7-3
ティミリアはエヴァの生まれ故郷のティアベと違って、大型貨物船が多く立ち寄る港だ。
港町も比べ物にならないほど、大きく活気に溢れ騒がしい。
街を歩いていると、外国の商人と見られる異国風の服装をした人々とすれ違う。
港町には船乗り達の溜まり場となっている酒場や定食屋が立ち並び、毎日夜が更けるまで賑わっていた。
波止場近くには新鮮な魚介類を売る漁師の掘っ立て小屋が並ぶ。
エヴァとヤンは午前中、アルテュスが色々と船旅の為の買い物をするのに付き合い、昼は掘っ立て小屋で簡単な食事をした。
二人にとって、小さな丸パンに酢漬けの鰊を挟んだだけの食事は、物珍しく楽しかった。
傍では波止場で働いていると思われる男達が立ったまま、さっと塩をしただけの小魚を玉葱の輪切りと一緒に丸ごと口に入れている。
男達はもぐもぐと口を動かしながら、港で仕入れてきた噂話に花を咲かせている。
「おい、噂を聞いたか?」
「ああ、王が母后様とご一緒に視察旅行に出られたって話だろ?」
「ティミリアにも秋頃には立ち寄られるそうだぞ」
「それよりも、早く新教徒との争いを何とかして治めて欲しいもんだがな」
「安心して商いも出来ないじゃないか」
「こういう時だけ、皆お祭り騒ぎで出迎えるんだろうな」
その話にエヴァとヤンは顔を輝かせた。
秋頃に港に来れば、王様ご一行を見ることが出来るかも知れないのだ。
食事の後、三人は石畳の道を歩いて、『ラ・ソリテア号』が船体修理の為に置いてある作業場に向った。
船底にこびり付いた貝や海草を取り除き、腐っている板を交換して、麻の繊維を混ぜたタールで水漏れしないように塗り固める。
一年に一回はこのような修理が必要だった。
作業場は船が置いてある場所には屋根がなく、『ラ・ソリテア号』は材木を組み合わせて作った台の上に乗せられていた。
船体にはいくつもの梯子がかけられ、頭に布を巻いた男達が掛け声をかけながら削り道具を持った手を威勢よく上下に振り動かしている。
ガリガリという音と共に貝殻の破片や乾いた海草が辺りに散らばった。
アルテュスは甲板から外して作業場の隅に並べてある大砲を見に行った。
24台あるうちの半分を父親が自慢していた新型の大砲に交換することにしたのである。
アルテュスが技術者や船大工と話している間、ヤンは傍に立って熱心に聴いていたが、エヴァは話が長引くと退屈になり作業場の入り口の方に行ってみた。
外は風が冷たいがとてもよい天気である。
散歩に行きたいと思ったエヴァは、道路まで歩いて行ってみようと思い立った。
大きな荷物を運んだり、樽を転がす人達で辺りは騒がしい。
エヴァは足取りも軽く、石畳で舗装された細い道を歩いて行った。
道端の茂みにはポツポツと黄緑色の芽が見える。
海の方からは、騒がしいカモメの声が聞こえてくる。
波止場に下りる道を眺めながら、作業場に戻ってアルテュスがまだ忙しいようだったらヤンを散歩に誘ってみようと思った。
踵を返そうとしたエヴァは、通りかかった男に声をかけられ驚いて立ち止まった。
レースの襟に黒いビロードの上着、膨らませた半ズボンといういでたちの男は愛想笑いを浮かべながら近付いて来た。
「何でしょうか?」
エヴァは悪びれる様子もなく、羽飾りのついた小さな帽子を取った男の顔を見上げる。
大柄な男はまだ若く、短い金髪に小さな黒い瞳をしている。
男は目を眇め、ふらふらと手を右左に振って尋ねた。
「ちょっと、道をお尋ねしたいのですが。港町はどちらですかね?」
「あちらです」
エヴァが指差す方向を見ながら男は言った。
「そうですか」
そのまま立ち去ろうとしない男にエヴァは首を傾げる。
男は大きな溜息を吐くと、まるで頭痛でもするように手を額に当てた。
「ご気分が悪いのですか?」
心配そうに尋ねると、男は手を外して苦笑いをして言った。
「見知らぬ方にこのような話をするのもどうかと思うのですが。少しだけ話を聞いて頂けますか? 実は私には幼い子供がいるのですが、母親が数週間前に私達を捨てて家を出てしまいまして」
目を見開いて話を聞いているエヴァに男は頷いて話を続けた。
「母親が出て行ってから、子供はずっと泣き通しで食事も喉を通らない有様で。数日前にやっと妻がこの港町にいるという話を聞きましたので、こうやって尋ねて来たのです」
「まあ、それはお気の毒に」
エヴァが同情すると、男は後ろを指差して言った。
