07
新宿歌舞伎町のテロ現場から、首都高を移動中の犯人の追跡開始。
次回は向島の住宅街で市街戦開始です。
次回は1月16日(日)深夜零時の更新を予定しています。
よろしくお願いします。
では、ごゆるりとお楽しみください。
虎ノ門の邀撃捜査班本部では、左右正面の三面に展開した液晶モニターを前に、結城が腕まくりをしていた。
「オッケー、ゲーム開始だ」
結城は凄まじい勢いでキィボードを叩きながら、情報の収集と関係各方面への連絡を開始した。
「Nシステムより車種とナンバーを特定。18年型黒のレクサス。レンタカー会社の品川営業所所有の車輌。〈グランドスラム〉を介してレンタカー会社のデータベースに接続。利用者名を検索中──判明しました。借受時に提出のパスポートと国際免許証から、韓国籍、崔京林」
『偽造だ』にべもなく武藤が切って捨てる。
「当該車輌を交通自動追跡システムに登録」
都内各所の道路に設置された車輌監視装置からなるNシステムには、高速でナンバーを読み取る機能が組み込まれている。これを使って、登録されたナンバーの車輌の通過を自動的に通報するのが交通自動追跡システムである。たとえ高速から下りようと、都内ならばどこまでも追跡可能だ。
結城は次に、新木場の東京ヘリポートに本部を置く警視庁航空隊江東飛行センターに回線を接続して、無人偵察機の出動を要請。通信飛行船からの映像があるとはいえ、あちらは飛行経路が決まっていて小廻りがきかない。無人偵察機であれば、現場の要望に合わせていくらでも融通がきく。
飛行計画作成ツールを起動して予定する飛行経路を入力する。飛行センターと航空局に入力した飛行計画を送信──即座に承認され、データリンク済みの無人偵察機にインストールされる。
飛行センターから無人偵察機が離陸を開始した旨の連絡を受けた。
その間に監視対象のレクサスは港北 JTCを抜け、次の小菅 JTCへと向かっていた。
結城は舌で小さく唇を舐めて言った。
「逃すか、この野郎」
『潮! 車を出すぞ。とっとと降りてこい!』
「は、はい!」
上れと言ったり、降りてこいと言ったり、どこまでも勝手な上司だ。当然、エレベーターなんか使えないので、階段を転がり落ちるように駆け降りる。走りながら、パンツとシューズで正解だったと、今朝ウチを出た時の己の判断を褒めてやりたかった。これがスカートとパンプスだったら目も当てられない。
やっとの思いでビルの正面まで降りてきたら、いきなり目と鼻の先にBMWが急停車した。危うく轢かれるところだった。というより、現場保全のために周辺道路は車輌通行止めになっていたはずだが──ああ、いや、そんなことを気にする人間ではなかったっけ、あの上司は。
己の上司の特異な人格へ、このまま素直に理解を深めてゆくのに深刻な疑念を抱きかけたそこへ、武藤の怒声が飛んだ。
「潮! 早く乗れ! 犯人を追うぞ!」
「はい!」
返事とともに助手席のドアに手を掛けようとして、また「どアホぅ!」と怒鳴られた。
「お前は後ろだ!」
「は、はい!」
慌てて後部シートのドアを開け、上半身を乗り込ませる。そこは、シートの半分がヘルメットや防弾ベストなどの戦闘装備と銃器のケースで埋まっていた。
なんだ、これは?
