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竜騎兵と花嫁  作者: 海乃野瑠
第3章 陸軍兵学校
12/90

3-1

男は狭い座席の上で窮屈そうに身動ぎすると、前に座っている少年の視線を避けて曇った窓を擦り外を覗こうとした。


いや、少年ではない。


少年の格好をした少女である。


寒くないようにと何枚も重ね着をしている所為で、コロコロと太った子供のように見える。


澄んだ大きな青い瞳と寒さで赤くなった頬が、縁に毛皮のついた帽子と襟巻きの間から覗いている。


男は先程から少女が自分の方をチラチラと見ているのに気がついていたが、知らん振りをしていた。


伸ばした脚が少女の膝に触れそうになり、男は苛立たしそうに舌打ちすると座席を蹴った。


少女はビクッとすると座席の隅に縮こまる。


アルテュスは自分自身に腹を立てていた。


なんでまた、あのような余計なことをしてしまったのだろう?


あれから、今朝トリポルト行きの馬車に乗るまで、一度だけ代書人の家に行ったが、エヴァは以前のような明るい笑顔を見せなかっただけではなく、アルテュスの方を見ようともしないで自分の部屋に引っ込んでしまったのだ。


怯えさせてしまったのか?


それとも、嫌われてしまったのだろうか?


まあ、どちらでも構わないが。


アルテュスは肩を聳やかすと、膝に手を置いてじっと俯いているエヴァを皮肉な目付きでじろじろ見た。


どうせ愛などない結婚相手なのだから。


その時、エヴァが顔を上げた。


「あの……」


続きを促すように男が片方の眉を上げると、少女は決心したようなきっぱりとした口調で言った。


「私の為に色々してくださってありがとうございます。ここからは私一人でも行けるので、もし船長さんは用事があるのなら……」


アルテュスの鋭い目付きに、エヴァの声は段々小さくなり、最後の言葉は馬車の立てる騒音に消されてしまう。


「俺が一緒に行くのは迷惑か?」


エヴァは慌てたように手を振った。


「そんなことありません! ただずっと怒っていらっしゃるみたいだったから、私を連れて行くのが面倒なのかなと……」


アルテュスは力を抜いて座席の背にもたれると、いくらか表情を和らげた。


「いや、面倒などとは思っていない」


それから溜息を吐いて、エヴァの方を見ながら口を開いた。


「この間は悪かった。貴方の許可なしに二度と手を出したりしないと誓うから、機嫌を直してくれないか?」


エヴァは薄暗い馬車の中でもそれと分かるほど真っ赤になると、小さく頷き震える右手をアルテュスに差し出した。


自分の手にすっぽりと納まる小さな手を握りながらアルテュスは、ほろ苦い気持ちになった。


俺は軽はずみなことをやって、何か大事なものを壊してしまったのかも知れない。


初めて会った時のような無垢な瞳でこの少女が俺を見ることはもうないだろう。


そして、とアルテュスは照れるような微笑を浮かべたエヴァを見ながら考える。


どうやら余計なものを呼び覚ましてしまったようだ。


媚を含んだと言うには青い瞳は清楚過ぎた。


アルテュスを男として意識し始めた眼差しとでも言えばいいのか。


今までとは違ってアルテュスは、少年の姿をしているにも拘らずエヴァに女を感じたのだ。


だが、この娘の手はまるで子供の手のように温かいぞ。


そう思ったアルテュスは何故かホッとした。




ガラガラと騒がしい音を立てて走る馬車の揺れに身を任せながら、エヴァは安堵していた。


自分が怒っているつもりだったが、それよりも更に怒っているように見える男にどう接していいのか分からなかったのだ。


出会ったその日に結婚を申し込んできたこの大男はエヴァにとって謎であった。


認めたくはなかったが、少しばかり恐れてもいた。


直ぐ近くには御者がいるとは言え、密室に二人きりなのは変らない。


隙を見せないようにしなければと思い、ずっと緊張していた。


だが男は出発してから一度も少女に話しかけなかったし、顔も見たくなさそうだった。


その態度にエヴァは少しばかり傷ついていた。


だから男が素直に謝ってきた時、すぐに許してやる気になってしまったのだ。


気まずい沈黙を避ける為、アルテュスはこれから向かうトリポルトの町について話し始めた。


ティアベから一歩も出たことのないエヴァにとっては、馬車半日の旅でさえ、世界の果てにでも行くような気分だった。


初めはぎこちなかった少女も、話しているうちに以前のように打ち解けてきた。


「トリポルトに着いたら知り合いの屋敷に向かう。マテオ・ダヴォグールという男で、貴方が行く陸軍兵学校の教官を務めている。俺の兵学校時代の悪友なんだ」


「では、船長さんは陸軍兵学校に行かれたのですか?」


エヴァが首を傾げるとアルテュスは可笑しそうに口を曲げた。


「いや、俺達が行ったのはベガレストの海軍兵学校だ。入学して最初の3年間は船には乗れないんだ。だが、あいつは4年目になっても船に乗れなかったのさ」


「まあ、どうして?」


「酷い船酔いで立ち上がることもできず、航海中ずっと寝たきりで過ごしてたら、水夫は務まらんだろ」


「船に乗ったら病気になってしまうってことですか?」


「ああ、普通は徐々に慣れるのだろうが。船酔いしていたのはあいつだけではなかったしな。だが、マテオは、あんな思いは二度と御免だと初めての実習の後、陸に上がると休暇を取って家に帰っちまったんだ」


