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竜騎兵と花嫁  作者: 海乃野瑠
第2章 代書人の娘
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2-6

数日後、アルテュスは『ラ・ソリテア号』の見習い水夫を連れてゴンヴァルの家に向かった。


リュカはまだ13歳だが、はしっこくてよく気が利くので、船乗り達にも重宝されている。


幼い頃に両親を亡くし、伯父の家に引き取られたが、子沢山の伯父と伯母にこれ以上迷惑をかけたくないと言って家を出た冒険好きな少年だ。


1年間のある日、海に憧れて田舎からティミリアまで一人で馬車を乗り継いでやってきたのだった。


港で雇ってくれる船を捜してうろうろしていた所を運よくメレーヌの目に留まり、『麗しのマリルー号』の見習い水夫となった。


「……でも、船長。こんな朝っぱらから一体どこに行くのですか?」


リュカが息を弾ませながら、前を歩くアルテュスに尋ねる。


「おまえじゃなけりゃ務まらない任務だ」


そっけない返事に少年は想像を膨らます。


普段は船長に直接話しかけられるようなことは滅多にない。


まして特別な任務を命じられるようなことも。


リュカは、溺れ死んでしまったもう一人の見習い水夫を思い浮かべた。


トマズの魂が安らかに眠れますように!


『ラ・ソリテア号』の周りをうろついて、船を海底に誘き寄せたりしませんように!!!


あまり親しくはなかったが、ずっと一緒に暮らしていた仲間が死んでしまうのはかなりショックだった。


リュカは噂話の好きなトマズから船長が貴族出身であることを聞いていたのだ。


もしかして、王様の宮殿に密使として送り込まれるのかも知れない。


船乗りになることと共に、いつかは宮廷に出入りすることがリュカの夢だった。


この任務を果たせば、思ったよりも早く出世できるかも知れないぞ!


少年は自分の前を歩く大きな背中を見上げながら、夢見るような笑顔になった。




雪が凍ってザクザクと音を立てる道を歩きながら、アルテュスは昨夜、帰り際にエヴァの父親に言われたことを思い出していた。


ゴンヴァルは立ち上がったアルテュスを近寄るようにと手招くと、娘に聞かれない様に低い声で言ったのだった。


「貴方が本当にエヴァと結婚するつもりなら、その誓いの話はあの子には言わないと約束して欲しい」


アルテュスが問いかけるように代書人の顔を窺うと、ゴンヴァルは頭を振って寂しい笑いを漏らした。


「優しくされたら、あの子は幾許もしないうちに貴方に恋してしまうでしょう。このような話はすぐに断るべきだったのかも知れない。だが、私がいなくなったら、エヴァはどうなってしまうのだろうといつも不安でした。だから、もし貴方が本当にあの子を幸せにしてくれるのなら、私も肩の荷を下ろすことができます」


アルテュスは絶対にエヴァを幸せにすることをその父親に堅く約束したのだった。


本当に幸せになるかどうかは分からないがな。


アルテュスはもう一人の女を思い出してしまい、苦々しい気持ちになる。


女の気持ちほど不確かなものはないのだから。


とにかく何不自由のない暮らしだけは保障するぞ。


エヴァの元気な笑顔や、正直そうな眼差し、はきはきとした物言いは好ましいと思ったし、病気の父親を助けて働く健気な娘をいじらしいとも思った。


澄んだ青い瞳も、薔薇色の頬も、可愛らしい唇も愛しく思える。


だが、それはエヴァを女として見ていないからではないのか?


自分は子猫や子犬を見るような目であの娘を見ているのではないか?


質素な身なりの所為もあって、そのほっそりとした姿とぴったりとした胴着に包まれた慎ましい胸は、男の欲情を誘うことはなかった。




エヴァが兵学校に行きたいなどと突飛なことを言い出した時、アルテュスはそのことをゴンヴァルほど驚かなかった。


港から家までの道でエヴァはアルテュスに様々な質問をした。


特にアルテュスの持っている武器について詳しく聞きたがった。


不思議に思ったアルテュスが訳を尋ねると、エヴァは真面目な顔をして答えたのだった。


「父は職業も宗教も関係なく頼まれた仕事を引き受けています。ティアベは今のところ安全に見えるけど、戦は終わっていないのでしょう? 父のお客様からそのような話を聞きました。その方は父が安易に仕事を引き受けていると、いつか危険な目に遭うだろうと言っていました。でも父はそれが自分の仕事だからと言って、止めようとしないのです。だから、万が一、父を襲おうとするような者がいたら、護ってあげることができないかと思って」


「確かに南部では頻繁に小規模の争いや虐殺が起こっているらしいが。この地方もいずれ巻き込まれてしまうのか、それは俺にも分からない。だが武器を持った兵に抵抗しようとしても無駄ではないのか?」