状況が理解できずに硬直する由加里の尻を、武藤が容赦なく蹴り飛ばす。
「とっとと乗りやがれ、このバカ!」
「きゃあ!」
装備品の山に頭から突っ込む由加里の背後で、ドアが音を立てて閉じられる。
「何すんですか、警部!」
「うるせえ!」
運転席に飛び込むように座った武藤は、ドアを閉じると同時にBMWを急発進させた。エコカー全盛のこのご時世に、BMWが北米市場向けに唯一生産ラインを残したガソリン・エンジンの4ドア・スポーツカーは、4リッターV型8気筒DOHCエンジンを猛々しく咆哮させて爆発的な加速力を解放。驚く所轄の警官達を蹴散らして、道路封鎖のテープを内側から切り裂くと現場から飛び出した。
入り組んだ歌舞伎町の細い路地を、BMWは無茶な加速で突っ走る。武藤がハンドルを切る度に、後部座席では由加里が装備品ごとシェイクされ続けた。
「おい! いつまでそうしてる気だ!」
「好きでやってるんじゃありません!」
大久保通りの広い道に出て、ようやく乱暴な運転から解放されるや、由加里はやっとの思いで装備品の山から顔を出して叫んだ。
「何なんですか、一体?」
「さっさと装備を身につけろ!」
「はい?」
「これから犯人と接触する。そのまま俺たちも戦闘に突入するぞ!」
いやいや。何を言ってるんでしょうか、この人?
「そんな話、聞いてない──」
「手前ぇが聞いてるかどうかなんざ、知るか。犯人の喉笛に噛みつくのが俺達、前衛要員の仕事だろうが。仕事の時間だ。とっとと準備しやがれ!」
武藤の剣幕に圧され、涙目になってコートを脱ぎかけて、はたと気付く。
「ここで着替えるんですか?」
「お前が着替えたら、運転を代われ。次は俺だ」
「やですよ、こんな所で!」由加里はきっぱりと拒絶した。
「嫌なら、その格好で敵の矢弾の前に飛び出すんだな」
「……着替えます」
本気で泣きそうになりながら、コートを脱ぐ。
「本当に、こっち見ないでくださいね」
「手前の幼児体型見て欲情する男なんざいるか」
非道すぎる。誰か、この男にセクハラのなんたるかを教えてやってはくれないものか。
「潮、そのまま聞け」
「はあ……」
コートに次いでスーツの上着を脱ぎながら、生返事を返す。今度は何を言いだすつもりなのか。
「お前、この前の高尾の現場と、今日の爆破現場を見て、どう思った?」
「どうって……人がいっぱい死んで、酷い事件だと──」
「そうじゃない」武藤は否定した。
「犯人の意志をどう感じたか、を訊いてるんだ」
「犯人の意志、ですか?」
どういう意味だ? 何と返せばいいのだろう?
「時間がない。手を休めるな」
「あ、はい!」
慌てて着替えを続ける。だが、先程の問いへの答えを待っているのか、武藤は黙ってハンドルを握り続けたままだ。
悩んだ末、由加里は率直に思ったままを口にした。
「……怖かったです」
「何が?」
何? 自分は何に怯えを感じたのだろう?