「学校を辞めようとして?」


「海軍兵学校から陸軍兵学校に転校する手続きの為だ。普通はそんなことはできないんだが、あいつは皆を上手く丸め込んでしまったらしい。恐ろしく口が達者な奴だからな」


「商人になれば良かったのにね」


「そうだな。口が減らない生意気な奴だが、信頼できる男だ。困った時は頼りにするといい」


少女は頷くと、男が行った学校について語ってくれるように頼んだ。


エヴァは興味深そうにアルテュスの話を聞いていたが、仲間達とやった数々の悪戯の話は特に彼女を面白がらせた。


腕白小僧達が持ち込んだ兎に驚いた教官が海に飛び込んだ話には、涙を浮かべて笑い転げた。


「何故、兎が怖かったのかしら? 兎ってとても大人しくて可愛いわよね?」


袖で涙を拭きながらエヴァが尋ねた。


「兎は麻が好物なんだ。帆船の縄と水漏れを防ぐ為に船板の間に詰める繊維も麻で出来ている。あちこち齧られたら船は沈没しちまう。だから兎は船乗りには不吉な動物と見られて恐れられているのだ」


エヴァは可笑しそうに笑い声を立てた。


アルテュスのような大男が小さな兎を怖がって震えている様子は、想像するだけでも滑稽だった。


「船長さんも兎が怖いの?」


「いや、だが俺も自分の船の上には兎を連れて行ったりしないぞ。船乗りの間では兎という言葉も禁句で『耳の長い動物』と呼んでいるようだ」


「では、船長さんが怖いものは一体何かしら?」


青い瞳を悪戯っぽく輝かせてそう尋ねた少女をアルテュスはじっと見つめた。


自分の気持ちを制御できずに、また女に恋しちまうことだろうか?


「さあ? この前の嵐の時は流石に肝を冷やしたがな」




馬車がトリポルトの城壁を越え、町の外れにあるマテオ・ダヴォグ―ルの屋敷に向かう頃には、辺りは既に真っ暗だった。


少しずつ日は長くなっているのだろうが、まだはっきりと分かるほどではない。


屋敷では二人の到着を待っていたようで、馬車が中庭に入って行くと、数人の召使が松明を掲げて走り出て来た。


馬車の扉を開ける前にアルテュスは、窓に踊る松明の明かりでぼんやりと見えるエヴァの方を向いて言った。


「エヴァ、この馬車を降りたら貴方はエヴァンだぞ」


「はい」


「ばれないように男らしくしろよ」


その声の調子から男が微笑んでいるのに気付いたのか、少女は笑いながら答えた。


「分かっています」


アルテュスが扉を開くとエヴァは、手を借りずに男の後から身軽に飛び降りた。


召使に案内されながら階段の方へ歩いていたアルテュスは、後ろのエヴァを振り返って白い歯を見せた。


「元気なのは良いが、怪我するなよ」


「お気遣い頂きありがとうございます!」


立ち止まって元気な声でそう答えた少年は、ぴょこんと頭を下げた。


「行くぞ」


その様子に満足そうに目を細めたアルテュスは、屋敷の階段を上がり始めた。


扉の横には松明を掲げた召使が畏まっている。


案内された部屋にはどっしりとしたテーブルがあり、暖炉には赤々と火が燃えていた。


二人が外套を脱いで寛いでいると、いきなり扉が勢い良く開かれ若い男が入って来た。


「アルテュス!!」


「マテオ!」


エヴァは傍に立って、二人の大男が抱き合って肩を叩き合うのを目を丸くして眺めていた。


「……ッ!! 何しやがる!!!」


頬を押さえながらアルテュスが喚くと、マテオはゲラゲラと笑い声を立てる。


「ハッハッハ!!! 許せ。貴様が幽霊じゃないか確かめたんだ」


「幽霊だと? おい、おまえの目は節穴か? 俺が血の通った人間に見えないのかよ」


「だけど、ほら、よく聞くじゃないか。海で溺れた船乗りの妻の許に生前と変らぬ姿の夫が現れて……」


「俺はおまえの夫じゃないだろ!!!」


「口が減らない奴だな。俺が女でも貴様のような野蛮人は御免だわ。ラテディム海のオーガ殿」


そう言って優雅な礼をしたマテオをアルテュスは呆れたように見た。


「どっちが口が減らないんだ。相変わらず騒がしい奴だな」


その時、アルテュスの後ろに立っているエヴァに気付いたマテオが言った。


「そして、これが貴様の秘蔵っ子という訳か」


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