19
「〈METRO〉……? 何だそりゃ?」
「『高次個体情報追跡統合システム(MEta individual information TRace Organaizer)』──まぁ、こじつけですけどね。存在自体、ヤバすぎるので、定期的に名前も変わってるくらいで」
「個人情報保護関連の法規を山ほど踏みにじったシステムだもの。世間に知れたら内閣のひとつやふたつは吹っ飛ぶわね」
虎ノ門、重犯罪邀撃捜査班の本部会議室──
憮然と訊ねる武藤に、ノートパソコンを前にシステムをセットアップしながら応える結城の言葉を継いで、白衣を羽織った梶浦が他人事のように告げる。
「そういう話が多いな、この国は」
「あんたの存在もその内のひとつでしょ」
「この国じゃ、原発がまとめてメルトダウンしても革命ひとつ起きなかったんだ。気にするほどのことじゃねぇよ」
「それでも関係者の生首がダース単位で飛ぶの。当事者にとっては、そこが重要なのよ」
「ご苦労なこって」
「……人が仕事してる横で、物騒な会話は止めてください」
苦い表情で結城が呻く。
「で、結局、何なんだ、こいつは?」
「ま、言ってみれば、一種の地理情報システム(GIS)ね」
「地図の上に店舗情報や土地利用情報なんかを載っけて表示する、あれか?」
「そ」梶浦は肩を竦めて、嫌らしく口の端を歪める。
「ただし、ここで載せるのは個人情報だけどね」
「……なかなかに、たちが悪そうだな」
眉を顰める武藤に、梶浦は微笑みつつ説明を続ける。
「〈グランドスラム〉が収集した膨大なデータを個人情報に結び付けて、リアルタイムだけでなく、数日単位で過去にまで遡って地図にマッピングして追跡するシステムよ。これがあれば、特定の個人がいまどこにいて、そこに至るまでどこで何をしてきたのかが全部判るってわけ」
「凄いですね、日本の技術力は……」
劉が素直に感嘆の声を上げる。
「米軍の軍事施設の警戒や空港警備で、似たようなシステムがとっくの昔に導入されている。別段、革命的なシステムってことはねえよ」
「でも、その手のシステムでは、同時に追跡可能な人数が限られてるし、情報の精度も限られている。ましてや情報量の多い、都市部で大人数を対象にリアルタイムに運用できるようなパワーはないわ。 一、○○○万人規模の都市住民を対象に、これだけの情報処理能力を持つのは世界中でこの〈METRO〉だけよ」
つまらなさげな武藤の指摘を引き取り、梶浦が告げる。
「機械が勝手に行確(行動確認)してくれるってのかい?」久住が半ば呆れたように訊ねた。
「刑事なんて人種は、もうお払い箱ってことなのかね」
「残念ながら、それほど単純な話ではありませんけどね」
キィを叩きながら、結城がそっけなく答える。
「しかし、こんな完全に違法な代物によく予算がついたな」
「完成するころには、違法じゃなくなる予定ですもの」
梶浦が告げる。
「総務省中心に治安関連当局で法律案を準備中。次の国会で上程の予定よ」
「通るのかよ」
「多少の調整はあるでしょうけど、与野党とも内諾は取れてるわ」
「話がうますぎねぇか?」
「そもそもこの話、日米対テロ合同治安会議での国際的な合意事項で、法整備を経て近いうちに運用開始するのは既定路線なの。開発成果は共有することになってるし、データの規格もFBIの標準規格に沿ってる。最終的には向こうの同様のシステムと相互運用性を確保することになってるわ」
「……このいかれたシステムだけで終わる話じゃねぇ、ってことか」
「そういうこと」梶浦は小さく頷いた。
「最終的にはミサイル防衛(MD)システムと同じレベル──早期警戒(DSP)衛星が弾道ミサイルの発射を感知したら、人間の判断を一切挟まずにイージス艦や防空部隊に必要な軌道諸元が流れて即座に迎撃できるように、世界のどこかでテロリストが顕れたら、脊髄反射レベルで全世界でその情報を共有する公安ソーシャル・ネットワーク・システム(SNS)の構築、その第一歩ってところね」
「御大層な話だ」
どこか侮蔑するような口調で武藤が呟く。
「はい、セットアップ完了っと。メイン画面をそっちのモニタに表示します」
会議室正面の大型モニターに一瞬、システムのロゴのようなマークが浮かんで消え、東京全土のマップを中心に、いくつもの小さなウィンドウが周辺に開く。
「さて、誰の行動を追跡します?」
「この場にいないバカ新人がいるだろう」
