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竜騎兵と花嫁  作者: 海乃野瑠
第1章 ラテディム海のオーガ
3/90

1-3

夕方になってひょっこりと港に戻って来たアルテュスを船に残っていた連中は喜んで迎えた。


船長が一緒ならば良い酒が飲める。


それに、この若く頼もしい船長を皆好きだったのだ。


「でも船長、今夜は久し振りに恋人と過ごす予定じゃなかったんですか?」


航海士のアレン・デズマルが尋ねた。


乗組員の中で一番年長のこの男は、船長とは対照的に冷静沈着な性格だったが、いくらか無遠慮な所がある。


アルテュスは顔を曇らせたが、差し出されたコップを受け取ると、中の酒を一気に飲み干した。


「別れてきた。家も家具も一切合財売り払ってきたので、今夜の宿もない」


苦笑いをしてそう言うと、周りの男達が大きく頷いた。


「船長、そりゃあ却って良かったですよ」


「女に真面目になっては碌なことがねえです」


「船乗りは嫁など貰ってはいけないんですよ」


口々にそう話す男達は、皆過去に痛い目に遭っているようだ。


彼らの話を聞いていると、腹の中に燻っていた怒りが段々と治まってくるのを感じた。


「そうだな。腹癒せにあいつの為に買った婚礼の衣装を『三人の水夫』のローザにくれちまったぞ」




樽のような腹の上に白い前掛けを巻き、丸太のような腕の袖を捲り上げた赤ら顔の男が酒瓶を掲げた。


「ほら船長、一杯飲んで元気出しておくれよ」


何故か片手に長い柄のついた木のしゃもじを握っているその男は、船乗り達に『悪酔いブイヨン』と呼ばれているこの船の料理長だ。


本名はジャック・グロセックと言うのだが、誰もそう呼ぶ者はいない。


遥か昔、初めて料理長として乗り込んだ船の船長に、お前の料理は見ただけで悪酔いしそうだと罵られ、それがそのまま渾名となってしまったのである。


しかし、アルテュスとその仲間達にとっては幸いなことに、その後、港町の料理店で真面目に就業した甲斐があって、今では美味いと評判の居酒屋の料理人ぐらいの腕前となっている。


