36
交差点まで辿り着いた〈14K〉の葉春烈が目にしたのは、日本人傭兵たちがカラオケ店に突入する場面だった。
路上は血塗れで、その辺のチンピラと思しき屍体やら死にかけの男たちがそこら中に転がっている。何があったのか知らないが、一方的かつ凄惨な戦闘が行われたことだけはひと目で判った。
おそらく、この路上に転がってる連中を排除して、ビル内に呉一行を追い込んだのだろう。こちらも後を追いたいところだったが、日本人傭兵たちが入り口を固めていて、付け入る隙がない。
これ以上、逃げ場がない以上、呉の身柄が押さえられるのは時間の問題だろう。
となれば、どうする? こちらも無理やり店内に突入して、呉の身柄を奪いに掛かるべきか?
狭い建物の中で至近距離で撃ち合いというのは、あまり考えたくもない状況だった。屋内戦は出会い頭の不期遭遇戦の連続で、数の優位をいかせない。個々の兵と兵とが角突き合わせて、ただひたすらに至近距離での殴り合いが続くのだ。兵の練度と装備で劣るこちらにとっては、一方的に不利な選択だった。
とすれば、日本人どもが呉を連れて出てきたところを襲うというプランが、ここでは妥当なところだろう。
配下の兵たちに、周囲を警戒しつつ、一時休息を取るように葉は指示した。今夜はまだまだ長丁場になる。日本人傭兵どもから呉の身柄を奪い、機動隊の包囲網を突破しなければならない。体力を温存できるときには温存せねば。
わずかに気を抜いた葉は、不意に後方を見に行かせた陳からの連絡がないことを思い出した。
結局、何が起きているのか……?
神経をちりちりと炙られる感覚に苛立つ葉は、上空を見上げる兵の反応を見て、はじめてヘリの羽音が近づいてきていることに気づいた。
ヘリ? どこのだ?
飛行禁止区域にでも指定されているのか、これだけの大騒ぎにも関わらず、これまでマスコミのヘリひとつ飛んでこなかった。それがあえてこのタイミングで飛んでくるのだから、おそらく警察の偵察ヘリ。……。
まっすぐこちらに向かってくる。ここが戦闘の中心だと判っているのか……?
いや、待て。
はたと気づいて、呉一行の逃げ込んだビルを見る。周囲から頭ひとつ抜きん出て高い。ヘリが屋上へと接近するのに、余計な障害物が周囲にない。つまり、ヘリで回収するには、ぴったりの地勢だ。
「そういうことか……!」
上空を航過するヘリの腹を見送りながら、葉は状況を正しく理解した。
「ヘリだって?」
「まっすぐ飛行禁止区域のど真ん中に突っ込んできます」
渋谷駅北口の指揮テント村で、鹿屋の問いに、田尾が大型モニター上で無数のウィンドウを次々に切り替えながらせながら答える。
「機体識別装置の反応は、警視庁航空隊江東飛行センター所属の<はやぶさ8号>と出てます。10分前に東京へリポートを離陸。飛行計画も普通に提出されてます」
「誰よ、そんなの承認したの……」
鹿屋が、憤激して出て行った第1機動隊隊長の代わりにこの場に残された副官へと、うろんげな視線を向ける。
「し、知らん! だいたい航空隊のヘリは、機動隊の支援要請に応えて全機出動中で、出せる機体はすべて出払っているとの報告が──」
「では、故障していた機体が急に直ったんで、慌てて飛んできたんでしょう。良くある話ですな」
「な……っ!」
絶句する副官から興味をなくしたように視線を逸らすと、田尾に訊ねる。
「で、どこの指示で飛んでるの、このヘリ?」
「飛行計画の当該欄には、機密指定が掛かっています」
「警視庁じゃない? まぁ、パイロットの私的な遊覧飛行で、警察機材をこんな場所まで飛ばすとは思えないから、いずれどこぞの公的機関には違いなかろうが……」
「一応、我々の機密開示資格であれば、請求すれば開示可能ですが……?」
「いいよ。請求者名の記録が残るんでしょ。そこまでして知りたいわけじゃない。それに、ここまでのやりとりで、大体見当もついたし」
「はぁ……?」
怪訝な表情を向ける田尾に、鹿屋が肩を竦める。
「たぶん、俺の知り合いだ。その内、君にも会わせたげるよ」
モニター前のパイプ椅子に座ったまま、そばに立ってにやつく中年男の顔をじっと見上げた田尾は、やがて表情ひとつ変えずに言った。
「……別にいいです」
「まぁ、そう言わずに」
「お断りします」
「いやいや」
「も、もう限界……」
「だめです。頑張ってください。もう少しですから!」
もはや体力のほとんどを使い果たしてふらふらの呉の腕を引っ張って、由加里は階段を駆け上がる。
いったい誰のせいだと思っているのか?
