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縁談

 全ての始まりは、香澄と桂の衝撃的な出会いから遡ること、数十時間前。


 日付が変わった頃、一人の男が街を歩いていた。もうすでに街の明かりはなく、街灯の明かりと時折通る車のライトだけが光源だ。

 男はしがないサラリーマン。くたびれたスーツを着て、日夜パソコンと向き合い、時には人と向き合う。そんな特筆すべき特徴のない日々を送っていた。

 彼がこんなに夜遅くに歩いている理由も、特に珍しくもない飲み会の帰りだからだ。仕事という現実を束の間でも忘れたくて、いつもよりも多い量の酒を煽った結果、酩酊とまでは行かずともそれに近い状態になってしまった。

 そして電車の中で眠りこけ、いつも降りる駅よりも数駅先の終点直前で目を覚ました。最悪なことにそれが終電であり、この時間ではバスもない。駅に駐在するタクシーも運悪く全て出払っていて、彼は家までの数キロメートルを徒歩で進まざるおえなかった。


 明るい時間なら人通りも多い道も、この時間では人の姿などあるわけが無い。車はたまに通るものの、昼に比べればずっと静かだ。

 黙って道を進んでいく男はそんな光景のせいか、会社で女性社員が話していたとある噂を思い出した。


『ねぇ、聞いた? あの噂』

『聞いた聞いた。ここ最近多発してる交通事故のやつでしょ』

『なにそれ、私知らない。教えて』

『えっとね、昼はさっぱりなのに夜ばっかり起きる交通事故。あれって幽霊の仕業らしいよ。幽霊が、通行人を追いかけて車道まで追い込んでくるらしいの。そして運悪く車が通って……ドンッ!』

『うわっ! びっくりしたぁ』


 ケラケラと笑う女性社員。給湯室を占領していた彼女達の噂を所詮噂だと、彼は気にも止めていなかった。


 それなのに、どうして今、その話を思い出すのだろう。


 彼は少しだけ足の動きを早めた。信じているわけではない。そんなことあるはずがない。幽霊などいるはずがない。頭ではわかっていても本能的な恐怖は思考を塗りつぶし、早く帰れと体に指令を出す。

 落ち着こうと、呼吸を整えようと息を吸い込んだ――その瞬間だった。


 カツッカツッ、という音が背後かは聞こえてきた。先程まではしなかったはずの音だ。足音のようだが、果たしてスニーカーなどでこういう音はするだろうか。どちらかといえば、下駄など――。


 そこまで考えて、男は走り出した。いくら古都であろうとも、この時間帯に下駄を使う人間がいる訳が無い。しかも足音はいきなり聞こえてきた。その前に走る音はせずに、いきなり何かが現れたかのように突如として音が聞こえてきたのだ。


 足があるのなら幽霊ではないかもしれない。しかしこの時間に、この足音を響かせるのは健常的な人間ではありえない。

 酔いはとっくに覚めていた。男はただ後ろにいる何かから逃げるように走る。息が整わない。思考もずっと置いてけぼりだ。ただ、恐怖に急かされ、足を前へと動かし続けた。


 少し走ればあの音はしなくなっていた。男は歩く速度を緩め、恐る恐る振り向く。そこにはただ闇があるのみ。何にもいない。男は大きく息を吐き、帰宅するために帰ろうと前を向いた。


 ――男の視線の先には、女の顔があった。


「はっ……」


 何が何だか分からなかった。男はゆっくりと両目をを下に動かす。そこには何も無かった。人であれば顔の下には首、体、足があるはずだ。なのにそこには何も無い空間があるだけ。


 もう一度上を見れば、そこには頭がある。長い髪はよくある古い時代のカツラのように結わえられていて、その目には生気がない。


 そしてその目が自分をじっと見つめていた。


「……あ、あ……ああぁぁぁぁぁぁぁぁー!!!!!!!」


 男は錯乱したまま走り出す。そこに理性はない。ただ間近に迫った現実的では無い恐怖に錯乱し、逃げるという本能だけで動いていた。


 だから彼の頭には人間の模範的なルールを気にする余裕などなかった。


 車道に出た男。強い光に照らされて、彼はようやく我に返った。そして悟る。自分は運悪く、車が通るタイミングで車道に出てしまったのだと。

 今更、足が恐怖で痙攣し、まともに動かない。男はただ、自身に迫る鉄の塊を見ることしか出来なかった。

 プップー! と静かな夜道に響くクラクション。そして――。


「――見つけた」


 クラクションの音に紛れ、鈴の鳴るような美しい声が男の耳に届く。その声の後、男の体はふわりと宙に浮き、歩道に引きずられた。

 走り去っていく車を横目に見つめ、男は「……た、すかった?」と呟く。


「はい。助かりましたよ。もう大丈夫です」


 闇に擬態するかのような黒髪、黒目に黒い服。ゆらりと闇から浮び上がる、赤いリボンが揺れていた。


 誰かは分からない。全く見た事のない少女だった。


 知らない人間の言葉を安易に信用してはならない。そう分かっていても、恐怖で緊張し続けた男は少女の声に安心し、負荷をかけすぎたせいでシャットダウンするパソコンのように意識を失った。

