25
ご無沙汰しておりました、義忠です。
ちょうど1年ぶりの更新となりますが、おかげさまで今年も夏コミにサークル当選致しましたことを記念して、お久しぶりの『邀撃捜査線 カサンドラ・パラドクス』連載再開です。
とやかく申しません。
まずは夜の渋谷を舞台に、大規模市街戦へと向けてフルスロットルで突っ込んでゆく本編をお楽しみください。
携帯が着信の振動に震えた時、久慈はジムのロッカールームでシャツの袖に腕を通しているところだった。
画面表示には、作戦進行中の東京指令室の番号が出ていた。
「わいや」
『権藤と藤田の生体徴候が途絶しました』
防大出の元陸自士官で、海外国連PKO部隊での指揮官経験もある東京指令室の室長・浅田史朗が、落ち着いた口調で告げる。
「……どないしたんや?」眉根を寄せて、久慈が訊ねた。
『権藤と藤田が店内に入った後、男女二人組が店内に侵入。直後に発砲音が確認されて、まず権藤が、次いで藤田の生体徴候が途絶しました』
権藤は色黒の中年男の方、藤田はベースボールキャップの若い男の方である。いずれも久慈の「警備会社」で長い勤務経験を持ち、今回のような裏の仕事にも何度も従事しているベテランだ。それがふたり揃って、モニターしていた生体徴候信号が途絶したとなれば、ただごとではない。
「マシン・トラブルの可能性はあれへんのか?」
『二人同時に、という可能性はまずありません。しかも、発砲音の直後となれば、殺られたと判断するのが妥当です。そもそも、こういう事態を遅滞なく掌握するためのデバイスですので』
「………………」
久慈は深々と溜息をついた。
「何もんや、そいつら?」
『不明です。確認された映像を元に検索を掛けてますが、まだヒットしません。人為的に削除処理されている形跡もあります。何らかの組織に属している可能性は大きいものと思われます』
「国家機関の関係者か」
『発砲までの判断時間が短すぎます。国内の法執行機関とは考えにくい』
「ほな、同業者か」
『あるいは』
「で、どないしとる?」
『店の周囲を封鎖し、店内から飛び出してきた店員一名を射殺しました』
淡々と告げる浅田に、久慈は先廻りするように訊ねた。
「……わざわざ連絡してきたっちゅうことは、わしの判断が必要な局面ゆうこっちゃな?」
『はい』
「言うてみ」
『これから店内に突入しますが、敵にも後方支援がいると、店内で収まりがつかない可能性があります』
「………………」
久慈は無言で先を促した。
『渋谷署では、街頭マイクで拾った音声を自動解析してパトロールの初期対応に利用しています。当然、発砲音が拾われれば、警官隊が殺到してきます。今のところ、大通りから離れた場所で、店内、もしくは消音器をつけての発砲ですので捕捉された様子はありませんが、敵が路上で派手に発砲すれば、それまでです』
「それが嫌やったら、ここで手ぇ引け、ゆうことか」
『あるいは、我々の装備で警察を蹴散らすか』
浅田が感情を込めずに指摘する。
「……できるんか?」
『署轄警察の介入を排除できる程度の火力と兵力は投入しています。また関東一円に滞在中の、戦闘従事資格のあるスタッフ全員に動員を掛けました』
「ここで手ぇ引いたら、どないなる?」
『捕獲対象をロストします』
「そらしゃあないやろ」
『権藤と藤田の遺体が現場に残っています。権藤は元自衛官ですから、警察の手に渡ると我々まで素姓を辿られる可能性がある』
「あかんな、そら」
久慈は舌打ちして呻いた。社員ふたりが国内で射殺されたとなれば、警察や監督官庁の目を惹かないわけにはいかない。場合によっては、営業許可の取り消しもあり得る。
「いっそ爆弾か何かで吹っ飛ばしたろか」
『RPGを複数本撃ち込んで破壊することも検討しましたが、遺体を検死不能なレベルで破壊できたかどうか確証を取るのが難しいということで、断念しました』
