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そこには、一番見たくない光景があった。
愛しい女は一糸纏わぬ姿で二人のベッドに横たわっていた。
そして、大きく広げられた脚の間には、浅黒い尻を剥き出しにした痩せた男の姿があったのだ。
ドアが壁にぶつかる激しい音で楽しみを中断された二人は、闖入者に驚きと恐怖に見開かれた目を向ける。
アルテュスの形相に相手が誰か分かったのだろう、すぐさま女から飛び離れた男は、ズボンを引き上げるのもそこそこに窓辺に駆け寄った。
カッと頭に血が上ったアルテュスは素早く剣を抜くと、窓枠に手をかけた男にズカズカと近付いた。
だが男を斬ろうと剣を振り上げた時、女が叫び声を上げながら二人の間に割って入った。
「彼を殺さないで!!!」
アルテュスが怯んだ瞬間を見逃さず、男は二階から飛び降りた。
着地した時に痛めたのだろう、片足を引き摺りながら逃げていく男を二人共見てはいなかった。
アルテュスは女を睨みつけた。
どうしてやろうか?
ギリと歯噛みをしながら、女の裸体をジロジロと見る。
女は真っ青な顔をして震えながらも、逃げようとはしなかった。
真っ白い胸元に点々とつけられた紅い印を目にとめたアルテュスは、怒りがメラメラと炎のように自分の身体を駆け巡るのを感じた。
「……死ぬ前に言うことはないか?」
落ち着いた声で話そうとしたが、掠れ声しか出なかった。
女はビクッとすると真っ直ぐにアルテュスを見つめた。
エメラルドのように美しい瞳に蔑むような色を浮かべて女は口を開いた。
「最後まで私のことを物のように扱うがいいわ」
「……どういうことだ?」
「娼館から連れ出してくれたことには感謝してるわ。でも結局、貴方もあそこの客とまったく同じよ。服や宝石を与えて私の身体を自由にしただけ」
「俺に抱かれるのは嫌だったのか?」
「貴方にとって私は港町の娼婦と変わらない。貴方はいつも強引で私の心なんか決して分かろうとしなかった。悲しかったけど仕方がないと思ってた。だけど貴方が私を黙らせる為にあんな嘘まで吐いてここを去って行った時、何かが壊れてしまったの」
「嘘だと?」
「そうよ。貴方が私と結婚する気なんてないこと、ちゃんと分かっていたわ。私が怒って泣くと、貴方はいつもいい加減な約束をして宥めてくれたわよね」
「ずっと俺をそんな風に見てたのか?」
女はそれには答えないで、話し続ける。
「あの人は違ったの。傍にいて私を一人の人間として見てくれた。貧しい人だから宝石なんか買えないけれど、自分の心を私にくれたの。私達は愛し合っているわ」
アルテュスは、鞘から抜いたままの剣の柄を手が白くなる程、きつく握り締めた。
胸が痛かった。
息が苦しくなり、まるで錐でも捻じ込まれたようにキリキリと痛む。
俺もおまえを愛している、そう口走りそうになった。
だが、今更そのようなことを言って何になる?
暫く黙ってアルテュスを見ていた女が口を開いた。
「殺すのだったら殺せばいいわ。私は自由になりたいの」
裸で髪も乱れ青ざめていたが、女はこの世のものと思われないほど美しかった。
この女を殺す?
俺が誰よりも愛していた、俺を裏切ったこの女を?
自分を裏切った憎らしい腹を滅多切りにする光景が頭に浮かんだ。
……血塗れになって横たわる女。
俺が誰よりも大事に想っていた…………
アルテュスは女に背を向けると剣を納めた。
「出て行け。見逃してやるから俺が10まで数える内に消え失せろ。もし10まで数えても、まだこの窓から姿が見えたら撃ち殺す!!!」
女の足音が扉に向かい、階段を駆け下りていくのが聞こえた。
アルテュスは銃を握ると窓辺に歩み寄った。
やっと女が出て来た。
白い背中を向けて、一度も振り返らないまま走って行く女に狙いを定める。
急に視線がぼやけた。
銃を構えている手が震える。
「畜生!!!」
アルテュスは怒鳴ると空に向けて発砲した。
角を生やされた哀れな男は、がっくりと部屋の椅子に腰を下ろすと頭を抱えた。
許婚に裏切られたことよりも更に彼女の言葉は身に応えた。
女は一度も謝ろうとも弁解しようともしなかった。
初めから愛などなかったのだ。
俺の腕の中で頬を染め甘い声を上げていた時も、俺が出した金の分だけ働いているつもりだったのか。
愛されていると思い込み、うきうきと婚礼の衣装など買って帰った俺はとんだ道化者だ。
アルテュスは顔を顰め、汚らわしそうに乱れたベッドを見た。
ベッドの上での女の仕草が頭に浮かび、髪を掻き毟り呻き声を上げる。
暫く座ったままきつく目を瞑り歯を食い縛り、拳を握り締めていたアルテュスは、急に立ち上がると唸り声を上げながらベッドを蹴り上げ敷布を引き剥がす。
「畜生、畜生、畜生!!!!!」
マットレスに短剣を突き刺し天蓋をズタズタに切り裂いた。
ベッドの脇に落ちていた女の服も同じ目に遭わせる。
アルテュスは荒い息に胸を波立たせながら、荒れ果てたベッドの脇に呆然と立ち尽くしていた。
やがて、不幸な男は部屋を出ると、のろのろと階段を下りた。
ずっと様子を窺っていた召使が、びくびくしながら居間に顔を出した。
「お荷物はお部屋に運びますか?」
「いや、いい。町に行って公証人を連れてきておくれ」
召使が出て行くとアルテュスはトランクの脇に膝をついた。
懐から錆付いた鍵を取り出すと重たいトランクの蓋を開ける。
自分の衣類を掻き分け、一番底から油紙に包まれた小箱と大きな包みを取り出した。
小箱の中にはエメラルドの指輪、包みの中には婚礼の衣装が入っている。
アルテュスは指輪を手に取りじっと見つめると、自分の首にかかっていた洗礼のメダルのついた金の鎖を外し、指輪を通してもう一度首にかけた。
そして立ち上がると赤い絹の衣装を腕にかけて居間を出て行った。




