03
え~、まだまだ続く会議編です。
前回「「02」「03」の会議編」などと書いてしまいましたが、更にもう1話分続きます。
いや、説明しとかなきゃならない設定が多すぎて……(とほほ)。
懲りずについてきてください。お願いします。
では、ごゆるりとお楽しみください。
「本題に入る前に、まず自己紹介から始めろ。ここには初顔合わせの人間もいる」
「判ったわ。結城クン、明かりをつけて」
梶浦と呼ばれた女の指示に従い、結城が手元のパソコンのキィを叩き、会議室の照明をつける。
「……それで、お前はいつまでそこに突っ立ってるつもりだ?」
冷ややかな武藤の指摘に、由加里が慌てて席に着く。
その横で入れ替わるように梶浦が席を立ち、その場の皆の視線を集めながら、モニター前に立った。
「この面子だと劉さんと潮さん、あなた達には自己紹介がまだだったわね。
初めまして、総務省の外郭団体、社会安定化機能研究所所属、〈グランドスラム〉運用企画部主任、梶浦ミチルです。邀撃捜査班にはオブザーバーの立場でちょくちょく顔を出させてもらってます」
「………………」
にっこりと笑う梶浦に、というより、いきなり漢字の多い肩書に面食らって由加里は目を丸くした。誰か補足説明をしてくれないものかと視線を泳がせかけたそこへ、新庄が告げる。
「彼女は我々、重犯罪邀撃捜査班の産みの親でもある」
ますます判らん。
「『産みの親』は言い過ぎよ。実際にあちこち掛けあって予算や人員を掻き集めてきたのは、あなたと武藤クンでしょ。あたしはただ、企画書をいくつか書いて、呼ばれた先でプレゼンしただけだもの」
「………………?」
「社会安定化機能研究所」なる団体が何なのかはよく判らないが、どうも警察外部の人間らしいことは判った。だが、その梶浦の企画でこの邀撃捜査班が組織されたというのは、どういうことなのだろう。
「こちらの部署が〈グランドスラム〉の運用上の必要に基づいて設立された、という話は伺ってます」
劉が言った。
「ただ、具体的な背景事情までは伺っていません。よろしければ、お聞かせ願えますか?」
「ええ。その前に、劉さんと潮さん、〈グランドスラム〉についてどこまで知ってる?」
梶浦の問いに、由加里はミニパト警官時代に通り一遍覚えさせられた〈グランドスラム〉についての説明を必死で思い出して言った。
「え~っと、正式名称が『大規模都市防災システム』で、市民からの通報や防犯カメラからの映像なんかを基に、パトカーや消防車を効率的に配置して、事件の初動解決率を高めるたり、救急車の到着時間を短縮するためのシステム、だったかと……」
「私の認識も同じです。香港時代に、そういった趣旨に沿って日本で取材されたWEBニュースを観たことがあります」
「ふたりとも、一般市民への広報説明としてはそれで正解。でも、それは〈グランドスラム〉の機能のほんの一部に過ぎないわ。
〈グランドスラム〉の本質は、『未来予知』にあります」
「未来……予知……?」
ネットワーク回線の向こう側に「新宿の母」みたいな水晶玉を抱えた占い師がいる姿をイメージして、ますますよく判らなくなる。
「結城クン、こないだ警視庁のお偉いさん達の前でプレゼンした時に使ったパワーポイント、手元にある?」
「ありますよ。今モニターに出します」
モニター上に図形を組み合わせた〈グランドスラム〉の概念図が表示される。
「例えば今、潮さんが説明してくれたように警官やパトカーの最適配置を行うに当たって、〈グランドスラム〉は事件発生後の通報情報だけでなく、より多くの複雑な要素情報を勘案し、事件発生前から抑止的な車輌配置を行っています」
「抑止的な配置、ですか?」
「そう。たとえば当日の気温や湿度、天候、月の満ち干き、地理的条件、電車の遅延、道路の渋滞状況、地域的なイベント、防犯カメラからの街頭映像、VIPの動向や、政治日程──そういった様々な要素情報を元に、あらかじめ犯罪を抑止。あるいは発生した犯罪に対して可能な限り少ない所要時間で対処できるように、最適な車輌や人員の配置を指令センターに提案しています。