「おい……」
半ば冗談で口にした話に、冷静な口調でとんでもない検討案を返され、久慈は絶句した。
「そんなモンまで、持ち込んどるんか?」
『先日来、東京で発生している大規模テロ事件は、いずれも裏社会の関係者を狙ったもので、大量殺戮のみならず、治安当局に噛みつくことも躊躇しない凶暴なものです。犯人グループの意図も正体も知れない以上、その矛先がいつ我々に向くか判りません。
そもそも、東亜グローバルビジネスの事務所爆破が彼等の仕業なら、今回の呉健民の身柄拘束にも介入してくる可能性は充分にある。現にベテラン二名があっさり殺られました。
そうでなくても、都内での発砲件数や小さな組織抗争の件数は増加しています。
最大級の警戒を行い、最大級の戦力投入をもって、最大級の迅速さで対応すべきと判断しました』
「………………」
関東の裏社会で緊張が高まり、些細なトラブルが刃傷沙汰に発展しがちになっているという話は、大阪にも伝わってはいた。各組織間で疑心暗鬼がつのり、一触即発の状況にあるらしい。
だが、政府が必死になって情報を抑えにかかっていることもあってか、テレビや新聞などの既存メディアではほとんど報じられていない。日常的に裏社会の情報に触れることの多い久慈をしてもなお、大阪にいると、どこか東京の空気感を掴みかねるものがあった。
電話口から聞こえる東京室長の口調に、高揚や動揺は感じられない。だがそれが、より事態の深刻さを物語っているようでもある。
しかし、ここまでキとるんかい、東京は……。
内心で呻きながらも、浅田の判断を否定する気にはならなかった。この業界、何であれ、最終的には現場の判断や肌感覚を無視していては始まらない。
「……まぁ、ええ。ほな、強行策を採った場合のデメリットを言いや」
『早期に決着をつける必要があります。署轄レベルの一般警察はいくらでも蹴散らせますが、長期化すると兵站と退路の確保が難しくなります。ましてやSATや陸自の特殊作戦群クラスの部隊を組織的に投入されれば、装備、練度、ともに手に負えなくなります。しかも、例の大規模テロ事件の影響で、当局は警戒レベルを上げています。こちらの装備水準が知られれば、迅速に戦力投入してくるでしょう』
「それだけなら、わざわざそんな面倒な策を上げてくるお前やないやろ。メリットもあると見とるな?」
『大規模テロ事件で当局の警戒レベルが上がっていることを利用します』
「何やと?」
『事後の捜査の矛先を大規模テロ事件の犯人グループに向けさせれば、多少の荒事を起こしても、我々は逃げ切ることができる。むしろ、そのためにも徹底的に派手にやってのける必要すらあります』
「警察の動きが早うなっとる件はどないする?」
『勿論、それを上廻る速さでこちらが動くことが条件です』
「判った」
出来もしない策を口にする男ではない。それなりの見込みがあっての話だろう。
「呉が抱え込んどる経理システムには高流動性資産で二~三千億は残っとるやろうし、年間の取扱高は一兆を越える。そいつを誰が握るかで、この国の裏社会の勢力図も塗り変わりよる。そうたやすう手ぇ引いたんでは、関西の大人衆も納得せんやろ──全火器使用制限自由や。お前に預けとる関東全域の会社の資金、装備、要員の全リソース、自由に使え」
『ありがとうございます』
そこに含まれた微かな笑みの気配に、「こいつ始めからそのつもりやったな」と感づいたが、そこはあえて突っ込まなかった。
「俺はこれから本社の指令室にこもる」久慈は荒々しくロッカーのドアを閉めて言った。
「大阪からできる限りの後方支援はしたる。存分に暴れて見せえ」
『こちら久住、店長が殺された! 繰り返す、店長が殺された! 軍隊みたいな武装の連中が四人、店の裏口を固めてる!』
「!?」
切迫した、しかし囁くような小声で告げる久住の報告に、武藤と由加里は顔を見合わせた。
