2-5
夕食の後、ゴンヴァルは客を書斎としている自分の部屋に案内した。
部屋の奥にある小さな暖炉には火が赤々と燃え、二人の影を壁と天井に映し出している。
扉側の壁には一面に本棚があり、書物がびっしりと並んでいた。
反対側の壁には木の戸がついた小さなベッドが嵌めこまれている。
ベッドの横には天井まで届く程の大きな戸棚があった。
ゴンヴァルは暖炉の左側にある机に向かって、杖を突きながらゆっくりと歩いて行く。
やっと暖かそうな毛糸のクッションが詰まれた椅子に腰掛けた代書人は、机の上に紙を広げ鷲ペンを手に取った。
そして、前に座ったアルテュスをじっと見るとおもむろに口を開いた。
「先程からお話を伺っていると、どうやらちゃんとした教育を受けた方と思えます。手紙などご自分で書けるのではないですか? 手紙は口実でしょう?」
不意打ちを食らったアルテュスは慌てて答えた。
「いや、手紙を書いてもらいたいのは事実だ。貴方に話があるのも本当だが」
代書人は静かな眼差しでアルテュスを見ると言った。
「では、先にお話を伺いましょう」
そのように促されて男は、仕方なく小さな溜息を吐くと話し出した。
「なんですと?!!」
正面に座った小柄な男に娘そっくりの青い瞳で見つめられ、アルテュスは居心地悪そうに硬い椅子の上で身動ぎした。
まるで悪戯を叱られているガキのようじゃないかと苦々しく思いながら、意図せずとも硬くなってしまう口調で今言ったことを繰り返した。
「お聞きになった通りだ。ゴンヴァル殿のお嬢さんを頂きたい」
「……それは、どういう意味でしょうか?」
ゴンヴァルは心底驚愕した顔で恐る恐る尋ねる。
まさか手紙を書いてもらいに来た男の話がこんな内容だとは、思ってもいなかったのだろう。
「お許し頂けるなら、妻に迎えたいと思っている」
「……私の娘を前からご存知で?」
「いや、今日初めて会ったのだが……」
眉を顰めて黙り込んでしまった父親を見ながら、アルテュスは説明を試みる。
「急に見も知らぬ男にこんなことを言われて、さぞ驚かれたことと思う。だが、ある事情でこの町で始めて会った女性を妻にするという誓いを立ててしまったのだ」
「何もうちの娘ではなくても、貴方の申し込みを喜んで受ける女性は大勢いるのではないですか?」
「入港して初めて見たのが貴方の娘だったのだ」
ゴンヴァルは、アルテュスをジロジロと観察しながら口を開いた。
「そんなことを急に言われても、はいそうですかと娘を差し出す訳にはいきません」
「私は私掠船の船長として家族を養える位の金は稼いでいる。妻には生活に不自由しないだけの金を与え、一生大事にすると誓う」
「船乗りは浮気性と聞きます。貴方がそうか知らないが、私はあの子を不幸にしたくない」
「他の者のことは知らない。だが私は妻が誠実である限り、絶対に悲しませるようなことはしないと約束する」
アルテュスはゴンヴァルの方に身を乗り出すと熱心に言った。
「初めに会う女性がどんな人かと不安だった。それが貴方のお嬢さんで、自分はとても幸運だと思っている」
物思いに沈んでいたゴンヴァルは、やっと顔を上げアルテュスを真っ直ぐ見ると言った。
「どちらにしても、エヴァはまだ若過ぎる」
「確かに小柄だと思ったが、歳は幾つなのか?」
「夏の終わりに15歳になりました」
「では、結婚は1年後ということで、約束だけでもしてもらえないだろうか?」
父親は溜息を吐いた。
「1年後に貴方の考えが変わっていなかったら、この話を受けるかどうかお答えするということにしてください」
アルテュスは急き込んで言った。
「私の考えは絶対に変らない。1年後も10年後も」
そして、立ち上がり懐から財布を取り出すと、机の上に置いた。
「これを納めて欲しい。金貨200枚が入っている」
ゴンヴァルは頭を振ると、重たい財布を押しやった。
