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 幾度か激しい蹴りを放り込んだ末、最後に兵士の頭部を靴底で踏みにじるようにして武藤は足の動きを止めた。

「………………」

 つと背中越しに振り返ったその先に、蒼褪めた表情で立ち尽くす由加里がいた。

 由加里が見たのは、敵の兵士たちのただ中に飛び込んだ武藤が、五人もの兵士たちを瞬く間に殲滅する、その姿だった。

 一方的な闘いだった。武藤自身は傷ひとつ負うことなく、肉食獣が哀れな獲物を喰い散らかすように、武装した兵士たちをあっけなく蹂躙してのけた。躊躇(ためら)いや、逡巡などどこにもない。まさしく、悪鬼羅刹と呼ぶにふさわしい闘い方だった。

 その武藤が、無言でこちらを見ている。

 位置的に逆光で表情が良く読み取れないのに、街灯の光を虹彩が反射しているのか、双眼だけが冷たい輝きを宿して光っている。

 ぞっとする。寒気が背筋を駆け上がる──それなのに、目を逸らすことができない。

 それは、獲物を見る目……?

 いや、違う。もっと違う、何か。

 あれほどの殺戮の直後であるにも関わらず、そこに興奮の色彩はない。敵と味方を混同するような、血迷った陶酔とは程遠い。と言って、仲間の姿を前にしての安堵の光でもない。

 むしろ、警戒し、慎重に値踏みするような、探るような眼光──誰を? あたしを?

 何故……?

 ──判ってるはずよ……。

「………………」

 彼女(、、)が耳元で囁く。振り返らなくても、彼女がそこにいる(、、、、、)のが判る。中学生くらいの、「お母さん」に買ってもらったお気に入りの白いワンピースを着た、あの娘が。

 ──(けもの)が、同じ(けもの)を警戒するのは、当然でしょ……。

「……違う……」声に出していることに気付かぬまま、由加里は呟いていた。

「あたしは……違う……!」

 違わない。

「違う。あたしは……あたしは……」

 だって、ほら。

「!?」

 拳銃を握った腕が勝手に動く。腕だけではない。驚く由加里自身の意識を無視して、身体全体が驚くべき鋭さで駆動する。腰を落とし、両手で拳銃を保持して振り返る──いや、その場に崩れ落ちるような姿勢で身を捻り、強引に身体の向きを変える。

 そしてその銃口の先、街路の向こうに、自動小銃を構えた兵士の姿を認めた時、持ち主の意志を無視して指が引き金を落とそうとしていた。

 駄目……っ!

 兵士が発砲するのと、不自然な姿勢で路上に倒れ込みながら、由加里が発砲するのはほぼ同時だった。

 ライフル弾の軌道が、ほんの一瞬前まで自分がいた空間を貫くのを感覚で把握しながら、路上に倒れ込む。そのほんのわずかな時間の間に、弾倉(マガジン)の半分が空になる。銃口から叩き出された拳銃弾が、重武装の兵士に襲い掛かる。

「!?」

 ヘルメットの外縁を掠めるように全弾集束し、撃たれた兵士がひっくり返る。

「………………っ!」

 路面に肩から叩きつけられながら、半ば呆然とその状景を眺める。

 何が起きた──何をしたのだ、自分は……?

 殺すところだった。本当なら、全弾、兵士の顔面を撃ち抜いていたところだった。殺すための発砲だった。

 それをぎりぎりのところで、ずらした(、、、、)のだ。

 だが、今のとっさの挙動は、自分の動きではない。あんな風に動けるはずがなかった。

 だいたい、兵士の出現にも気づいてなかったのだ。仮に気づいていたとして、あんなに急激に身を翻してバランスを崩しながら、あんな精度の射撃などできるはずがなかった。そんな高度な運動神経は持っていない。自分の身体のことなのだ。誰よりも自分がよく判っている……はずなのに。

 それが、どうして。どうやって──?

 考えなければならないことで、頭がいっぱいになる。思考がパニックの渦に呑み込まれる。

 口を大きく開け、必死で酸素を吸いこもうとする。だが、過呼吸にでもなったかのように、肺に空気が入ってこない。激しい鼓動に心臓が破裂しそうになる。

「馬鹿野郎っ! いつまで寝てるんだ! とっとと起きろ!」

 武藤が敵から奪った自動小銃をぶっ放しながら、怒鳴りつける。

 はたと我に返ると、先ほど撃った兵士の背後から、続々と後続の兵士たちが現れようとしている。

「うわわわわわっ!」

 四つん這いでへたり込んでいた呉が、悲鳴を上げて逃げ出そうとする。

 由加里も慌てて身体を起こし、走り出した。

 だけど、今のは……一体──?



