11
逮捕された傭兵・岩代の過去──そして、武藤の正体。
また酷い話だなぁ、と思いつつ、奴隷みたいな扱いの戦場労働者って実際にいるからなぁ……。
次回は……戦争開始です。
次回は2月13日(日)深夜零時の更新を予定しています。
よろしくお願いします。
では、ごゆるりとお楽しみください。
国内で喰い詰めた岩代がタイに行くことになったのは、警備員の仕事で知り合った友人の紹介だった。
距離を問わず電話料金均一のIP電話の普及のお陰で、コールセンターの業務も人件費の安い海外にどんどんアウトソーシングされている。だが、国内向けのサービスだけに、やはり日本語の話せる人間でなければ役には立たない。そこで、現地のコールセンターに日本人を集めて運営しているのだ、と。
当然、国内よりは貰える賃金は低くなるが、日本より物価がはるかに低いので生活はぐっと楽になる。向こうは食い物もうまいし、女も可愛いのが揃ってる。日本でこんな糞みたいな生活を続けるくらいなら、さっさと海外に飛び出した方がましだ。そうじゃないか?
静岡にいた頃は工場の寮に住んでいたが、そこを追い出されてからは安いネットカフェ住まいの毎日が続いていた。住民票がないとどこでも雇ってもらえないというので、こっちに住む高校時代の友人のアパートを名義に一応届け出は出していたが、上京初日に泊めてもらったくらいで実際にはほとんど足を向けていない。彼女持ちの友人は口では気にしていない風だったが、迷惑に感じているのは明らかだった。いや、あるいはこちらが必要以上に引け目に感じていただけだったのかもしれないが。
本当はすぐにでもアパートを借りるつもりだったのだが、仕事もろくに見つからない身では、敷金すらままならない。
やっと見つけた路上警備の仕事も、天候に左右される上に、公共事業抑制のあおりで仕事そのものが減っていた。体調が崩れた日にも有給などあるはずもない。雨や雪の日など、やはり終日路上に立っているのは辛く、あまり長くは続けられないな、と思っていた矢先だった。
それでも海外で働くことに躊躇いはあった。タイ語はおろか英語だって満足に話せない。だが、国内でこのまま過ごしていても、何の展望もないのも事実だった。住むところさえないこの身では、簡単にホームレスに転落しかねない。
結局、渡航費用を前借りできると言われ、それが決め手になった。
同じように誘いに乗った二〇代から四〇代くらいの男たち三〇人ほどと一緒にバスに載せられ、成田に向かう。車中で「まとめて手続きする」と言われ、パスポートを取り上げられた。以後、そのパスポートを目にすることはなかった。
成田から、聞いたこともないアジア圏の格安航空会社の機体に乗せられて、日本を出た。狭いシートにぎゅうぎゅう詰めにされてきつかったことと、地上を離れるときのふわりと身体が浮く感覚は今でも忘れない。海外に出た経験などなかったし、飛行機に乗ったことさえなかった。パスポートを持っていたのは、たまたま身分証明書代わりに取っていただけで、車の免許を取るより安かったからというに過ぎない。
やがて飛行機はタイに着いたが、そこでは降ろしてもらえなかった。そのまま燃料を補給してドバイへ飛び、そこで機体を乗り換えて、最終的に連れてこられたのはバクダッド郊外の米軍基地だった。
そこで浅黒い肌のエージェントが怪しげな日本語で「これから建築現場での作業に従事してもらう」と言い出した。つまり、危険な紛争地帯での建築工事現場での作業をやれというのだ。
「話が違う」と喰ってかかった者もいたが、銃を突きつけられて黙らされた。逃げ出したくても、パスポートも取り上げられた身ではどうにもならない。第一、言葉も通じないイラクで、どこへ行けば日本行の飛行機に乗れるのか判る人間はひとりもいなかった。
