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クリスマスをティアベで過ごした後、エヴァとアルテュスは馬車で雪の道を男の故郷に向けて旅立った。
ティアベから船でラテディム海に戻り、ティミリアから馬車で行った方が早いのだろう。
幼子殉教者の日には港に着いていなければならないので、すぐにでも出港したかったのだ。
だが、ゴンヴァルを説得できなかったアルテュスは、最後の切り札としてエヴァを連れて行く代わりに『ラ・ソリテア号』を見返りとしてティアベに残すことを申し出たのだった。
それにエヴァを船に乗せるのは少々問題があった。
船乗り達の間では、女は船に災いを招くと固く信じられていたのだ。
ガタゴトと進む馬車の中、アルテュスはゴンヴァルとの会話を思い出して、不愉快そうに眉を顰め唇を歪めた。
「気の向くままに貴方が海に出て命を危険に晒している間、あの子を護ることはできないでしょう? 万が一貴方の身に何かあったら、娘はどうなるのですか?」
「私は船乗りだ。家業を継いでも継がなくても、ずっと妻の傍にいることはできない」
「二人の家に残していくのと、あの子をよく思わない人々の中に残していくのでは随分違うと思います。ご実家の方に貴方が留守の間も誰かエヴァの味方となってくれる人がいるのでしょうか?」
それならゴンヴァルも自分達と一緒に来たらどうかとアルテュスが提案すると、自分は住みなれた家から一歩も動く気はないと返された。
頑固親父めと腹が立ったが、抑えて落ち着いた口調で言った。
「では、私が海に出る時には、お嬢さんにはここに戻って来てもらうようにしたらどうだろうか?」
「一度嫁に出した娘をまたこの家に迎えるつもりはありません」
「だったら、お嬢さんに順応してもらうしかないだろう!」
声を荒げた男にゴンヴァルは、そのとおりというように頷くと話を変えた。
「港で貴方の噂を聞きました。船乗りの間では勇敢で頼りがいのある船長ということで評判は良いようですね。絶対に娘をやりたくないと思うような話も色々耳にしましたが」
「前にも言ったとおりだ。どんな噂を耳にされたのか分からぬが、妻が私に誠実である限り、悲しませるような真似は絶対にしない」
アルテュスの暗い瞳をじっと見つめて、代書人は最後に言ったのだった。
「私は噂よりも自分の目と勘を信じます。どうやら貴方は信頼できる男のようだ。娘の意見を聞いて彼女に決めさせます」
初めは家に戻ってすぐまた父親を一人にすることを躊躇した少女だったが、最後には頷いた。
自分が留守の間、住み込みで家事をしてくれる人がすぐ見つかった為だった。
クリスマスをアルテュスは『ラ・ソリテア号』の仲間達と騒がしく、エヴァは父と静かに過ごした後、慌しく婚約式を挙げた二人は、ゴンヴァルに別れを告げティアベを発った。
エヴァはこのような長旅をするのは、生まれて初めてなので、前の夜は興奮してなかなか眠れなかった。
その結果まだ午後も早いというのに、欠伸を噛み殺し、頭を振ったり頬を抓ったりして眠気と戦っているようである。
向かいに座った男はその様子を面白そうに眺めている。
絶対に認めたくはなかったが、ひとりで実家に戻ることを少しばかり恐れていたのだ。
自分が不幸な幼年時代を過ごした家。
エヴァとの結婚をゴンヴァルに許してもらえたことで、幸先がいいのではないかと思ってしまう。
「眠っていいぞ。どうせ夜にならなけりゃ宿屋には着かないのだから。この前のように膝を貸そうか?」
最後の言葉は半分冗談だった。
「い、いいえ、結構です! こうして休みますから」
顔を赤くしてそう言った少女は、外套に包まると木靴を脱いで座席の上に丸くなった。
家にいた時と同じ質素な服を身に着け頭巾を被った姿は、エヴァを歳よりも幼く見せていた。
丸い腰の線と服の裾から覗いている裸足の小さな爪先を見ながらアルテュスは考える。
確かにその方がいいだろう。
船の上で色々想像してしまったお陰で、こんな純情そうな姿にも惹かれてしまう。
だが我慢しなけりゃならないぞ。
俺はこの娘の父親に結婚式を挙げるまで絶対に手を出さないと誓ったのだから。
一緒に旅をしていたら、他の女で性欲を発散させる訳にもいくまい。
畜生、俺にいつまで禁欲生活を続けさせるつもりなのか?
