6-4
「エヴァ?」
船室の扉を開けたアルテュスは驚いた声を上げた。
「何で暗闇の中にいるんだ? ここにランタンと火打石があるだろう?」
アルテュスは手探りで、食堂から持って来たブリキの椀を机の上に置くと、明かりを灯した。
寝床に座り項垂れているエヴァを見て、眉間に皺を寄せる。
「ひとりにして悪かった。腹が減っただろう。温かいうちに食べたらいい」
少女は差し出された湯気の立つスープの入った椀とパン切れを受け取ると小声で礼を言う。
温かいスープを飲んだら、胸の中の苦々しい気持ちが少しだけ薄れたような気がした。
自分の荷物を手早く片付けていた男は、エヴァが食べ終わったのを見て空になった椀を取り床に置いた。
そして、気遣わしげにその顔を見る。
「気分が悪いのか?」
「……いいえ」
「では何故そんな顔をする」
少女は暫く俯いて唇を噛んでいたが、決心したように顔を上げた。
「船長さん」
「どうした?」
「本当に私と結婚してしまってよかったんですか?」
アルテュスは眉を顰め、怒ったような顔で少女を見る。
「何が言いたい?」
俯きそうになったが、膝の上でスカートをきつく掴むと一息に言った。
「船長さんは誰か大切な人がいたんでしょう? その人のことはいいのですか? もし私と結婚したことを後悔しているのなら……」
「後悔なんかしていないぞ。その人って誰のことだ?」
エヴァは唇を震わした。
「引き出しに入っているハンカチの持ち主の方です。ごめんなさい、荷物をしまおうとして見つけてしまいました」
絶対に泣くまいと思ったのに、瞼が熱くなり鼻がつんとして、涙が溢れそうになる。
顔を背けると歯を食い縛り、きつく目を瞑った。
「引き出しだと?」
アルテュスは乱暴に机の引き出しを開けるとごそごそやっていたが、奥から香水の香りのするハンカチを引っ張り出した。
ここにこれがあったことをすっかり忘れていた。
こんなものの所為でそんな悲しそうな顔をしていたのか?
項垂れている少女が愛しくて堪らなくなり、ハンカチを丸めると窓を開け海に放り投げた。
「エヴァ、そんな顔をするな」
目を丸くして冷たい風の入ってくる窓を見つめている少女を抱き寄せる。
薔薇の香りは狭い船室の中に執拗に残っていたが、全然気にならなかった。
あれは過去のことだ。
ずっと思い出しもしなかった。
随分前から俺はこの娘のことばかり考えている。
この娘に対して恋愛感情はないと思い込もうとしていたが、それではこの胸の痛みは何なのだ?
自分の腕の中にすっぽりと納まっている少女を覗き込む。
大きな瞳からぽろぽろと涙が溢れるのが見えた。
ちくしょう、もう限界だ。
がんじがらめに捕らわれて、身動きもできない。
波に呑まれてしまう。
……降参だ。
俺はこの娘にどうしようもなく惹かれていることを認めるよ。
彼女をちゃんと自分のものにしたい。
「貴方だけだ。信じて欲しい」
嬉しい言葉を囁いた船長さんは真っ直ぐな瞳で私を見つめてくる。
ほっとして、嬉しくて涙が溢れた。
「船長さんじゃなくて」
アルテュスは少女の瞼に接吻を落とし、涙を唇で拭いながら言った。
「ちゃんと名前で呼んでくれ」
エヴァは頬を染めると、泣き顔に必死で微笑を浮かべようとする。
「……アル……テュス」
「そうだ」
とても恥ずかしいけど、同時に嬉しい気持ち。
「アルテュス」
「そうだ」
男は目を細めて眩しそうな顔をする。
「……アルテュス」
「エヴァ」
頭巾に包まれた頭を両手で抱き締めると、指を柔らかな耳たぶや首筋に滑らす。
そっと頭巾を脱がせると、髪を纏めていた櫛が落ちて、ランタンの明かりで黄金色に輝く髪の毛がふわりと広がりエヴァの肩を覆った。
アルテュスは立ち上がると船室の窓を閉め、熱のこもった眼差しを寝床に座り込んでいる少女に向ける。
エヴァは頬を染め潤んだ瞳で、上着を脱ぎ捨てて近付いてくる男を見つめた。
可愛い女。
俺の妻。
子供みたいに好奇心旺盛で冒険好きの癖に、健気で優しくてこんなにも愛らしい。
「エヴァ、君が欲しい」
真っ赤になって何かを言いかけたエヴァの唇を奪うと、肩を抱いて服に手をかける。
脅えさせたくはなかったので、逸る心を抑えゆっくりと服を脱がせていく。
少女は震えているが抵抗もせず、子供のようにされるがままになっている。
あまりにも柔らかく滑らかな肌に、触れている男の手が震えた。
ゆらゆら揺れるランタンの明かりに、白く清らかな身体が浮かび上がると、もう止まることはできなかった。
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時折、ミシミシと音を立てながら船は波に揺す振られていた。
窓の下からざあと水が流れる音がする。
船の動きに合わせてランタンの明かりも揺れる。
狭い寝床に仰向けに横たわったアルテュスの上には、息も絶え絶えのエヴァがぐったりと頭を男の胸にもたせかけていた。
蜂蜜色の髪が強靭な筋肉に覆われた男の上半身を覆っている。
その様子は、まるで愛する者を守ろうと翼を広げている天使のようにも見えた。
男の手が宥めるように優しく妻の背中を撫でている。
アルテュスは床に落ちていた毛布を手探りで拾い、自分達の体にかけた。
エヴァは夫の逞しい胸に頬を摺り寄せた。
ぼんやりとした頭で考える。
皆があれとかあのことと言っていたのは、このことだったのね。
愛し合う男女が閨ですること。
でも、皆が匂わせていたような卑猥な感じはなかった。
それはそれは、恥ずかしくて消えてしまいたくなったけど、あまりにも幸せで胸が一杯になって涙が出た。
私は本当にこの人の妻になったんだ。
……アルテュス。
声を出して呼ぶのはまだ恥ずかしいけど、胸の中で何度も何度も愛しい名前を呼んでしまう。
今までの好きとはちょっと違う、彼を想う愛しい気持ち。
こんな大きな男の人を守りたいと思うなんて。
生まれたままの姿で抱き合っているというのに、ついさっきまで感じていた耐え難いほどの羞恥心は不思議と消えていた。
エヴァは夫の胸の上から身体を起こした。
先程、ちらと目に入ったものをもう一度見たかったのだ。
男の丁度心臓のある辺りにオリーブの枝を咥えた小鳩が鮮やかに描かれていたのである。
アルテュスは薄っすらと目を開いたが、エヴァが何やら熱心に自分の身体を見ているのに気がつくと、苦笑いを浮かべてまた目を閉じた。
もっとよく見ようと屈み込むと、脇の方に剣傷のような傷が見え、エヴァはびくっとする。
肩や脇腹にも白い傷跡があった。
エヴァは痛々しそうに顔を歪めた。
指の先でそっと傷跡をなぞり、溜息を吐く。
船長さんの仕事が危険だということは知っているけど、こんなに沢山怪我をしているなんて思わなかった。
不安な気持ちでいっぱいになり、アルテュスにしがみつく。
神様、お願いです。
船長さんをお守りください。
私からこの人を取り上げないで……