こうして、イラクのあちこちを連れ廻されて、そこで米軍やイラク軍の陣地構築や、戦場清掃をやらされた。体の良い奴隷扱いだった。粗末な食事とぼろぼろの作業着があてがわれ、わずかばかりの賃金は酒と仲間内の賭け事ですぐになくなった。時折、作業中の事故で怪我人が出たが、治療をしても作業に復帰出来そうにないとなるとまともな手当も受けさせてもらなかった。その内に、不発弾に触れて数人単位で犠牲者が出たが、しばらくして新人が補充されただけだった。やはり日本から騙されて連れてこられた口で、半ばパニック状態に陥っている彼等に自分の置かれた状況を理解させるのはいつも骨だった。それも何度か繰り返す内に、いい加減、説明するのも嫌になってきて、ほっとかれるようになった。
そんな生活が半年も過ぎた頃、夜中に叩き起されて皆でトラックの荷台に詰め込まれた。一晩中、荷台で揺られて到着したのは何もない砂漠のど真ん中だった。ここに穴を掘って、陣地を造れと言う。言われるままに硬い岩盤を砕きながら苦労して陣地を造ったら、出来上がる頃には、彼等を連れてきたトラックごと現場監督が消えていた。
「この陣地に入るイラク軍部隊を呼んでくる」ということのようだったが、待てど暮らせど帰ってこない。
そうこうする内に陽も暮れ、急激に気温も下がってきた。勿論、暖房機器などない。毛布の一枚もないまま、がたがたと歯の根も合わないくらい震えながら、陣地の中にこもって皆で肩を寄せ合って暖を取った。
「もしかして、ここに俺達は捨てられたんじゃないか」と誰もが予感していたが、口に出すと現実になってしまうような気がして、誰も言い出せなかった。その代わり、空きっ腹を押さえながら、日本に戻ったらまず最初に何をやるかを語り合った。その時、自分が何を言ったのかは覚えていない。だが、誰かが「腹いっぱいカツ丼を喰うんだ」と言っていたことだけは覚えている。
空を見上げると、日本では見たこともないほどの数の星が瞬いていた。降るような星空というのはこういう夜空のことをいうのかと思った。
そして、何でこんなことになってしまったのだろう、と思った。
カネがないからだ。俺にはカネがなかった。カネがないから、カネになる技術を身につけることもできなければ、カネになる仕事にもありつけなかった。だから、カネにならない仕事にしか就けず、挙句、こんな地の果てで薄汚れた男たち同士で息を潜めて暖を取っている。
俺はこのまま虫けらのように、地べたに張り付いたまま死んでゆくのか。
星空の美しさと自分達の置かれた絶望的な状況のコントラストに、気が狂いそうだった。
だが、本当に絶望的な悪夢はその後に訪れた。
うとうととしかけたそこへ、不意に鋭い閃光が塹壕を満たした。最初は夜が明けたのかと思ったが、痛みすら感じるほどの鋭い光は人工のものに他ならない。
何が起こったのかもよく理解出来ないまま、次にぽんっと気の抜けた音。そして、何かがこちらに落下してくる甲高い音が続いて、耳を聾する爆発音が塹壕を覆い包んだ。それが迫撃砲による攻撃であることを理解したのは、大分後になってからのことだ。その時は誰一人、何が起こっているのかも判っていなかった。ただ抱き合って悲鳴を上げ続けるしかなかった。
そしてひとしきり続いた激しい爆発音がやんでほっとしたかと思ったら、今度は男たちの野太い怒声が聞こえてきた。凶暴な獣の群れが叫んでいるような声。聴いているだけで威圧され、逃げ出したくなる声だった。
その声はどんどん近づいてきて、そしてついに自動小銃を構えた兵士達が塹壕に雪崩込んできた。
