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「UAV二番機が間もなく現場上空に到達します!」
「よし! すぐに回線を開いて、現場に情報の配信を──」
浅田が命じ終えるより先に、耳障りな警告音が再び指令室内に響き渡る。正面モニターに表示されたマップ上のUAVのアイコンが、「被撃墜(SHOT DOWNED)」の標記に切り替わった。
「……二番機、撃墜されました」
「見れば、判る」
憮然と応えつつ、撃墜位置を確認する。例の狙撃兵の居座っているビルから、約一キロ。やや強めの横風が吹いている現場の気象条件を考えれば、ライフルの有効射程距離ぎりぎりと見ていい。要するに、かなり広域の索敵能力を有していて、UAVが撃墜可能な射撃圏に侵入するのを待ち構えていたのだ。これでは、何機UAVを送り込んでも同じだ。
「くそ……っ!」
部下の前だと判っていても、思わず声が出てしまう。
「標的の状況は?」
呉を連れたあの謎の男女は、狭い街路を巧妙に駆け抜け、こちらの包囲を突破しようとしている。外から襲い掛かってくる〈14K〉やNPAへの対処に兵を廻さなければならないとはいえ、こちらも兵の配置や動きをリアルタイムに読まれているとしか思えない。
一方、こちらはUAVを喪った御陰で、移動する敵の位置把握に若干のタイムラグが発生している。敵の動きには、そのタイミングのずれを織り込んだ気配が明らかにあり、それが浅田の神経をいやらしく逆撫でする。
「大通りに出られる前に始末しろ」
兵をひとりやふたり廻したくらいでは、あっさりと蹴散らされる。せめて五人ほどの集団にしてぶつけなければ……。
だが、それをわざわざ口にするまでもなく、副室長が襲撃チームの編成に手をつけていた。
「編成を完了しました。敵が次の角を曲がったところで会敵します」
副室長の報告に肯く。指令部スタッフもまた、阿吽の呼吸で戦闘指揮が可能なレベルに仕上がっていることに、我知らず口元がほころぶ。
よし、これで──!
武藤を先頭に、呉を間に挟み、殿が由加里、という陣形で、冷え込んだ夜の街路を突っ走る。
武藤も由加里も、武器は拳銃のみ。兵士たちが持っていた自動小銃を奪おうと思えば奪えたが、装備の重さで行き足がわずかでも鈍るのを避けたのだ。
「ちょ……ちょっと待って──っ!」
とは言え、案の定、呉の存在が見事に足手まといなりつつあった。まだたいした距離を走ったわけでもないのに、顎が出て、足がもつれ始めている。デスクワークと美食中心の生活をしていた三〇男の体力に多くを望んでも始まらないが、先頭の武藤と距離が開きつつあるのは由加里から見ても問題だった。
「警部!」
「後だ」
見かねた由加里の呼びかけを、武藤は一言の下に却下した。
『前方の角を曲がった先、五メートルほどの場所で敵が集結中。人数は五名。既に襲撃態勢で待構えてます』
「……勿論、そうこなくてはな!」
「は? 警部、何言って──?」
舌舐めずりでもしかねない上司の声音に突っ込みを入れかける由加里を無視し、武藤はぐっと低く身をかがめると、一段と行き足を加速させて、そのまま飛び込むように角を曲がる。
「ちょ、警──!」
由加里の制止の声は、激しい銃声の重なりにあっさり掻き消された。
後を追って一緒にそのまま角を曲がりそうになっていた呉の襟の後ろを反射的に掴んで、その場に引き倒す。小さな悲鳴を上げて、呉が尻もちをつく。
「………………」
不平の呻きを洩らす呉を無視して、おそらく酷い地獄と化しているであろう角の向こうを、由加里は蒼褪めた表情でじっと凝視した。
即席で編成された兵士たちは、会敵のタイミングを完全に予期していた。その意味で、厳密な意味での不期遭遇戦ではない。可能な限り万全の態勢で、待ち構えていたのだ。
にもかかわらず、襲撃直後から主導権はあっけなく敵に奪われた。
