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それが本題か。里見は胸の裡で唸った。しかも、別室に呼び出して内密に申し出ればいいものを、こうして衆人環視の中でこんな話を持ち出すというのは、これを機に邀撃捜査班をはっきりと捩じ伏せ、本庁のコントロール下に置いたことを内外に宣言しようという肚だろうか。
海江田は更に追い打ちを掛けるように言った。
「君ら重犯罪邀撃捜査班の設立直後というこの時期に、その幹部班員と非常に深い関係にある犯人によってこのような事件が引き起こされた──そのこと自体を疑う声が庁内ではないではない。
加えて、武藤警部は犯人逮捕の際に無抵抗の犯人を射殺、尋問の際には犯人への暴行を行っているとも聞いている。法執行機関たる警察官の服務規定に照らし合わせて鑑みるに、それらの行動を我々はどう評価すべきだろうか。
無論、本人にはそれなりに言い分もあろう。
それら諸々の嫌疑、ここで晴らしておく方が、武藤警部自身の今後の経歴のためにも良いのではないかな?」
武藤が邀撃捜査班の主要幹部であることは、里見もよく知っている。班立ち上げ直後のこのタイミングで武藤の身柄を押さえてしまえば、邀撃捜査班は自動的に機能停止に陥るだろう。
いや、自分の保身的には、その方が助かるのか。この娘婿の所為でこれ以上、おかしな立場に追い込まれるのはまっぴらだった。これでしばらくおとなしくしてくれるのなら、それに越したことはない。
だが、そんな里見の切なる願いに反し、新庄は薄っすらと口元を歪めて呟いた。
「何を言い出すかと思えば……くだらない」
思わず耳を疑った。一介の平警視ごときが警視総監に向かって効いていい口ぶりではない。跳ね上がりの若僧の戯言としても、聞き捨てならない。
案の定、静かにざわつき始める室内の空気を無視するように、新庄は何も言わずに席を立った。
「お、おい、新庄警視──!?」
木戸が制そうとするも、新庄の一瞥を受けて気圧されるように口をつぐむ。
そのまま会議室の中央に歩み出た新庄は、海江田警視総監の真正面の位置で立ち留まり、ひたと海江田の顔を見据える。
海江田は鷹揚に発言を許可した。
「言いたいことがあるなら訊こう、新庄警視」
「あなたがたは何もわかっていない」
「ほう……?」
「犯人の正体について糸口すらなかった状況から、重武装の犯人部隊と接触し、まがりなりにも犯人のひとりを拘束し、事情聴取を成功させたのは我々重犯罪邀撃捜査班であり、武藤です。向島署襲撃の際も、犯人部隊を何名も斃し、脱出に成功している。
そもそも武藤や私からの進言通りに、拘束した犯人の身柄を早急に隠していれば、向島署襲撃事件自体、発生していなかった可能性さえある」
「その功績を否定するものではない。だからこそ、武藤警部の持つ情報を全捜査官が共有することは、事件の迅速な解決に大きく資するものだと思うがね」
「穴の開いたバケツに情報をいくら注ぎ込んでも無駄です。むしろ有害ですらある」
「な……っ!?」
「騒ぐな、見苦しい」
木戸が思わず腰を浮かせかける横で、海江田が新庄を睨んだまま叱責する。
しぶしぶ腰を落とす木戸をよそに、海江田はどこか愉しげな表情を浮かべて言った。
「続けたまえ」
新庄は肯いて告げた。
「今度の事件は、これまで我々が経験してきたいわゆる一般的な犯罪とは完全に異なります」
「無論だ。ここまで大規模なテロ事件は、我が国警察史上、初めての事態だ。これは全警視庁職員が理解している」
「そうではありません」新庄は首を振った。
「これは『戦争』です──それも人類史上、初めて経験する『データベース戦争』なのです」
「サイバー戦、と言いたいのか?」
情報部長が首を傾げながら訊ねる。
「ならば、我々は第三国の軍当局や犯罪集団のクラッカーとの攻防を日常的に経験している。都市情報インフラへの大規模攻撃もこれがまったくの初めてというわけではない。自衛隊のサイバー部隊や民間と協同しながら、クラッカーを撃退し、摘発してきた」
「だが、敵対集団に侵入された情報インフラを敵と共有しながら、捜査を行わなければならない事態には陥ったことはない」
「〈グランドスラム〉……」
情報本部長の呻きに新庄が肯く。
「交通監視システムだけではない。向島署の爆破も、白鬚橋の崩落も、何故、犯人達はこれほどの精度で破壊に成功してのけたのか? 言うまでもなく、これらの建築物について高精度のCAD情報を有し、事前に爆破シミュレーションを実施していたからに外ならない。
