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竜騎兵と花嫁  作者: 海乃野瑠
第6章 婚礼
30/90

6-2

首元と袖口をレースで飾った白い肌着を着たエヴァは、ベッドの中に膝を立てて座り、居心地悪そうにちらちらと男の方を窺っていた。


アルテュスは先程から、これ以上ないほど不機嫌な顔で、まるで檻に閉じ込められた熊のように部屋の中を歩き回っている。


どうしたのかしら?


私が何か気に触ることをしたのだろうか?


食事中は船長さんの仲間達が色々面白い話をしてくれて楽しかった。


船長さんも笑っていたのに。


少女の小さな部屋は、近所の女達が作ってくれたドライフラワーの花輪のお陰で、甘い香りがする。


しかし、それ以外は飾り気の無い質素な部屋だった。


窓辺の机の上には、水差しと小さなコップ、それから火の点った燭台があった。


蝋燭の光がゆらゆらとエヴァの頼りなげな影を壁に映し出している。


暖炉がないので冬は寒かったが、ベッドには布団の上から暖かそうな毛布がかけてある。


壁は漆喰のままで、ベッドの頭の所に小さな木の十字架とゴンヴァルに手紙を書いてもらいにやって来た巡礼者がくれた聖母の絵がかかっていた。


反対側の壁には旅の間に放浪の画家に描いてもらった少女の肖像画がかかっている。


食事の後、聖水を入れた器と聖水散布器を持った司祭が家に来て、新床を祝福した。


その時はまだ怒っていなかったわよね?


お父さんと普通に話していたもの。


不機嫌になったのは、私と二人で部屋に入ってからだ。


「船長さん」


アルテュスは立ち止まってベッドの方を見た。


そして、肩を竦めると黙ったまま歩み寄り、エヴァに背を向けるような格好でドサリとベッドの端に腰を下ろした。


私の方を見てもくれない。


謝った方がいいのだろうか?


口を開きかけた時、急にアルテュスが立ち上がった。


「どこに行くの?」


外套を手に部屋を出て行こうとする男の服の裾を思わず掴んでいた。




アルテュスは顔を顰めて立ち止まる。


振り返らずにいると、ベッドを降りた女が自分の前に来た。


顔を真っ赤にして、必死な眼差しで自分を見つめてくるエヴァから目を逸らす。


今夜ここで抱くつもりはなかった。


少しでも触れてしまったら、後戻りはできなくなるだろう。


アルテュスは自分の体だけではなく、心の暴走も止められなくなるのではないかと恐れていた。


だから、いつか家業を継いで、跡継ぎが必要になるまで我慢しよう。


性欲を発散させるだけなら、別にこの女じゃなくても、他にも大勢いるだろうが。


彼女には気の毒だが、気持ちが冷めるまで待たせてもらおう。


だが、これ以上この場にいたら、俺は抵抗できなくなる。


「……船に行く」


「行かないで。お願い」


明日の朝、迎えに来ると言い捨てて立ち去ろうとしたが、エヴァは掴んだ服を放さない。


への字に曲げた唇が震え、大きな瞳がみるみるうちに潤んでくるのが目に入った。


男は天井を見上げ目を瞑ると大きな溜息を吐き、観念したように、唇を噛んで俯いている少女の肩を引き寄せた。


「エヴァ」


抱き上げてベッドの中に押し込むと、自分もその傍に先程のように、今度は少女の方を向いて腰掛けた。


そっと自分のシャツの袖で零れた涙を拭ってやる。


エヴァはくすぐったそうに目を瞑り、それから、はにかんだような微笑を浮かべた。


アルテュスは少女との間に必死で築き上げた堤防が跡形も無く崩れ落ちるのを感じた。


……畜生!!!


