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竜騎兵と花嫁  作者: 海乃野瑠
第4章 馬車の旅
20/90

4-3

ティアベに向かう馬車の中、曇った窓を指先で擦り丸い穴を開けて外を覗きながら、エヴァはそっと溜息を吐いた。


向かいには難しい顔をして腕を組んだアルテュスが座っている。


船長さんに話したいこと、会ったら話そうと思っていたことが沢山あった。


仲良くなった鍛冶屋と馬丁と装蹄師のこと、とても大人しいマピュスという名の馬のこと、射撃の練習のこと、公爵様に認められたこと。


そして、やっとできた友達のこと。


だがアルテュスはそのような話には興味がないのか、時折頷くだけでずっと黙っていた為、エヴァは段々口数が少なくなり、最後には完全に口を噤んでしまった。


「エヴァ」


男に呼ばれて少女は窓から離れた。


「結婚の件なんだが」


まあ、やっぱり結婚を止めたくなったのだわ。


そう思ったエヴァはアルテュスの目を避けて頷いた。


「やむを得ぬ事情で数日後に実家に戻らなくてはならなくなった。それで、もし貴方のお父さんが許してくれるのなら……」


エヴァは慌てて遮った。


「絶対許してくれます。頂いたお金は、学校とお父さんの生活費に大分使ってしまっていると思いますけど、これから私が働いて少しずつお返しします」


「金? いや、金なんかどうでもいい。貴方の気持ちが聞きたい」


「私なら大丈夫です。船長さんのお決めになったことが正しいわ。それに、船長さんのお陰で兵学校にも行けましたし、とても有難く思っています」


にっこり笑ってそう答えたのだが、何故か最後の方は少しばかり声が震えてしまった。


「そうか。では、そのようにお父さんに話そう」


その後は二人共黙り込み、車輪の立てる音だけがガラガラと辺りに響いていた。


お父さんはまだ承諾していなかったのだから、船長さんが約束を取り消しても、許すも許さないもないと思うけど。


アルテュスが自分のことをしげしげと見つめている感じがしたので、エヴァは外套に包まり座席の背に寄りかかって目を閉じた。


家に着くまで眠った振りをしていよう。


結婚の話がなくなって、寂しい気持ちになっている自分にエヴァは戸惑っていた。


アルテュスに対する自分の気持ちは、まだはっきりと分からなかった。


会ったのはほんの数回、でもこの一年間、毎日のように船長さんのことを想っていた。


特に初めの頃は、皆に仲間外れにされて、お父さんと船長さんからの手紙が唯一の慰めだったのだ。


でも、これからは、以前のようにお父さんと二人で助け合って生きていこう。


船長さんのことはすぐには忘れられないと思うけど。


あまりにも大きくて印象の強い人だから。


彼のことをもっと知りたいと思ったのは、学校で皆に言われたように彼に特別な気持ちを持っていたから?


それともただの好奇心なのだろうか?


それに、結婚が取り消しになったからって、もう会えないって決まった訳ではないわ。


そんなことを考えながら体を馬車の揺れに任せていると、そのうち段々瞼が重くなってきた。


外は今にも雪が降り出しそうな天気なのに、エヴァは何故か花の咲き乱れる野原に寝転んでいる夢を見ていた。




「エヴァ、着いたぞ」


耳元で低い声がして、エヴァは小さく身動ぎした。


とっても暖かくて気持ちいい。


もう少しこのまま……


「おい、このまま馬車の中で夜を明かすつもりか?」


耳に入った不機嫌そうな声に薄っすらと目を開ける。


「……えっ?」


自分がどこに頭を乗せて眠っていたのか気が付いたエヴァは、真っ赤になって飛び起きた。


「ご、ごめんなさい!!! こんな厚かましいこと」


慌てて後退って、壁に頭をしたたかぶつけた。


痛む頭を擦りながら、狭い馬車の隅っこに縮まっておろおろしている。


その慌て振りに、アルテュスは呆れたような顔をしながら答えた。


「いや。馬車の揺れで頭があちこちぶつかっていたからな。怪我でもしたら困るだろうと思ってこうしたまでだ」


「重たかったでしょう? すみませんでした」


申し訳なさそうに謝るエヴァに頭を振って、馬車の扉を開ける。


「貴方の家に着いたぞ」


エヴァはアルテュスに続いて泥濘んだ地面に降り立った。


屋根に薄っすらと霜の降りた小さな家は、一年前に出て行った時のままだった。


だが兵学校の大きな建物やマテオ・ダヴォグールの屋敷を見慣れた後だからか、以前よりも小さくみすぼらしく見えた。


少女はドレスの裾を泥で汚さないように絡げると、家に向かって転ばないようにそろそろと歩き始めた。


アルテュスは御者に駄賃を払うと、エヴァの後からゆっくりとついて来た。


しんとした空気が凍えるように冷たい。


「お父さん、ただいま帰りました!!」


エヴァの呼びかけに奥からゴンヴァルが答える声がする。




親子二人の再会を邪魔しては悪いと思ったアルテュスは、狭い台所に向かうと木のベンチに腰を下ろした。


辺りは一年前と何も変っていない。


ゴンヴァルの様子を見に来てくれる近所の者がしてくれるのだろう。


台所はきれいに片付いていた。


テーブルに肘をつき頭を抱える。


火の気のない台所は吐く息が白く見えるほど寒かったが、アルテュスはその場所を動こうとしなかった。


ゴンヴァル殿は許してくれるのだろうか?


