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本作品はコミックマーケット78にて発売されました、サークル「カレードスコープ」編集の王道アンソロジー作品集『NEO』に収録された『邀撃捜査線 カサンドラ・パラドクス』を基に、一部加筆修正を行ったものです。
二〇二〇年一月、東京都高尾山中──
時刻は間もなく二四時を廻ろうとしている。都下とはいえ都心から遠く離れた山中は、一段と冷え込みが厳しい。年々進行する温暖化の影響で気候が乱れがちとはいえ、ここ数日の関東地方は南下するシベリア寒気団の影響で、久々に冷え込みのきつい日々が続いている。
昼日中でさえさしたる交通量もないその寂れた林道は、この時間ともなるとぱったりと車の流れが途絶えていた。麓の灯火もとどかぬその道路脇に停められたミニバンの車中で、電子音が軽やかに鳴った。
助手席に座る壮年の男がコートの内ポケットから携帯電話を取り出す。
『対象が全員揃いました』
「判った。そのまま現場で待機」
短く答え、背後のカーゴルームを振り返る。
「そっちはどうだ?」
「無人偵察機が所定ポジションに到達。動画中継を開始。微光画像、熱分布画像、いずれも良好。映像廻します」
カーゴルームに組み込まれたパソコンのキィボードを叩きながら、小さなドット模様の組み合わせで構成されるデジタル迷彩の野戦服を着込んだメガネの青年が応える。
男は強い意志の存在を伺わせる瞳を細め、手元の液晶モニターに視線を落とした。そこには、一軒の山荘を上空から見下ろす画像が表示されている。
「熱源情報を重ねます」
ゆっくりとアングルをずらしながら、山荘周辺の映像に熱源を示す大小の赤い点が重ねられる。大きな点は暖房装置や車輌、小さな点はそれぞれが人間の位置か。駐車場に駐まる一〇台ほどの車輌は、いずれも車内に人間が残っているのか熱量が落ちていない。
人間の位置を示す小さな点は、山荘を囲むような配置で屋外にまばらにいくつか。暖房と断熱材の所為か、屋内の様子はぼんやりとした熱源の塊にしか映らない。だが、少なくとも、どこの部屋に人が集まっているかは判る。見る限り、正面玄関前のエトランスと建物中央の会議室と思しき二箇所に熱源は集まっていた。
「周辺状況は?」
「道路封鎖は完了済みです」
地元の警備会社に偽装の発注をかけ、山荘周辺の侵入口となる道路はすべて通行止めにしてある。
「警察、消防の動きは?」
「高尾町方面で不審火災が発生、警察・消防関係車輌はそちらに向かっています」
勿論、これもこの時間に合わせて、彼等があらかじめ仕込んだものだ。
「その他、作戦地域に接近する熱源はありません」
青年の言葉に、男は肯いて告げた。
「よし。携帯電話回線、および周辺映像を制圧」
「復唱。携帯電話回線への電子妨害、周辺映像の制圧を開始します」
青年が手元のトラックボールを数回クリックする。
「山荘周辺での主要三キャリアの回線途絶を確認。〈グランドスラム〉への基幹回線に介入、周辺道一二箇所の公設カメラと八箇所の民間カメラの動画を五分間の周回動画に差し替え──差し替えの成功を確認。各カメラ本体への電磁破壊を実行──全モニタカメラの電磁破壊電磁破壊を確認」
「通信飛行船への目眩ましは?」
「今のところ順調です。電子ビーム投射機の出力は安定、自動追尾装置も異常なし。通信飛行船の現在座標を正確に追尾しています」
「各員に通達──」男は厳かに命じた。
「作戦開始」
山荘に併設された駐車場に駐まるリムジンの車中で、在日朝鮮人四世の金章薫は大きな欠伸をした。ボスや兄貴分が同席していればぶん殴られるくらいではすまないが、今はどちらも自分を置いて山荘の中だ。
池袋の事務所から引き上げようとした矢先に、急な会合があると兄貴分に捕まって運転手役を押し付けられ、一時間も車を飛ばして、現地についてみれば中にも上げてもらえず、こんな殺風景な駐車場で留守番だ。