 男が意識を失ったのを見て、男を支えていた少女は男を持ち上げ、歩道の脇に横たわらせた。ポケットに入れておいたスマホを持ち、どこかへと着信をかける。


「はい、こちら――」

「倉橋です。妖怪に脅かされた男性一名の保護をお願いします」

「……場所は」

「針田町の交差点です。近くに公園のある」

「分かりました。すぐに回収しに向かいます」

「お願いします」


 必要なことだけを伝え、少女――倉橋香澄は通話を切った。それから走って男が歩いてきた方へと向かう。

 その途中で見えたのは、人間の頭と、その下にある長い首。香澄は気づかれないようにギリギリまで近づき、持っていた刀を抜いて、首を目掛けて刀を振るった。しかし暗闇で狙いが逸れ、掠るだけだった。

 首の長いナニカは、そこでようやく自分が襲われているのだと気づく。


「……! 貴様、祓い人か!!」

「そうです。この辺りで頻発している交通事故の犯人は貴方でしょうか……ろくろ首」


 ろくろ首は驚いた表情を見せたものの、すぐに口角を上げて「なんの事だ?」と、とぼける。

 どうやら、しらばっくれる気のようであった。ふざけた態度で人間を襲い、その罪を認めないろくろ首。その様子に普通なら怒りを感じるのかもしれない。しかし香澄の表情は変わらないままだった。


「この数日、起こった交通事故。その被害者はいずれも『目の前に体のない顔が現れて気が動転した』と証言しています。貴方が首を伸ばして、人間を害したのではないですか?」


 香澄は淡々と、法廷で被告に証拠を突きつける検事のように事実を告げる。

 これで認めて投降するのなら、香澄はこれ以上ろくろ首を傷つけるつもりはなかった。あくまでも香澄の仕事は、犯人の妖怪を依頼主である国の機関に突き出すこと。祓うことではない。


 しかし、ろくろ首はニタニタと笑う。


「さぁ、人間共の気のせいではないのか」

「……まあ、認めなくてもいいです。少なくとも今日のは現行犯なので」


 香澄は対話を諦めた。

 認めて大人しくしてくれれば、と思うところもあるが、香澄本人が望むのもそれではない。そしてろくろ首も人間を舐めており、罪を認める気はない。ならもう実力をぶつけるしかなかった。

 香澄は先ほどと同様にろくろ首の首を狙うが、ぐにゃりと器用に細い首を曲げられて避けられてしまう。ろくろ首はさっさと首を戻し、逃げようとする。しかしそれを許すわけにはいかない。


(それなら――)


 首を狙うのを諦めた香澄は、走る速度をあげる。香澄の思惑がわかったのか、今度はろくろ首が香澄を狙い首を体に巻つけようとしたが、香澄はするりと避けて、疾走する。ろくろ首の本体へと。

 ろくろ首の体が見えてきた。自然と刀を握る手に力が入る。そして手から伝い、刀に霊力を纏わせる。


「さようなら」


 冷たく言い放ち、刀で体と首の根元を両断した。

 香澄の目の前で舞う赤。ドシャリッと何かの落ちる音。それらに感情を揺らすこともなく、香澄は刀に着いた赤を持っていたハンカチで拭き取った。


「また、ハズレですか」


 悲しみを滲ませた言葉を妖怪だったものに残し、地面に拡がっていく赤色を気に止めることもなく、香澄はゆっくりと家路に着いた。



 香澄の暮らす倉橋家は、町の中心から少し離れたところにある。古くからある豪奢な屋敷。結界が張られている門を抜け、近くの玄関ではなく裏手にある勝手口から香澄は家に入った。

 靴を脱ぎ、靴下のまま廊下に出る。明かりはついていない。

 どうか誰にも会いませんように、と祈りながら、香澄は長い廊下を進んだ。

 香澄の祈りが通じたのか、誰とも鉢合わせずに目的の部屋へとたどり着く。襖にノックをすれば「入れ」と短く返事が返ってくる。


「失礼します」


 襖を開け、頭を下げて部屋に入る。そこでは着流し姿の伯父――倉橋篝が机と向き合っていた。由緒正しき倉橋家。その当主である篝の仕事は多い。今も書類仕事をしていたのだろうと、香澄は推測した。


「国から依頼の来ていた交通事故の犯人である妖怪を処断しました。種族はろくろ首。刀で首元と体を切り離しました」

「場所は?」

「針田町です。近くで脅かされていた男性の救助を妖怪庁に依頼しました」

「わかった。……もし誰が倒したかを聞かれても――」

「伯父様が祓ったと。私はただ手伝いに来ていただけと。そういえば良いのですね」

「あぁ」


 実際には、篝はもう数年現場に出ていない。全ての依頼を香澄がこなしているからだ。しかしその手柄は篝のものとなっていた。

 香澄からすれば、手柄など興味もないものだ。いくらでも伯父に持っていかれても構わない。香澄が欲しいのは、もっと違うものなのだから。


「それでは――」

「待て」


(珍しい)


 香澄は心の中で驚く。いつもは用件さえ済めばすぐに退室しろと篝は言う。呼び止められるなんて何年ぶりだろうか。

 香澄は自分の方を一切見ない篝に向き直り「どうされましたか?」と問いかけた。


 きっと、これ以上驚くこともない。そんなことを考えながら篝の言葉を待つ香澄。しかし予想とは反対に、彼女は次の言葉に目を見開くのだった。


「お前の縁談が決まった」

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