兵士達は塹壕内に人間を見つけると、手当たり次第に銃を撃ち、銃剣を突きつけた。悲鳴を上げながら、男たちは文字通り虫けらのように殺されていった。降伏を試みて両手を上げた者もいたが、言葉が通じない。容赦なく刺殺され、塹壕内に突き落とされた。慌てて塹壕から逃げ出そうとした者も、背中から撃たれて死んだ。
三〇人ほどいた日本人作業者達は、それぞれの死に様で次々に命を落としていった。
岩代は早い内に、死んだ振りをして別の作業者の屍体の下に潜り込んだ。そのお陰で、兵士達の最初の襲撃では殺されずに済んだ。だが兵士達は作業者をどうあっても鏖にするつもりなのか、屍体をひとつひとつひっくり返して止めを刺してゆく。
すぐに自分の番が来るだろう。恐怖と絶望に叫びだしたくなるのを必死で堪える。こうやって必死に堪えていれば、何かの奇跡が起きて助かるかもしれない。だが、奇跡など本当に起きるのだろうか。俺の人生にそんな奇跡なんてものが本当にあるのなら、そもそもこんな場所にいやしない。俺はこのまま、ここでこの得体の知れない兵隊に殺されるために生まれてきたのか。……。
恐怖よりも悔しさで涙が溢れてきた。
ふざけるな、と思った。何で俺がこんな死に方をしなくてはならないのか。
悔しさは簡単に怒りに転化した。こうなったら、叶わぬまでも一矢報いねば気が済まなかった。仲間の屍体の下で、石を掴み、握り締める。自分の番が来たら、こいつを兵隊に投げつけて──
決意を固めて、その時を待っていたそこへ、乾いた銃声が鳴り響いた。
至る所で銃声と異国の怒声、悲鳴が聴こえ、やがて終息した。
何が起こったんだ……?
恐る恐る屍体をどけて、身体を起こし、周囲を見廻す。
米軍基地でよく見かけた特殊部隊のような装備を身に纏った男が立っていた。お仕着せの装備に無理やり身体の方を合わせているような一般兵と違い、高価な装備を機能的に装着している。米軍? だが、男は日本語でそっけなく呟いた。
「なんだ、生きてる奴がまだいたのか」
それが武藤との出会いだった。
「ちょっと待て。何で、お前、イラクなんかにいたんだ?」
「そうですよ、警部。どういう事なんですか?」
「うるせえよ。黙って聞いてろ」
身を乗り出して訊く町田と由加里に、武藤がうんざりとした声で返す。
「この人はね、元々、米軍や日本政府の下請けで準軍事作戦業務に従事する民間軍事会社〈オリオン・ディフェンス・コーポレーション(ODC)〉に所属して、イラクやアフガニスタンで活躍してたんですよ」
武藤に代わって、岩代が答える。絶句しつつ、由加里が訊ねた。
「……小笠原の派出所勤務ってのは嘘だったんですか?」
「決まってんじゃねぇか、どアホぅ」
「なら、警視庁の人事データベースに載ってた記載は全部、嘘っぱちか!? どうやって、そんなことができたんだ?」
「それを許可できるレベルの人間が、許可をしたっつーだけの話だ」
「どんなレベルの人間だ、それは!?」
「言わせんな、そんな話」
むすっと武藤が答える。
「まぁ、当然でしょう。この人は──いや、俺達は、この国の憲法九条と国際軍事貢献の矛盾の尻拭いをし続けてきたんですから。全部表沙汰にしたらこの国がひっくり返りますよ」
喉を鳴らして嗤う岩代を睨みつつ、町田が訊ねる。
「さっき貴様が口にしかけた『政治』ってのはこのことか?」
「……この国は憲法九条を無茶な屁理屈で強引に解釈してまで集団的自衛権を容認しときながら、国内で反発を喰らうのを恐れるあまり、PKF任務でひとりも犠牲者を出したくないなどという手前勝手な要望を現場に押し付けている。まっとうに考えれば、有り得ないその要望を叶えるために、外務省と防衛省が金を出しあって日本人傭兵を集めて作ったのが民間軍事会社〈オリオン・ディフェンス・コーポレーション(ODC)〉だ。