「では、家畜のように黙って殺されろと?」


アルテュスは顔を赤くして叫んだ少女を宥めるように言った。


「銃を一丁貸してやっても良い。撃ち方も教えよう。気休めにしかならないと思うがな」


エヴァは頷くと、ホッと溜息を吐いた。


「元は同じ神を信じているのに、何故、殺し合ったりするのでしょうね?」


「それは、この戦が宗教だけが原因ではなく、貴族達の党派争いであると共に、隣国との諍いにも関係しているからだ」


「王様には止められないの?」


アルテュスは口を開きかけたが、余計なことは話すまいとでも言うように黙ったまま頭を振った。




部屋から出て来たエヴァを見たアルテュスは愉快そうに笑い声を上げた。


「まるで兄弟のようだぞ」


少女はリュカの一張羅のシャツと上着を身に着けていた。


髪は服の中に隠し、黒い布の帽子を被っている。


帽子だけは父親の物だった。


リュカの隣に立つと丁度同じぐらいの背丈で、大きな青い目がそっくりで、アルテュスが感心したみたいに兄弟のようだった。


リュカは驚いた顔をして、ちらちらと隣の少年を見ると、問いかけるようにアルテュスを見上げた。


暖炉の前の椅子に座ったゴンヴァルは、二人の少年を見ながら複雑な顔をしている。


「やはり、エヴァ……」


「今日から貴方の名はエヴァン・ド・タレンフォレストだ」


アルテュスはゴンヴァルを安心させるように言った。


「トリポルトの陸軍兵学校には、私の親友のマテオ・ダヴォグ―ルが教官として勤めている。明日、私はトリポルトに行って、彼にエヴァンのことを頼み、入学手続きを済ませて来る」


「でも、もしばれたら……」


「入学手続きはリュカに行ってもらう。そうすれば、身体検査で引っかかるということもなかろう」


リュカは何やら秘密の匂いがする話に耳を欹てている。


「リュカ」


「はい!」


「聞いたとおりだ。明日はおまえはエヴァンの代わりに俺と兵学校に向かう。へまはするなよ」


「はい!!」


リュカは興奮して踊り出しそうに見えた。


これは、大役だぞ!!


大人しく立っている少年は、船長の言っているように、船長の親戚ではないだろう。


リュカはエヴァをしげしげと見ながら考える。


随分、育ちの良さそうな……


まるで女のように見えなくもないぞ。


誰か有力な貴族の子息だろうか?


まさか、……王族っていうことはないよな。


とにかく、これは見習い水夫リュカの出世への第一歩だ!!!




数日後、代書人の家に戻ったアルテュスは、エヴァン・ド・タレンフォレストが、無事トリポルト陸軍兵学校の生徒となったことを告げた。


「年が明けたら、学校に連れて行こう」


ゴンヴァルはまだ迷っているような顔をしていたが、エヴァが嬉しそうに目を輝かすのを見ると、仕方がないという風に頭を振った。


「船長殿、娘をよろしく頼みます」


そう言って頭を下げたゴンヴァルにアルテュスは頷いた。


台所に引っ込んだエヴァが暫くすると男達を呼びに来た。


「お食事の支度ができました。お父さん、船長さんが色々持って来てくださったので、今夜はご馳走よ」


男達が席に着くと、少女は木の器に肉の塊がごろごろ入ったシチューを注いだ。


いつもの水のようなキャベツと蕪のスープとは豪い違いだ。


厚めに切られた白パンはふわふわととても美味しそうだった。


育ち盛りの子供のような食欲を見せるエヴァを面白そうに見ていたアルテュスは思った。


こりゃ、気持ちのいい程の食欲だな。


元気の良い娘だ。


働き者だし、料理の腕も確かだ。


それに見た目も大層可愛らしい。


この娘を妻にする男は幸福者だと言われるのだろうな。


俺はもう誰も愛さないと誓ったが、恋愛感情がなくてもこの娘を大事にしてやりたいと思う。




食事が終わり、帰る為に立ち上がったアルテュスを見送りにエヴァは一緒に玄関に向かった。


扉を開けると、冷えた空気が家の中に入ってきたが、エヴァはショールにしっかりと包まってアルテュスの後から外に出た。


「まあ、綺麗な三日月!」


珍しく晴れた空には漉したクリームのような色の三日月が浮かんでいる。


「今度、会う時は男の姿だな」


アルテュスは月明かりに白く浮かび上がる少女の顔を見下ろして言った。


少女の青い瞳はこの明かりの中では暗く深い海を思わせたが、月の光が反射してキラキラと輝いて見える。


「ええ。わくわくするわ」


アルテュスはそう言って笑ったエヴァを思わず引き寄せていた。


「まだ、貴方のお父さんに許された訳ではないが」


きょとんとした少女をまるで猫のようだと思いながら、アルテュスは屈み込むとそっと唇に接吻を落とした。


エヴァの唇は柔らかく瑞々しく弾力があり、自分の胸の中に欲望の炎がちらと点ったのを感じたアルテュスは慌てて娘を放した。


「風邪をひく。家に入りなさい」


「……」


顔を真っ赤に染めて目を潤ませたエヴァは、男の方を見ずに小さく頷くと急いで家に入った。


アルテュスは、閉じられた扉を見つめ溜息を吐いた。


それから、肩を竦め家に背を向けると凍った道を港に向かって歩き始めた。


エヴァは扉に寄りかかってしゃがみ込み、火照る頬に震える両手を当てて、ザクザクと遠ざかる足音に耳を澄ませていた。


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