だが、我々はたとえ敵に汚染され、支配下にあると知っても〈グランドスラム〉の利用を停止できない。停止させるにはあまりにも深く依存しすぎていて、代替え手段もない。停止した瞬間に行政サービスが瓦解しかねない。汚染された機能のみに限ろうにも、複雑巨大化したシステム上に存在する侵入経路が判明しないのでは意味をなさない。
結果、我々は敵と情報インフラを共有しながら戦わなければならない……一、〇〇〇万都民のすべての情報を呑みこんだデータベースと未来予知機能を有した情報インフラ〈グランドスラム〉を。
それに対抗するには、敵によるシステムの支配や漏えいを前提にあらゆるリソースを駆使して敵へ反撃し、排除し、追いつめて、殲滅する戦いをせねばならない。
私たちはこれを既存の『サイバー戦』を越えた『データベース戦争』と定義づけています。
だが、既存の捜査機関ではそれに対処できない。そこまでの装備も体制も用意できていない。捜査データベースも〈グランドスラム〉に組み込まれ、裏金で運営されている裏データベースに至っては、ろくなセキュリティ措置もなしに無神経にネット上に放置されている」
「な……!?」
関係者間では公然の秘密となっている裏データベースの存在をあっさりと暴露した新庄は、唖然とする情報部長を無視して更に言葉を継ぐ。
「だが重犯罪邀撃捜査班にはその準備がある──元より〈グランドスラム〉の評価機関として設立された 重犯罪邀撃捜査班は、〈グランドスラム〉に対して自律した情報システムを有しています。〈グランドスラム〉からの干渉を完全に排し、外部からの侵入を防ぐ強固な電子防壁に守られた情報インフラを利用可能だ」
「待て。〈グランドスラム〉に干渉されないネットワークの立ち上げくらい、我々にもできる。既にそれは手配済みで、今日の夕方にはユーザーを限定した初期運用段階までこぎつける。そんなものは、貴様らだけのイニシアティブではないぞ」
「結構。ですが、それは三、〇〇〇名の捜査員の運用や対策本部との連携を前提としたものなのですか?」
「……それは……」
情報部長が口ごもる。
情報システム導入の成否は、ハードウェアやソフトウェアの仕様にあるのではない。結局はそれを使うユーザーのワークフローに沿ったシステムに仕上がっているかどうかであり、ユーザー数や利用シーンが増えれば相応に複雑度は高まる。
更に今回の事件では、所轄、本庁を問わず、捜査員が大規模に動員されており、役職によって機密接近資格も異なる。更に対策本部の立ち上げに伴って、国や都、関連する防災機関、総務省、防衛省などの外部省庁との相互乗り入れも発生し、それぞれの情報管理規定に則ったセキュリティ設定を行わなければならない。
〈グランドスラム〉であれば、あらかじめ何度も行われている演習結果に基づいて、すぐに細部まで調整済みのシステムを立ち上げることができる。
だが、〈グランドスラム〉に頼らずに、これから新規にシステムを立ち上げるとなれば、当座は利用範囲を限定した小規模なものにならざる得ない。事件の進展次第によっては、関係省庁との情報共有の設定も見直すことになり、それだけ時間も金もかかる。
システム側の機能が限定されるなら、その分、使うユーザー側の運用でカバーするということになるが、三、〇〇〇人の捜査員にあまり繊細な運用規定を押し付けるわけにもいかない。時々刻々と進行する事件捜査の片手間とあっては、無理な運用規定があれば現場は簡単に無視するだろう。そこに文句を言っても始まらない。公的機関であろうと民間であろうと、情報システムの運用とはすべからくそういうものではある。
それを踏まえて、代替システムの構築は事件の進行に間に合うのか、と新庄は問うている。
里見も技官のひとりとして、さすがにそれは無理だろう、と見ていた。まともに使い物になるシステムを立ち上げるまで約半月──それもかなり楽観的な見積で、だ。捜査現場での情報システムの運用に熟知したSIが指揮を執って、業者に渡す提案依頼書(RFP)や基本設計にどこからも文句がつかず、現場への教育も含めた引き渡しもスムーズに行われることが前提で。……つまり、かなり「ありえない」条件設定での話である。
捜査の初動にはまず間に合わない。と言って、だから何もしません、というわけにもいかないのだろうから、情報部長の苦悩は察して余りある。