淡い街頭の光の下で、黒いコートをまとった大男が、角の向こうから滑り込むように飛び込んでくる。地面に貼り付かんばかりの不自然なほど低い姿勢で、そのまま拳銃を撃ちまくる。
「!?」
肩に着弾した兵士ひとりの身体が、突き飛ばされるようにその場でくるりと翻る。
だが、防弾装備で固めた兵士たちに動揺はない。高度に訓練された彼らは、ハイレベルのアスリートたちの多くがそうであるように、思考や感情の介入を無視して、身体が機能するように調整されている。
残りの兵士たちは、迷いなく自動小銃を撃ち始めた。
しかし、襲いかかる銃弾の先に男の姿はない。
その時点で、不自然な体勢のまま、地を蹴って男が突っ込んでくる。
最初に撃たれた兵士が射撃に参加できなかったことで、射線に死角が出来ていたのだ。男はその「射線の空白」を読んで、距離を詰めてきた──
「そんな、バカな!?」とは誰も思わなかった。「ありえない」と驚くこともなかった。
男が見せた常軌を逸した身体能力に、いちいち驚くような思考能力が機能するには、事態の変化は高速過ぎた。既にこの場の誰もが、思考に拠らず、叩き込まれた脊髄反射だけで戦闘に突入している。すべては、自動的に推移しようとしていた。
男が最初のひとりに襲い掛かる。先ほど拳銃で肩を撃った兵士だ。正面に向き直る前に、背後に取りつく。
その兵士の片膝が、後ろから拳銃で撃ち抜かれる。がくりと身体を崩す兵士の襟首を掴んで引き起こし、別の兵士に向けて突き飛ばす。同僚にのしかかられたその兵士も、手にした銃を使えないまま、もつれあうように二人でその場に倒れ込む──これで二人分の戦力が奪われた。残るは三人。
兵士たちは思考のプロセスを経ることなく、距離を置こうとする。こちらが数でも火力でも勝る以上、当然の反応だった。近接格闘戦闘に捲き込まれても、何の得もない。
だが、男は手近の兵士にぴったりと張り付くように、更に距離を詰めてきた。同時に、他の兵士ひとりからは張り付いた兵士の陰になるような位置取りに廻り込む。これで少なくともひとり分の銃口からは死角になる。
張り付かれた兵士が自動小銃の銃口を向けようとするも、銃身を押さえられて持ち上げられない。
「!」
はたと気づいた時点で、男がもう片方の手に持った銃把の底を首筋に打ち下ろす。一撃で首の脛骨が粉砕された。首をおかしな角度に捻じ曲げた兵士の身体がその場に崩れ落ちかけるのを、胸倉を片手で掴んで支える。
殺された兵士の稼いだわずかな時間の間に、隣の兵士が銃口を男に向けることに成功していた。
即座に引き金を落とす。制音器で初速を落としたライフル弾が、冷たい夜気を切り裂いて襲い掛かる。
男の輪郭線の中心を狙って放たれた銃撃を、しかし、男は体操選手のような柔軟さでぐにゃりと身体をのけぞらせて回避する。身体中をがちがちの筋肉で覆っているかのような外見からは、まったく予想のつかない柔らかさだった。
と同時に、カウンター気味に男の拳銃から放たれた銃弾が、兵士の顎から後頭部に抜ける。
その間に、残った兵士はバックステップで後方に下がり、射撃に充分な距離を確保することができた。躊躇なく引き金を落とす。あえて狙いは定めず、空間を面で押さえ込むようにフルオートで銃弾をばら撒く。
男は胸倉を掴んだままの兵士の身体を盾に、眼前の兵士に向けて突進を開始する。
次々にライフル弾が兵士の背中に着弾。その度に、兵士の身体が痙攣する。
そのまま最後の兵士の身体を壁際に挟み込む。
「!?」
驚愕する兵士の片眼に拳銃の銃口を押しつけ、無造作に引き金を落とす。
乾いた銃声が街路に響く。
「…………くっ!」
最初に膝を撃ち抜かれた同僚とともにもつれあって路上に倒れた兵士が、ようやく同僚の身体を押しのけた時、いつの間にかそばに立っていた男の存在に気付く。
感情の宿らない瞳が、無機物でも眺めるようにこちらを見下ろしている。
「………………」
凍りつく兵士から視線を逸らさぬまま、男は拳銃の銃口を隣の同僚に向け、続けざまに引き金を落とす。