こっちだって足は棒のように硬く、バーベルでも括り付けたかのように重い。この場にへたり込みたいのはこっちの方だ。
こんな、悪党への金貸しを稼業にしてきたような男のために、今夜一晩で何人が命を落とし、これから何人が死なねばならないのか。それをどうして自分が、身体を張ってまで、護らねばならないのか。……。
胸中に渦巻く愚痴のいっさいがっさいを、その場でぶち撒けたい衝動に襲われる。
「………………っ!」
すぐ下の階下から、激しい銃撃音が聴こえてくる。殿を引き受けた武藤と、追手の兵士たちによる戦場音楽──
そこに、いつの間にか武藤の拳銃が発する発砲音の頻度が減っていることに、由加里は気づいていた。そろそろ残弾が乏しくなってきているのだ。さすがの武藤も、空の拳銃で完全武装の兵士たちとどこまで闘えるものか。……。
いや、結局、何とかしてしまいそうな気も、若干しないでもないのだが。
そんな殺しても簡単に死にそうにない上司の心配より、今は自分の身の心配の方が先だ。
途切れそうな気力を振り絞って、足を前に出す。
判ってる。よく判ってる。
たとえこの男が悪人であろうと、自分は見捨てたりはしない。
たとえこの男が重要参考人でなくとも、見捨てたりはしない。
すべての人を救うことができなくとも、こうやって掴んでしまった腕は離さない。
自分は「警察官」なのだ。「お巡りさん」なのだ。
どんな悪人でも、見捨てない。生き延びて、裁きを、償いを、受けさせる。
それが、自分の「任務」だ。
「………………」
いや、だめだ。そんな理屈では、まだ自分を説得し切れない。
正直、敵の正体もよく判っていないのだ。単なる参考人の身柄拘束で出動したら、こんな滅茶苦茶な殺し合いの一夜に発展してしまった理由がさっぱり理解できていない。目の前で大勢の人が死に、自分もまた襲われて殺されそうになり、上司の殺戮を目の当たりにして、それを止められもせず眺めていた「理由」には、まったくなっていない。
不条理極まりないこの夜の乱痴気騒ぎに圧し潰されず、やり過ごして生き延びるためには、そうとでも思わなければやってられない、というだけの話だ。
だが、そうなると、結局、惰性で動いてる以上の「理由」が見つけられなくなる。
それじゃ、だめだ。それじゃあ、ここでは生き延びられない。たとえこの場を切り抜けても、どこかで生き抜くことを諦めてしまいかねない。
もっと、ちゃんとした「理由」いる。「お巡りさん」でいることを、最後まで諦めずに信じていられるような、そんな確かな手触りのある「理由」が。……。
だが、疲れた頭で、それ以上深く考えようとすると、耐え難い吐き気がこみ上げてくる。それを無理やり呑み込んで、階段を駆け続ける。
やがて、屋上につながるドアに辿り着いた。鍵は既に劉と久住が開けてくれているはずだ。
そのまま身体ごとぶつかるようにドアを開け、屋上へ──
「…………あれ?」
誰もいない。劉の姿も、久住の姿も見当たらない。
周囲を見廻しても、大都市の灯火がどこまでも広がる夜景が見えるだけで、ヘリの姿なぞどこにもない。肌を刺すような冷たい夜風が、強く吹き荒んでその身を貫く。
いや、風の音に紛れて、遠くからヘリの羽音だけは聴こえる。だがそれも、ドップラー効果を伴って、どんどん離れてゆく。
「ウソ…………!」
見捨てられた。放置された。見殺しにされた。
「そんなぁ……」
限界ぎりぎりで持たせていた気力の糸がぷっつりと断ち切られ、へなへなとその場に崩れ落ちる。
「ちょ、ちょっと待て、おい! ヘリで脱出するんじゃなかったのか!? どこにいるんだ、そのヘリは!?」
叫ぶ呉に言い返す気力もなく、やさぐれた笑みなど浮かべる由加里の頭頂部に、問答無用の鉄拳が撃ち下された。
「~~~~~っ!」
「立て、このバカ!」
いつの間に追いついたのか、武藤が怒鳴りつける。
「いや、でも、誰もいないし、ヘリだってどこにも来てませんし──」
「どアホぅ!」頭を押さえつつ涙目で訴える由加里に、武藤の怒りが再度炸裂する。
「地上の制圧もできてないのに、敵の勢力圏下のど真ん中で、のんびり救出ヘリが着陸待機なんかするか! 戦闘救難の基本だ。研修の座学で教えたろうが!」
言われてみれば、そんな授業もあったような、なかったような……。
記憶の曖昧さに思わず目が泳いでるのがばれたのか、即座にもう一発ぶん殴られる。
「~~~~~っ!」
痛みに堪えながら顔を上げると、まばゆい光が視界に飛び込んできた。
とっさに細めた目が光に慣れると、機首のサーチライトで屋上フロアを照らしながら、派手なローター音とともにヘリがこちらに近づいてくるのが見えてくる。
武藤が由加里の手を掴み、引き起こしながら告げた。
「手仕舞いだ。とっととここから離脱するぞ!」
今回は夏コミご来場御礼ということで、2話公開です!
……いや、ここで終わると、尺が中途半端ってのもあるんですけどね(はは)。
では、引き続き第37話をお楽しみください。