「劉!」
『こっちにもいます』
現場であるラーメン屋から一〇〇メートル弱の距離にある背の低いラブホテルの屋上から、店の正面を見下ろす形で狙撃銃を手に待機している劉が、緊張を含んだ硬い声で報告する。
『こちらは五人──映像を廻します』
武藤の携帯上に、劉の狙撃銃のスコープと直結した映像が表示される。暗視画像ではなく、明度の高いドイツ製レンズ越しだったが、SATによく似た黒い都市迷彩の戦闘服に身を包んだ男たちが五人、周囲を警戒しながら配置につこうとしているのが見えた。いずれも欧米の特殊部隊などで多用される軽量なスポーツタイプのヘルメットに、長い銃身の自動小銃タイプの銃を手にしている。
ぎょっとした由加里が、開け放たれた店の入り口から外へと視線を向ける。こちらの視界に入るのを避けているためか、店内からは気配すら感じられない。
「結城!」
「こっちでも今、確認しました!」
『今じゃ、遅い!』
「ですよねぇー……」
鼓膜を貫いて響く武藤の怒声に、虎ノ門の司令室で結城が半分涙目で呟く。
「でも、防犯カメラには、こんな連中、どこにも──」
言いかけたそこで、パソコンが鋭い警告音を発する。念のために走らせておいた、映像を自動解析するプログラムが異変を感知したのだ。
「ループ動画に差し替えられてる!?」
一連の事件の発端となった高尾山荘襲撃事件では、地元の自治体や民間店舗の防犯カメラの動画映像が改竄され、同じ時間帯で延々と動画が繰り返す(ループする)ように仕込まれていた。たとえカメラの前で何が起ころうと、それをモニターする人間の目には、変わり映えのしない動画が流れ続けることになる。
しかし、デジタル化されたコンピューターの目線で見た時、同じように見える風景であっても、現実の風景を映した動画で画面の全情報が完全に同一となる映像が何度も繰り返すことはない。光源の揺らぎやカメラの調子など、映像がデジタル化される前のアナログ的要因によって映像は微細に変化し続ける。
であれば逆に、そのカメラ動画に過去のある瞬間とまったく同一の映像が繰り返されたなら、それは人為的に加工された映像ということになる。
結城はそれを自動的に解析して感知するスクリプトを組み、現場周辺の監視カメラの映像チェックをやらせていたのだ。
だが──
「これ全部差し替えかよ!?」
地元の自治体や商店街などが設置した監視カメラの台数は、この界隈だけで一〇を越える。それらすべてで、ほぼ一〇分間のループ画像差し替えが検知されていた。
『結城、どうした?』
「やられました。周辺の防犯カメラの画像すべてが、ループ動画に差し替えられてます」
『ふん。呉がこのラーメン屋に立ち寄るのなんざ事前の予測もつかなかっただろうに、とっさにそこまで仕込んでコマンドまで送り込んでくるか。──防犯カメラの映像は取り戻せるか?』
「いや、これどうも、現地のサーバ上でやられてるみたいで……」
この手の市街地や商店街の防犯カメラ映像の管理は、防犯カメラ設置規制法の施行により、監督官庁に認可された民間警備会社にメンテナンスと通報サービス込みで丸投げされることになっている。まぁ、「民間」と言いつつ、実態はおおむね警察や法務省官僚の天下り先なのだが、そこのサーバ上に侵入されているらしい。
「取り戻せなくもありませんが、ちょっと手間です。それより当座、通信飛行船からの映像を使って、無人偵察機が到着するまでの時間を稼ぎます」
相手はどうか知らないが、こちらは結城ひとりなのだ。何でもかんでも抱え込んではいられない。
「でも、いきなりここまでやってくるなんて……。我々の存在に気付いていたんでしょうか?」
『それはない』武藤がきっぱりと否定する。
『事後に警察に映像を押さえられるのを避けるために、念のためにやっているだけだ。そういうマニュアルと交戦規則なんだろう。