本当なら、今夜は地元に新しく出来たキャバクラで、店長が用意した娘とよろしく過ごしているはずだった。それが晩飯も喰い損ねて、この寒空にこんな場所で俺は何をやっているのか。
バカバカしくて欠伸のひとつも出ようと言うものだ。
それにしても、何があったというのか。
ボスも兄貴分も見たことがないほど血相を変え、車中でもろくに口を利こうともしない。質問しようとすれば、「黙って運転しろ」の一点張りだった。駆け出しのチンピラならともかく、ぼちぼち組内でも中堅と見做され始めている自分を捕まえてこの仕打だ。金は軽くプライドを傷つけられ、苛立ちを覚えていた。
だが現地に着いて車内から周囲を見廻せば、自分達同様、高級リムジンばかり。その内、後から到着したリムジンから降り立ったのは、在日朝鮮系裏社会の大物で、表裏を問わず大きな取引量を誇る貿易会社の社長だった。勿論、自分など声も掛けられない雲上人だが、兄貴分に誘われて参加した年末の会合でちらりとだけ顔を見たことがあった。その大物氏の表情も強張り気味で、周囲の取り巻きの動きにも緊張した空気が伴っていた。
結局、ここでよほど重要な会合が行われている、ということなのか。
しかし、何のために──と、考えかけたものの、大した思いつきも浮かばなかった。中国人や日本人の組織とはこのところ関係は良好だし、ベトナム人やロシア人もこちらからちょっかいを掛けない限り今のところ大人しいものだった。
後は北朝鮮で何か政変でも起こったか──
暇に任せてつらつらと考えてはみたものの、ニュースサイトもろくに読まない自分ごときに政治向きの事情など思いつくはずもない。バカバカしくなって、考えるのをやめた。
そんなことより、例のキャバクラの店長に連絡をしなければ。今日のところは顔を出せそうもないが、近い内に再度セッティングを──
ジャンパーのポケットから携帯を取り出して開く。アンテナは圏外を示していた。
くそ。電波も届きやがらねぇ。どんだけ田舎なんだ、ここは。本当にこれでも都内かよ。
舌打ちして液晶パネルを睨みつけたそこへ、不意にどこかでガラスの割れるような小さな破砕音がした。いきなり辺りが暗くなる。
何だ……?
恐る恐る身を乗り出してフロントグラスの先を覗き込もうとすると、今度は車外からバンという叩きつけるような大きな音がした。
驚いて振り返ると、隣のリムジンのフロントグラスが真っ白に白濁し、自分同様に運転席に残っていたドライバーがシートに座ったまま大きく口を開けて天を仰いでいた。
──し、死んでる……?
だが、何故だ? 何が起こっているのか理解できない。
続いてあちこちから同じような叩きつける音や破裂音、ガラスの破砕音などが次々に聴こえてくる。
「な、何だよ!? 何が起こってるんだ!?」
何が起こっているにせよ、このままここにいるのはまずい。それだけは判った。
キィを廻してリムジンのモーターを起動しようとする。
と、サイドウィンドウが小さくこつんと鳴った。
最悪の予感に振り向けないまま、金章薫の身体は至近距離から叩き込まれた高速ライフル弾でずたずたに引き裂かれた。
「全車輌の無力化を完了」
暗灰色の都市型デジタル迷彩の戦闘服に身を包んだ兵士は、銃口に制音器を装着したイスラエルIMI社製タボールAR21で最後のひとりを射殺すると、喉元に装着した喉頭マイクを声帯に押し付けながら小声で囁いた。
駐車場の外からの狙撃と、狙撃が難しい配置にある車輌には、暗闇に紛れて接近した数人の兵士達による至近距離からの銃撃によって、車輌内で待機していたヤクザ達は一気に掃討された。いずれも厳重な防弾処理の施された車輌ばかりだったが、至近距離からライフル弾を撃ち込まれて無事な車輌用防弾ガラスなど、いまだこの世には存在しない。
