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竜騎兵と花嫁  作者: 海乃野瑠
第6章 婚礼
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6-1

その日、ティアベの広場は祭りに来た人々でごったがえしていた。


祭りとは四旬節中日の謝肉祭である。


この3週間、食事の節制と祝宴の自粛を守っていた人々も、この日は明日から復活祭までの蓄えだとばかりに卵をふんだんに使い粉砂糖をまぶした揚げ菓子を頬張り、晴れ着を着てどんちゃん騒ぎをする。


そして、日が暮れると周囲に松明を灯した広場で、ハーディ・ガーディやバグパイプの奏でる音楽に合わせて夜通し踊り狂う。


そのうえ、今年は珍しい見物が用意されていた。


港や周囲の村からも大勢の野次馬が、地元の貧しい代書人の娘と大胆不敵で有名な私掠船の船長との婚礼を観に来ていたのだ。


四旬節の期間は通常、婚礼や洗礼は行われない。


今回は、花婿が教会に多額な寄付をして免除してもらったというもっぱらの噂だった。


中央に井戸のある石畳が敷き詰められた広場の奥には、中世時代に建てられた小さな教会があった。


ずんぐりとした石造りの建物で、低い屋根は青みを帯びた黒い粘板岩で葺かれ、裏には先の尖った四角い鐘楼がある。


教会の鐘が賑やかに鳴り響き、皆は人垣の後ろから首を伸ばした。


金儲けの機会は逃さないとばかり、樽を担いだビール売りの男や、胡桃や干し葡萄入りのパンを売る男、揚げ菓子の入った籠を腕に下げた女達が人々の間を縫って歩く。


その日は朝から曇っていたが、幸いなことに雨は降りそうもなく、時折、雲の間に青空がちらと顔を出している。


やがて、蹄の音が石畳の上に響き、がやがやとしたざわめきの中、素晴らしい黒の儀仗馬に乗った花嫁花婿が姿を現した。


二人の後にバイオリンや笛太鼓の楽隊と親族友人が続いている。


アルテュスの手に縋って馬から下りたエヴァは、目を丸くして辺りを見回した。


どうしてこんなに大勢の人がいるの?