すぐ横で、身体を起こしかけていた同僚兵士が、防弾装備の隙間を正確に貫かれてあっけなく射殺される。それを見て、凍結されていた兵士の感情が一気に炸裂した。
絶叫する兵士の頭部めがけて、男は固いブーツの底を蹴り込んだ。
「………………」
最後の兵士のヘルメットに装着された小型カメラからの映像が途絶し、正面モニターの一角がブルーバックに切り替わる。指令室内では最初から音声は切ってあったが、映像のぶれや最後に映り込んだ制止するような手の動きで、兵士の感情の動きはそれを見ていたすべての人間にはっきりと伝わった。
既に、襲撃チームの生体徴候はいずれも途絶している。
ほんの三〇秒ほどの戦闘で、五人もの手練れの兵士があっけなく殲滅されてしまったのだ──たったひとりの敵によって。
指令室内に沈黙と動揺が広がってゆくのが判る。映像を見ていた者は言葉を喪ってその場に立ちつくし、それを見た他のスタッフも作業の手を止めて、手元の端末で録画された動画データを見て凍りつく。悪質な感染爆発だ。
この場にいるスタッフの多くは、これまでも海外の現場に展開する兵士たちの支援業務として、襲撃作戦や銃撃戦の映像には見慣れている。虐殺に近い場面を目にしたことのある者もいる。
だからこそ、この戦闘の異常さを誰もが理解し、絶句するのだ。
素人同士ならともかく、プロ同士の戦闘で一対五の戦力比を勢いだけでひっくり返すことなどできない。勿論、ここでの「戦力」の定義には、装備や練度、地形や情報など、さまざまな要素が絡んでくるので、単純に数だけで決まるものではない。だが、それを踏まえても、明らかにこちらが優勢なはずだった。
にもかかわらず、画面の中の男は、待ち構えていたこちらからの一斉射撃をやすやすと掻い潜り、距離を詰めて接近し、ひとりづつ兵士たちを瞬殺していった。
揺れ動く兵士たちのカメラが捉えた男の姿からは、極めて高度な身体機能──少なくとも、バランス感覚と動体視力がオリンピック選手並みの高水準に達しており、そこに爆発的な瞬発力が備わっていることが見て取れる。
いや、それだけではない。
これほどの短時間で展開する戦闘では、兵士たちの身体は思考によっては動かない。訓練によって叩き込まれ、テンプレート化された運動パターンに基づいて、自動的に機能するよう調整されている。殺人への禁忌と死への恐怖からくる強いプレッシャーに晒されながら、戦場で戦闘機能を維持するには、それが一番手っ取り早いのだ。
だが、その分、熟練の兵士が相手だと、あらかじめこちらの動きが読まれやすい、ということでもある。判断の時間が与えられず、テンプレートに沿った動きしかできない状況に追い込まれてしまえば、なおのこと動きは読まれやすい。
しかし、だからと言って。
──待ち構えていた銃陣に真正面から殴り込んで、射線の隙間をこじ開ける、だと……?
浅田はたった今、目の前で繰り広げられた戦闘を脳内で振り返り、喉の奥で呻く。
身体機能や経験、練度の違いだけではない。発想からしてイかれてる。まともな兵士なら、こんなこと思いつきもしないし、思いついても実行できない。ほんの欠片でも恐怖心が残っていれば、身体がついてこない。
ならばドラッグか何かで恐怖心をぶっ飛ばしているのか?
いや、おそらくそれも違う。
男の動きは、最初から最後まで、まったく合理的だった。数に勝る敵の戦闘力をいかに封じるかだけを考えて、男は動いていた。
どこに移動すれば敵の攻撃可能性を最小にできるかの位置的・空間的把握。移動した自分を敵がいつ認知して、攻撃可能な態勢に移行するか──いつ銃口がこちらに向き、いつ引き金が落とされるか──の時間把握。……。
一瞬一瞬、時々刻々と変化するそれらの要素を幾何学的に掌握し、敵のど真ん中に生じた「安全な空間」を正確に縫って移動する。その「安全な空間」から五人の兵士たちを殺戮してのけたのだ。
ドラッグなど必要ない。本人には「安全」と判っているのだから、恐怖に捉われて身が竦むこともないだろう。
だが、そもそも、そんなことが人間に可能なのか?