その言葉に、結城がちらりと室内を視線で一巡する。またしても中央官庁廻りで不在の新庄は論外として、この場にいない「バカ新人」という身も蓋もない形容詞が適用されるべき人物と言えば由加里のことか。
「えーっと、あんまり若い女性のプライバシー侵害は気乗りしないんですが……」
武藤は簡潔非情に命じた。
「やれ」
「はいはい……」
渋々頷き、ノートパソコンのキィを軽やかに叩いて、由加里の職員コードを入力する。
「じゃあ、まずは現在位置から」
東京全土のマップから中野駅周辺にクローズアップ。マップ中央に点滅する赤い点が表示。ちいさなウィンドウが開き、俯きかげんでとぼとぼと駅の改札を抜ける由加里の姿が表示される。改札前の監視カメラからの映像らしい。
「こいつ、召集にも応じないで、こんなところで何やってやがんだ?」
「ちゃんと朝、司令室に来てたわよ、彼女」
「はぁ?」
「結城クン、午前七時までTLを遡って」
腕組みしてモニター上の由加里の姿をじっと見詰めながら、梶浦が命じる。
「判りました。現時点からそのまま遡ります」
結城がキィを叩くと、由加里の行動経路を遡るように、マップ上の赤い光点が中野から都心方向へとするすると移動してゆく。光点は地下鉄の経路に沿って虎ノ門まで辿りつくと、駅周辺の喫茶店やフードコートの辺りでしばらくふらふらした後、本部のある独法ビルに吸い込まれるように入ってゆく。横で時刻を示すデジタル表示は七時を示していた。
「あのバカ、わざわざここまで出てきといて、何で引き上げやがったんだ?」
首を捻る武藤に、あっさりと梶浦が言ってのける。
「あたしが帰したのよ」
「……手前、何の権限があって──」
「しょうがないでしょ。朝来たら、今にもぶっ倒れそうな顔色で真っ暗な司令室に突っ立ってたんだから」
その時の由加里の姿を思い出したのか、ぞっとしない表情で応えた。
「昨日の今日ですからね。目の前で前の職場がテロリストに鏖しにされて、建物ごと吹っ飛ばされたんだ。普通の女の子なら、そのまま引篭もって出てこないですよ」
「ちゃんと出てきたんだろ。ならそのまま仕事させりゃいいじゃねぇか」
「どこまで鬼なんだ、この人……」
ぼそりと小さく呟く結城に、武藤は冷ややかに告げる。
「戦場神経症に陥った新兵の扱いなんざ、どこでも同じだ。初期のショック状態を抜けたんなら、当分の間は感覚が麻痺して、無理やり日常に回帰して精神の安定をはかろうとする段階に入る。職場に出てきたってことは、そういうことだ。だったら、仕事で忙しくさせて考える暇を与えない方が本人のためだ」
「でも、それって、その内、気が緩んだ時にどかんとくるのよねぇ」
梶浦がそっけなく突っ込む。
「その時はその時だ。それを乗り越えられなかったら、そいつはそれまでってだけの話だな」
「相変わらずスパルタねぇ。まぁ、武藤クンに可愛い部下を思いやるようなデリケートな感性なんか、はじめから期待してなかったけど。
でも、せっかく見つけてきたあの娘を、そう簡単に潰しちゃうわけにはいかないでしょ」
すっと意味ありげに目を細めて梶浦が告げる。
「勝手にしろ」
武藤は小さく舌打ちして視線を逸らす。
……何なんだ、このやり取り?
結城は眉を顰めた。「見つけてきた」? やはりただの「普通の婦警さん」じゃなかったってことか。だが、一体、何を基準に探してきたんだ? それも、梶浦の口ぶりからすると、そうそう代わりの効く存在でもなかったようだが──
「で、何でこいつは中野くんだりをほっつき歩いてるんだ?」
「誰かのお見舞いにでも行くんじゃないのか」武藤の問いに、久住が代わりに答える。
「そうね。たぶん警察病院に向かっているんでしょう。町田警視が意識を取り戻したことをあたしが教えたから……」
短期集中連載の2回目、今度は虎ノ門の邀撃捜査班本部の場面です。
前回に続き、またミーティングで済みません。
で、今回は〈METRO〉という怪しげなシステムが出てきます。
書いてた時は単に「怪しげ」で済んでたんですが、映画『プラチナ・データ』でも似たようなシステムは出てくるわ、現実世界でもPRISM[http://bit.ly/131QmdZ]みたいなのものも出てくるわ……まぁ、人間の考えることなんて、所詮は一緒ということなんでしょうか。
しかし、早く書き上げないと、どんどん現実に追いつかれてしまう……。(あうう)
次回は来週7月28日(日)掲載の予定です。