冴え冴えと冷え込みを増す星明かりの下で、兵士は周囲を素早く確認した。
自分同様にプルバップ式の全長の短いタボールAR21を手にした完全武装の部下達が、リムジンの影から姿を表し、足音ひとつ立てずに集まってくる。デジタル迷彩の戦闘服に、防弾ベストと特殊部隊などで使用される軽量な戦闘用ヘルメット。黒い難燃性のアラミド繊維で編まれた目出し帽に、戦場での跳弾や破片から目を守る防護グラス。動きには無駄がなく、いずれも隠密接近術と静殺傷法を完璧に習得した熟練兵揃いだった。
だが、制音器を使用しても、複数の自動小銃の放つ発砲音は決して小さくはない。ほとんど同時に行われた別働隊の襲撃により、既に屋外の警備員は鏖にされているはずだが、どこかで誰かが聞き咎めていないとも限らない。
指揮官格の兵士は素早くハンドサインで山荘への移動を部下達に示すと、自ら先頭に立って走り出した。
兵を引き連れて駐車場から山荘に続く階段を駆け上がった指揮官は、ドアの両脇に突入姿勢で待機する二人の兵士の姿を認めた。彼等の足元には、警備役だったと思しき革ジャン姿の男が二人──首筋から後頭部に深々と軍用ナイフを突き立てて転がっている。
指揮官は差し出された小型モニターの有機EL画面を一瞥し、ハンドサインで部下達に突入時の配置を示すと、躊躇いなくドアを蹴破った。
指揮官はそのままドア前のフロアに上半身から飛び込み、床に伏せて前方に立つ男に銃撃を加える。同時に戸口の陰から銃口を突き入れた部下達が、フロア内に居合わせた男たちへ片っぱしから銃撃を加える。
各自担当象限を定められた五丁のタボールAR21から放たれた5.56ミリNATO標準SS109弾は、在日朝鮮人ヤクザ達の胸板を易々と貫き、頭蓋を砕き、高級な調度品を粉砕した。
敵の立ち位置は、先ほどの小型モニターで把握済みだ。ドアの隙間から挿入された髪の毛ほどに細いCCDカメラ・スコープが、屋内の様子をあまさず捉えていた。撃ち洩らしはない。
各組織でも中堅幹部級のヤクザ十数人を反撃の暇も与えず数秒で殲滅すると、兵士達は遅滞なくそのまま建物の奥へと突入してゆく。
その映像を警備室で見ていた警備担当者達は、騒然となった。
「襲撃だと!?」「どこの連中だ!?」
「知るか! それより早く客人を避難──」
指示を出そうとした警備主任が最後まで言い終えるより先に、警備室のドアが蹴破られ、室内に丸い対人手榴弾が複数放り込まれた。
意外に軽い破裂音とともに、金属スラグの暴風が室内に捲き起こる。警備員達は瞬時に血まみれの肉塊と化した。
山荘の中心部に設けられた窓のない会議室では、男たちが近づいてくる銃声と破砕音に慄然としていた。
「おい、何が起こってるか見てこい!」
会議の主催者でもある禿頭の李元碩はかたわらの側近に命じる。
肯いて会議室のドアに手を掛けようとした側近は、先にいきなり開いたドアに突き飛ばされた。
開いたドアからは、ここまで殺戮を重ねて突き進んできた兵士達が、濃い硝煙の匂いを纏って雪崩込む。
「な、お前ら、一体──!?」
言いかけた床の上の側近を、兵士のひとりが即座にタボールAR21で射殺した。
驚愕する一同の見守る中、兵士達の背後から、トレンチコートを着た壮年の男が姿を表した。
がっしりとした体躯に上背のある長身のその男は、冷ややかな眼差しでその場を眺め廻すと、真正面の李元碩を見据えるように視線を留めた。
「じょ、城島……っ!」李元碩は唸るようにその名を口にした。
「何故だ! 何故、我々がこんな目に遭わねばらん! 結果的に荷物は貴様らの手下に届いたではないか。それとも日本政府に貴様らの情報を売るとでも思ったのか!?」
「まだ売ってなかったのか?」城島はやや驚いたようにわずかに眉を寄せた。
「困るな。こちらの期待には応えてもらわないと」
「な……?」
絶句する李元碩に、城島は溜息を付くように静かに告げた。
