3-2
俺は馬鹿か?!!
アルテュスは馬車を出すように命じると、座席にどっかりと座り込んで頭を抱えた。
あの娘は自分の役を見事に演じていた。
マテオは新入生のエヴァンがまさか女性で、友人が結婚しようとしている相手などとは夢にも思っていない様子だった。
なのに、何で俺はあんなことを奴に言っちまったんだ?
別れ際に思わず口走ってしまった自分の言葉を思い出し、アルテュスは乱暴に両手で髪を掻き毟った。
まるで、独占欲丸出しのガキじゃないか!!!
今朝、居間に下りると既に準備を整えたエヴァが、別れの挨拶をする為に近付いて来た。
白い大きな襟のついたシャツに小さなボタンが並ぶぴったりとした紺色の上着を着て、鼠色の膨らんだ半ズボンを穿いている。
リュカの寸法で作らせた兵学校の制服はぴったりで、どこから見ても可愛らしい少年としか見えなかった。
頭には小さな黒い帽子を被っていたが、挨拶する時にそれを取ったので、アルテュスは初めてエヴァの髪の色を知った。
「船長さん、色々とありがとうございました。時間がある時で良いですから、父のこともお願いしますね」
エヴァは明るい瞳でアルテュスを見上げて頼んだ。
『ラ・ソリテア号』の修理で足止めを食っている間、アルテュスは時々ゴンヴァルの様子を見に行くことを約束していたのだ。
食事の世話などは、少女がトリポルトの学校に行くことを聞いた近所の者がしてくれることになっている。
「ああ、心配するな。ちゃんと二日置きに様子を見に行ってやるよ」
そう言って頷いたアルテュスはマテオの方を向いた。
「エヴァンを宜しく頼む」
「安心してマテオ・ダヴォグ―ルに任せたまえ。鼻も拭いてやるし、家族が恋しくて泣いてたら子守唄を歌ってやるよ」
二人の傍に来たマテオは、ポンと自分の胸を叩くと、エヴァの肩に手を置いた。
少女は頼もしい教官を見上げると微笑んだ。
アルテュスは眉を顰める。
「この子は利口で正直そうだ。気に入ったよ」
そう言うと少女の耳を軽く引っ張った友人の手をアルテュスは思わず掴んでいた。
「あんまりベタベタ触んな」
マテオはびっくりした顔をすると笑い出した。
「何だ、何だ? まるで、嫉妬している恋人じゃないか。暫く会わないうちに趣味が変ったか?」
「たわけたことを!」
顔を顰めて二人に背を向けたアルテュスに追い討ちをかけるように、マテオが呼びかけた。
「そう言えば、前に会った時、あんなに熱心に話していた絶世の美女はどうなったんだね? まるで直ぐにでも結婚するような口振りだったじゃないか」
アルテュスは舌打ちすると、横目でエヴァの方を窺った。
少女が大きな瞳で自分の方を見ているのに気付くと、思わず大声で言っていた。
「あれは結婚するような女じゃなかった。だが、今度は間違いないぞ!!」
「おい、おい。じゃあ、別の女と結婚するのか? 貴様、本当にあの女たらしのアルテュスか? 我が国の港と言う港に恋人がいるという男なのか?」
「人聞きの悪いことを言うな!!!」
これ以上ここにいたら何を言われるか分からないと焦ったアルテュスは、さっさと暇乞いをすると友人の屋敷を後にしたのだった。
畜生、マテオの奴!!!
余計なことを言いやがって。
エヴァはあんなことを聞いてどう思っただろうか?
バンとばかり座席を拳で打つ。
そのことが気になる自分にも滅茶苦茶腹が立った。
アルテュスが慌しく屋敷を去った後、エヴァは何事もなかったようにテーブルに着いて食事をしているマテオを眺めていた。
「どうしたんだね、浮かない顔して? 学校に行くのが不安なのか?」
「いえ。あの、船長さんてそんなにふしだらな男だったんですか?」
そう尋ねた少年をマテオは面白そうに見た。
「ふしだら? ふふん、潔癖だな。船乗りは海の上では禁欲生活を強いられているからな。陸に上がると羽目を外す者が多いのだよ。それに男はそういうことを実際よりも大袈裟に自慢したがる奴が多いからな。アルテュスがそうだと言う訳じゃないんだがね。奴の話は同じ船の連中に聞いたのさ。エヴァンももう少し歳を取れば分かるようになるだろうよ」
「でも、そんな男と結婚する女の人は不幸ですよね」
「アルテュスと結婚する女は不幸になるとは限らないぞ。奴はああ見えても女には優しいからな」
首を傾げているエヴァを見ながらマテオは続けた。
「だが、家に戻れるのは数ヶ月とか数年に一度だろうから、まあ浮気はやむを得ないだろうけどな」
学校へ向かう馬車の中、マテオの前に腰掛けたエヴァは難しい顔をして考え込んでいた。
船長さんのお金で兵学校に行くなんて、私は間違ったことをしてしまったのではないかしら?
