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竜騎兵と花嫁  作者: 海乃野瑠
第6章 婚礼
33/90

6-5

「……過ぎ去った時は良好、


これから更に良くなるように!


良い時と悪い時、


全ては神の思し召し


時の流れと共に、航海に幸あれ


前方注意、そして良い当直を!」


キンキンする高い声で、見習い水夫が喚きながら船の中を走っていく。


船の上の時間は、見習い水夫の声によって刻まれているのだ。


「喧しい!!」


甲板に出て来たぼさぼさ頭の船乗りが、縄の切れ端を丸めたタワシを投げつけるが、少年は慣れたもので、上手くかわしながら叫び続け走り去った。


当直交代の時間である。


一晩中、見張りに立っていた男達は寒さに強張った体を伸ばし、まるで夢遊病者のようにふらふらしながら、船先に用を足しに行く。


それから暖かいスープを飲みに食堂へと走っていく。


食堂といっても甲板の中央の一部を板で囲った簡単なものだ。


椅子もテーブルもない。


「ほらよ」


差し出された湯気が立つ椀を受け取ると、男達は隅の方にしゃがみ込み、ふうふう言いながらスープを啜る。


船乗り達はしゃがんで食べるのだ。


船長と航海士の為にだけ、テーブルと椅子代わりになる木箱が置いてある。


食堂の脇にはやはり風除けの板で囲った、煉瓦の竈がある。


傍らには転がらないように縄で結わえた鉄鍋やブリキの食器が入った籠が置いてある。


近付くと塩漬けキャベツの匂いが強烈に漂って来る。


そこは、『ラ・ソリテア号』の料理長である『悪酔いブイヨン』の領地だった。


相棒のしゃもじを片手に『悪酔いブイヨン』は、食堂に出てきて腰に手を当て、物凄い勢いで食べている男達をまるで自分の子供を見るように目を細めて眺めている。


「あー、あったかい!! こりゃ、はらわたに染み入るぞ」


「おお、生き返るようだ!!」


「あんたの料理は天下一品だよ」


無精髭を伸ばした男達の声に、赤ら顔の料理長はにんまりと笑った。




船の上では掃除の時間だった。


裸足になりズボンを捲くった水夫達は掛け声をかけながら、縄を結んだ桶を海に放り込んで水を汲む。


海水を甲板にぶちまけると、エニシダの箒や縄のタワシで洗い清めるのだ。


「おお、冷たい!!」


「足の指が千切れちまうようだ!」


特に寒い季節には、皆が嫌う甲板の掃除は当番が決めてある。


さぼることは許されなかった。


掃除が終わると、帆の様子を確認し、船底の艙水溜の水を掻い出す。


磨り減った縄や破れた帆を繕ったり、積荷の確認など他にも仕事は沢山ある。


船乗りの一日は忙しかった。


数人を必要とする作業では自然に元気な歌声が上がる。


全員が声が良いとは言えなかったし音痴の者もいたが、『髭の三日月』がいると何故かしっくりと纏まるのである。


帆を揚げる、錨鎖をたぐる、水を掻い出す、それぞれの作業のリズムに合わせた歌がある。


そして、休憩時間に歌われる歌や踊りの歌もあった。


船乗り達は皆同じ地方から来た訳ではない。


その為、それぞれの故郷の歌も合わせると、かなりの曲の数になったのである。




アレンと交代したメレーヌがアルテュスの許に来た。


この男にしては珍しく、居心地悪そうにもじもじして中々話し出さない。


何か叱られるようなことでもしたのかとアルテュスが片方の眉を上げた時、やっと航海士は口を開いた。


「船長、どうか奥さんを閉じ込めるのは、止めてくれませんか?」


アルテュスは面食らった顔をすると、低い声で尋ねる。


「何故知っている?」


メレーヌは額に汗をかき、急に自分の靴に興味を惹かれたかのように俯いて、自分の足を踏んづけたりしている。


「皆知っていますよ。あんな狭い船室に一日中閉じ込めていたら、いくら何でも可哀想ですよ」


そして話は終わったとばかりに敬礼をすると、さっさと背を向けた。


航海士の後姿を見送りながら、傍にいた舵手がアルテュスに言った。


「奥さんがいるから船が沈むなんて誰も思っちゃいないですよ。それに、この船には、船長の持ち物にちょっかい出すような怖いもの知らずはいませんし」


ここまで言われてはどうしようもなく、アルテュスは渋々船室にエヴァを迎えに行った。




