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竜騎兵と花嫁  作者: 海乃野瑠
第5章 城
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5-5

…………………………………………


…………航洋船の船長は水夫を船首楼に呼び付けて


微笑みながらこう言った



おまえの優しい顔も

金の巻き毛も、たおやかな姿も


あの人を思い出させるのだ



遠い港に残してきた愛しい人を……




ガラガラと騒がしく走る狭い馬車の中に力強い歌声が響く。


エヴァは目を丸くして、リュートを掻き鳴らすしゃくれた顎の男を見つめている。


今朝、馬車に乗り込む時にアルテュスに紹介された男はティムと名乗ったが、アルテュスが傍から『髭の三日月』と呼んでやれと言った為、それからずっとむくれてしまっていたのだ。


船乗り達には渾名で呼ばれても構わないが、船長のべっぴんな嫁さんには本名で呼んでもらいたかったのである。


『髭の三日月』は、馬車が出るとすぐ脚を投げ出して目を瞑ってしまった船長の方を恨めしそうに横目で見ていた。


「ティムさん、リュートで何か弾いてくださいな」


だが、男が膝に抱えている荷物を見たエヴァがそう言った途端に機嫌を直して、楽器を取り出すと歌い始めた。


海の男は単純なのだ。


暫くするとアルテュスも起き上がり、よく知っている歌を『髭の三日月』と一緒に歌い始めたので、エヴァはもうこれ以上はできないという位、目を見開いて熱心に二人の歌を聴いていた。


船長さんは船の仲間達といる時、こんな顔しているんだ。


いつものしかめっ面とは随分違うわね。


船の上でもこんな顔をしているのだろうか?


生き生きとして、何て楽しそうなんだろう。


歌が終わるとエヴァは、力一杯手をたたく。


私はこの人の笑顔が好きだ。




アルテュスはどうやってあの話をエヴァにしたものかと悩んでいた。


凶暴な海賊や敵に立ち向かう時はまったく冷静でいられる癖に、青い瞳が涙で曇るだろうと思うと勇気が萎んでしまうのである。


まあ、ティアベに着いてからゆっくり話せばいいさ。


『髭の三日月』とは、偶然、港町の酒場ですれ違ったのだ。


去年の冬に『ラ・ソリテア号』を降りてから別の私掠船に乗ったり、北の地方で鱈の漁船に乗ったりしていた船乗りは、いつかまたアルテュスの船に乗ることを願って、暫く前にティミリアに戻って来ていた。


ティミリアでは誰も『ラ・ソリテア号』の行方を知らなかった為、帆船が立ち寄りそうな港を転々としながらアルテュス達と別れたティアベまで戻ろうとしていたと語った。


そして、運よくアルテュスと出会って新世界への旅の話を聞くと大喜びで、一緒にティアベに戻ることになったのである。


二人の航海士はあのまま『ラ・ソリテア号』にとどまってくれていた。


料理長の『悪酔いブイヨン』も港町の定食屋に職を見つけてティアベにいる。


この数ヶ月間、一緒だった船乗りの中にもティアベに残っている者が数人いるだろうし、新たに採用するにしても大して時間は取らないだろう。


アルテュスの頭には、既に大航海の準備のことしかなかった。


多くの私掠船の船長とは違い、アルテュスは『ラ・ソリテア号』の持ち主でもあった。


船舶艤装者として乗組員の雇用、航海中に必要な飲食物や備品、武器などの手配もしなければならない。


そうしてみると3ヶ月というのは決して長い期間ではなかった。




エヴァは馬車の揺れに体を預けながら、向かいに座った男達を眺めていた。


『髭の三日月』は大袈裟な身振り手振りで、アルテュスに鱈の漁獲について説明している。


エヴァは、船乗りが自分達と一緒に旅をすると知った時は驚いたが、同時にアルテュスと二人きりにならずに済むと思いホッとしたのだった。


男に対する自分の気持ちに気づいた少女は、男が戻ってきてから以前のように自然に接することができなくなってしまっている。


目が合うとどぎまぎして声が上ずってしまうので、話しかけられると逃げ出したくなるのだ。


同時に暫く男の姿が見えないと気になって探してしまうという、自分でも理解できない状態に戸惑っていた。


傍に来られると、何故か身体がかっと熱くなったり、すうと寒くなったりする。


そして、耳鳴りがする程心臓がドキドキと轟いている中、男の眼差しが自分に向けられるだけで、頭には血が上り目が潤んでしまうのだ。


そんなエヴァをアルテュスはまじまじと見つめたが、何も言わずに、その後はいつもどおりに振舞っていた。


道中が安全ではないので『髭の三日月』の他に馬に乗った兵が数人、馬車の前後に就いている。


それが自分のことを護る為だと知ったエヴァは、アルテュスに感謝の眼差しを向けた。


暴漢に襲われる心配がなくなると、旅は楽しみだった。


風はまだ冷たいが、春がすぐそこに迫っていると思えるような晴天が続いている。


ティアベに戻るのは嬉しかった。


結婚式はちょっと不安だけど。


そう言えば、衣装はどうするのだろう?


私の持っている晴れ着で大丈夫だろうか?