「そこの裏道に馬車を待たしているのですが、情けないことに私は今まで子供の面倒を見たことがなく、どうしていいかさっぱり分からないのです。女性の方を見たら少しは泣き止んで何か食べてくれるのではないかと思います。一緒に来て子供を見ては頂けないでしょうか?」
エヴァは青い澄んだ瞳に涙を溜めて頷いた。
男は眩しそうに視線を逸らし、エヴァの頭越しに作業場に続く道を見ていたが、急に顔色を変えると背を向けてその場を走り去った。
後には、ぽかんとしたエヴァが取り残された。
背後の足音に振り返ったエヴァは、夫と義弟の姿を認めると微笑んだ。
「エヴァ、誰と話していた?」
傍に来ると眉を潜めてそう尋ねたアルテュスをエヴァは無邪気に見上げた。
「困っている方がいるの。様子を見に行ってもいいかしら?」
「何を言われたんだ?」
「小さなお子さんがいるのに、奥さんが家を出て行ってしまったのですって。そこの角に馬車を止めているそうなので、ちょっと赤ちゃんの様子を見に……」
アルテュスはエヴァの腕を掴むと、目と顎で弟に合図をした。
ヤンは心得たという風にその方向に駆け出し、角を曲がって見えなくなった。
暫くして戻って来たヤンは頭を傾げながら言った。
「馬車など止まっていませんでしたよ。辺りには人っ子一人いませんでした」
アルテュスは、目を丸くしているエヴァを不機嫌そうな顔で見下ろした。
「エヴァ、知らない奴と口を利くな。話しかけられても返事をするんじゃないぞ」
「でも、ちゃんとした身なりの人だったし。言葉遣いも……」
急にアルテュスに肩を強く掴まれ、エヴァは顔を顰めた。
「悪事を働くような奴らは、人混みで見分けられないような様子をしているもんだ。気をつけろ」
「大丈夫よ。これから気をつけるわ」
男を宥めるように微笑みながら見上げると、アルテュスは一層険しい顔をした。
傍ではヤンがしきりに頭を捻っていた。
「遠くから見た感じでは、誰か見たことのある人のような気がしたけど……」
数日後の夕方、何度も催促されて仕方なしにアルテュスは、妻と一緒に港町に向っていた。
弟は船乗り仲間の泊まっている宿屋で留守番をしてもらっている。
カモメの飛び交う空は紫色の雲がなびき、大層美しかった。
港には夕日を背に次々と漁船が戻って来る時刻だった。
エヴァは大股で歩くアルテュスの後に嬉しそうに小走りで続く。
新鮮な魚の入った桶を陸に上げる者達の掛け声に、カモメの声が入り混じり、辺りは大変騒がしい。
漁師達は波止場に投網を手早く広げ、日が暮れぬうちに絡まった海草を取り除き穴を繕う。
二人はごみごみとした古びた建物の並ぶ細い路地に入って行った。
煤で黒く染まり傾いだ建物の前で立ち止まる。
アルテュスが錆び付いた重い鉄の輪のついた戸を押すと、二人はギシギシと音を立てる薄暗く狭い階段を上り始めた。
屋根裏まで上ると、小さな木の扉があった。
扉には何やら札が下っている。
目を近づけて見ると、「邪魔しないでください」とたどたどしい字で書いてある。
アルテュスは構わずにドンドン扉を叩いた。
暫く待つと、誰かが大声で呪い文句を喚きながら扉に近付いてきた。
「誰だよいったい! 邪魔すんなと書いてあるだろうが!!!」
そう叫んで扉を開けたのは、腰に両手を当てた大柄な女だ。
「ジェン、俺だ」
女はまじまじとアルテュスを見つめると、いきなり大声で笑い出して男の首っ玉に飛びついた。
「おい、放せよ。連れがいるんだ」
女はアルテュスの後ろから顔を覗かせたエヴァを見ると、まあと声を上げ男から離れた。
「暫く会わないうちに趣味が変ったのかい? そう言えば、マリルーは樽屋の職人と一緒になってここの近所に住んでるよ。この前会ったら、そろそろ二人目が生まれると言って大きな腹を抱え浮腫んだ顔をしていたがね。あの娘も馬鹿なもんさ。玉の輿を蹴って貧しい男と一緒になるなんて……」
「煩いぞ。部屋にも入れてくれないのか?」
二人を西日の眩しい部屋に招き入ると、女は改めてエヴァのことを見た。
エヴァも目を丸くして相手を見つめている。
女はまだ若く、頭には派手な模様の深紅の布を巻き男の格好をしていたのだ。
彫りの深い顔は小麦色に日焼けしており、大きな深黒の瞳が美しい。
「私はジェニファー、ジェンと呼んでおくれ」
「エヴァです」
「俺の妻だ」
頬を染めて隣の男を見上げるエヴァを眺めていた女はにっこりした。
「可愛い子じゃないか。どこで見つけてきたのかい?」
「ティアベだ」
「ティアベです」
揃って答えた二人にジェニファーは笑い声を立てた。
「仲が良くて羨ましい。うちとは大違いだ」