「まあいい。どちらにせよ、我らの武威をこの国に示す。貴様らの犠牲はその先駆けに過ぎない」
「…………城島、貴様、いったい何の話を──?」
「殺れ」
短く口にした城島の命令に被せるように、銃声が長く鳴り響いた。
滅多やたらに銃弾を撃ち込まれて穴だらけとなった壁面を前に、警視庁捜査第一課重犯罪 邀撃捜査班に所属する潮 由加里は己の人生の来し方行く末を振り返っていた。
陸上長距離トラック競技の一芸入試で東京の女子短大に入学するために上京してきた一八の春には、警察官になることすら想像していなかった。
不景気が続きすぎてもはや当たり前になった就職難のこのご時世、目端の利く者は入学早々から就活に勤しんでいた。だというのに、刺激の少ない田舎からの上京組ということもあって、ついついうかうかと丸一年を遊び倒してしまった。二年次になって周り中がリクルートスーツだらけになってからはたと我に返ったものの、時既に遅し。短大出の就活出遅れ女子を拾ってくれる会社などそうそうなく、企業の陸上部やスポーツクラブに入れるほどの成績も出していない。就活に使えそうな資格もなく、今から慌てて取ろうにもカネも時間もない。
そんなわけで、差し迫る卒業を前にもう何十社目かも自分でも判らない面接が、どうもこれまたダメなことだけは本人にもそれと判る手応えに打ちひしがれて、とぼとぼと家路を歩くその途中、ふと交番前に貼られていたポスターに目を留めたのが、およそきっかけといえばきっかけだった。
横断歩道に立つ笑顔の婦警さんが黄色い帽子を被った幼稚園児を誘導しているそのポスターを見て、小さな頃にほんのちょっとだけ婦警さんに憧れていた自分を思い出した。──いや、「そういや、地方公務員って、お給料いいんだっけな」と思ったのも事実だったが。
そんなわけで、警視庁の警官募集に応募して、無事試験も突破。
警察学校での一〇ヶ月間の研修期間を経て、所轄の交通課に配属。見事にミニパトに乗った可愛い婦警さんになりおおせたところまでは良かったのだが、ついうっかり自分に射撃の才能があってしまった辺りが運命の転換点だったらしい。
それまでおもちゃの鉄砲すらろくに触れたこともなかったのに、するすると所轄対抗の射撃大会などに勝ち上がってしまい、「国体に出れる」「いや、オリンピックも夢じゃない」などと周囲からおだてあげられ、ついつい調子に乗ってしまった。
そう、調子に乗ってしまったのだ。調子に乗って魔が差したとしか思えない。
さもなければ、うかうかとあんな「悪魔」の甘言に乗って、こんな修羅場のど真ん中に迷い込むこともなかったろう……。
悔しさに唇を噛み締めながら辺りを見廻す。
事件発生から約五時間──
夜明けもまだ迎えていない現場山荘内は、険しい表情の男たちでごった返していた。近隣の所轄の鑑識班から科学捜査研究所までかき集められるだけかき集められた鑑識官達、本庁捜査一課に所轄の刑事も含め、辺りは事件現場特有の殺伐とした空気が漂っている。自分なぞ完全に場違いとしか思えない。
──というか、周囲からちらちらと浴びせかけられる視線が冷たい。いや、痛い。何か明らかに敵視されているような、とげとげしい視線をひしひしと感じる。少なくとも、歓迎されている空気はまったくない。
邀撃捜査班はいきなり新設された組織であり、実績らしい実績もまだない。にも関わらず権限も予算も潤沢に与えられていた。既存の警察官僚機構から好意的に受け入れられる要素は皆無だった。
正直、この空気だけでも、この場から逃げ出したかった。──まぁ、それが叶わないのを理解できる程度には社会人経験はあるので、心の中でそっと涙を拭うだけに留めたが。
重いため息ひとつで眼前の穴だらけの壁面に視線を戻す。そこには、床にへたりこんだ人間の輪郭が白いテープで描かれていた。それに合わせるように、壁面と床には赤黒い血の跡がべったりと残っている。遺体は既に屋外に運び出された後だが、ほんの数時間前、確実にこの場所で人の命が喪われたのだと考えると、陰鬱な気分に陥る。
