第8話 成り行きと弟
「眼鏡……」
「ゴメン。マジでごめん」
人気も落ち着いたロビーで、メイタロウはレンズの四散した己の眼鏡を見つめて座り込んでいた。
結局割れた……。
ケンカを華麗に仲裁したはいいが、去り際ポニーテールの彼女は自分の足元をまったく見ていなかった。
嫌な予感がしたのだ。
今日は、というか昨日の夜からあんまりいいことが起きていなかったから。
でも一つしかない眼鏡を踏み砕かれるとは思わなかった。うう、一つしかなかったのに……。
女性はとても気にした様子で、しきりに謝っている。
「ほんとゴメン。余計なことしちゃったね、あたし」
さすがに申し訳なくなって、メイタロウはよたよたしながらも立ち上がった。
「いや、いいんだ。この眼鏡だってほとんど伊達みたいなものだったから、気にしないで。家に帰ったら外してるし。……それより、間に入ってくれてホントにありがとう」
そうだ。眼鏡を割られたことよりフブキを追い払ってくれたことの方が重要だ。
この人がいなければ、まさに一触即発の状況だった。
「ううん、どうってことないって。あたしはロド。ロド・フェイデ・ルメギア。眼鏡代を請求したくなったら、ここまで請求書を送って」
そう言いながら彼女は、自分の名前と住所を書いた紙を差し出した。
ロド・フェイデ・ルメギア。変わった名だ。
いいのかな。女性から住所なんてもらっても。
ああでもこれ、聞いたこともないような国の住所だ。
長いからロドって呼んで、と彼女は言った。
そのロドに、メイタロウは慌てて紙を突っ返す。
「眼鏡のことはホントに大丈夫だから。ほら君、旅の魔術師でしょ? 大会に参加するんだよね? 今回の大会は開催期間が長いから滞在中のお金が無くなっちゃうよ」
「ああ、うん。そのつもりだったんだけど、あたしはもうこの街を出るよ」
「え? なんで?」
「エントリーに間に合わなかったの」
どうやら一人旅の途中だった彼女は、たまたまとなり街で大会のチラシを見てここまでやって来たらしい。
しかし下の方に小さく書かれていたエントリー受け付け時間は読み飛ばしていたようだ。
残念だが仕方ない。
そうだ。一人ではまだ受け付けをしているペアの部にも出られない。
そう、一人では。出場条件は二人一組なんだから。
突然、ロドがキラキラした目でこっちを見た。
いや、この短時間で知ったが彼女は感情をそこまで表に出すタイプではないから言うなればキラとした目で、こっちを見ていた。
「……なに?」
「もしかしてお兄さん、まだ大会にエントリーしてない?」
「あ、ああ」
そう答えるや否や、腕をグイグイ引っ張られる。この人やたら力が強い。
グイグイ引っ張られ、一気に運ばれていく。
『ペアの部受付け』と書かれたカウンターの前まで。まさか。
「すいません。出ます、ペアの部。あたしとこの人」
「ちょ、ちょっと僕は……!」
「ああそうだ。お兄さんのお名前は?」
「メ、メイタロウだけど」
「そう。じゃあ、ロド・フェイデ・ルメギアとメイタロウで選手登録を」
「ああ、ちょっと待ってって!」
腕をつかまれあたふたしている内に、強引に選手登録が進んでいく。
確かにこんな所まで来て大会に出られないこの人には同情するし何とかしてあげたいと思う。
しかしメイタロウはフブキの言った通り、魔術の試合には出られないのだ。
出たとしても……。
力強いロドの腕から逃れようとしててんやわんやする。そして強引に腕を振りほどいた反動で、思わずその場にドスンとしりもちをついてしまった。
そのときだった。
空気の流れが変わるのを、メイタロウはその肌で感じた。
「なーにやってんの、兄貴?」
聞こえた声は、まるで心をつつく針のようで。
思わずその場で固まってしまった。床についた指先が震える。
反対に、周囲にいた女性達は熱を帯びたような声で叫んだ。
「見て! スオウ様よ!」
「きゃあああ! 本物よ!」
叫びの向こうで、嬌声の対象は涼しい顔をしている。
メイタロウと同じ、シルバーブロンドの髪がさらさらなびいた。
そのまま女性達を無視して、彼はまっすぐこちらへ歩いてきた。
そして、しりもちをつくメイタロウに差しのべられた白い手。そこにはある組織の紋章を描いたバングルがはまっている。
床に座り込んだまま、その手を取れないでいる自分がいた。
いつの間にか、人の流れがここに集まっていた。
遠巻きに見つめる女性達がヒソヒソと何か囁いている。
あまりの恥ずかしさに、思わずフレームだけになった眼鏡を握りしめた。
同じような顔に見えるだろう、端から見たら。手を差しのべている者と差しのべられている者は。
違いと言えば彼の目の下の黒子くらい。
他人から見たらうり二つのはずだ。昔からずっとそう言われてきた。
だが二人には決定的な違いがあった。
メイタロウに手を差しのべる、このスオウという青年。
メイタロウを兄貴と呼んだ唇が、自信ありげに微笑んでいる。
切れ長で鋭い目。そこに宿る才気に満ちた光。
銀髪の隙間からピアスがキラリと輝いた。
まるでその光が届いたように、ますます頬を染め囁き合う女性達。
ほら、こんなに違う。血のつながった『兄』と『弟』と言えど、全く違うじゃないか。
弟……スオウの手を借りず自力で立ち上がって、メイタロウはぽんぽん服をはたいた。
「……帰ってきてたんだな、スオウ」
「ああ。久しぶりだね、兄貴」
何気ない言葉一つ一つが、やけに胸に刺さった。
しかしメイタロウの心を知ってか知らずか、屈託のない笑顔のまま弟は言葉を続ける。
「こんな所で何してるの? 床に座り込んだりして」
「あたしと組んで大会に出るの」
スオウの疑問には、代わりにロドが答えてくれた。
初めてスオウが呆気にとられたような顔をした。突然ひょいと会話に入り込んだ謎の女性に。
ロドはそのままスオウをじっと見つめる。
メイタロウも呆気にとられた。
この女性は一体何者なのか。
スオウを前に一歩も引かないなんて。
スオウは傍から見ればただのチャラついた若者だ。
ただ目の前に立たれたときは違う。
『導師院』に所属する魔術師が持つ、魔力の高さから来る威圧感。
同じ魔術師だからこそ、その力の差に気圧されるのだ。
兄の自分でさえ、目を合わせるたび緊張が走る。
それをあんなにじいっと見つめるなんて、彼が手首に着けている導師院のバングルが見えないのだろうか。
スオウはスオウのほうで、ロド、メイタロウ、そしてペアの部受付けの看板を順番に眺めて、得心が行ったように頷いた。
頷いて、そしてメイタロウに向けて微笑む。
「ペアの部……。でもやっと、兄貴も大会に出られるようになったんだね」
その言葉に、兄はただ黙るしかなかった。
「あ、ああ……」
思わず返した煮え切らない返事にスオウは小首を傾けたが、
「まあいいや。パートナーのお嬢さん、兄貴をよろしく」
爽やかにそう言うと、人垣の向こうへと去っていってしまった。
後には終始表情が変わらなかったロドと、ひたすら眼鏡を握りしめるメイタロウが残された。