「受け取れません。娘は売り物ではない」
アルテュスはもう一度ゴンヴァルの方に財布を差し出すと言った。
「そんなことは思ってもみなかった。この金でお嬢さんに教育を受けさせて欲しい」
「しかし貴方にそのようなことをしてもらう義理は……」
「私はこれを投資と考えている。1年後に貴方が反対しても、無理矢理結婚しようなどとは思っていないから、安心して欲しい。そうしたらまた2年後に同じ願いを繰り返すだけだ」
そう言ってアルテュスはニヤリとした。
その時、軽くノックの音がして、台所を片付けていたエヴァが扉の隙間から顔を出した。
二人の男は口を噤むと、少女が差し出した熱い酒の入ったコップを受け取った。
部屋を出て行こうとしたエヴァにゴンヴァルが声をかける。
「エヴァ、ちょっとこっちに来て座りなさい」
難しそうな顔をした父親を驚いたように見ると、少女は足元の小さな椅子に腰掛けて前掛けの皺を手で伸ばした。
その問いかけるような眼差しを暫く避けていたゴンヴァルは、咳払いをするとやっと娘を見て口を開いた。
「……エヴァ、実はこのお方がおまえを妻に欲しいと仰っているのだが」
エヴァは余程びっくりしたようで、目と口をぽかんと開けたまま固まっている。
それから夢から醒めたような顔をして、ゴンヴァルとアルテュスの顔を順番に見て呟いた。
「船長さんが? 私を? ……やっぱり頭がおかしいのかしら?」
澄んだ瞳に見つめられアルテュスは苦笑いをした。
「狂ってはいないぞ。真面目に貴方と結婚したいと思っている」
「でも、どうして……」
ゴンヴァルが遮った。
「1年後に彼の考えが変わっていなければ、考えてみてもいいと答えた」
「絶対に変らないと誓う」
代書人はそう答えた男を冷たい目で見ると言った。
「貴方はそんなに簡単にあれこれ誓うことを止めた方が良いでしょう」
それからエヴァの方を向いて言った。
「おまえを学校にやって欲しいと言われている」
エヴァはパッと目を輝かせたが、直ぐに真面目な顔になる。
「お父さんを一人にはできません」
アルテュスが机の上の財布を指して言った。
「この金で誰か面倒を見てくれる者を雇えないだろうか?」
「私は寝たきりではないので、通いで家事をしてくれる人はすぐ見つかると思いますが」
「でも、お父さん……」
「おまえはこの町から一歩も外に出たことがない。私がもっと元気だったら一緒に旅をすることもできただろうが。私が教えられることは教えてきたつもりだが、この機会に外の世界を見に行くのはとても良いことだと思う」
「だけど……」
ゴンヴァルはアルテュスを見て言った。
「学校と言ったら修道院ですかね?」
「修道院ならトリポルトにあるだろう。だが修道院に入ってしまったら外の世界など見ることはできないのではないか?」
「今更、刺繍などを習ったって面白くないかも知れませんね。でも女が行く学校と言ったら修道院しかないでしょう?」
エヴァは思わず立ち上がっていた。
「あの、……」
二人の男が少女を見た。
「私、修道院ではなくて兵学校に行きたいのですけど」
「何だと?!!」
ゴンヴァルはとんでもないと言うように叫んだが、アルテュスは少女を面白そうに見た。
「女の身で兵学校に入るのは無理だろう。男装でもするつもりか?」
「ええ。駄目かしら?」
「エヴァ、何を言い出すんだ? 駄目に決まっているだろう?!!」
「何故、兵学校などに行きたいのだ?」
「お父さんと自分の身を護れるぐらい強くなりたいの。それから馬に乗りたいわ」
アルテュスはぴったりとした頭巾に包まれたエヴァの優しい顔を見ながら考えた。
まだ髭も生えていない少年と言ったら通用するのではないか。
歳を偽って入学することはできるかも知れぬ。
その時、よい考えが頭に浮かびアルテュスは両手を打ち合わせた。




