3-5
……パーン!!!!
青々と茂った草原に風が吹き渡り、銃声が轟いた。
銃を構えた少年の隣に顎鬚を扱きながら立っていた男は、眉を顰めて首を振る。
「手が震えてしまいました」
的を完全に外した少年は頭を掻きながら、次の生徒にどっしりとした銃を手渡した。
余程緊張したのだろう、額に大粒の汗をかいている。
「次はエヴァンか。皆、ちゃんと見ていなさい」
教官の言葉に生徒達は、エヴァの傍にぞろぞろと近寄って来た。
だが万が一、銃が暴発することを恐れて一定の距離は保っている。
エヴァは銃を地面に立てると、注意深く木の筒から火薬を銃口に入れた。
次に詰め物の紙と鉛弾を入れる。
カルカを銃口に突っ込んで、銃身の奥に火薬と玉を押し込む。
装弾された銃を地面に立ててある支えに乗せると、火皿に火薬を入れて蓋を閉じる。
火挟みに点火した火縄を挟むと準備完了だ。
エヴァは教官が頷くのを確認すると、3フィートの距離に置かれた的に向かって銃を構える。
目を細め口を引き締め、いつもの優しい表情とは似ても似つかない厳しい顔つきである。
「撃て!」
教官の声を合図に火皿の蓋を開け、引き金を引く。
的の中心に命中したことが分かった途端、エヴァは嬉しそうな笑顔になり、銃口から細く煙を出している銃を下ろした。
「お見事!!」
教官の言葉に周りの少年達も拍手した。
「おい、エヴァン」
自分よりも頭一つ大きい少年に肩を掴まれて、エヴァは驚いて振り向いた。
「何?」
「おまえ、何であんなに銃の扱いに慣れているんだ?」
少年はエヴァの隣を歩きながら尋ねた。
「……別に、教官に言われたとおりにしているだけだけど」
反対側に別の少年が来て、エヴァは二人の間に挟まれる形になる。
「おまえ、貧乏人の倅なんだろ? やっぱり密猟とかしてたんじゃないのか?」
エヴァは立ち止まり、訝しげな瞳で二人を順番に見た。
「何が言いたいの? 銃に触れたのはここに来て初めてだったんだけど」
「嘘言うんじゃねえよ!!!」
急に大きな少年に頬をぶたれ、エヴァはびっくりして目を見開いた。
ジンジンと痛む頬に手を当てている少女をもう一人の少年が突き飛ばす。
「生意気なんだよ!! ちっとぐらい俺達よりも出来るからって威張りやがって!!!」
目にいっぱい涙を浮かべながら起き上がったエヴァは、少年達に叫んだ。
「威張ってなんかいない! 何でこんなことするの?!」
少年達は顔を見合わせると噴出した。
「何だ泣いているぞ。女々しい奴だな」
「おまえみたいな赤ん坊は、さっさと汚い家に帰って、お母さんのおっぱいでも吸っていればいいんだ」
ニヤニヤしながら近寄ってくる少年達を、怯えたように見つめながらエヴァは、それでも逃げようとはしなかった。
突然、男の怒鳴り声が上から降ってきて、逃げ出そうとした二人の少年はがっしりと首根っこを掴まれた。
自分達を捕まえた男を見上げた少年達は真っ青になる。
それは、目を合わせたら災いが降りかかると噂されている悪魔の親分だったのだ。
鍛冶屋のセラファンは二人の頭をごつんとぶつけ合わすと、乱暴に揺さぶった。
「おい、おまえら!! 今度この子に何かしたら、命はないと思え!!!」
鍛冶屋の小屋の片隅に座り、頬を水で濡らした布で冷やしながら、エヴァはぼんやりと男達の話を聞いていた。
いつもは大人しいセラファンは、興奮して逞しい腕を振り回しながらブリスとオベルを相手に喋り捲っている。
涙でよく見えなかったから、あの時一瞬、助けに来てくれたのは船長さんだと思ったの。
兄弟のいないエヴァは喧嘩をしたことがなかったし、ゴンヴァルも子供に手を上げることはなかったので、暴力を振るわれるのは生まれて初めてだったのだ。
だけど、戦になったら突き飛ばされるぐらいでは済まないのだわ。
ここから逃げ出したい、家に帰りたいという思いを打ち消すように頭を振る。
何を弱気になっているの?