いや。警察官たるもの、悲惨な事件現場に立会うことも、職務の一部だ。
だが、何十人ものヤクザが一夜にして機関銃で鏖にされるような事件は、もう警察の担当領域ではない気がする。ましてや自分のような、交通課上がりの新米婦警が首を突っ込むような事件ではない、と思う、のだけども。……。
脳裏を去来するそうした諸々の想いがざっとほぼ一周した挙句、由加里の思考は最初の位置に立ち戻った。
「……なんで、私、こんなところにいるんだろう……?」
「それは、ここがお前の職場だからだ」
虚ろな視線で壁を見つめ続ける由加里の耳元で、どすの利いた男の声が囁く。
「なっ!? 警部?」
引きつった表情で振り返った由加里は、むっつりとした表情で立つ大男──彼女の「悪魔」の存在に気づいた。
武藤 櫂──由加里の上司であり、彼女をこの絶望的な境遇に引きずり込んだ張本人である最悪の「悪魔」たるその男は、頑強そうな広い肩幅にスーツをラフに着こなし、その上にカラスのように漆黒のコートを羽織って、一八〇センチの長身からこちらを見下ろしていた。歳の頃は三〇代後半。癖の強い長髪に覆われた頭部から投げかけられるその視線は、「悪魔」というより「魔王」の傲岸さで蒼褪める由加里を一瞥する。
「手前の益体もない人生なんかどうでもいい。この壁の有様から、お前が読み取った情報は何だ?」
「はい。えっと……、犯人は機関銃を使ってます」
「どアホぅ」武藤はばしんと手元のクリップボードで由加里の頭をはたいた。
「そんなものは誰が見たって一目で判んだろうが!」
「……痛い……警部、マジで叩きましたね?」
叩かれた頭を押さえつつ、涙目で恨みがましく見上げる由加里に、武藤はさらに繰り返しその頭をぶっ叩いた。
「うるせぇ! このマジマジな状況が手前には目に入らねぇのか? 何寝惚けたこと言ってやがるんだこのアホたれ!」
「痛い、痛い! 判りました、真面目にやります!」
ひぃぃと悲鳴を上げ、改めて穴だらけの壁面に視線を向ける。
と言って、さっき口にした以上の何かが読み取れるわけでもない。救いを求めるように恐る恐る武藤の顔を見上げる。武藤は苛立つように舌打ちして、告げた。
「まず弾痕の大きさ」
「はい」
「壁の表面を大きく抉らず、すっぽ抜けてる。初速が早い弾種だった証拠だ。弾速の遅い拳銃弾では、壁の表面で運動エネルギーを散らして、大きく抉るような弾痕になっていたはずだ。おそらくは高速なライフル弾を使用している。そしてこれだけまとまって弾がばらまかれてるってことは、お前が言うように自動火器による集中射撃であることは間違いない。犯人はフルオートでの射撃が可能な自動小銃を使用していることになる。
次に弾着の位置。
撃たれた時の被害者の立ち位置から想定して、撃ち込まれた銃弾はすべて胸から腹の位置に収束している。ここに残っている弾痕の数からして、複数の銃からの発砲なのは間違いない。にも関わらず、これだけ同じ場所に弾着が収束しているということは、犯人達の射撃の練度が高い水準で統一されていることを示している。
更にいえば、銃弾の壁への入射角だ」
武藤はボールペンの先を壁の弾痕に突っ込んだ。ボールペンは壁に垂直ではなく、わずかに斜め下に傾いだ形に刺さる。
「……斜め下……?」
「そうだ。この入射角からすると、そこの後ろの通路の角──それもかなり低い位置から撃ち込まれている。何故か判るな?」
由加里は嫌そうにその問いに答えた。
「……敵に見せる正面面積をなるべく小さくするため……」
競技射撃ではいざ知らず、軍隊組織では堂々と敵に身体を晒しての発砲はバカのやることだとされる。ほんの少しでも遮蔽物の陰に身を隠し、低い姿勢から撃つように叩き込まれる。それはつまり、敵から撃ち返されたとき、わずかでも弾に当たる面積を小さくするためだ。