まるで私達を待っていたみたい。


「エヴァ、行くぞ」


その声にエヴァは頬を染めると、唇を引き締め、澄んだ瞳で傍らの男を見上げた。


騎士のように凛々しく樫のように頑丈そうな大男に寄り添う娘の上品で可憐な姿に、人々は感嘆の声を漏らす。


絹糸で刺繍された胴着以外は白と黒ですっきりとまとめた花婿に対し、花嫁は古風だが雅やかな衣装を纏っていた。


頭に被っているのはいつもの頭巾ではなく、繊細なレースを使った美しいものだ。


そして、大粒の真珠を使った金のブローチで留めた勿忘草色のビロードの外套の下から、レースの肩掛けと一面に金糸で刺繍を施したぴったりとした上着が窺われる。


上着と同じ濃鼠のスカートはたっぷりと踝まであり、縁飾りのある裾から、いつもの木靴ではなく金糸の刺繍をした小さな革靴が覗いていた。


頭巾と靴はティアベに着いてから新しく誂えたものであったが、服はアルテュスの母親の婚礼衣装を仕立て直したものだ。


ティアベに着いた日、少女を父親の家に送り届けたアルテュスは、婚礼の段取りについてゴンヴァルと話していたが、最後に大きな布の包みを机の上に置くと言ったのだ。


「もしエヴァが嫌でなければ、母の衣装を着て欲しい」


包みを開いたエヴァは目を見張った。


「まあ、何て綺麗な衣装なんでしょう! 本当に私が着てもいいのかしら?」


「ああ、その為に持って来たんだ」


「ありがとうございます。喜んで着させてもらいます」


目を輝かせ頬を紅潮させた少女は、震える声で男に礼を述べたのだった。




正面の入り口で待っていた司祭の後について二人は教会の中に入った。


梁が露になっている天井は、逆さにした船底のような形をしており、紺色に塗られた空には星が描かれていた。


明るい水色に塗られた漆喰の壁には聖書の場面や花模様が描かれ、小さな窓には色ガラスが嵌めこんである。


所々にある出っ張りや窪みには聖人の像や十字架があった。


入ってすぐの右側の窪みには、船乗りの守護聖人である聖エラスムスの像が祭られている。


子供の頃、エヴァは、彼が自分の腸を巻きつけた車盤を握っているのがとても不思議だったのだ。


その前には船乗りやその家族が灯した蝋燭の炎が揺らめいている。


そして反対側には、大きな帆船の模型が飾ってある。


エヴァにとっては、幼い頃から通い慣れた場所であったが、アルテュスは物珍しそうに辺りを見回していた。


二人は良く磨かれた黒い木のベンチの間を通り、祭壇まで司祭の後に続いて歩いた。


エヴァの手が震えているのを感じたアルテュスは、右手で自分の腕に置かれた小さな手を包み込む。


「寒いのか?」


少女は真っ赤になると男とは目を合わさずに頭を振った。


「……いえ、ちょっと緊張してしまって」


アルテュスは優しい目をしてフッと微笑んだ。


「逃げ出すんなら、今のうちだぞ」


エヴァはびっくりしたように男を見上げた。


「そんなことしません!!」


思わず大きな声が出てしまった。


「俺も逃がすつもりはない」


「式を挙げる前から夫婦喧嘩ですかな?」


司祭が二人に腰掛けるようにとベンチを示しながら言った。


アルテュスは苦笑いをして答えた。


「いや、彼女の気持ちを確かめただけです。どうぞ、お始めください」


斜め後ろにはゴンヴァルと近所の者達が座っている。


反対側には一張羅を身に纏った『ラ・ソリテア号』の船乗り達が、帽子を手に握り締め狭いベンチに大きな体を縮めて、窮屈そうに腰掛けていた。




ラテン語の祈りの言葉を聴きながらエヴァは、隣に座るアルテュスをそっと見上げた。


何かをじっと考え込んでいる風の男にチクリと胸が痛んだ。


結婚式の日ぐらいそんな怖い顔をしなくてもいいのに。


船長さんは私と結婚するのが嬉しくないのだろうか?


初めに結婚したいと言ったのは彼なのに。


そういえば、私は船長さんに一度も好きとか、愛してると言われたことがない。


普通は婚約者にはそういうことを言うのではないのかしら?


大事にしたいとは言われたことあるけど。


私は傍にいるだけで胸がドキドキするのに、船長さんは何も感じないのだろうか?


エヴァはそっと溜息を吐いた。


溜息が聞こえたのか、アルテュスはエヴァの方を見ずに、その手を取った。


大きな手は大層温かく、少女の手をすっぽりと包み込んだ。


ホッと肩から力が抜け、温かい気持ちが胸の中に広がる。


大事にしてくれると言った船長さんを信じよう。


物思いに耽っていたエヴァは、アルテュスに軽く腕を揺す振られ慌てて前を見た。


「誓います」


司祭の問いに男は低い声で答えた。


続いて司祭は花嫁の方を向く。


「汝、エヴァはここにいるアルテュスを生涯の夫とすることを誓うか?」


「……誓います」


少女の高く澄んだ声が教会の天井に響いた。


司祭の祝福を受けた二人は立ち上がった。


花嫁の震える左手を取った男は、華奢な指に古風な指輪を嵌める。


ルビーと小粒のダイアモンドをあしらったその指輪は、船で立ち寄った外国の港町で買い求めたものだ。


細かい唐草模様などが金属の部分に入った流行のものよりも、飾り気のない上品な指輪がエヴァに合うだろうと思ったのだ。


アルテュスは、潤んだ瞳でおずおずと見上げてくる花嫁の頬を優しく包み込み、そっと唇に口付けた。


エヴァは期待して待った。


だが、花嫁が待ち望んでいる言葉が発せられることはなく、黙ってもう一度エヴァの頬を撫でたアルテュスは、顔を背け皆の方を向いた。




アルテュスは平静を装おうと努力していた。


だが、素っ気ない態度を取ると、この娘はひどく傷付いたような顔をする。


今にも泣き出しそうな顔を見ると、まるで自分がとんでもなく酷いことをしたように思われ、罪悪感に苛まれるのだ。


優しくしてやりたいと思うのだが、あまり自分の心を許し過ぎないようにとずっと自制していた。


父親の家で縋ってくる少女を抱き締めて眠った時には、やり過ぎたと後悔した。


もう絶対に余計なことはするまいと決心して戻って来てみると、エヴァは自分の姿を見た途端、真っ赤になってうろたえた。


話しかけただけで動揺して、まるで失神でもしかねないほど自分のことを意識しているのが分かると、男は少女を哀れに思う一方で腹立たしい気持ちになったのだった。


ずっと自分を追ってくる潤んだ眼差しが鬱陶しくてならなかった。


何故、愛もなく結婚しようとしている俺のことをそんな熱い瞳で見つめるんだ。


馬鹿げた期待をしてしまうだろうが。


今は俺に惚れているのかも知れないが、どうせ、長続きはしないだろう。


女の心のように不確かなものはない。


しかし、エヴァが誰か他の男に今自分に向けられているような瞳を向けると考えるだけで、胸が引き裂かれるような気持ちになる。


それは俺の自尊心が傷つけられるからだろう?


断じて恋愛感情ではない。


可愛がっている動物に対するような執着心なのだと思い込もうとしていた。


妙なところで実直なこの男は、絶対に偽りの愛の言葉を少女に言うまいと決めていた。


ゴンヴァルに約束したとはいえ、何度も本当のことを話してしまおうかと思った。


自分は嵐の時に立てた馬鹿げた誓いの所為で、貴方と愛もなく結婚しようとしているのだと。


だが、少女が傷付くと思うと言い出せずにいる。


アルテュスは自分がエヴァに惹かれていることを認めようとしなかった。


そうなる前にさっさと逃げ出すつもりだった。


あの誓いは港で初めに会った女と結婚するということだった。


その女を愛するとは誓っていないのだから。


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