「勃たなくなった」と笑われた俺の曲が有名アニメEDになった話 ―婚約者に棄てられた作曲家が、唯一残った音楽で人生を逆転させるまで―
「まさか勃たなくなるとはねー」
身を削って支え続けた彼女に、そう笑い飛ばされた。
その瞬間、俺――蓮実凛の中の何かが、決定的に壊れた。
◇◇◇
カチカチカチカチ!
ブオォォーー
「痛たたたた! ねえ、引っかかってるって!」
ゲームのボタンを連打する音とドライヤーの爆音を、同棲する彼女、葛城沙織の怒声が切り裂いた。
「あ、悪い」
ドライヤーを止め、指に絡んだ金髪をゆっくりとほどく。
「ブリーチしてるんだからさ、頭皮が傷んでるって見たらわかるでしょ。引っ張られたら本当痛いから! 丁寧にやってって、何度言えばわかるの?」
「わざとじゃないし、謝ってるだろ」
「ったく……あーー! セーブしてなかったからまたやり直しだ! マジでウザ!」
沙織はゲームのコントローラーを握り直し、苛立ちをぶつけるかのようにボタンを無駄に連打する。
再びドライヤーのスイッチを入れた俺はため息を一つ吐いて、濡れた金髪に慎重に指を通した。
最初は、バイトでクタクタになった沙織の髪を代わりに乾かしてやったら、それだけですごく喜ばれた。
『ありがとう!』『助かる!』『凛が彼氏で良かった!』
だが最近、特に俺がED(勃起不全)を発症してからは感謝どころか、少しミスをするだけで怒りを露わにする。
プロゲーマーを目指す沙織。
プレイヤーとして見た目も派手な方が良いと、美しかった黒髪を金髪に染めた。
そのせいで頭皮は一気に痛み、髪質も悪化した。
濡れると軋むし、指通りも悪い。乾かす方も気を遣う。
あの頃、一緒に夢を追って輝いていた彼女は今では、
家事もせず、働きもせず、ただ一日中ゲームをするだけ。
「おらおら、死ね死ね死ねー!」
カチカチカチカチ!
ブオォォーー
ドライヤーの爆音と沙織の罵声、ゲームの煩わしい効果音とボタンの連打音。
そんな不協和音にまみれながら、30分近くかけて長い髪を乾かし終わった。
床に落ちた大量の髪の毛をモップで集めていると、ゲームが一段落した沙織が思い出したように髪に手をやる。
「あ、凛」
「何?」
「ここ、まだ濡れてる」
少しばかり動きを止めたあと、
片付けたばかりのドライヤーをまた取りに向かった。
最初はこんな感じじゃなかった。
沙織も、沙織と俺の関係も。
シンガーソングライターとしてメジャーデビューを目指していた沙織。
その夢を一緒に追いかけた日々は、確かにきらめいていた。
沙織はワンマンライブを満員にし、俺は作曲家として一歩を踏み出し、
だが……夢は破れた。
あとに残ったのは、
俺が家事も仕事も全て負担する日々。
過労はこの身に、止むことのない耳鳴りとEDを発症させた。
沙織の方から積極的だった婚約も破棄となり、
生活の足しにと始めた、
ハウスクリーニングのバイトでは怒鳴られる日々。
それでも作曲家として、俺はひとつの曲を産み落とした。
今という時間を生きることの尊さを歌ったその曲だけが、
もう沙織からは聞くことのできない、
「おかえり」を言ってくれるその曲だけが、
俺の心の支えだった。
そして、やってきた。
沙織との間に修復不可能な、決定的な亀裂が入る時が。
◇◇◇
ある日、ハウスクリーニングのバイトから帰ってくると。
部屋の向こうから何やら、沙織の話し声が聞こえる。
誰かと電話でもしているのか?
そっと覗くと……。
「……そう、今の生活自体は気に入ってるからさ、めっちゃ楽だし、ゲームずっとできるし。籍さえ入れちゃえばこのまま東京で楽に暮らせるって思ったんだけど、向こうの親父がクソウザくて。偉そうに説教してくんのよ。でもむしろ良かったわ、まさか勃たなくなるなんてねー」
は?
「しかもさ最近、『おかえり』とかいうやばい曲作ってんの。歌詞はキモいし、なんか歌も童貞男子イチコロって感じの猫撫で声でさー」
おい、沙織にあの曲は聞かせてないぞ?
まさか俺のパソコンを勝手に見てるのか……?
