第23話 向こう岸まで2
対岸に広がる光景に、メイタロウはただ息を飲んでいた。
淡い明かりを灯らせていた競技魔術用ドーム。そのガラス越しに、赤い光が見えたのだ。そしてそれは一瞬にしてその天井を吹き飛ばし、天を高く焦がす炎の柱となった。
青年はその目を疑うしかなかった。
大会の会場であるドームの上から火柱が上がっているのだ。
そしてそこでは今、要人や選手達を集めたパーティーが開かれているはずだった。
目の前の光景に、ロドもメイタロウもしばらく呆然としていた。
しかし火の手が上がったということは、思い当たる原因は一つ。……市長の暗殺が実行されたのだ。
それが頭に浮かんだ瞬間、メイタロウは思わず手の中の杖を握りしめていた。
先生……。リン先生が……。
「メイタロウ、まだ間に合うよ。行こう」
いち早く目の前の光景のショックから回復したロドが言う。
メイタロウは声もなくそれに頷いていた。
頷いたが、今最大の問題は、ここからは向こう岸に橋が架かっていないということだ。
陸づたいに橋のある場所まで行くとするなら、かなりの時間がかかってしまう。その間にドームは燃え落ちるだろう。
しかし、
「あれを使おう」
ロドが川岸に引っ掛かっていたヨットを指す。
打ち捨てられた物のようだが、船体は傷だらけでも帆はまだしっかりと張っていた。
メイタロウは慌てて頷き、彼女と一緒にヨットに乗り込んだ。
そう、例え橋が架かっていなくても、船さえあれば魔術師には川を渡る方法がある。少し荒っぽいやり方になるが。
「ウインド」
「ウェイブ!」
ロドが風を起こし、メイタロウが波でヨットを運ぶ。帆が破けるほどに張り、大波に船体が軋んだ。
自然状態のこの場所では中々起こり得ない激しい風と波の会わせ技に、ヨットは恐ろしい速度で川を横断する。
乗っている二人も気を抜けば船外に投げ出されそうだ。
しかし今はそんなことを気にしていられなかった。早く早くと焦る気持ちと、待ち受けるものへの恐れに分離した胸が騒いだ。
これから何を見ることになっても。今はただ向こう岸へ、急いで船を運ぶしかなかった。
夢中で魔術を使ったせいか、向こう岸へたどり着くのにさほど時間はかからなかった。
岸へ着いた瞬間ヨットはバラバラに崩れ、ロドとメイタロウは勢いで堤防の上まで投げ出される。
しかし振り返ってはいられない。二人はそのまま、会場まで一目散に走った。
そして会場に着く頃には、ドーム内から逃げる人も最早失せたのか、目の前には燃える建物だけが残されていた。
ガラス張りの側面には傷一つなく、何故か天井のバルーン部分だけが燃えている。
一体、何があったのだろうか。
街のあちこちから消防のサイレンの音が聞こえてくる。
まだ消火の手も回っていないようだが、パーティーにいた人々は全員逃げたのだろうか。
そうだとしたら安心だが、水の魔術が使える魔術師達がいたはずなのに、何故ここまで火が大きく……。
「スオウ先輩のお兄さん!」
ふいに、暗がりから声が掛けられた。
プロ魔術師のセリーンがこちらに気付いて走ってくるところだった。
どうやら彼女は避難誘導のために外に出ていたらしい。
火災発生のとき会場にいた人々の大半は無事に逃げられたようだが、しかし、
「先輩達と市長が、残された人の捜索と消火のためにまだ中に残ってるんです」
セリーンの言葉に、ロドの顔が険しくなる。それは心配の表情というよりも、何かをいぶかしむときのような表情だった。
メイタロウはただ単純に焦燥にかられた。
気付いたときには、そのまま天井の燃えるドームの中へと走り出していた。
駆けていくメイタロウを視界の端に、ロドはセリーンに聞く。
「火事の原因は何なの?」
「それが……」
返ってきた答えに、ロドも急いでメイタロウの後を追うしかなかった。
「天井ではなく、市長に当てろと言ったはずだぞ、スオウ?」
氷の男が構える杖が一つ床を叩き、火球が青年めがけて放たれる。
炎は青年の脇をそれて壁へと向かった。
当たらないことを予測していたのか、彼……スオウは微動だにせず、ただ前を見据えていた。
燃えた天井のバルーンの一部が、炎を纏って地上へと降り注ぐ。
世界の終わりのような光景だった。
実際終わりが近いことを青年は知っていた。氷のライオンに目をつけられたときから決まっていた終わりは。
「愛とは難儀なものだな、スオウ」
セツガが呟き、後ろではニタニタと、大柄に髭の魔術師が杖を肩に担いでいた。
やつの他にもセツガの後ろにはプロ魔術師が三名。全員セツガの息がかかった野心家の魔術師だ。目的を達するためなら手段は選ばないだろう。例えばここで元同僚を抹殺するような……。
セツガをはじめとするプロ魔術師達は会場のロビーへと続く入り口を背にし、スオウは競技用フィールド一個分を挟んで会場の奥側にいる。
入り口側はふさがれ逃げ場はない。
スオウの後ろでは倒れたリン市長が、温度の上がっていくその場で微かに息をついていた。
スオウはしゃがみこみ、目を閉じたままのリン市長の息を確かめる。その背にセツガの声がかかった。
「まさかお前が裏切るとはな、スオウ。いや残念だ」
「そっちも裏切るつもりだったでしょう? 最初から俺を利用するつもりだったんだ」
リン市長を見守る体勢のまま青年は言う。
その背にセツガの放った二発目の火球が襲った。スオウは背を向けたまま杖を振り、風の魔術で軌道を逸らす。
立ち上がり、今度はセツガに目を向けて、静かにそのを双眸を睨み返した。
「あなたもあいつと同じだ。魔術を、人を傷付けるために躊躇いもせず使う……」
「一体、誰と比べているのか知らないが、誰かを傷付けているとするなら私は意味もなくそんなことをしているわけではない。魔術界の未来のためにやっているのだ」
その答えに、青年は固く瞳を閉じた。ゆっくりと頭を振る。
「やっぱり魔術の世界の闇は深い。一人の魔術師の力では、もう絶対に晴らせない。……最後に俺にできるのは、あなたを、」
言いながら杖を構えた。そして、
「……何だよ、最後って」
スオウの言葉を切ったのはセツガではない。メイタロウだった。




