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第一部最終回です。
ちょうど東北大震災直後とあって、表現として厳しいかなとも思いましたが、あえてこのまま掲載します。
テロをテーマにする以上、生温いお話は書けませんから致し方ない面もあるのですが、ご不快に感じられる方がいらっしゃいましたらすみません。
それでも、世界の過酷さとその彼方にある何事かと向き合うための物語として、このまま書き続けてゆきたいと思っております。
さて、とはいえ続きの原稿がまだまだ溜まってませんので、しばらくお休みをいただきます。
その代り、『棺のクロエ』シリーズの外伝作品の連載を開始いたしますので、そちらをお楽しみに。
では、ごゆるりとお楽しみください。
「由加里、ちょっと由加里! 起きなさい」
「……ふぇ? 先輩?」
肩を揺すられて、由加里は目を覚ました。
「ったく、人に運転させといて、自分は助手席で居眠り? いいご身分ね」
いつものミニパトの車内。いつもの町並みを通る、いつもの巡回ルート。ぽかぽか陽気と香織の安全運転のおかげで、ついつい舟を漕いでしまったらしい。
「えと……すみません」
「まぁ、無理もないけどね。昨夜も遅くまで残って、調べ物してたんでしょ」
「何で知ってるんですか?」
びっくりする由加里に、香織はにやりと笑って言った。
「向島署にその人在りと謳われたこの香織さんを、舐めてもらっちゃ困るわね。そーいう情報は、何かしらあたしの耳に入ってくるようになってるのよ」
「はぁ……」
要するに夜勤組の誰かから話を聞いたということか、と由加里は解釈した。
「で、何を調べてたの?」
「この辺りの道路事情とか、事故の記録とか……」
「着任したときに、現任教育で一通り目を通してたんじゃないの?」
「あの時は何が何だか判らないまま、とりあえず眺めてただけでしたから。毎日パトロールで見聞きしていることを基にして、読み直してみたら、夢中になっちゃって」
「そう」香織はどこか嬉しげに苦笑した。
「ウチの署に来たばかりの時は、『この娘、本当に勤まるのかしら』って思ったけど、案外しっかりしてきたわね」
「……それって、褒められてるんですか?」
「う~ん、パトロール中に助手席で居眠りかます後輩を、あたしの立場からは、そうおいそれと褒めてあげるわけにはいかないわねぇ」
「す、すみません」
顔を真っ赤にして由加里が頭を下げる。
「ま、勉強熱心なのはいいけど、体調管理だって立派な仕事よ。
いい? あたし達の本当の職場は署内のデスクの上なんかじゃなくて、この街の中。体調が悪いからと言って、困っている人を見過ごしたり、駆け付けることができなければ意味がないわ──それが『お巡りさん』のお仕事なんだから」
「はい」
肯く由加里に、香織は瞳を細めた。
「じゃあ、ここから先はひとりで大丈夫ね」
「え?」
気が付くと、香織が車外に立っていた。いつの間にか、ハンドルも自分が握っている。
「あれ? 先輩? 何で──?」
「ごめんね。あたしがついていてあげられるのはここまでなの」
「先輩! 待ってください、あたしはまだ──!?」
だが、香織を車外に残し、車が勝手に動き出す。
「やだ、ちょっと! 何で停まらないの?」
運転席のシートから後ろを振り返ると、香織が遠くで手を振っていた。
「由加里ーっ! あなたならきっといい『お巡りさん』になれるわ。あたしが保証する。だから、しっかりね!」
「先輩、そんな、あたしはまだまだ全然──!?」
「……先輩……?」
喧騒──そして、頭痛。全身もずきずきと痛む。
どこだ、ここ……?
痛む身体に無理をきかせ、上半身を起こす。周囲に視線を巡らせると、辺りは怒号が飛び交い、制服や私服、それと戦闘服姿の男女が慌ただしく出入している。折り畳みのデスクが並べられ、パソコンや通信機材が積み上げられていた。上を見ると金属パイプの骨組みに布地の天井──テント?
どうやらテント組みの急拵えの指揮所の片隅にベッドを設け、そこに寝かされていたらしい。
だが、目を覚ました由加里を、誰も気にしている様子はない。
それどころではないのだろうが、それよりも外で何かが起こっていて、テント内の人間もそちらに気がとられているようだった。
何なの……?