「……敵の抵抗が弱くなってきたな。あと少しで突破できるぞ」

〈14K〉の葉春烈(イェチュンリィェ)は、敵の手応えの変化を感じ取って口元をほころばせた。

 日本人傭兵達の動きは、阻止線を形成してそこを維持する拠点防御戦術から、後方に下がりつつ時折反撃を仕掛けてこちらの足留めを図る遅滞戦術へと移行している。拠点を維持できるだけの戦力がもうないのだろう。

 それでも幾度かしたたかな反撃を喰らって、こちらにも少なからぬ損害を強いられてきた。地形を利用して、反撃可能な場所では確実にこちらの戦力を削りに来る。敵の練度は、やはりその辺の民兵崩れとは格が違う。

 だが、それもそろそろ限界が見えてきた。

 こちらにそれなりの損害を与えるまで粘っていた敵の反撃が、あっさりと引くようになったのだ。兵が足りなくなったか、弾薬(たま)切れが近いのか。

 どちらでもいい。このまま強気に押し出して、戦線を喰い破ってやる。戦線をずたずたに寸断され、個々の兵士単位に分断されてしまえば、どんな軍隊でも組織的戦闘は不可能になる。そこから先は掃討戦モードだ。どうとでも料理してやる。……。

 不意に、何とも言いようのない違和感を覚え、後方を振り返る。

「………………」

 静かすぎる。そちらには、持ち込んだ弾薬を集めて作った即席の後方集積拠点(デ  ポ)とともに、その警備を兼ねた10名ほどの部隊を配置していたはずだ。

 携帯電話の妨害を見越して持ち込んだ、ごつい軍用無線機のプリセットボタンを押して、後方部隊を呼び出す。

 反応がない。

 機材の故障? いや、予備の機材くらい持たせてある。それが同時に故障するとは思えない。

 電波妨害(ジャミング)か? こちらの周波数帯(バンド)を突き止められた?

 だとしても、伝令くらいは出せるはずだ。

 あるいは何者かの強襲を受けたとしても、10人を越える兵士が、銃声ひとつ出さずに殲滅されるなど──

(チェン)!」自分でもよく判らない焦燥感に駆られながら、葉は命じた。

「二~三人ほど連れて、後続の状況を確認しろ。様子が変だ」

 肯いた(チェン)が、そばにいる兵士を連れて背後の街路に消えてゆく。

 判っている。戦場での悪い予感はほぼ確実に的中する。

 しかし、優れた指揮官ならば、それに早めに手を打って対処するまでのこと。

 勿論それは、その指揮官の手に負えるものである限りは、だが。



 現場の北側から圧力を強めていたフィリピン新人民軍(N P A)大佐アルツゥロ()アルツェラ()もまた、順調に推移する状況にすこぶる満足していた。

 周囲は長身で厚みのある体躯の護衛の兵士たちに囲まれている。いずれもいざとなれば盾となる覚悟と、それを可能とする体形の者たちだった。そんな男たちが自動小銃を手に油断なく周囲を警戒している。

 そうした大男たちの中心にあって、小柄なその身に厚手のコートで着ぶくれしたAAがいる状景は、端から見れば、いささかおかしみのある絵面ではあったが、当のAA自身は特に気にする様子もなかった。

 それよりも、今のこの戦況をどう見るか、だ。

 日本人傭兵部隊の闘い方は、はじめから接近戦では敵わないと見てか、距離を置いて火力の差で対抗しようとするものだった。それは精緻な索敵能力とワンセットで機能していたものだった。それがある時点でいきなり機能しなくなった。明らかに索敵能力が低下して、こちらの接近を許すようになったのだ。