そのために、国や自治体、民間が保有するさまざまな監視システム、データベースと連結し、情報を収集する──〈すべてを統べるもの〉という名前は、そこから来ています。
つまり、これから起きるかもしれない犯罪を時々刻々と『未来予知』し続けるシステムってことです」
「……高度なシミュレーション分析を都市の治安維持に使っている、ということでしょうか?」
劉が訊ねる。
「そうであるとともに、それに留まりません。警察・消防等の防災用途への利用を目的としたフェーズ1は既に運用実証を終え、一般行政支援まで拡大したフェーズ2の運用実証に入っています。
フェーズ1始動の時点で、都庁や各市区町村役場からの申請業務を受け持つクラウド・システムとのデータリンクが行われていましたが、フェーズ2からは精密な人口動態予測に基づく人員配置計画や予算措置、都市計画への提言も行ってゆくことになります。
〈グランドスラム〉の最終目標は、東京の都市行政全体を未来予知技術で最適化することにあります」
「……いろいろ偉そうな話をしてるが、要は行政サービスをコンピューターで効率化して、公務員の首切ろうって話だろう?」
つまらなさそうに武藤が突っ込みを入れた。
「相変わらずな身も蓋も無い物言いが素敵よ、武藤クン」梶浦が軽く睨みつける。
「ま、ぶっちゃけてしまえば、そういうことでもあるわね。
この国は元々、人口に対する公務員数は必ずしも多くはなかったけど、国も地方も巨額な債務を抱えて、人件費の抑制に手を付けざる得なかった。当初は正規職員の半額の給与で雇う準公務員や補助職員で穴埋めをしてたけど、それもあれこれ批判が高まってその手も使えなくなってきたし、そもそも少子高齢化でこれから若年人口が減ってゆくことが判りきっていた。加えて国民感情から移民もダメとなれば、いよいよ本気で情報システムを導入して生産性の向上を進めなければならなくなったってわけね。
それで一〇年ほど前からクラウド・コンピューティング技術の導入や、電子自治体規格の統一、国民ID制の導入などが本格化して、地方自治体や国の機関への行政支援システムの導入が進みました。今回の〈グランドスラム〉計画もその延長線上にあります」
そういえば所轄時代の先輩が、「コンピューターのおかげでひとつひとつの仕事は楽になったけど、仕事自体が増えてちっとも楽にならない」とぼやいていたのを由加里は思い出した。元々、個別の仕事を電子化で楽にするのは全体の公務員数を減らすためなのだから、現場が楽になんかなるわけがないのだ。
「それとは別に、これからの日本の成長基盤として未来予知技術を育ててゆく方針も一〇年前に定められました。
未来予知の技術は、〈グランドスラム〉のような行政支援のためのシステムだけでなく、さまざまな分野でも利用可能です。気象予報や地震予知のような自然科学の予知・予測から、金融工学、経済分析などの社会予測。宇宙開発や原子力などの巨大技術。電力需要予測と不可分なスマートグリッド電力網の運営。製造業の分野でも、熱や振動による物質の特性変化を予知して効率的な機械開発や冶金技術開発に使われたりしています。医療分野では、新薬の開発や、患者の容態の変化をモニタリングして最適な治療法を提示したりね。
このように、ミクロからマクロまで、未来予知技術は、社会の隅々にまで広がる非常に裾野の広い技術として利用されています。
故に製造業の急速な一般化から、いわゆる『ものづくり大国』としての地位の揺らいだ日本にとって、経済大国の地位を維持するために欠かすことのできない基盤技術として、未来予知技術の確立に力を注ぐことが求められたんです」
さすがにプレゼン慣れしてるのか、梶浦の説明は淀みなかった。
「ただし、この未来予知技術は、いずれも膨大な要素情報を、高速に計算し続けることで成立する技術です。その普及には、基盤として基礎的演算能力の強化──要するにスーパーコンピューターの普及が前提となります。
そのため、中規模のスパコンを量産して全国の自治体に預け、行政事務の支援に使ったり、未利用の時間を民間に有償でまた貸しして地域振興や財政の足しにするという政策──いわゆる国家演算能力増強法が施行されました。それに基づいて一定規模の自治体、全国で約八〇〇の市区町村役場にスパコンが設置されています。これらの市区町村役場のスパコンに加え、その他、国の機関や国立大学などの保有するものと併せて、現時点までに約二、〇〇〇台のスパコンが全国に設置されています。