ヤクザや警察なら「敵からの反撃」をそれほど意識しなくてもいいかもしれない。むしろ相手を威嚇するために、身を乗り出してこちらの存在をアピールする必要がある場合さえある。
だが、「戦争」を商売とする軍隊では、「こちらが殺されずに、相手を殺す」ことがまず第一に求められる。それを合理的に追求し尽くした運動を、兵士は骨の髄まで徹底的に教育される。
つまり、犯人は高性能の自動小銃で武装した「専門家」──それも個人として「専門家」であるだけでなく、部隊組織として「専門家」として訓練され、編成されていることが、この穴だらけの壁を見るだけで判ってしまう、ということだった。
……いや、もう、こんな知識、ミニパト婦警には一生無縁な知識のはずだったのだが。武藤の説明を理解できてしまう、今の自分がたまらなく嫌だった。
それもこれも、今現在勤務中のこの部署──邀撃捜査班に着任する直前まで、六ヶ月も陸上自衛隊第一空挺団、通称習志野空挺団に交換研修生と称して放り込まれるという、異色のキャリアを持たさせられてしまった際に無理やり身につけさせられた知識である。
「……あたし、これからどうなっちゃうんでしょうか?」
思わずこぼれる愚痴に、頭部へのクリップボードの一撃が返ってきた。
「知るか」武藤が冷ややかに告げ、クリップボードを由加里の胸元に突きつけた。
「しっかり現場検証に参加して、気づいたことを後でレポートにまとめて提出しろ。腑抜けたレポートを出しやがったら、ただじゃ済まねえと思え」
ひぃと小さく悲鳴を上げる涙目の由加里に背を向け、武藤はその場を離れた。
そこへ、
「やあ」ハンチング帽をかぶった小柄な老刑事が武藤に声を掛けた。
「外は冷え込むね。中に入ると生き返るよ──ま、ここが何十人も殺された現場かと思うとぞっとしないが」
「劉は?」
老刑事──元捜査一課のベテラン刑事で、退職後の今は嘱託職員として邀撃捜査班に籍を置いている久住裕次郎に、武藤は一緒に行動していたはずの中国人捜査官、劉秀英の所在を訊ねた。
「もう少し外の様子を調べて廻るそうだ。日本人よりよほど真面目だよ、今時の中国人は」
「あいつはあの若さで香港警察特捜部出だ。本国でもバリバリのエリートですよ。中国人がみんなああだってわけでもないでしょう。
それより、機捜の方はどうです?」
「話はつけてきた。以前、所轄で面倒を見てやった奴がいてね。公式の報告以外に、後で個人的にいろいろ話を聞かせてもらえそうだ」
機捜こと機動捜査隊は、警視庁刑事部捜査第一課に所属する部署で初動捜査を専門に担当する部隊である。事件発生直後の関係者の記憶がもっとも鮮明な時間帯に聞き込みなどを行い、集めた情報をその後に開設される捜査本部に引き渡す。本来なら同じ捜査一課に所属する重犯罪邀撃捜査班とは全面的な協力関係にあっても不思議ではないのだが、諸々の事情で現実はむしろそれとは真逆な関係にある。
勿論、機捜が捜査本部に提出する公式の報告書ならいくらでも入手可能だが、得てして重要な情報とはそこからこぼれたものの中に埋まっている。
そこで久住に機捜隊員達に接触させ、非公式に話を聞く機会を作らせたのだった。
「ま、あくまで俺が『個人的に話を聞く』という体なので、お前さんや新庄管理官には遠慮してもらうことになるが」
「充分です。助かります」
武藤は軽く頭を下げる。
『警部、結城です』耳穴に挿入された小さなヘッドセットから若い男の声が聴こえてきた。
『周辺地域のカメラから画像を押さえました』
「何か映ってたか?」
襟元に付けたネクタイピンほどの小ささの喉頭マイクを押さえながら、回線越しに虎ノ門の本部にいる電子情報担当の結城武史に問いかけた。
『ダメですね。どれも事件発生の直前から五分間のループ映像を繰り返してます』