 おそらくUAVか何かの観測機器がダウンしたのだろう。

 同時に、兵力に余裕がなくなってきたのか、後方に引き下がって戦線を縮小しはじめた。索敵能力が低下した分、兵力密度を高めて対処するつもりなのだ。

 非常にオーソドックスな戦術運動であり、その分、こちらも先が読みやすい。

 おそらくどこかに抵抗線を引いて、そこから反撃を開始するつもりだ。

 だが、果たしてそう上手く話が進むかどうか。

 銃声が聴こえてくるのは、NPA(われわれ)との戦闘正面ばかりではないのだ。おそらく、複数の正面での戦闘を抱えており、かついずれも旗色がよくない。

 そういったことは、こうして最前線に立って、指揮官レベルの目線で戦況を眺めてみれば、おのずと見えてくる。

 このまま押し込んでゆく内に、どこかでぱったりと敵の組織的戦闘能力が崩れ落ちないとも限らない。

 むしろ、一緒に日本人傭兵部隊を攻め立てる形となっている、他の武装集団とどこでかち合うかの心配を始めるべきか……。

 重要なのは、そいつらをいかに出し抜いて、莫大な大金を抱えて逃げる呉の身柄を先に押さえるか、だ。日本人傭兵どもとの戦闘の勝ち負けは、自分たちの求める勝利条件の本質ではない。

 そこから後は、現場周辺を十重二十重に取り囲んでいる機動隊の包囲網をどう突破するかだ。しかし、それとて本格的な戦闘経験を欠いた警察部隊なぞ、簡単に蹴散らして──

 不意に護衛の兵士のひとりが、何もない場所でつんのめるようにしてぱたりと倒れる。

「………………?」

 どうした、と声を掛けようとして、別の兵士が同じように声も上げずにいきなり転倒する。倒れた兵士はぴくりとも動かない。

 撃たれた……? しかし、銃声は何も聴こえ──っ!?

「狙撃警戒! 亜音速(サブソニック)弾!」

 AAが叫んだ瞬間、護衛の兵士のひとりがその身をひょいと抱え込み、近場の遮へい物に向かって突進する。その間も、次々に兵士たちが斃れてゆく。

「どこから撃たれた……?」

 路上駐車された車両の背後に押し込まれるように身を隠しながら、素早く周囲を探るが、それらしい敵の存在は見当たらない。護衛兵が自動小銃を発砲するが、それも恐らくは当てずっぽうだ。敵の位置が判っているわけではない。

 敵は、おそらくNPA(われわれ)同様に高度な隠密接近(ストーキング)技能を習得した者だ。家屋や街路の死角を利用して、素人目にはまったく想像もつかない場所に潜んで、狙撃してきているのだ。

 だが、同業者にすら、気づかれないレベルとは……!

 それと銃声がしなかったのは、亜音速で飛翔し、発砲音を抑制する特殊な銃弾──亜音速(サブソニック)弾が使われているからだろう。

 銃を撃った時の発砲音が大きくなる理由の多くは、銃弾が銃口から飛び出した際に、「音の壁」を突破して衝撃波を周囲にまき散らすためだ。制音器(サプレッサー)はその衝撃波から、遠くまで届きやすい高音域を減衰(カット)する装置だが、最初から「音の壁」を突破しなければ衝撃波も発生しない。そこで弾頭重量を増やしたり、火薬の量や燃焼速度を調整して、音速を超えない銃弾として作られているのが亜音速(サブソニック)弾である。

 その分、射程は短くなるし、コストも高くなる。そもそも、一般の警察任務や競技射撃で使うようなものでもないので、表だろうと裏だろうと、民間市場になど流れないように厳重に管理されている。こんなものを使うのは、正規軍の特殊部隊や諜報機関の工作員、あるいは準軍事(パラミリタリー)部隊くらいなものだ。

「軍が出てきた、だと……?」

 この国にも軍隊はあるし、一部の特殊部隊は密かにフィリピン正規軍に戦術指導をして、ミンダナオでのゲリラ狩りに協力している。そもそも、AA自身が故郷を追われた原因そのものでもある。

 だから彼らの練度や恐ろしさは、身に染みて理解している。

 米軍の特殊部隊と並び、金に糸目をつけずに高額な装備と贅沢な訓練施設で作り上げられた戦闘機械(ばけもの)どもだ。

 だが、それがこんなにすぐに投入されるなどという事態は、まったく想定外だった。まずは警察の特殊部隊の投入が先ではないのか?

 首都のお膝元での事態とはいえ、民間での紛争に警察を差し置いていきなり軍の特殊部隊を突っ込んでくるというのは、一般的な治安活動の手順(プロトコル)を逸脱している。法治主義と官僚制が高度に発達した先進国では、まず考えられない事態だった。

 あるいは、この国の権力中枢で、何か異変が生じているのか……?