狭い階段を上がり、外に顔を出したエヴァは眩しそうな顔をした。


真綿のような雲の流れる青い空に日の光が眩しく、強い追い風が吹いている絶好の航海日和である。


傾いてグラグラする甲板を歩くのは、船室の寝台に腰掛けているのとは勝手が違った。


足をふらつかせるエヴァの肘をアルテュスが掴んで囁いた。


「おい、ひっくり返ったりするなよ。皆が見ているからな」


確かに皆、それぞれの仕事に集中しているような振りをして、横目で二人の方を窺っているようだ。


外套に包まって船長のベンチに落ち着くと、エヴァは興味深そうに辺りを見回した。


風を孕んだ帆が立てる音、帆桁の軋む音、それに波の音や船乗り達の掛け声や歌声が入り混じる。


若い船乗り達は船長の可愛い奥さんを意識して、普段よりも大声で話したり、走り回ったりしている。


「この様子だと思ったよりも早くティミリアに着きそうだな」


メレーヌに船の速度を聞くとアルテュスは満足そうに頷き、コンパスを確認する航海士から離れ、エヴァの傍に来た。


コンパスの針は北極星を好むが、軍人と女を嫌うと信じられている。


確かに剣を帯びた船長が近付くと、針は不安そうな動きを見せるのだ。


「寒くはないか?」


「いいえ、とても気持ちいいです」


エヴァはアルテュスが隣に腰を下ろすと、顔を赤らめて微笑んだ。


男の仕事振りが見れて嬉しかったのだ。


どうやら船長はその部下達に随分と慕われているようだった。


恐れられてもいるようだが。




ずっと晴天と春風の吹く日が続き、『ラ・ソリテア号』は刻一刻と目的地に近付きつつあった。


エヴァは船長の席に座って、破れた帆を繕っていた。


皆が働いているのに自分だけ何もしないで座っているのは嫌だから、何か仕事をさせてくれとアルテュスに頼んだのである。


アルテュスは良い顔はしなかったが、エヴァがどうしてもと言い張るので、渋々許したのだ。


船の上を飛び交うカモメの鳴き声が騒がしい。


港が近くなってきた証拠だ。


エヴァは空を見上げると眩しそうに目を細めた。


こうして見ていると船乗りの仕事は、とても楽しそうに見えた。


勿論、雨が降る寒い日もあれば、時化る時もあるだろう。


仕事だって危険を伴うものも多く、過酷で体力を必要とするものが殆どだろう。


でも、船乗り達の日に焼けた顔は明るく、生き生きとしている。


そして、エヴァは甲板に立って作業を指示している夫を優しい瞳で見つめた。


陸にいる時も凛々しいと思うけれど、船の上ではなんと立派なのだろう。


船長さんは海が好きなのだ。


……多分私には、彼を陸に引き止めておく力はないだろう。


そう思うと少しばかり悲しかったが、気を取り直して思った。


私は海が好きな船長さんが好きなのだから。




その日の昼過ぎに『ラ・ソリテア号』はティミリアに入港した。


畳帆作業を興味深く眺めていたエヴァは、水夫達の手際の良さに目を見張った。


瞬く間に帆は全て畳まれ、帆船はまるで盛装した貴婦人が休む為に服を脱いだように見えた。


錨が下ろされ、係留索が次々と投げられて、岸に飛び移った水夫が鉄の輪に通し結び付けて行く。


机代わりの木の箱を前に帳簿係が座り、並んだ船乗りひとりひとりに給料を手渡している。


見張りの者を残し、最後の一人が金を懐にしまい喜び勇んで船を降りて行くと、帳簿係の脇に立っていたアルテュスは二人の航海士の方を振り返って言った。


「海事当局に行く」


アルテュスはアレンに妻と船を任せると、帳簿係、メレーヌと共に、港の海事当局と修理作業場に向った。


『ラ・ソリテア号』を登録して、大航海の前に船体の点検および修理をしなければならないのだ。


手続きを済ませ馬車を頼んだアルテュスが船に戻ると、エヴァはすっかりアレンと打ち解け、楽しそうに話しているところだった。


アルテュスは眉を顰め、不機嫌そうな声でエヴァを呼んだ。


「馬車を待たせている。早く船を降りるぞ」


そしてアレンに向って言った。


「一週間程で戻って来る。留守の間、よろしく頼む」


その言葉にエヴァは驚いたように男の顔を見上げた。


アルテュスは歯が痛むような顔をした。


「馬車の中で説明する」


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