可能かもしれない。先進国クラスの国家の軍隊が、湯水の如き大金を投じ、運動生理学の粋を集めて作り上げる、ほんの一握りの、本当にトップクラスの兵士になら。米軍なら海軍特殊戦部隊、陸軍第一特殊部隊デルタ作戦分遣隊 (デルタフォース)、英軍なら陸軍特殊空挺部隊の、さらに選りすぐりのトップチーム級の兵士たちであれば、あるいは。
絶対に失敗の許されない暗殺任務や、敵国の最深部に単身で潜入して情報や要人を連れて戻ってくるような、国家がその命運を賭けるに値する、戦略級の任務を任せられるにたるごく限られた兵士たちの話だ。
その辺の軍隊経験者程度の兵士や指揮官では、想像すら及ばない領域である。
そして、一度でもそうしたレベルに達した兵士たちは、死ぬまで国家の管理下に在り続ける。たとえ現役を引退して民間人になったからといって、国家が見逃すことはない。当たり前だ。彼らはその存在自体、「戦略」級なのだ。
おそらく、この男はそういう「存在」だ……。
「………………」
指令室内が静寂に支配されている。微かに聴こえる空調の音だけを背景に、誰もが指揮官である浅田の判断を待っている。現場の兵士たちの生死を、この場にいるスタッフの生活を、会社の存続自体を左右しかねない決断を、自分が下すのを、固唾を呑んで待っている。
判っている。もう関わるな。
相手が米軍だろうが、日本政府だろうが、「国家」を相手に、所詮「民間」の自分たちができることなど何もない。仮に目の前のこの男を斃したとして、「国家」の意志を揺るがせることなどできない。ひとたび「敵」と認定されれば、どこへ逃げようと、いつか必ず滅ぼされるだろう。容赦なく、徹底的に。
浅田自身、かつては「国家」の一員だった。一士官であり、一指揮官だった。だからこそ、判るのだ。
あの男の正体など判らない。どこの「国家」が背後にいるのかも知らない。
勿論、知るべきではない。一刻も早く、生き残りの兵をまとめて、この場から逃げ出すべきだ。そしてさっさとすべてを忘れてしまうべきだった。……。
だが。
だが、だ。
浅田は、何か名状しがたい、どす黒く、冷たい氷塊のようなものが、臓腑の奥に座り込んでいることに気づいていた。それは同時に、灼熱の業火にも似た熱量で、その身を内側から炙る。
それが、指揮官としての合理的な思考を、決断を阻んでいる。不条理で、非理性的な決断を求めている。
それは間違った決断だ。兵士たちを、組織を、そして己自身を破滅へと誘う決断だ。
判っている。よく判っている。そんなことは、判っているのだ。
だが。
そう──だが、だ。
「……嗤ってたな、あの野郎……」
「……は?」
浅田の呟きが聞き取れなかったのか、副室長が怪訝な声を上げる。
既に一線を越える決断を内心で下していた浅田は、その呟きを繰り返さなかった。それを部下に聞かれることは、これからの自分の指揮能力への疑いを与えることになる──感情に囚われた「間違った判断」を下していることを自覚しながら、思考はより高速に、より緻密に、そして冷たく冴えてゆく。
そうだ。
浅田は映像が途絶する直前、ほんの一瞬、カメラが捉えた男のシルエット──その口元にわずかに白い歯列が見えた意味を、正確に理解していた。
嗤っていた。嗤っていたのだ、あの男は。
あの男は、嗤いながら俺の部下を蹴り殺しやがった。殺される俺の部下の恐怖を、愉しげに堪能したのだ。神聖な兵士たちの戦いを、命のやり取りを、娯楽に変えて愉しみやがった!
制御不能な怒りが、その身の奥で膨れ上がる。
判っている。よく判っているのだ。
立場が違えば、浅田自身も敵を蹂躙することを愉しんだだろう。圧倒的な立場から敵を踏みにじって、その愉悦に酔いしれただろう。それは戦場の略奪品のように、古来より戦場に立つ兵士に、指揮官に与えられた「戦争の報酬」だ。
だから、それを持って、あの男の邪悪な愉悦を責めるのは、まったくのお門違い──
黙れ。それが何だと言うのだ。
殺す。殺す。ぶっ殺す。
理屈など知ったことか。こちらを見下ろすあの目が、こちらを嘲るあの口許の歪みが、ただただ許せない──人が殺意を抱くのに、それで充分だ。そうではないか。
「殺せ」
その言葉を口にした瞬間、何かがすっと軽くなる。なんだ、簡単なことじゃないか。
「奴ら全員を殺して、現場から撤収だ」
自分でも驚くほど落ち着いた口調で命じながら、内面では殺意が暴風のように荒れ狂っている。
殺す。殺す。ぶっ殺す。
それをぼんやりと眺める別の自分の存在をも意識しながら、もしかすると自分は発狂しつつあるのではないか、と浅田は静かに思った。
1対5の圧倒的不利な条件下で、待ち受ける傭兵部隊へと襲い掛かる武藤。
でたらめな強さで傭兵たちを「喰い散らかす」武藤の姿を目の当たりにして、日本人傭兵部隊を指揮する浅田の精神も昏く歪んでゆく……。
しかし、自分で書いてて何ですが、このおっさん(武藤)、チート過ぎんだろう……。
それはともかく、本編中では武藤の内面は一切描写してないので判りづらいかと思いますが、たぶん最後のひとりをわざわざ蹴り殺したのは、敵の指揮官が「カメラ越しに見ている」のを意識しているのだと思います。
それを見て相手が臆すればよし、逆上して敵の作戦指揮に隙ができればそれもよし、と言う……外道ですな。
案の定、浅田と彼は部隊は、引き際を読み誤って、この後、更に酷い目に合うわけですが。ううむ。
さて次回のお話は──
武藤の戦闘を目撃した由加里。そして闇にまぎれて陸自特殊部隊が動き出す。
乞う、ご期待!
次回は来週8月4日(月)6時更新予定です。