だから対応は早いが応用が効かない。絶好の狙撃配置にいる劉の存在にも、裏口で待機する久住さんにも気付かない。気付いていれば、そちらを先に制圧してる。
マニュアルを作った奴、全体を指揮している奴、現場を指揮してる奴のそれぞれが、頭の中で想定する「敵」と見えてる「戦場」のイメージにずれがあって、それを調整すべき全体の指揮官がそこに気付いてない。チームとしての擦り合わせができてない──カモだ。喰い散らかすぞ』
「………………」
音声のみの回線越しに武藤の肉食獣じみた笑みが伝わってくるようで、結城は慄然とした。
何で、たったこれだけのやり取りで、敵の組織的弱点まで見抜けるんだ、このオッサンは。……まぁ、それが本当に当たってるかどうかなんて、今の時点では誰にも判かりゃしないのだが。
『結城、敵の装備を確認しろ。俺が殺したふたりの顔と装備から敵の正体と戦術パターンを探れ。それと、更に後詰の兵が待機している可能性がある。この界隈で兵隊を積んでそうなバン、トラック、バスの類をすべてピックアップしてマッピングしろ。兵を積んでる車輌はサスが沈んでるのですぐに判る。それと──』
「……まだあるんですか?」
うんざりした声を上げる結城を無視して、武藤が指示を重ねる。
『電力系統と携帯電話の回線状況をモニターして、異変があったらすぐに知らせろ。連中が動き出すなら、まず電力と通信回線を潰しにくる』
「えっと……ゆ、優先順位は──」
無駄と思いつつ、恐る恐る訊いてみる。勿論、武藤の返事は簡潔かつ容赦なかった。
『全部だ』
「ですよねぇ~……」
『急げ』
駄目押しの一言を残して、武藤からの回線は切れた。
『劉!』
「聞こえてます」
劉が応える。防寒効果の高いゴアテックスのフードつきのコート。床に柔らかなクッションシートを敷き、寝そべるような姿勢で米海兵隊仕様のボルトアクション式狙撃銃を構えている。
両目は幅広な暗灰色のモニターグラスで覆われ、直接肉眼ではスコープを覗いていない。モニターグラスの内側では、周囲に設置されたカメラ画像や各種センサーからの情報、大気の流れや気温、湿度など弾道に影響する気象情報を統合し、抽象化されたビジュアルとして表示されていた。
電子狙撃支援システム(DSS)。
軍隊や警察などでの一般的な狙撃ユニットの最小単位は、ふたり──狙撃手と観測手である。狙撃手は勿論、銃を持ち引き金を引く者。観測手は、その狙撃手に標的を指示し、気象状況や周辺環境についてアドバイスし、スコープ内のごく狭い視界に意識を集中する狙撃手の背中を守る役目を担う。
それを狙撃手ひとりでこなせるようにと考案されたのが、この電子狙撃支援システムである。軍事予算の大規模な削減と、それでもなお強大な軍事力の維持という無理難題を押し付けられた米軍が、必然的に選択した一連の軍事革命──機械化、電子化、そしてネットワーク化プロセスの一環だった。多くの兵の中から選抜された才能に、高度な専門知識と過酷な訓練や実戦を通じて蓄積された経験の集積体である専門兵科をひとつ、まるごと機械に置き換えることができれば、莫大な開発費を差し引いてもおつりがくるだけの予算が浮くのだ。
米陸軍と海兵隊に導入され、アフガニスタンや中東の戦場で実績を積んだこのシステムは、その後、警察・治安機関向けに改良され全米の警察やFBIにも導入された。劉が身に着けているのは、その警察向けバージョンの方である。
軍用と比較して、良好な通信環境を期待できる都市近郊での使用を前提としているため、衛星通信機能などが省略され、またデータ処理の多くも使用者の手元ではなく、ネット上のクラウド空間で行われる。その分、機材の軽量化と簡素化が図られ、スコープに取り付けるセンサーユニットと周辺警戒用の小型カメラ数台、身に着けるモニターグラスに、後は汎用品の携帯一台で済ますシンプルな構成だった。