まるで、イエズス会の修道士にでもなっちまった気分だぞ。
父に呼ばれアルテュスと結婚したいのかどうかを尋ねられた時、初めは断るつもりだった。
嫌いではなかった。
信頼できる頼もしい男性と思っていた。
何を考えているのかよく分からないこともあるけれど。
彼のことをもっと知りたいとも思っていた。
同時にこの男を恐れる気持ちも少しばかりあった。
不機嫌そうにされると不安になり、声を荒げられるとハラハラした。
彼の妻になれば、今までのような静かな暮らしは到底望めないだろうと思っていた。
外の世界にはとても興味があったし、彼と一緒にいることで少しだけ彼とその仲間達の冒険に参加している気持ちになれた。
一緒に暮らせば面白い話を毎日聞かせてもらえるだろう。
しかし、病気の父をひとり残して自分だけ楽しい思いをするつもりはなかった。
既に兵学校に行っている間、父に寂しい思いをさせたことを申し訳なく思っていたのだ。
それが例え、父のことを護る為であっても。
だが実際に家に戻ってみると、父親は自分のいない生活に慣れてしまっていた。
エヴァは自分の居場所がなくなった気がして、元に戻るのに時間がかかった。
数ヶ月前から住み込みで家事を仕切っていた女は、エヴァが戻ると家を出たが、どうやらゴンヴァルは彼女を引き取りたがっているようだ。
その女は数年前に農夫だった夫と子供を病で亡くし、農家を一人で続けて行くことが出来なくなり、全て売り払って兄の家に身を寄せていた。
それは母を失ってからずっと父と二人で暮らしてきたエヴァにとって、少なからず衝撃的なことだった。
だが数日考えると冷静に結論を出すことができた。
お父さんはお母さんが亡くなってからずっとひとりで私を育ててくれたんだもの。
これからは自分の為に生きて欲しい。
もしその女の人と幸せに暮らせるのなら、私が反対する理由はないわ。
そして、父が必要としているのは自分ではないと気付いた少女は、アルテュスと一緒に行くことを選んだのであった。
馬車が宿駅に着いた頃には、既に日はすっかり暮れていた。
大きな看板の架かった古い建物からカンテラを持った召使が走り出てきて、玄関までの道を照らしてくれる。
アルテュスは馬車の駄賃を払うと、召使に荷物を部屋へ運ぶように言いつけた。
広間には白い前掛けをした赤ら顔の亭主が、両手を擦り合わせながら出迎える。
「いらっしゃいませ!! さ、さ、どうぞこちらの暖かい席にお座りください」
二人は外套を脱いで壁の釘に引っ掛けると、長いベンチに座っている人達が空けてくれた暖炉前の席に腰掛けた。
日が暮れてからは結構冷え込んできたので、暖かい火が有難かった。
すぐに熱い豆のスープとパンが運ばれてきて、エヴァは思わず喉をごくりと鳴らした。
アルテュスは肉の料理と酒を注文しているようだ。
昼は馬車の中で家から持ってきたパンとチーズで済ませたので、二人共大層腹が減っていたのだ。
やがて、串に刺して暖炉の中で丸焼きにした若鶏が運ばれてくると、アルテュスは柔らかそうなところをエヴァに切ってくれたが、残りは殆どひとりで平らげてしまったので、周りの人々は目を丸くしていた。
「素晴らしい食欲ですね!!」
油の滴る腿肉の骨の部分を手で掴み、白い歯で食いちぎる男を眺めながら、前に座った商人風の中年男が感嘆の声を上げた。
「若い人は羨ましい。私は数年前に胃を病んでからさっぱりなんですよ。全然食欲がないんです。酒も飲めなくなってしまいましたし」
「そりゃつまんないな。俺は酒が飲めなくなったら死んだ方がましだな」
テーブルの端に座った髭面の傭兵と思われる男が大袈裟に顔を顰めながら言った。
「お二人は兄妹でしょう?」
商人が尋ねると、アルテュスはふんと鼻を鳴らした。
「可愛らしい妹さんで」
アルテュスは男を睨みつけると、テーブルに着いている男達をぐるりと見回して凄みを利かせた声で言い放った。
「いいか? こいつに手を出す奴は誰であろうと絞め殺す」
一瞬あっけにとられた一同は、小さな妹を護る大きな兄を微笑ましいと思ったのか、頷きながら相好を崩した。
自分の妹でも思い出しているのか、商人風の男が目を潤ませ鼻を啜って尋ねる。
「それで、お二人はどこまで行かれるので?」
水で割った酒のコップを両手で包むようにして温めていたエヴァは、問いかけるように隣の男の顔を見上げる。
肉の最後の一切れをパンと一緒に口に入れ、酒で流し込みながらアルテュスは答えた。
「東に向かっているのだが、最近この地方を旅した者はいるか?」
商人の隣に座っている若い男が手を上げた。
役者か音楽家だろうか?