この娘は、まるで海のようだ。


抵抗してもどうにもならない。


波に呑まれてしまう。


唇が触れ合うとエヴァはビクッと身を強張らせたが、避けようとはせず、おずおずと柔らかな両腕を男の首に巻きつけてきた。


大きな手が溶けた蜂蜜のような髪の中に差し込まれ、骨ばった指が小さな白い耳を撫でる。


身を震わせながらしがみついてくる女の頬を両手で包み込み、何度も何度も唇を合わせた。


口付けが深くなり、男の手がエヴァの肌着にかかる。


丁度その時、隣の部屋から寝返りを打つような音と大きなくしゃみが聞こえてきた。


動作を止め息を潜めて見つめ合っていた二人は、声を立てずに笑い出す。


男はエヴァの耳元に屈んで囁いた。


「一緒に来るか?」




アルテュスが蝋燭を吹き消し、できるだけ音を立てないように窓を開くと、ひんやりとした風に乗って遠くから賑やかな旋律が流れてくる。


その大きな体からは想像できないほど身軽に窓から飛び降りた男は、エヴァの方に腕を伸ばした。


そして、外套に包まった柔らかな身体が転がり落ちてくるのを受け止める。


男は笑いながらエヴァの手を取ると、二人は広場に向けて駆けて行った。


広場には昼間の行列に参加した人々が、ハーディ・ガーディの奏でる賑やかだがどことなく物悲しい音楽に合わせて踊っていた。


松明の明かりで周囲の建物が赤く浮かび上がり、そこだけ幻想的な雰囲気を作っている。


「踊るか?」


手を握ったままアルテュスが尋ねると、エヴァは嬉しそうに笑って頷いた。


ずっとこの町で暮らしていたが、日が暮れてから祭りに来るのは初めてだ。


近所の者に誘われたこともあったが、15歳になるまでは駄目だと父親が許さなかったのだ。


そして、ゴンヴァルが病気になるとエヴァは父親をひとりにすることを好まず、同じ年頃の娘達と夜に出かけることはなかったのである。


二人が踊りの輪に近付くと、陽気な笑い声が上がった。


「やあ、新婚さんだぞ!!」


驚いたことにアルテュスは踊りが巧みだった。


少しばかり強引に導いていく男に身を任せ、息を切らしながらもエヴァは幸せだった。


顔を上気させ、キラキラする瞳で男を見上げる少女は美しかった。


アルテュスもそんな少女を優しく見ていた為、周りの人々は二人を愛し合っている夫婦だと思い、感心したように頷き合っていた。


だが暫くすると、踊り疲れたエヴァに蜂蜜酒を買ってやり、自分はビールで喉を潤しながら、アルテュスは逃げ出す方法を思い巡らしていた。


海に抵抗できないのは分かっていても、俺は死ぬまで抵抗し続けるだろうからな。


それと同じことだ。


さて、どうやってこの娘を泣かさずに、家に戻すかだ。




その頃、『ラ・ソリテア号』には、明日の出港に向けて準備をしていた船乗り達が集まっていた。


「あの二人、今頃よろしくやっているのだろうな」


アレンがニヤニヤしながら、隣で酒を飲んでいるメレーヌの脇腹を小突く。


メレーヌは眉を顰め、真面目に答えた。


「船長は後で様子を見に来るなどと言っていたが、流石に初夜に花嫁をほったらかしにする訳にはいくまい」


「そりゃ、あんな可愛らしい娘を妻にしたらな」


「畜生、羨ましいぜ!」


「今まで船長が付き合ってきた女とは、ちとばかりタイプが違うようだがな」


「遊ぶ女と結婚する女は種類が違うのさ」


船乗り達はがやがやと好き勝手なことを言っている。


「明日はちゃんと時間通りに来るだろうか?」


「おい、絶対遅れて来ることに、俺は酒1瓶賭けるぞ」


「じゃあ、俺はこの金の鎖を賭ける。壊れているが、直せば酒2瓶の価値はあるだろう。船長は絶対に時間を守るぜ」


「まさか、結婚した翌日に花嫁と別れちまうんだぞ。そんなに簡単に放しっこないじゃないか」


「何でまた花嫁を一緒に連れて来ないのかね?」


「そりゃあ、女は船に災いをもたらすと言われてるからだろ?」


「船長の女だったら問題ないんじゃないか?」


確かに船に女は不吉だという迷信があったが、船長の情婦だけは例外だったのだ。


その為、海賊船などにも船長の女が数人乗り込むことが頻繁にあったのである。


勿論、船長の女なので、他の船乗りは手を出すことは出来ず、無礼を働いた者は死刑と決まっていた。


「そうだな。だが俺達が良いと言っても、あの人は強情っぱりだからな」


船乗り達は暫くそのようにして話していたが、メレーヌが立ち上がって言った。


「さあ、そろそろ寝に行く時間だぞ。明日は早いんだ」


そして見張りの者を残して、男達はそれぞれ自分の寝場所に向かった。




雲の後ろにぼんやりと白い月が見える。


もうすぐ春だが、この季節は夜はまだかなり冷え込む。


波止場には黒々とした船の影が威圧的な存在感を感じさせていた。


時折、波の音がちゃぷんと聞こえ、船はぎいと身を軋ませる。


見張りの男は手に息を吹きかけながら、暗い空を見上げ、時間が経つのを待っていた。


マストに登っている男が声をかけてくる。


「おい、パエール。起きてるか?」


「……ああ、起きてるぞ」


「今夜は時間が経つのが遅いな」


「そうだな。夜が明けるまで、後5時間ほどか」


「……パエール、おまえは誰かいるのか?」


「ん? 何だ?」


「女だよ」


パエールは立ち上がりマストを見上げた。


暗くてよく分からないが、見張り台に座った男は脚をぶらぶらさせているようだ。


「女か。……いるって言えばいるがな」


「何だはっきりしねえな。実は俺はティミリアに幼馴染の奴がいるんだ。もう2年ほど会っていないんだが、俺のことを待っていてくれてる筈なんだ」


男の潜めた声から浮き浮きとした感じが伝わってくる。


「そうか。じゃあ、戻ったら結婚すんのか?」


「さあ、わかんねえ。船乗りが家庭を持ってもなあ」


男達は黙り込んで、物思いに耽っていた。


その時、船に近付いてくる足音が男達の耳に入った。


「おい、誰かいるぞ」


「不審者か?」


パエールは傍に立てかけてあった火縄銃を抱えると、船縁から身を乗り出した。


「……誰だ?」


見張り番の問いに黒い影が答える。


「俺だ」


「船長?!!」


男達の驚いた声が甲板に響き渡った。


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