マテオ・ダヴォグールに作ってもらった服は豪華過ぎて、港町の教会にはそぐわないだろう。


向こうには一週間程滞在する予定だった。


父に会えるのも嬉しかったし、親しかった近所の人々にもきちんと挨拶をしたかった。




数日後、天気が急に崩れた。


その日は朝から嵐の前触れのような風が吹き雨が降っていた。


エヴァは不安そうな顔で隣に座っているアルテュスの顔を見上げた。


昨夜、泊まった宿屋で、御者とアルテュスが話しているのを聞いてしまったのだ。


耳に入ってきたのは、はにかみを忘れさせてしまうような怖ろしい言葉だった。


エヴァが横を通ると階段の下にいた二人は口を噤んだが、少女に背を向けるとすぐにまた小声で話し始めた。


その後、男達は別に何かあったと思わせるような素振りもなく、普段どおり笑ったり話したりしている。


どうかしたのかと尋ねたら、これ以上質問するなというような口調で、何でもないから心配するなと言われたのだ。


しかし、護衛の兵にも情報は確かに伝わっているらしく、先程、雨の合間に休憩した時には皆同時に食事をせずに見張りを立たせていた。


それにアルテュスが短銃をすぐ手に取れる場所に置いたのを見てしまったのだ。


行きのようなことになるのだろうか?


今度同じような状況になったら、いったい私は引き金を引くことができるのだろうか?


エヴァは膝の上でスカートを握り締めた。


もう船長さんの背中に隠れるような卑怯な真似はしたくない。


船長さんと一緒に戦いたい。


「船長さん」


窓から外を覗いていた男が振り向いた。


「どうした?」


エヴァは息を吸い込むと一息に言った。


「どのようなことになっているのか、ちゃんと教えてください」




向かいに座り、やはり窓から外を覗いていた『髭の三日月』がアルテュスの顔を見て言った。


「村に入ったようです」


アルテュスは顔を顰めると、エヴァの澄んだ瞳を覗きこんだ。


そこに固い決心が浮かんでいるのを見ると、溜息を吐いて口を開いた。


「船の上では、どんなに不味い状況でも乗組員に事実を伝えるように心がけている。確かに人は、特に海の男は敏感だから、どんなに平静を装っても感づいてしまうからな。だが、その時にはどうすればその状況から抜け出すことができるのかを、相手が信じ易いように伝えなけりゃならん。50人もの人間が混乱すると怖ろしいことになる。反乱でも起こされたら堪らぬからな」


アルテュスは馬車の外を手で示しながら続けた。


「だが、今回のことは知ってもどうにもならん」


「何も知らされない方が不安です」


「俺はできれば貴方には騙されていて欲しかったのさ」


少女は頷いて微笑んだ。


「でも、私、大丈夫です。船長さんが一緒にいてくれるから」


「数日前にある村が焼き討ちに遭った」


エヴァはビクッとしたが、続きを話してくれるように促した。


「……村人は女子供も全員皆殺し、中には生きたまま家に火をつけられて焼き殺された者もいると言う」


「それで、今私達が通っている村がその村なのですね?」


「ああ、そうだ。暴漢共は何処ともなく立ち去ったそうだが、同じ場所に戻って来ることはまずないだろう。我々が襲われる危険は少ないと思うが、念の為……」


馬車の中にも、きな臭い匂いが漂ってきた。


雨音と馬車の立てる音に混じって、腹の底に沁みるような歌声が聞こえてきた。


ミサ・プロ・デフンクティス、死者の冥福を祈るレクイエムだ。


アルテュスは目を閉じて歌う『髭の三日月』を呆れた顔で見る。


まったく、こいつのレパートリーの広さには驚かされるな。


だが、これで何も分からぬうちに命を絶たれた子供達の魂も地上を彷徨わずに、まっすぐ天に昇ることができるだろう。


アルテュスは、手を組んで頭を垂れ静かに祈る少女の姿を眺めていた。


どうやらこの娘は大丈夫なようだ。


これだったら、俺の不在中もちゃんと留守を守ってくれるだろう。




その後は別に何事もなく、旅は無事に終わろうとしていた。


「この調子で進めば、午後にはティアベに着きますよ」


昼食の為、馬車を降りた『髭の三日月』が両手を上げて背筋を伸ばしながら、嬉しそうに言った。


「俺はちっとばかしゴンヴァル殿の家に用があるから、先に宿屋に行って部屋を取っておいてくれないか?」


鶏の腿肉を齧りながらアルテュスが『髭の三日月』に言った。


木の実のペーストを塗り薄切りにした酢漬けの胡瓜を乗せたパンを両手に持ったエヴァが、問いかけるような視線を向ける。


「婚礼について貴方のお父さんと話さなければならないだろ」


少女は頬を染めると頷いた。


アルテュスの希望で、式は司祭の都合が合えば、旅立ちの前日に行われることになっていた。


だけど、私も一緒に船に乗ることは皆は知らないのだわ。


どうなるのだろう?


胸がドキドキして落ち着かない。


少しばかり恐れる気持ちもあるけど、わくわくする気持ちの方が勝つようだ。


船長さんと初めて会った時に見たあの船に乗れるのね!


あの時は嵐で随分傷んでいたけど、それでもとても大きくて美しかった。


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