暖かくなるにつれ、別れの時は刻一刻と迫っていた。


今まで人前では夫に対して控え目な態度だったエヴァも、帰りの馬車の中ではずっと彼に寄り添っていた。


そして、記憶に焼き付けようとでもするように、大きな目を見開いてアルテュスの顔をじっと見つめている。


短く刈った黒い縮れ毛、日に焼けた頬や少しばかり皮肉に歪ませたその口元を。


アルテュスはその眼差しに気付いていないように、正面に座ったヤンと話していた。


それでも、時折ちらとエヴァの方を見ると、何気ない様子で手を伸ばし、頭巾のリボンに触れたり、丸みを帯びた頬を指の腹で撫でたりする。


その度にエヴァは嬉しそうに頬を染めて、男の大きな体に身を摺り寄せる。


ヤンは眩しそうな顔をして、そんな二人を眺めていた。


この冒険好きな少年の頭の中は、敵国の艦隊や海賊、はたまた新世界の原住民やらで一杯で、今まで異性のことなど真面目に考えたことはなかった。


いつか大人になったら、死んだ母のように優しい人と結婚したいとぼんやりと思ったことはあるが、それだけだった。


だが、エヴァが家に来てから、睦まじくしている兄夫婦を見ているうちに、憧れを抱くようになった。


エヴァは家にいる女達、継母や死んだ兄の許婚のように気取ってはいなかったし、口煩くもなかった。


自分達兄弟と子供のように夢中になって遊んでいるかと思えば、小さい子がむずかったりすると今度は母親のように抱き締めてくれるのだ。


一度しか見たことないが、彼女は豪華な衣装を身に纏うと、まるで御伽噺に出てくるお姫様のように美しかった。


でもヤンは、質素な普段着で頭をぴっちりと頭巾で覆っているエヴァの姿の方が好きだった。


そして、いつか義姉上のような可愛らしい女性を見つけて、兄上のように愛されたいと願うのだった。




アルテュスが家にいられる時間をできるだけ伸ばそうと、三人は日が暮れても宿屋に泊まらず、馬車を乗り継いで道を急いだ。


日中は暑い位に気温が上がるが、夜はまだ冷える。


暗い道を馬車はガタゴトと音を立てて走って行く。


窓の閉じたカーテン越しに、馬車の脇に吊るしてあるランタンがゆらゆらと動いているのがぼんやりと窺えるが、明かりは狭い馬車の中までは入ってこない。


暗闇の中で弟に見えないのを幸いとばかり、アルテュスはエヴァが風邪をひかないようにと外套に包んで自分の膝の上に抱き上げた。


「でも、こんな格好で寝たら船長さんの体が痛くなります」


エヴァが困ったように囁いた。


「船長さん?」


「……アルテュスの体が痛くなるわ」


アルテュスは喉の奥で低い笑い声を立てると、エヴァをしっかりと抱えなおす。


「大丈夫だ。居心地悪いのには慣れているから」


エヴァはもう抵抗もせずに逞しい胸に寄りかかると目を閉じた。


自分よりも体温の高い男の体は心地良く安心する。


「おやすみなさい」


もう一度身を起こしてそう囁いた妻の唇を、男は答え代わりにそっと自分の唇で塞いだ。




田舎道を夜通し走った馬車は、翌日の昼過ぎに家に着いた。


アルテュスとヤンの後に続いて馬車を降り立ったエヴァは眩しそうな顔で辺りを見回した。


出発した時から城の回りの景色がまったく変ってしまっている。


木々には柔らかな葉が生い茂り、あるものは花盛りだ。


地面も緑の草で覆われ、雑草までが小さな花を咲かせている。


心地良い風には、甘いライラックの香りが混じっているように思えた。


明日のことは考えない。


今日一日を大事に生きよう。


そう決心したエヴァは、きりっとした微笑みを浮かべると、男達の後を追って階段を上り始めた。


庭で遊んでいたらしい子供達が、慌てて駆け込んできた。


階段は一斉に賑やかになる。


この子達を見ると家に帰って来たという感じがするわ。


エヴァは両脇で自分の袖を掴んで一生懸命おしゃべりをしているユナとグレゴールを見て笑い出した。