これらは地域社会の演算能力の底上げの役目を果たすと同時に、相互にネットワークで接続され、必要に応じて仮想的に一台の巨大なコンピューターとして機能するような設計もなされています。言ってみれば、スパコンのスマートグリッド化ね。これにより、どこかのスパコンが突然システムダウンしたり、あるいは急に業務が忙しくなって地元のスパコンへの負荷が増えても、まったく支障なく業務を続けることのできる強固な冗長性を獲得することができました。
〈グランドスラム〉はこの仮想化されたスパコン・ネットワーク上に存在し、稼働しているのです」
「………………」
思いの外、大掛かりな話になってきた。しかし、ここまでの話だけでは、その〈グランドスラム〉と邀撃捜査班創設の繋がりがよく判らない。
「ちなみに私の所属する社会安定化機能研究所は、総務省の外郭団体で〈グランドスラム〉の仕様設計や導入計画などを行っている団体。そして運用企画部は、自治体が〈グランドスラム〉を導入するに当たって、どのような手順で導入すべきか、どのような体制で受け入れるべきか、必要とされる法律や条例の改正などを調整したり提案する部門です」
それで何で白衣なんだろう? 素朴な疑問が湧いたが、それは後で聞くことにして、とりあえずはおとなしく梶浦の説明に耳を傾ける。
「〈グランドスラム〉のフェーズ1導入から約半年で、東京では犯罪発生件数、または犯罪発生から二四時間以内に犯人が逮捕される初動解決率が、統計データ上、目に見えて判るほどはっきりと改善されました。これ自体は喜ばしい結果ですが、その一方で明らかになってきたのが、既存の警察組織に手に負えない、職業的犯罪者による犯罪の増加です」
「? どういうことですか?」
劉の問いに、梶浦は肯いて続ける。
「犯罪者側も学習し、〈グランドスラム〉の存在を前提に折り込んで犯行を計画するようになっている、ということです。今回の犯人なんか、その典型ね。〈グランドスラム〉の存在が、逆説的に犯罪者による技術革新を加速させているんです。
こういった未来予知の結果自体が原因となって、今の現実の状況を悪化させてしまうことを、私たちは『カサンドラ・フィードバック』あるいは『カサンドラ・パラドクス』と呼んでいます。カサンドラとはギリシャ神話に出てくる悲劇の預言者のことです。彼女は自身の予言によって恋人アポロンの愛を失い、悲劇的な人生の果てに破滅しました。
それはともかく、こうした強い意志を持って犯行に挑む職業的犯罪者には、〈グランドスラム〉はあまり有効に機能しません。こうした犯行は、その時点ではひとつひとつが既存の犯罪と類似性が少ない、特異な犯罪だからです。〈グランドスラム〉の未来予知はあくまで機械によるものですから、データベースに記録のない、まったく新しい犯罪パターンには対処できないんです。
同時に、一般警察がそうした先進的な犯罪への対処能力を急速に落としてきていることも判りました。〈グランドスラム〉導入によって、人員の削減を進めてるんですから、当然といえば当然の結果です。警察組織もまた、〈グランドスラム〉を前提とした体制に移行しつつあります。
しかし、だからといって、こうした特異な犯罪を放置しておくわけにはいきません。治安の悪化、市民生活の不安に直結するというのは勿論ですが、社会環境の変化に適応する形で発生するこうした先進的な犯罪は、やがて必ず一般化し、一般に普及します。犯罪捜査にも不断の技術革新が必要なんです。
そして、こうした新犯罪への対処方法を、〈グランドスラム〉は早急に実装しなければなりません。
そのためには、こうした先進的な犯罪をまず邀撃して解決し、その過程で集められるだけのデータを収集して、新しい捜査手法を開発する集団が必要となると、私たちは考えました。
その考えの下、ここにいる新庄警視の協力を得て、政府要路に働きかけて結成されたのがあなた方──重犯罪邀撃捜査班なのです」