お父さんを護りたいんでしょ?
自分で望んでここに来たのだから。
今更逃げ出すなんてみっともないことできないわ。
エヴァは硬い木のベンチを滑り降りると男達に近付いた。
「助けてくれてありがとう」
セラファンに頭を下げた少女の頭をオベルがぽんと叩いた。
「何かあったら絶対直ぐに俺達に言うんだぞ」
「あの糞ガキ共は、あれで懲りただろうがな」
大男の鍛冶屋はにやにやする。
「あいつら、おまえのこと泣き虫だとか言っていたが、あの泣き声を聞いたか? ちょっと小突いてやっただけなのに、あんなに怯えてちびりやがった」
三人の男が愉快そうに笑い声を上げると、エヴァもつられて笑い出す。
この人達がここにいてくれて本当に良かったわ。
私は幸せ者ね。
家にいた時もここでも、いつも親切にしてくれる人が近くにいる。
…………船長さんも。
今頃どこにいるのだろう?
お元気かしら?
海の上の生活っていったいどのようなものなんだろう?
私が船長さんのことを考えるように、私のことを時々思い出したりしてくれているのかしら?
夢見るような表情になったエヴァンを男達は心配そうに見る。
三人共、この真面目で働き者の少年をまるで自分達の弟のように可愛がっていたのである。
狭い廊下を船室に向かいながら、アルテュスは溜息を吐いた。
あれから、どうしてもエヴァのことが頭から離れないのだ。
起きている時は仕事に追われて他のことを考えている暇はなかったが、仮眠を取る為、寝床に横になると決まって少女の優しい顔が目に浮かぶ。
気を抜けば自分の体を彷徨いそうになる手を握り締め、別のことを考えようとする。
だがその夜は忘れようとしている手紙のことを思い出してしまい、我慢できず飛び起きると、シャツと脚衣を身に着け船室を飛び出した。
狭い階段を上がり、船尾楼甲板に出る。
辺りはランタンもいらないほど明るかった。
操舵手の隣に立っていたアレンがアルテュスに気付いて声をかける。
「あれ、船長? 寝に行ったんじゃ……」
「眠れない」
「でも今眠っとかないと、明日辛いですよ」
「ああ、分かってる。少ししたら戻るよ」
アルテュスは船長専用のベンチにどさりと腰を下ろすと、煌々と辺りを照らす満月の浮かんでいる空を見上げた。
もうすぐ夏とはいえ、まだ夜は空気が冷たい。
だが、アルテュスは胸を肌蹴たまま、じっと月を見つめていた。
「眠れないのは、この月の所為じゃないですか?」
傍に来たアレンが言った。
「俺は狼男か?」
航海士に視線を移した船長は白い歯を見せて笑った。
それから真面目な顔になって暗い海を見ながら尋ねる。
「速度は?」
「さっき風向きが変わったので、6ノットに落ちましたが、日が暮れてから既に40マイル程進んでいます」
「この調子で進めば、明日の昼前には敵国の水域に着くな」
暫く考え込んでいたアルテュスは、立ち上がると言った。
「朝になったら、一番に武器倉庫の点検をするように。特に銃は全て装弾しておけ」
「分かりました。おやすみなさい」
さっきは全然なかった眠気が急に襲ってきた。
大きな欠伸をしながら傾いた寝床に横たわる。
明日が楽しみだ。
意識の途切れる瞬間に思ったのは、家族でも女でもなく、明日出会うだろう敵の船のことだった。