この数ヶ月は遠くまで出向いた甲斐があって、予想以上の儲けがあった。


商船の積荷はよい値段で売れたし、何よりも他の船と逸れてしまった新世界からの貿易船を略奪できたことが大きかった。


今回は嵐に見舞われることもなく、予定通りクリスマスの数日前に無事ティアベの港に着くことが出来たのだった。


だが海事当局で自分宛の手紙を受け取ったアルテュスは、今までの陽気な気分が一変に萎むのを感じた。


立ち寄る全ての港で自分を待ち受けていた手紙と同じ筆跡のそれを、イライラと封を切ると乱暴に広げて目を通した。


途中の港で受け取った手紙の内容は、一番初めにティアベで受け取ったものと全て同じだったが、今回のものには当家の一大事についてもう少し詳しく説明してあった。


読み進めていく内に段々と険しい顔つきになったアルテュスは、読み終わると腹立たしげにその手紙を破り捨てたのだった。


今回はどうしても避けられぬようだ。


だが相手の要求を全て鵜呑みにするつもりはない。


こっちも条件を出してやろう。


駄目だと言うならそれまでだ。


家がどうなろうと知ったことじゃない。


海への誓いは神聖なのだから。


そう決心したが、ゴンヴァル殿に反対されたらどうにもならない。


もう、そろそろ様子を見に行っても良いだろう。


アルテュスは、ベンチを大きく軋ませ立ち上がると、ゆっくりと居間に向かった。




パチパチと燃え盛る薪が音を立てている暖炉の前にゴンヴァルは腰掛けていた。


少女は父の足元に座り、その膝に頭を乗せている。


頭巾を被っていない、きちんと結い上げた黄金色の頭を節くれ立った男の手がそっと撫でている。


少女は扉の方に顔を向けていた。


安心しきったように目を閉じて唇には優しい微笑を浮かべている。


それは、まるで絵のように美しい光景だった。


心が温まると同時に何故か懐かしい物悲しい気持ちになる。


暫し黙って見とれていたアルテュスに気付いたゴンヴァルは、頭を下げ挨拶の言葉を述べた。


目を開いた少女は立ち上がり、もう一つの椅子をアルテュスに勧めた。


「ゴンヴァル殿、約束通り戻って来た」


ゴンヴァルは黙って頷く。


「それで、結婚の話なんだが」


「なかったことにして欲しいということですね?」


やっぱりとでも言うように薄っすらと笑みを浮かべたゴンヴァルに、急き込んで答えた。


「そうではない! 去年は貴方の了承を得るまでいつまでも待てると言ったが、状況が変わったのだ」


部屋を出ようとしていたエヴァは、扉の前で立ち止まって振り向き、大きな声を出したアルテュスに物問いたげな顔を向ける。


そんな少女をちらと見てからその父親に向かって言った。


「婚礼は結婚告示をしなければならないし、衣装などの準備も必要だろうから数ヵ月後でも構わぬが、来週、お嬢さんを婚約者として私の家に連れて帰ることを許して欲しい」


エヴァは目を真ん丸くして頬を染め、二人の男を順番に見ている。


その様子を見てアルテュスは苦笑いを浮かべた。


「先程、お嬢さんは結婚することを承諾してくれたと思っていたのだが、どうやら私の思い違いだったようだ」


ゴンヴァルは咳払いをして答える。


「その状況が変ったと言うのは、どういうことなのか、きちんと説明してください」


暫く黙って暗い瞳で赤々と燃える火を見つめていたアルテュスは、椅子に座りなおすとゴンヴァルを正面から見て口を開いた。


「船の仕事を始める時に父からかなりの額の金を借りたんだ。いつか、返却できるようになるまでは、家には戻らないと決めていた。でも心の中では永久に返却するつもりなどなかったのさ。今回、実家で不幸が相次ぎ、父からのすぐ戻るようにとの手紙が航海で立ち寄る全ての港で待っていた。最後の手紙には、私に家を継がせることを決めた、その為には結婚することが必要なので、相手も既に決めているようなことが書かれていた」


「でしたら、もう……」


「いや、私は家を継ぐつもりなどなかったんだ。だが、拒否するのだったら貸した金を返せと言ってきた。裁判にかけると脅してきたのだ。出来損ないの次男とはいえ自分の息子にだぞ。全額返すことになれば、私は船を売らなければならない」


「まあ」


二人の傍に戻って来て話を聞いていたエヴァが、小さな声を漏らす。


アルテュスは肩を聳やかせると話を続けた。


「だから一度家に戻って交渉してくるつもりなのだ。自分の条件を呑んでくれるなら考えてみてもいいという風にな」


不安そうにゴンヴァルが尋ねた。


「その条件とは?」


「第一に私は船を降りるつもりはない。父の商いは信頼できる使用人にでも任せればよい。第二に結婚相手は自分で決める。私は貴方のお嬢さん以外の女性を妻とするつもりはない」


「エヴァ、台所に行って呼ぶまで待っていなさい」


扉に向かったエヴァの耳に入ったのは、父親の怒ったような声だった。


「事情は分かりました。お話によると貴方はご両親とあまりよい関係にないように思われますが、ご家族の許に私の娘を連れて行って婚約者として紹介したいのですね。貴方は彼女の身の安全や幸福を保障できるのですか?」


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