『指揮官の区別はつくか?』
「つきます。しきりに手信号を出してるこいつでしょうね」
武藤が冷ややかに命じた。
『俺が指示したら一弾で射殺しろ』
「……警告抜きでですか?」
『このレベルの装備と練度の敵を相手に、二発目以降を撃てる自信があるのか?』
「ありません」
劉は即答した。こちらの存在に気づかず、完全に油断している一発目はともかく、対狙撃デバイスを装備し、それなりの即応訓練を積んだ先進国の特殊部隊クラスの連中なら、二発目を放つ前に、即座に反撃してくるだろう。一発づつ手動でボルトを引いて排莢、次弾の装填を繰り返さなければならないボルトアクションのこの狙撃銃では、二発目を撃つ余裕はないと見るべきだ。
「具申します。所轄警察の増援を呼ぶべきです」
『却下する。その時間はない。それとも、軽装な所轄警官を重武装の敵の的にして、時間稼ぎでもしたいのか?』
「………………っ!」
劉が声にならない呻きを洩らす。
『まずは我々だけでここを凌ぐ。黙っててもお前が放つ銃声は所轄で拾われて、勝手に脅威判定して警官隊を送り込んでくる。
お前は、お前が放つその一弾の効果を、最大限に発揮する標的に撃ち込むことだけを考えろ』
「……了解しました。指示を待ちます」
劉は溜息をひとつつくと、モニターグラスの裏側で視線操作のポインターを使って、指揮官とおぼしき兵士の頭部を照準固定した。
『久住さん』
「……こっちゃ、身動きがとれんぞ」先廻りするように久住は言った。
「こんな豆鉄砲一丁で、軍隊みたいな連中の相手なんかできん」
コートの下のホルスターに収まる小型自動拳銃の銃把を握り絞める。
『充分です。それより連中をどう見ます?』
フロントガラス越しに車外の兵士たちの姿をそっと覗き見る。
「ご大層な格好をしちゃいるし、動きも堂に入ってるように見えるが……微妙に素人くさいな」
『自分が指揮官なら、真っ先に久住さんを始末してます』
「言うね……」
『現場にいる連中は、都市部での作戦行動に慣れてないのかもしれません。周辺車輌の確認や無力化に頭が廻ってない』
「例の連中とは違う?」
『違います』武藤はきっぱりと否定した。
『俺が育てたんです。あいつらはここまでレベルは低くない』
「ふむ……。こんな連中にぽこぽこ涌いてこられても困るんだがね」
『一連のテロによって、この東京の治安環境そのものに深刻なダメージが生じている。こいつらはその結果です。元凶を叩かない限り際限なく続く。
ともかく、連中の機先を制して、表の奴らを叩きます。その隙に現場を離脱してください』
「やれやれ。そうさせてもらうよ。若い連中に混じってドンパチできるほど、こっちも若かないんだ」
「よし、装備を確認するぞ!」
久住との通話を終えた武藤は、由加里を振り返って命じた。
「安全装置を解除して作動を確認する──どうした? 銃を出せ」
「本当に、こんな繁華街のすぐそばで銃撃戦なんて……!」
「銃を出せ!」
武藤が怒鳴りつける。
「お前とこの手の話をするのはこれで二回目だが、今にも敵が突入してこようとする状況下で相手をしている暇はない。何でこんなことになったのか、なんて話は、後でデスクに戻ってのんびり報告書でも書きながら考えろ。──さぁ、銃を出して、所持している弾数と作動状況の確認をしろ!」
「……はい……」
渋々、腰の後ろのホルスターから小型自動拳銃を抜き、弾倉を抜いて武藤に見せる。
「よし」
頷く上司の前で再び弾倉を収めて、スライドを引いて初弾を薬室に送り込む。常日頃からの厳しい指導の賜物で、金属のこすれ合う音とともに、由加里の拳銃は滑らかに作動した。
「予備弾倉は?」
拳銃を収めていたホルスターの横に挿していた一本を抜いて見せた。武藤の表情が見る間に険しくなる。
「……何でそれだけなんだ? お前の銃は弾倉に装填数が少ない単列弾倉だから、大目に予備弾倉を持てと言ったはずだろうが」