「我々であれば現行のシステムのまま、事件に対処可能です」
「ならば、それを捜査本部に解放したまえ!」
木戸が強く主張する。
「無意味です」そっけなく新庄は否定した。
「少人数の班員に利用者を限定しているからこそ、高度な運用規則を徹底できている。それを前提にしたシステムに、想定外のユーザーの接続を許せば、運用そのものが破綻する」
「な…………っ!?」
言われた内容よりその不遜極まりない態度に絶句した木戸が、思わず情報部長の顔を見る。情報部長は苦渋に満ちた表情で肯き、新庄の説明を肯定した。
「本題に戻ろう」海江田総監が告げる。
「それで、君の要望はなんだ?」
「総監、我々は相互に利益を得ることが可能な関係にあります」
「……我々?」
海江田がわずかに眉を顰める。天下の大警視庁と新設早々の邀撃捜査班を対等な存在であるかのように言い放つ新庄の物言いに、聞いてる里見の肝の方が氷点下まで冷え込んでゆく。
急速に変化する義父の顔色に一切頓着することなく、新庄は続けた。
「我々は今回の事件に対処可能な能力を持っています。加えてあくまで官報にも記載されない非公式な機関であり、国や都の対策本部の指揮統制下に入らねばならない義務もない──つまり自由に動き得るということです」
「………………」
「我々が挙げた成果はすべて警視庁に差し上げましょう。犯人逮捕による世間からの賞賛など、我々は元より求めていません。非常事態下での〈グランドスラム〉運用のデータさえ得られればそれで充分です──邀撃捜査班はそのために設立された組織ですから」
「その対価に、私は何を君に約束すればいい?」
「〈METRO〉へのデータ提供を」
無造作に新庄が言い放ったとたん、海江田を始めとするごく僅かな幹部達の表情が一斉にこわばった。
だが、何だ? メトロ……地下鉄がどうした……?
意味が判らず首を傾げる里見をよそに、木戸が顔を真っ赤にして訊ねる。
「貴様、何故その名を──?」
その木戸を一顧だにせず、海江田のみに視線を見据えて新庄は告げた。
「我々は〈グランドスラム〉の機能検証を主幹業務とする部隊です。〈METRO〉の最新バージョンと同一のクローンを保有している。そこに実データをぶち込んで犯人グループを追跡します。警視庁管轄下にある生のデータをこちらに廻していただきたい」
「つけあがるな、小僧!」
激昂した木戸が席を立つ。
「貴様、一体、何様のつもりだ! 貴様らは素直に本庁の言うとおりにしておればいいのだ!」
だが、新庄は覚めた表情で海江田のみと対峙し続ける。
「おい! 聞いとるのか、貴様──っ!」
「もういい」海江田は疎ましげに木戸を制した。
「あれは警視庁のデータだけでは機能しないと聞いているが?」
「他の機関からのデータの入手は、こちらで何とかします。必要とのことであれば、官房長官から一筆いただいて出直しますが」
「拒否権はなし、か。いいだろう。
警視庁はそのようないかがわしいシステムの存在は一切、関知しないし、提供するデータの使い道についても知る気もない。ただし、法令順守から逸脱する個人情報の利用がなされていると発覚した際は、しかるべき責任を負うてもらう。君らにも、君らの行動を容認した人々にも、だ」
「充分です」
新庄は小さく頷くと軽く頭を下げ、もはやこの場に用はない、とばかりに踵を返す。とうとう最後まで、里見の方には目も向けようともしなかった。薄情とかどうとかという以前に、まったく眼中にないということか。
「おい! 待て、貴様!」
「放っておけ。ここから先の会議にあの男は必要ない。議事進行を再開したまえ」
「は……? いや、しかし──?」
平然と会議室を出てゆく新庄の背中と、海江田の超然とした横顔を何度も見比べた木戸は、やがて諦めてしぶしぶと腰を下ろす。そのまま苦渋に満ちた表情で手元の議事資料をばさばさとひっくり返し、次の議題を確認しようとする。
その無様な態度が何となくいい気味に思えて、里見は思わず頬を緩めてしまう。
と、木戸が物凄い形相で、こちらを睨み付けてきた。
やつ当たりだろう、それは──と思ったが、そういう理屈が通用しない相手であることも判っていた。後で呼びつける気満々だ、あの貌は。
また、ねちねちと愚痴とも説教ともつかない益体もない御託を聞かせされる羽目になるのか……。
再びしくしくと痛み始める胃の腑を、里見は半分涙目でさすり続けた。
次回は来週7月21日(日)掲載の予定です。