薄汚れた宿屋には不似合いな洒落た格好をしている男だ。
「道はどんな具合だ?」
「数日前に僕らが通った時は、まだ雪はそんなに深くなかったので順調でした」
連れの男が付け加える。
「この調子だと今夜は雪は降らないだろうし大丈夫だと思いますよ。それに……」
傭兵が遮った。
「それより更に東北に向かうのだったら気をつけられた方がいいぞ。セールの辺りでは、どうやら新教徒の暴漢らが村を焼き討ちにするのが流行っているらしい」
「今年の春に両軍は条約を結んだのではなかったか?」
「そんなのは紙の上だけの話だよ。都で耳にした噂なんだが、サン・アノエ公が傭兵を募集しているそうなんだ。実は自分もこれからジュアンの町に向かうところなんだが」
それから男はアルテュスの逞しい肩や腕をジロジロ見ながら残念そうに言った。
「妹さんがいなけりゃ、あんたも俺と一緒に行って一旗揚げれるのにな」
「いや、彼女が一緒じゃなくても行く気はない。敵がはっきりしていない戦は嫌いなんだ」
傭兵は酒瓶を持って立ち上がるとアルテュスの前に来た。
「敵ならはっきりしているじゃないか。新教徒は皆、殺すべき敵だ」
「女子供を殺害するのは、戦とは言わないだろう?」
男は疑い深そうに目を細めるとアルテュスとエヴァを代わる代わる見た。
「おい、もしかしておまえらは奴らの仲間か?」
ガタンと音を立てて、立ち上がったアルテュスにエヴァが驚いて叫び声を上げる。
「船長さん、喧嘩は止めてください!!」
自分の袖に縋っている少女を見下ろすと、アルテュスは大きく息を吐き、腰を下ろした。
「そうですよ。ご婦人の前では喧嘩なんかするもんじゃないですよ」
二人の大男が敵意を露に立ち上がったのを見て、役者達は逃げ出そうと腰を浮かしかけていたが、商人風の男はのんびりとした口調で宥めるように二人に言った。
「船長さんと呼ばれているということは、もしかしてお仕事は船乗りですか?」
「そうだ」
「海では今陸で起こっているような戦はないんでしょうね?」
大分落ち着いたアルテュスは、商人の質問に答えている。
「海では敵がはっきりしているから、良心がとがめることはない」
商人はアルテュスの職業に興味を持ったようで、色々と尋ねてくる。
アルテュスは辛抱強く質問に答えていたが、エヴァが眠そうにしているのを見ると言った。
「明日も早いので、寝に行くぞ」
「私達ももう引き上げましょう」
男は役者達にも声をかけ、一同は亭主に挨拶すると広間を出た。
真っ先にエヴァと廊下に出たアルテュスには、酒瓶を振りながらひとりテーブルに残った傭兵が呟いている言葉は聞こえなかった。
「船長だって? 奴は海軍の脱走兵じゃないのか? あの女が妹ってのも絶対怪しいぞ」