今日の由加里の拳銃は、彼女の手の大きさに合わせて、弾倉を収める銃把も細身の小型自動拳銃だった。女性警護官などが私服の下に隠し持ってても目立たない、欧州製の優美なデザインの銃だったが、隊内の弾種を統一するためと最低限の対人制止能力を確保するという理由で、軍用拳銃弾として標準的な9ミリ・パラべラム弾を使用する。なので、由加里の小さな手でも銃把が馴染みやすい反面、撃ってみると反動が意外ときつい。
それはともかく、予備弾倉を一本しか持ってこなかったのは──
「いや……街中で、弾倉何本も使うような事態、そうそう発生しないと──」
「現にもうすぐおっ始まるだろうが、このどアホう!」
武藤がこめかみの血管をぴきぴきと浮き立たせながら、自分の銃の銃把の底で由加里の額をぐりぐりと抉る。
「いたいいたい。そのぐりぐりすんの、やめてください!」
「……ふん。まぁ、いい。続きは帰ってからだ。それより、お前はこれを使え」
そう言って、米国製の小型自動拳銃と予備弾倉二本を由加里に押し付ける。そこで死んでる中年男の銃だ。
「弾種がお前の銃と違う32ACP弾だから、弾の融通は効かん。全弾撃ち尽くしたら、その場で捨てろ」
由加里が慌てて反論する。
「いやいやいや、証拠品ですよね、これ? 勝手に捨てちゃ──つか、それ以前に勝手に使っちゃ、マズイでしょ!」
「それがマズイかどうかを決めるのは、お前じゃない。どこかの安全なオフィスでふんぞりかえってハンコを捺すだけの誰かの仕事だ。そいつがお前の代わりに死んでくれるわけじゃない以上、気にするな。それで都合が悪くなるなら、悪くなってからそこで生き残る術を考えろ。今、生き残るためにこの銃が必要なら、使え」
「………………」
徹頭徹尾、ぶれないな、この人、と半ば呆れる由加里の手に強引に拳銃を持たせると、自分はベースボールキャップの男が持っていた拳銃を拾い上げる。
そのスライドを引いて作動状況を確認しながら、武藤はこれからの動きを指示する。
「間もなく携帯の回線と電力系統がダウンして、敵が突入してくる。その直前にこちらから機先を制して仕掛けるぞ」
「仕掛ける、って何する気なんです?」
ろくでもない予感しかしない。
「俺の車(BMW)のエンジンを掛けて敵の気を惹き、その隙に劉に敵の指揮官を射殺させる。そのまま車を突っ込ませて、そこのそいつと一緒にここから離脱する」
「そいつ……?」
武藤の視線を追って目を向けると、呉がスツールにしがみついたまま、さっきと同じ姿勢でへたり込んでいる。ああ、そう言えば、そもそもこの呉の身柄を押さえるために自分達はこの店に入ったのだった。何だか遠い過去のことのようで、危うく忘れかけてた。
「混乱に乗じて、俺が突破口をこじ開ける。お前は後方をカバーしつつ、そいつを連れてついてこい」
「ちょ、ちょっと待ってください!」由加里は慌てて訊ねた。
「警部の車は誰が運転するんです?」
久住には隙をついて離脱しろと命じ、劉は狙撃配置についてる。結城は虎ノ門の指令室からバックアップ。勿論、自分も武藤もここにいる。どこの誰に運転させるつもりなのか。
武藤は黙って自分の携帯を掲げて見せた。
「………………」
このオッサン、いよいよ大丈夫か?
と部下にあるまじき感想を率直に顔に出してしまった由加里は、即座に上司に頭をどつかれた。
いかがでしたでしょうか。
戦端が開かれるのは来週からですが、今週はその準備段階ということで。
しっかりネタを仕込んだ分は、来週以降の展開で行き着くところまで徹底的にぶちかましますのでお楽しみに。
さて、今回の連載では、ここから、先にCOMITIA108(2014年5月5日開催)にて刊行したパートまで一気に公開します。
そんなわけで、次回掲載、来週6月16日(月)零時更新をお楽しみに!