なみなみと注がれたコップをまた一息に飲み干したアルテュスは、袖で唇を拭いながら言った。


「船の名を変えなくてはならないな。いっそのこと『売女のマリルー号』にでもするか」


「そいつは勘弁してくださいよ。外国の港で船の名を尋ねられたら、俺は『売女のマリルー』に乗っかってるなんて答えるのは嫌ですから」


「ルーを消しちゃって、『麗しのマリー号』にしたらどうです?」


マリーという名の恋人でもいるのだろう、年若い水夫が頬を染めながらおずおずと提案する。


「いや、駄目だ」


「では『ラ・ソリテア号』ではどうですか?」


ニヤリとしながらアレンが言った言葉にアルテュスは大きく頷いた。


「そりゃいい。今の俺にぴったりの名前だ。明日からこの船は『ラ・ソリテア号』だ」


「『ラ・ソリテア号』に乾杯!!」


「乾杯!!!」




歌の上手い『髭の三日月』と呼ばれている男がリュートを取り出した。


ティム・ラミュという名の船乗りだが、アレンと共に、アルテュスが私掠船の船長になってからずっと一緒にいる仲間の一人だ。


渾名の由来は説明するまでもない。


『髭の三日月』は膝の上に抱えた楽器をちょいちょいと調弦すると、腹の底に轟くような力強い声で歌い出す。



暇潰しに歌おうよ


美しい娘の過去の恋


娘は水夫のなりをして


船に乗り込み職を得た…………



恋人の後を追って船に乗り込んだ娘の歌である。


船乗り達の理想の恋人なのだろう。


男達は肩を組んで、酒を飲みながら合唱する。


『悪酔いブイヨン』は音楽に合わせて、しゃもじで船縁を叩いている。


恋人の傍にいる為に、七年間も水夫として働く娘なんか本当にいる訳ないじゃないか。


そう思いながらもアルテュスは、酒瓶を片手に仲間達と一緒に声を張り上げた。


穏やかな夏の夜だった。


空には綺麗な半月が浮かび、爽やかな潮風が心地良い。


時折寄せてくる波に揺られて船はギィと軋んだ音を立てる。


ゆらゆら揺れるランタンの周りには、羽虫が群がっていた。


夕飯も食べずに飲んだ所為か、いつもより酔いが回るのが早いようだ。


アルテュスはごろりと甲板の上に大の字になった。


帆が畳まれた帆桁と縄の間から見える月の光が眩しくて腕で目を覆う。


「女なんか糞食らえだ。もう二度と恋などするもんか」


意識が途切れる間際に呂律が回らない口調でそう唸ったが、その声は騒いでいる男達の耳には届かなかった。




船の洗礼名を変えることは、災いを招くと信じられていた。


その為、翌朝起きるとすぐ二日酔いでガンガンする頭を押さえながら、アルテュスはメインマストの下に魔除けの金貨の入った袋を置いた。


また、初出港の前夜には船乗り達は眠らず飲み明かし、船の前の名を惜しむという慣わしがあった。


だが『ラ・ソリテア号』の船長はその夜から出発するまで、毎晩その習慣を実行することを決めたのだ。


その為、数日後に休暇から戻った者達が見出したのは、数え切れない程の酒樽を積み上げ、その横で濁った目をして酒臭い息を吐き、大声で喚いている酔っ払いの一団だった。


町から戻って来たもう一人の航海士であるメレーヌ・デュ・マゴエルは、水夫達に手伝わせ、騒いでいる酔っ払い達を甲板から引き摺って行き、全員を寝床に押し込んだ。


自分の知っている海軍将校のように口煩い男だといつも船長に言われているメレーヌは、まだ若いが真面目で有能な男で仲間達に認められていた。


そして、その口煩い航海士のお陰で、翌朝、酔いも醒めた『ラ・ソリテア号』の乗組員達は、予定通り出発することができたのである。


船名が変わって初めての出港は、外海に出る前に自分達の航跡を3度横切って災いを避ける。


つまり数字の8を水の上に3回描くのである。


操船は時間がかかり、タイミングが悪いと失敗する可能性が高かった。


やっと外海に出ると、今度は風の神アイオロスと海の神ポセイドーンに捧げ物をする。


船長の特別貯蔵室から出してきた樽から、高価な酒がドボドボと海に流されるのを見た船乗り達は、あぁと溜息を吐いたが、文句を言う者は誰もいなかった。


運を天に任せ荒海に漕ぎ出す船乗りは迷信深いのである。


酒をケチって、代わりに塩水をたらふく飲まされるのは真っ平御免だった。




陸で休暇を過ごした者達は、船の名が変わってしまったことに驚いたが、仕方がないという風に頷き合った。


『麗しのマリルー号』の船長が高い金を出して買った女に逃げられたという話は、既に港町の酒場では有名だったのだ。


年若い水夫が船に残っていた連中に噂の内容を面白おかしく語っていた所に、噂の当人の船長が姿を現した。


アルテュスは真っ青になった水夫にズカズカと歩み寄ると、襟首を掴み上げ船縁に引き摺っていき、船の上では二度とあの女のことも相手の男のことも話さないことを誓わせた。


そして震えている水夫を突き飛ばすと他の連中を見据えて言った。


「港ではどんな噂をしても構わぬ。だが、この船の上では俺が掟だ。俺を馬鹿にすることは許さん。文句があるならすぐさま海に飛び込んで港に帰ったらいい。止めはせぬ」


寝取られ男と笑われることで、アルテュスは自尊心を傷つけられたが、本当のことなので仕方がないと諦めてもいた。


しかし、船の上で部下が船長を軽視するようなことがあっては秩序が乱れる。


それだけは避けなければならなかった。


だが、実際にはその心配はあまりなかった。


男達は多少の差はあるが、過去に同じような苦い経験をした者が多かった。


その為、彼らの船長に対し同情する者こそあれ、まだ恋などしたことのない若造以外に馬鹿にする者はいなかったのだ。




「上手廻し用意!!」


船長の声が甲板に響き渡る。


「用意完了!!!」


位置についた船乗り達が一斉に答える。


「かかれ!!」


操舵手が方向転換を開始すると、次々と降ってくる号令に従い船乗り達はタイミングよく帆桁を回していく。


『ラ・ソリテア号』はギシギシと船体を軋ませながら方向を変える。


「よし」


バタバタと遊んでいた帆がやっと風を受け船長は満足そうに頷いた。


その間も船乗り達は帆桁を回し続け、帆が風を捉えるに従って船はスピードを上げ始めた。


作業が終わり、自分の傍に二人の航海士を呼んだアルテュスは言った。


「俺達が敵船を追っ払っちまったので、ラテディム海は儲けにならん。タルへブ海峡を越えて西に進むぞ」


夏の風を孕んだ白い帆が青空に映える。


『ラ・ソリテア号』の冒険は今始まったばかりだ。


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