一年後、申し込みを断ることも出来る。
お父さんも私を不実な男に嫁がせようとはしないだろうし。
でも、お金を返して欲しいと言われたら、困ってしまうわ。
今すぐ、ダヴォグ―ル様に謝って、家に帰った方がいいのかも知れない。
エヴァは俯いて唇を噛んだ。
どうしよう?
その時、マテオが窓の外を指差して言った。
「ほら、あれがトリポルトの陸軍兵学校だ」
「……」
ここまで来てしまったら仕方がない。
もう後戻りはできないだろう。
馬車を止め、御者が門番と話している。
やがて、馬車は門を通ると、ガラガラと喧しい音を立てて石畳の道を進んで行った。
窓から外を覗きながらエヴァは思った。
船長さんは悪い人じゃないと思うわ。
そして、頬を染めると小さな溜息を吐いた。
あの時はびっくりしたけれど、ちゃんと謝ってくれたし。
まだ後一年もあるから。
その間に船長さんの考えが変わるかも知れないわよね。
馬車は建物の前広場をぐるりと回ると、入り口の階段の前に横付けになった。
さあ、行きましょう。
エヴァン・ド・タレンフォレストの出番だわ。
エヴァは大きく息を吸い込むと、マテオの後に続いて馬車を降りた。
扉を開けるとムッとした熱気と喧騒が襲ってきた。
アルテュスを目敏く見つけた部下が声をかける。
「おい、船長!! こっちだ、こっち」
トリポルトから戻ると、その足で港に向かい帆船の様子を見に行った。
幸いなことにマスト以外に深刻な被害はなく、一月程で修理できそうだった。
船乗り達には別の船で仕事があれば、引き止めはしないことを伝えている。
夜になると港町の酒場は賑やかになる。
酒が入った船乗り達は歌い、騒ぎ、自慢話や、猥談や怪談に花を咲かせる。
やがて派手な格好をした女に続いて一人二人と姿を消すが、女にあぶれた者達は日が昇るまで、浴びるように酒を飲み続けるのだ。
アルテュスが狭いベンチに座ると直ぐに着飾った女が隣に来た。
コルセットで胴を締め上げ、深い襟ぐりからは豊かな胸元が零れるばかり、赤味がかった金髪を結い上げ濃い化粧をした美しい女だ。
男が腰に手を回すと女は嬉しそうな顔をして、逞しい胸に寄りかかってきた。
アルテュスは上の空でむっちりとした尻や胸に触れながら、蜂蜜色の髪と澄んだ青い瞳を想っていた。
ふと気が付くと女はぴったりと自分の身体にくっついて、シャツの下に手を滑り込ませ熱い肌を弄っていた。
接吻をせがむ女を引き寄せ、仰向かせると唇を合わせる。
女は貪欲に男の口を貪り、大胆に舌を絡ませてくる。
唇が触れ合うだけの接吻で、顔を真っ赤にして目を潤ませていた娘の顔が目に浮かんだ。
アルテュスは急に女を押し退けると立ち上がった。
「悪い。別の相手を探してくれ」
そう言うとさっさと酒場を出て行く男の背中に女が叫ぶ。
「何だってんだよ。怖気づいたの? それとも、立派ななりをしている癖に、まさか不能かい?」
男達の下卑た笑い声に肩を竦めたアルテュスは、外に出ると凍った道を宿駅に向かって歩き始めた。
ふん、これで誰も俺があの娘に誠実ではなかったなどと言えないぞ。
澄んだ青い瞳を曇らせたくなかった。
それに、とアルテュスは思った。
何故かあの娘に悪く思われたくないんだ。
どうしてだろう?
愛などない結婚相手の筈なのに?