「あ、もしかして授乳プレイとかじゃないと勃たなくなっちゃったとか!? うわ、それはやばすぎ! ぎゃはははは!!」
ドサッ
俺の手からカバンが床に落ちると同時に、
ソファに寝転びながらスマホを耳に当て、
バカ笑いをする沙織がこちらを振り向いた。
止まる世界。
ぶつかる視線。
「……ご、ごめん、ちょっと切るね」
沙織にかける言葉は何もなかった。
ただ俺の目は、もう何も許していなかった。
この目に映る、必死に平静を装おうとしている人間は、
もはや恋人でも何でもない、ただの寄生女だった。
いや、寄生されているなんてとっくに気づいていた。
そしてそれは罰だと思っていた。
沙織が再び音楽を始め、自分だけの音楽を探す。
そんな日は来ないとわかっていたのに、期待し続けたことへの罰。
だが、生み出した音楽を汚されることだけは、
どうしても許せなかった。
その怒りは俺の中に僅かに残っていた期待も愛情も、一瞬で断ち切った。
沙織の表情が変わる。
狼狽えから開き直りへ、やがて侮蔑へ。
そして再びスマホを操作し、通話を始めた。
「……あ、yuくん? 何度もごめんね! あのさ、すっっごい無理なお願いだとは思うんだけど、これからyuくんの家とかって、いけたりする……?」
ゲーム仲間、か。
いや……
「いいの!? 助かる、ありがと~~! ちなみに最寄駅ってどこかな?」
ああ、そういうことか。
「え、めっちゃ都会じゃん! やば、楽しみすぎ♡ 今いるとこ田舎だからさー」
はは、田舎で悪かったな。
「うん、じゃあ後で。ばいばーい♡」
スマホを耳から離すと、表情を一瞬でオフにする。
部屋の温度が一気に下がった気がした。
「……代わりなんて、いくらでもいるから」
ここに移り住む時に持ってきたバッグに、手際よく荷物を詰めていく。
「このまま凛といても多分、不幸になるし」
そのバッグには最初、俺たちの未来が入ってると思っていた。
だが。
「残していくものは捨てていいから。じゃあね」
感傷に浸る余地なんて一ミリもないかのように、沙織はこの部屋を出ていった。
◇◇◇
後日。
バイトから帰り、誰もいなくなった部屋で一息ついていると、
ふいに携帯電話が震えた。
作曲家事務所の担当の、上野さんからだ。
「はい、もしもし」
「あ、凛くんお疲れ様。落ち着いて聞いてね、実は……」
「え……?」
今まで聞いたことのないほど高揚した声で、上野さんが伝えてくれたのは――
「おかえり」が有名アニメシリーズの新作、『シャイニー☆エモーションズ!』のエンディング曲として採用されることになったという、全く予期せぬ話だった。
そしてその大抜擢は、俺の人生を一気に変えた。
多額の印税が入ったことはもちろん、「シャニエモのED曲を書いた」と箔が付いたことで名前が売れ、楽曲提供実績はみるみるうちに増えた。
バイトも辞めた。
生きるだけで精一杯だった日々は、
テレビで、劇場で、都会の大型ビジョンで、自分の提供曲が流れ続ける毎日へと変わった。
唯一残った音楽のおかげで。
自分が誰かに棄てられたとしても、自分だけは棄てちゃいけない。
自分の音楽を。
すなわち、自分が自分でいる意味を。
「おかえり」はその後、
俺の人生を大きく変える少女との出会いに繋がるのだが……
それはまた、別の話だ。
◇◇◇
祐天寺の、古く狭いアパートの一室。
都会住まいだからと言って、風呂無しトイレ無しの部屋なんて思ってもみなかった。
しかも、部屋はゴミだらけ。
荷物を持ってこの部屋に入った瞬間、絶句した。
足の踏み場もないほど物が散らかってて、空き缶とかカップラーメンのゴミにハエがたかってて。
床にはエロ雑誌やDVDが転がってて。
もうダルくて、何日もお風呂に入ってない。入ったとしても、髪を乾かすのが面倒くさい。
ただ一日、猫背でゲームをするだけの同居人は、たまに都合よく身体を求めてくることはあっても、髪を乾かしてはくれない。
食べ物は3食カップラーメン。手料理なんてもうずっと食べてない。
散らかるゴミの中、わずかにできたスペースに転がり、スマホでSNSのトレンドを眺める。
『シャニエモ神曲』『おかえり』『ランキング1位』『蓮実凛』
は?
『おかえり』?
『蓮実凛』……?
ふいに、心臓が高鳴り出す。
震える指で、動画のリンクをクリックする。
https://www.youtube.com/watch?v=6uxvEforaHs
え、これって……
私が『キモい』って笑った、あの曲……?
カチカチカチカチ……
ふいに、ボタンの音が止んだ。
yuくんがのそりと、こちらに影を落としてくる。
私は仰向けにさせられ、シミだらけの天井を見ながら、
濡れた髪に通る、凛の優しい指先の感触を思い出していた。
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この作品は小生の連載作品「長瀬結衣はポンコツお嬢様である。○か×か。」の中のエピソード、『棄憶 最終話「決別」』を加筆修正し短編化したものです。
もし宜しければそちらの連載作品もお読みいただけると嬉しいです♪