鈍い頭で意識をそちらに向けると、聞き慣れた怒鳴り声が聞こえてきた。
「……またか……」
どうせまた、本庁の人間と揉めてるのだろう。どこに行ってもそうだな。何でこんな面倒な人が上司なんだろう。
由加里は即席のベッドから足を下ろし、ふらつきながらテントの外へ出る。
ああ、もう。頭が痛い。なんか気分悪いし。吐きそう。
テントの外に出ると、エンジン付きの投光器が何台も並べられ、轟音とともに向島署の正面玄関を真昼のように照らし出している。上空には低い高度をヘリが飛んでいるようで、その騒音もバカにならない。またご近所からクレームがくるな、とぼんやりと思った。
辺りは警察関係者でごった返していたが、武藤の居場所はすぐに判った。だいたい揉めてる辺りの中心を探せばいいのだから、その点では判りやすい。
「何を考えてやがんだ!」
「まだ生き残りの職員がいるんだから、当たり前だろう!」
本庁のキャリアらしきスーツ姿の男と、また胸倉を掴み合いかねない距離で怒鳴り合っている。
「連中はもうとっくに引き上げてるんだ。今更、SATなんざ送り込んでも意味はねぇ!」
「だから、それを確認するための突入だと言ってる」キャリアはそう告げると、無線機に向かって命じた。
「構わん。突入しろ」
「勝手にしろ、バカが!」
「了解。これより署内に突入します」
SAT部隊を率いる分隊長が、喉元の喉頭マイクを押さえながら復唱する。
向島署正面玄関そばの壁に張り付いていた分隊長は、後続の部下にハンドサインでその旨を伝えると、タイミングを図って一気に署内へと突入する。
明かりの消えた正面エトランスに、SAT隊員たちの持つMP7A1の銃身下に装着したハイパワーライトのビームが乱舞する。だが、破壊され尽くした署内に動く気配はない。職員は悉く殺戮され、武藤の言うように、犯人たちも現場から離脱済みなのだろう。
だが、それでも慎重に周囲の検索を行う内に、フロアの真ん中辺りに何かがうず高く積み上げられているのを発見した。
「何だ……?」
ライトのビームを集中させる。何やらジェンガの塔のように細長いブロックの組み合わせで小山が作られていて、その頂上付近にLEDと思しき緑色の光が灯っている。
と、その光が赤色に変わり、点滅を開始する。
「……まさか……!?」
点滅が急速に加速する。分隊長は間に合わないと知りつつ、部隊に命じた。
「総員退避! 爆弾が仕掛けられ──!」
すべてを言い終えるより早く、フロアに仕掛けられた一〇〇キロのC4爆薬が起爆した。
後に行われた現場検証によって判ったことだが、城島達犯人グループは占拠していた向島署一階各所に大量のC4爆薬を持ち込んでおり、その起爆装置にミリ波レーダーを使用した動態感知センサーを接続していた。動態感知センサー自体は、自動車の車庫入れ支援や衝突防止システムなどで使用されている市販の物を流用しており、さほど特殊な物ではない。
また、設置された爆弾も正面玄関前のフロアだけでなく、署庁舎の構造上、建物全体を支える梁や柱を狙い撃ちにして設置されていた。これらがフロアの爆弾と連動してすべて起爆し、向島署庁舎ビルの力学的バランスを一気に爆砕した。
建物一階の壁や窓から閃光と爆風が吹き溢れ、粉砕された壁面のコンクリートが大量の飛礫となって周囲にぶち撒けられる。
飛礫は指揮所周辺の車輌やスタッフにも容赦なく叩き込まれ、建物近くにいた人間から大勢の死傷者が発生した。
「一体、何が……?」
周囲の惨状に呆然としながら、由加里が身体を起こす。飛礫によって撃ち倒された人々が、大勢路上で呻いている。車輌も窓ガラスが砕かれたり、ボディを穴だらけにされ、爆風でひっくり返されたパトカーまであった。
「酷い……」
絶句する由加里の耳に、低い地鳴りのような音が聴こえてくる。
向島署の建物の方向──まさか……?
「やだ、そんな、先輩も、皆もまだ中に──!」
次の瞬間、自重を支えきれなくなった建物の構造材が、内側に向かって雪崩落ちてゆく。
由加里の悲痛な叫びを呑み込んで、残存する職員とともに向島署は崩壊した。
向島署から離脱した城島等犯人グループを乗せた黒塗りのバス二台は、北上して明治通りに乗り入れ、隅田川に掛かる白鬚橋を越えて都心方向へ向かおうとしていた。
『向島署に仕掛けた爆弾の起爆信号を受信。無人偵察機からの映像で、署庁舎ビルの崩壊も確認しました』
「判った。こちらも後始末を済ませる」
城島は短く告げて携帯電話を切った。荒川区に向けて走るバスの後方からは、サイレンの音も高らかに、パトカーの集団が猛然と追跡してくる。
「白鬚橋を通過しました」
「よし、やれ」
その指示を受けて、兵士のひとりが携帯電話の番号ボタンを押す。
全長一六九メートル、幅二二メートルの橋の両端で、路面をミシン目のように射抜いて、一斉に炎の柱が吹き上がった。橋の両端に位置する橋桁の下には、C4爆薬を詰め込んだ円筒形のドラム缶に浅い皿のような金属板を載せた爆弾がずらりと並べられていた。それらが起爆すると爆薬から発生した衝撃波が金属板に集束し、それによって金属板が弾丸状に形成される。それが秒速三千メートルもの速度で分厚い橋桁を貫いたのだ。
対戦車ミサイルの弾頭などにも利用される、いわゆる自己鍛造弾(SFF)と呼ばれる現象である。爆薬の破壊エネルギーに指向性を持たせ、有効に活用する手段のひとつだ。
これにより、白鬚橋を構成する三つの橋桁の内、橋の両端に当たる橋桁が地上と切り離され、自重により跳ね上がる。同時に両端の橋桁が橋脚から外れたことによって、中央の橋桁も支えを失って隅田川に滑り落ちる。
パトカーの集団十数台を始め、たまたま橋の上を通過中の民間車輌をも捲き込んで、昭和六年開通の歴史ある白鬚橋は冬の隅田川に崩落した。
「白鬚橋の破壊を確認。追跡はすべて振り切りました」
部下の報告に「そうか」とだけ答えると、城島は静かに喉を鳴らし始めた。
それはやがて高らかな嗤い声となって、夜の東京に響き渡った。