 いや、それは今ここで考えても始まらない。

 警察ではなく軍が投入されているのだとしたら、その交戦規則(ROE)も鎮圧を最優先とした苛烈なものとならざる得ない。一般的な治安活動でいいなら、警察を使えばいいのだ。現に、今自分たちが受けている攻撃には、何の警告もない。

 それは、状況の切迫度のギアが一気に何段階か跳ね上がったことを意味していた。

 反射的に、手元の軍用デジタル無線機のプリセットボタンを押し、この場にいない他の分隊を呼び出す──どこからも反応はない。既に殲滅されたか、あるいは正規軍部隊による本格的な電子戦(ECM)が開始されているのか。……。

「くそ……っ!」

 ミンダナオを脱出する羽目になった、最後の戦いを思い出す。

 ジャングル奥地に設けられたNPA司令部は、マニラでAAが成功させた日米財界人同時複数の誘拐作戦に激怒したフィリピン政府軍の大攻勢によって陥落した。だが、実際は政府軍歩兵部隊を囮の勢子代わりにして侵入してきた日米の特殊部隊によって、指揮命令系統をずたずたに寸断され、巧妙に隠蔽されていたはずの防御陣地の所在を次々と暴き出されて、無人攻撃機(UAV)対地攻撃機(ガンシップ)からの攻撃でことごとく吹き飛ばされたことが直接の敗因だった。

 その時、司令部で主要幹部のひとりとして反撃の指揮を執っていたAAは、こちらの必死の捜索を嘲笑うかのように姿を見せぬまま自陣内で暴れ廻る日米の特殊部隊員達に手こずらされた。あれは、それまで彼が相手をしてきた日米軍の一般兵士たちとは次元の違う、本当に化け物のような連中だった。政府軍相手になら一騎当千の働きをみせる彼の部下たちが、まるで赤子のように手もなく殺されてゆくのだ。

 日本や米国のような先進国の軍隊が、本気になった時に送り込んでくるエース級の特殊部隊員とは、そこまでのレベルの兵士たちだった。

 あの時感じたのと同じ圧迫感(プレッシャー)を感じる。臓腑の奥から、苦い吐き気がせり上がってくるような、あの圧迫感(プレッシャー)を。絶望と無力感で縁取られた奈落の底へ、こちらを引き摺り込もうとするかのような、あの圧迫感(プレッシャー)を。

「……ふざけるな!」

 そうだ。こんなところでくたばってたまるか。こんな異国の空の下で、寒さに凍えながら、獣のように一方的に狩り立てられて死んでゆくなど、まっぴらだった。ましてや、日本軍にここでもまた、いいように弄られて迎える死など、断じて受け入れるわけにはいかなかった。

「ここを離脱する」AAは生き残りの兵士たちに告げた。

「敵の包囲網を突破して脱出する。必ず生きて祖国へ戻るぞ」

 この状況下で、その誓いを最期まで守りきれる者がこの場にいるのかどうか、口にした本人にもはっきりと断言はできなかった。

武藤の殺戮を目の当たりにした由加里の精神の奥底で生じる「揺らぎ」。

そして、<14K>の(イェン)とNPAのAAは、戦場の「異変」を察知するが……。


由加里の件はこのエピソードというより、シリーズ全体の「本筋」のネタ。

今回連載しているパートではこのくらいの掘り下げですけど、次のパートではもうちょっと深堀します。多分。

いや、まだちゃんとプロット組めてないんで、どうしたものかと……(おい)。


それと、そろそろ具体的に動き出す陸自特殊部隊、ですが……。

作中で陸自がフィリピンの内戦にコミットしてますが、勿論、現実にはそんな事実はありません。……今のところは。

作中でも公式には「現地軍部隊への戦術指導」くらいの扱いで、直接戦闘に関与していることは伏せられてる設定。まぁ、現地の面子もありますし。

でも「集団的自衛権の容認」で「積極平和主義」って、つまりこういうことなんじゃないかと、思うんですけどね。少なくとも、米国はそういう使い方を想定していると思います。

国会への報告とかも必要だけど、そういうの平気ですっとぼけそうだな、今の内閣だと……(ううむ)。


さて次回のお話は──

眼前に立ちふさがる呉の賞金狙いの50人の武装集団へと、傲然と殴り込む武藤(及びその他)。

沸騰する戦闘は、いよいよ頂点へ……!

乞う、ご期待!


次回は夏コミ直前の来週8月11日(月)6時更新予定です。

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