「通信飛行船からの映像はどうだ?」
通信回線需要の高まりによって、数年前から東京上空二万メートルに三隻の通信中継用の飛行船が常時浮かんでいる。単純に通信衛星を打ち上げるより安上がりだからでもあったが、そこに防災対策と称して対地観測用の高画質映像カメラや各種センサーを積み、二四時間常時、全天候で地上を監視できるようになっていた。
『それなんですけどね』結城は苦い口調で答えた。
『ちょうど事件の間だけ、それも現場上空だけに妙な「雲」が発生していて、地上の様子が判別できません』
「雲?」
事件当夜の天候は快晴だったはずだ。
『勿論、自然現象じゃありません。天候に左右されない合成開口レーダー画像にまで「雲」が映ってるんですから』
「クラッキングで書き換えられた……?」
『いやどうですかね。〈グランドスラム〉のセキュリティはそんなに甘くないはずだし、それなら一次情報が機材側の記録媒体に残ります。でも、いろいろ当たって見る限り、一次情報段階から妨害を受けてるようで』
「電子妨害……か」
『それも、おそらくどこかの大国の正規軍クラスの技術と装備を使った、かなり本格的な奴です。一応、上に掛けあって情報収集衛星からの映像が廻してもらえないか訊いてみるつもりですが……』
「まぁ、無駄だろうな」
『ですね』あっさりと結城は認めた。
情報収集衛星の所管は、内閣直属の内閣情報調査室(内調)に属する内閣衛星情報センターで行われている。その利用は、関係省庁の局長クラスで構成される運営委員会による事前審査でしか受け付けていない。仮に犯行時刻に都合よく上空を飛んでいたとして、今回のように後から映像が欲しいと申し立ててもまず何も出てこないだろう。
『引き続き、本部での打ち合わせまでに情報を掻き集めておきます』
「判った。頼む」
回線を切って黙り込む武藤に、久住が声を掛ける。
「あんまり芳しくないようだね」
「どうも、そんな感じです」
「で、結局、何人死んだんだ?」
「ここまでに確認できている限りでは、四四人」武藤は抑揚なく口にした。
「内二人は、この山荘の管理人だった五〇絡みの老夫婦でした。離れにいたのを引きずり出されて射殺されたようです」
「……犯人はのんきに家探しまでしていったってのかい?」
「おそらく熱か音で機械的にスキャンして見つけたんでしょう。見つけるまでに大して時間は掛けてないと思います」
「よくよく金廻りがいいようじゃないか、犯人は」
久住は吐き捨てるように言った。
「しかし、何を考えてるんだかな。人ひとり殺しても、一生うなされる奴もいるってのに。ヤクザとは言え、よってたかって、こんなに大勢を殺して」
「牛や豚の夢でうなされる奴は、肉屋にはいません」
武藤は素っ気なく告げた。
「『肉屋』……ね」
久住は目を細めて武藤の仏頂面を睨んだ。
「あんたはこれが本職の『肉屋』の仕事だと思っとるわけだ」
「間違いありません」
「やれやれ。いつからこんなに物騒になっちまったんだ、この東京は」
久住はハンチングを取って溜息をついた。
「で、あちらのお嬢ちゃんが今度来る新人かい?」
「そうです」
肯く武藤と久住の視線の向こうで、へっぴり腰で現場をうろつく由加里が、年配の鑑識官に怒鳴られペコペコと頭を下げていた。
「……大丈夫なのかね? どう見てもそこらの普通のお嬢さん、という感じにしか見えんが」
「『そこらの普通のお嬢さん』がこんな場所にくるわけがないでしょう」
「………………」
無言でまじまじと武藤の顔を眺めた久住は、再び溜息を洩らした。
「あれも『肉屋』にしちまうつもりかね?」
「まさか」武藤は薄く口元を歪めた。
「元から、ですよ。あいつも」
「……まったく持って、やれやれ、だな」
「………………」
久住が肩を竦めるその横で、武藤は凍てついた視線で由加里の背中をただ睨み続けていた。