「平気で大勢の人間を殺せる人達がいて、自分がこれからその人達と向きあわなきゃいけないってことに……だと思います」
その答えに、武藤はふんと鼻を鳴らして「まぁいい。合格にしといてやる」と告げた。
「捜査の基礎も知らねぇ、鑑識の研修も受けてねぇ、役立たずのお前を現場に連れてきたのは、犯人の意志を肌で感じさせるためだ。これから相手をしようという敵が、どこまでの覚悟を持った奴なのか、どこまで容赦なくやるつもりでいるのか。そいつは結局のところ、最前線に己の身をおいて、手前の肌身で感じとるしかない。
犯人の目的なんざ、今はどうだっていい。これから接触する敵は、徹底的にやる奴らだ。手加減は期待できない。冷静に計画と行動を積み上げて、殺戮を重ねることに一欠片の躊躇いもない奴らだ──それさえ判っていれば充分だ。
後は、自分の覚悟の問題にすぎん」
「……警部は怖くないんですか?」
「怖いさ」さらりと武藤が認めた。
「だから肚を括るんだよ」
「……よく判りません」
「すぐに判る。お前にもな」
それだけ言うと、武藤は再び圧し黙った。
「………………」
この変わり者の上司の感じる恐怖と、自分の感じている恐怖は、果たして一緒のものなのだろうかと由加里は思った。
小菅から更に押切 JTCに進んだレクサスは、そこで6号向島線に乗り入れ、南下を開始した。
その後部シートで、携帯の着信音が軽やかに鳴った。
「私だ」
城島は短く告げた。
『〈グランドスラム〉に補足されました』
「ならば、これはもう必要ないな」
そう言って、手元のもうひとつの携帯電話の電源を切る。歌舞伎町のビルを爆破した際に起爆コードを送信した携帯電話だった。
「歓迎の準備は?」
『できてます』
「よし。これから敵を誘引する。手荒く出迎えてやれ。我らの武威を示すぞ」
そう言って、城島は愉しげに微笑を浮かべた。
『!? 携帯の電源が切れた!』
「車輌の所在は?」
『6号向島線を南下中──引き続き補足しています。間もなく無人偵察機も所定の配置に就きます。携帯の電源が切られても追跡に支障はありません』
「………………」
「どうかしたんですか、警部?」
装備の装着を終えた由加里が、後部シートから訊ねる。
「……嵌められたかもしれんな」武藤がぽつりと呟く。
「はい?」
「考えて見れば、起爆後も携帯の電源を入れっぱなしなんて素人臭いミスを犯す犯人とも思えん。おまけに監視システムだらけの首都高を走りながらだ。高尾の事件で、あれだけ念入りに地元の監視システムを潰して事に及んだ奴らが、だぞ」
「それじゃあ……?」
「間違いない。手ぐすね引いて俺達の到着を待ち受けてる」
断言する武藤の言葉に、由加里は血の気が音を立てて引いてゆくのを感じた。
「ど、どおすんですか、警部!?」
「どう?」武藤は何故そんな問いを受けねばならないのか、という表情を浮かべた。
「せっかくのご招待だ。受けねぇわけにはいかねぇじゃねぇか」
「はいぃ?」
あらやだ。何を言ってるのかしら、この人。ふふふ。冗談好きな上司って、困りものね。
「状況は、彼我双方にとって初期接触の段階だ。このフェーズでは、まずはひと当たりして、敵戦力の規模、装備、練度、戦意、あわよくば戦術思想についての情報を得る必要がある。そのために火力と運動力を有した部隊を叩きつけて、敵から情報を奪取して帰還する──これが威力偵察の要諦だ。自衛隊の座学で習っただろうが?」
「あたし達、戦争やってるんじゃありません!」
由加里は悲鳴を上げるように叫んだ。
「戦争だ、こいつは!」武藤が咆哮する。
「いい加減、肚を括れ!」
あああああああああああああああああああああああ!
由加里はヘルメットごと頭を抱えて転げ廻りたかった。
「もうやだ! こんな職場、転職したい!」
「アホか」武藤が嘲笑うように言った。
「この不景気のご時世に、手前みたいな射撃と体力しか能のねぇどんくさい女、雇う企業なんかそうそうあるわけねぇだろう。そもそも、どこにも行場がなかったから、警察に転がり込んだんだろうが、お前は」
「非道い!」
「そこまで言うなら、自衛隊にだったら俺が一筆推薦状を書いてやってもいいぞ。ただし、調子に乗ってレンジャー資格を取っちまった女なんざ、速攻で紛争地帯のPKF部隊送りだろうがな」
どうあっても戦場送りなのか、あたしは?
『いいですか?』半ば呆れ気味の声で結城が割り込んだ。
『被疑者車輌は向島ランプから一般道に降りました。そのまま向島の住宅街に──』
「ここは──!?」
後部シートから身を乗り出した由加里は、ダッシュボードの液晶モニターに表示されたマップを喰い入るように見詰めた。
所轄時代の自分の担当区域だった。