7-1
エヴァは口元をきゅっと引き締めて、向いに座っているアルテュスを大きな瞳で見つめている。
男は渋い顔をして黙ったままだ。
とうとう我慢ができなくなったエヴァが口を開いた。
「あの、一週間で戻るって?」
「……再来月から半年程、航海に出ることになった」
顔を背けてぼそっと言った男にエヴァはぼんやりと呟いた。
「半年……」
「ああ、半年から一年ぐらい留守にすると思う」
泣きそうになり、暫く唇を噛んで俯いていた。
船乗りの妻がどんなものか、分かっていたつもりだったのに。
結婚したばかりで、もういなくなってしまうの?
そんなに長い間?
「エヴァ」
顔を上げるとアルテュスが手招きしていた。
「おいで」
隣に座ると膝の上に抱き上げられた。
堪らなくなって男の胸元にしがみつく。
この人の匂いを低い声を温かい手を身体に染み込ませたい。
刻み付けて欲しい。
「エヴァ、泣くな」
頭をぎゅっと抱き締められる。
「泣かれると、どうしていいか分からなくなる」
エヴァは頷いて涙を拭いた。
「ごめんなさい」
二人はそれからあまり口を開くこともなく、それぞれの思いを抱えながら馬車に揺られていた。
辺りは既に春である。
まだ枯葉に覆われた地面には黄色い水仙が咲き乱れ、所々に菫も固まって咲いている。
木々はポツポツと青い芽を出し、長い眠りから覚めたようだ。
馬車は乾いた道を軽やかな音を立てて走っている。
窓から外を覗いていたエヴァはホッと溜息を吐いた。
いつもだったらとても好きだったこの季節。
でも今は浮き浮きするどころか、どんよりと暗い気持ちになってしまっている。
一週間で港に戻るということは、家には三日しかいないということだ。
喉に何か塊が痞えているような感じがすると同時に、気が急いて落ち着かない。
三日間で何が出来るというのだろう。
それから一年間も会えないの?
でも出発するのは、再来月と言っていたから、それまでは港にいるということだろう。
だったら……
「私も一緒に行きます」
アルテュスは驚いた顔をする。
「無理に決まっているだろう?」
「船旅ではなくて、港に一緒に行きます。それだったらいいでしょう?」
エヴァは不安そうに男を見つめた。
アルテュスは眉を潜めて考え込んでいる。
「俺は航海の準備で、相手をしている訳にはいかないんだ。ひとりで宿にいても退屈だろう?」
「でも、船長さんも夜には宿屋に戻って来ますよね?」
名前で呼べって言われるかと思ったけど、船長さんは唸るような声を出すと横を向いてしまった。
でも諦めない。
船長さんが港町にいると知っているのに、それからずっといなくなってしまうのに、ひとりで家に残っていたくないわ。
馬車が城に続く階段の所で止まると、子供達が飛び出してきた。
どうやら新しい遊び仲間がいつ帰ってくるかと、ずっと待っていた様子だ。
アルテュスの後に続いて馬車を降り立ったエヴァは、胸の中に温かい気持ちが広がるのを感じていた。
待たれていると感じるのは嬉しいものね。
前を歩く夫の背中を見ながら思う。
船長さんも船に乗っている時、私が家で待っていると思ったら嬉しいのかしら?
「義姉上、早く早く!」
「父上がとても面白いものを持ってきてくださったの」
子供達に手を引かれ、部屋に落ち着くことも出来ず、後について中庭に出て行く。
「おしゃべりでき……」
言いかけたユナの口を乱暴に塞いでグレゴールが舌打ちした。
「秘密だって言ったじゃないか」
エヴァはべそをかくユナの肩を抱いて、口を尖らしている少年を睨んだ。
「妹を苛めちゃ駄目よ」
気を悪くしたグレゴールはむっつりと黙り込んでしまった。
その横顔を見ながらエヴァは可笑しくて仕方がない。
何て船長さんに似ているのかしら。
特に不機嫌な顔なんかそっくりだわ。
子供達に連れて行かれた鳥小屋には、レースのように細かい細工の鉄製の鳥かごがあった。
その中にはエヴァの見たこともない色の鳥がいた。
「これは?」
鳥かごを静かに囲んでいた子供達は、驚いて目を丸くしているエヴァに満面の笑顔を向けた。
「鸚鵡っていうんだって」
「貴方達が染めたの?」
「違うよ。初めからこの色だったの!」
その時、眠っていると思われた鳥が先の曲がった嘴を開いてしゃがれ声を出した。
「ハジメカラコノイロダッタ」
エヴァは思わず大声を出してしまう。
「まあ、鳥がしゃべったわ!!」
「マア、トリガシャベッタ!」
子供達は笑いながら、口を押さえ鳥小屋を飛び出して行く義姉の後を追いかけた。
「怖がらなくても大丈夫よ」
マリーがまるで自分の方が年上のように義姉の肩を抱いた。
エヴァは思わず笑い出した。
「びっくりした。話で聞いたことのある宮廷で流行っている自動人形かと思ったわ」
「父上の船が新世界から持って帰って来たの」
「船乗りの鳥なんですって」
「父上が兄上に結婚祝いに贈るそうだよ」
エヴァは暫く黙って考えていたが、顔を赤くすると笑った。
「船長さんの言葉で話してくれるのなら、私が傍に取っておきたいわ」
翌日、エヴァは昼から姿の見えないアルテュスを探して、城の中を歩いていた。
女性達の部屋の方には近付かないようにして、広間や図書室を見て回るが、探している人はいなかった。
どこにいるの?
まさか、私に何も言わないで港に行ってしまったんじゃないわよね?
慌てて階段を駆け上がり、自分の部屋の扉を乱暴に開いた。
扉の音に荷物を作っていたらしいアルテュスが、驚いて顔を上げる。
「どうした?」
エヴァはホッとした顔をすると、衣類が散らばったベッドに歩み寄った。
「お手伝いします」
大きなシャツを畳んで重ねていく。
胸が痛くて唇を噛んだ。
立ち上がったアルテュスは、暫くその様子を見ていたが、ふと思いついたように口を開いた。
「裁縫箱を出してくれ」
エヴァは自分の荷物の中から裁縫道具を取り出した。
「何か繕い物があるのですか?」
「いや、鋏を貸して欲しい」
鋏を受け取ったアルテュスは、窓辺に近寄った。
どうやら自分の髪を切るつもりのようだ。
「私にやらせてください」
エヴァがそう言うと、アルテュスは頷いてベッド脇の椅子に腰掛けた。
「できるだけ短く切ってくれ」
海の上では天気の良い日に服の上から海水を浴びる以外、風呂に入ることはできない。
緊急事態に備えて船乗りは、寝る時も服を脱ぐことを禁じられているのだ。
虱や蚤が湧くことも頻繁にある。
そのうえ船乗りは髪を切ると嵐が起こると信じられているので、船の上では髪を切ることができないのだ。
髪を一房手に取ると、そろそろと鋏を入れる。
背を向けたまま男が言った。
「床に捨てておけ。後で片付けさせるから」
エヴァは微笑んで、何も言わずに切った黒い巻き毛を窓辺の机の上に並べている。
切り終わると後片付けをするからと、ひとり部屋に残ったエヴァは夫の髪を集め、リボンで纏めて結わえた。
そして、そっと溜息を吐き、それに唇を押し当てると、大切な物をしまってある小さな木箱に入れた。
パタンと木箱を閉じると胸が寂しさでいっぱいになり、エヴァはアルテュスを探しに行く為に急いで部屋を出た。