「そんなに一度に話されたら、何が何だか分かりゃしないわ」


「僕が最初に話し始めたんだよ!」


少年が妹を片手で押し退けると、少女も負けていない。


「いつもグレゴールばっかりでずるい!」


「ユナ、グレゴール、順番に話を聞くから喧嘩はよして」


子供達の話を聞いているうちにアルテュス達は姿を消してしまった。




部屋に戻ったアルテュスは燭代を窓際の机の上に置くと、部屋の真ん中にあるベッドに近付いた。


天蓋を開くと、いつも妻が寝ている左側がこんもりと盛り上がっている。


どうやら布団の中に潜り込んでいるようだ。


「エヴァ、眠ってしまったのか?」


エヴァは眠っていなかった。


怒っているのだ。


最後の日だというのに、アルテュスは午後はずっと父親と出かけており、漸く戻ってきたのは夕食も終わった時間だった。


「何だ泣いているのか?」


答えはない。


アルテュスは小さく溜息を吐いて、ベッドに腰を下ろした。


黙っているとむくむくと布団の小山が動き出した。


暫くするとエヴァが布団から顔を出し、裸足でベッドを抜け出すと、港から持って帰ってきた自分の荷物の中をごそごそやっている。


港町に忘れ物でもしたのかと思っていると、布に包んだ何かを大事そうに抱えて戻って来た。


「どうぞ、これを」


そう言って得意そうに差し出されたのは、小さいわりに重い物だった。


包みを解いて中身を確かめると、アルテュスは尋ねるように顔を上げた。


「これは……」


「兵学校の装蹄師にもらいました。魔除けになるから持っててください」


アルテュスは蹄鉄の効き目など信じていなかったが、自分の為に持って帰ってきてくれたエヴァの気持ちが嬉しかった。


「礼を言うぞ。さっそく船に戻ったら、マストに釘で打たせよう」


そう言うと、嬉しそうに目を輝かせている妻の手を取って引き寄せた。




ドタバタと慌しい足音に続き、キンキンした声が辺りの沈黙を破った。


「時刻は真夜中、全ては正常!!!」


当番の見習い水夫が、夜回りをしているのである。


声が大きいと寝惚けた船乗りに罵られ物を投げつけられるが、声が小さくて皆の耳に入らなかったりすると翌朝水夫長に呼びつけられて大目玉を食らうのだ。


足音が遠ざかり、船の上はまた静かになった。


月は雲の後ろに隠れてしまい、辺りは闇に包まれている。


魚でも跳ねたのか暗い水面からちゃぽんと水音がした。


船は時折、波に揺れ身を軋ませる以外は、まったく静かで深い眠りについているようだ。


日暮れから風が止まり、船は全然進まなくなってしまった。


見張りの者以外は皆眠っているようだが、船尾の船室では大きな男が狭い寝床の上で悶々としていた。


閉じた瞼の裏には、家に残してきた妻の顔が焼きついている。


港に向うアルテュスを見送りに、家族と一緒に前庭に出て来たエヴァの目の下には、寝不足の所為か薄っすらと青い影が見えた。


そして青い瞳を潤ませ、唇には強張った微笑を浮かべていた。


アルテュスは家族に挨拶をした後、前の晩に既に別れは告げていたので、エヴァにはただ頷くと召使が引いて来た馬に飛び乗った。


その時、港町で感じたように誰かに見られている気がしたのは気の所為だったのだろうか?


不吉な思いがしたのは、以前同じような悲しい眼差しで自分を見送った女に裏切られたからか?


男は大きな溜息を吐くと、暗闇の中で起き上がり手さぐりで靴を履いた。


余計なことばかり考えちまって眠れやしない。


上がって風が出そうかどうか見に行こう。


エヴァは、絶対に俺のことを裏切ったりしないだろう。


胸の中でそう断言すると、釘に引っ掛けてあった上着を手に取り船室を後にした。


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