このODCは自衛隊PKF任務の支援業務として、現地武装勢力の掃討作戦や、誘拐事件被害者の奪還、紛争地帯での自衛隊や外務省要人の警護などの業務を請け負っていた。それ以外では、自衛隊が動かせない事案で米軍やCIAの支援業務も行っている。まぁ、確かに存在が知れただけで政権の二つ三つは吹っ飛ぶわな。
俺はそこに二年前まで役員待遇で所属していた。こいつは、その時の部下のひとりだ」
「俺だけじゃないスよ。今日、この人に殺られた連中は、皆、新兵の頃からこの人に育てられた奴らばかりだ──いつから気づいてたんスか?」
「初めからだ、バカ。俺が教えてた頃から戦術の組み立てに進歩がねぇ」
「知ってて、鏖、ですか?」
「俺に銃を向ける奴は、全部敵だ」
「武藤さんらしいや」
岩代が喉を鳴らす。
信じられない。由加里は言葉もなかった。この人達は、顔見知りで殺し合いをしていたのか? それで平気に会話できるのか? どんな神経をしているのか。とても付き合いきれないと思った。
「……それで手前ら、日本で何がしたいんだ?」
「復讐……かな?」岩代は呟くように言った。
「知ってるでしょう。俺も、他の連中も、ODCに所属する連中は、どいつもこいつも、この国を追い出されたり、見切りをつけた連中ばかりだ。むかつきますよ。この国で呑気に平和面して生きてる奴らが。自分がどんなに他人を踏みにじって生きているかも自覚がない。そんな奴らに、『現実』って奴を思い知らせてやるために、俺達はこの国に戻ってきたんですよ」
「………………」
剥き出しの憎悪をぶち撒けるかのような岩代の言葉に、由加里は戦慄した。この憎悪が、何十人もの人々を殺め、傷つけたのだ。こんな憎悪を、自分たちは相手にしなければならないのか。
だが、その言葉をつまらなさ気に聞いていた武藤は、ぽつりと告げた。
「岩代、手を出せ」
「手、ですか……?」
「ああ」
岩代が訝しげに差し出した右腕の中指を掴むと、武藤は無造作にあり得ない方向にへし折った。
「………………っ!」
「警部!」「おい、何をやってる!」
「寝惚けたこと吐かしてんじゃねえぞ、岩代。手前のくだらねぇ与太を実現するために、カネ出す物好きがいるか! 貴様ら、一体どこの誰に雇われた? そいつの狙いは何だ?」
凄む武藤に、岩代は脂汗を流しながら笑ってみせた。
「……へへっ、知らないでしょうけど、俺、あれから美人で金持ちのマダムをパトロンに見つけたんスよ。これが金髪でパイオツもホルスタインみたいにデカいマダムで、俺が甘えるといくらでもカネ出してしてくれましてね」
「まだまだ調子よく舌が廻るじゃねぇか。もう一本、いっとくか?」
「ちょっと、ダメですよ!」「いい加減にしろ! 貴様!」
由加里と町田が慌てて武藤を押さえにかかる。
「くそ、拷問なんか始めるようじゃ、取調べは打ち切りだ!」
「指の一、二本へし折ったくらい、拷問の内に入らねぇよ」
「イラクじゃどうか知らんがな、ここは日本なんだよ!」
町田が唸るように怒鳴る。
それを聞いて岩代がまた愉しげに喉を鳴らした。
「いや、本当、この国はいい国ですよね。つくづく、ぬるくて」
「岩代……」武藤は瞳を冷たく細めて言った。
「お前を拾った時のことだがな」
「? あの時の事がどうかしたんですか?」
「あれは始めから米軍の作戦だった」
「……? 何を──?」
「あの時、米軍は核開発絡みで、何らかの警告をイランに与える必要にかられていた。だが、そのきっかけが見つからずに焦っていた。そこで出入の建設業者を使って、イランとの係争地帯に野戦陣地を作らせてイラン軍を挑発することになった」
「……そんなことだろうと思ってましたよ。別に驚きやしません。それにあの後、米軍がばっちり空爆して俺らの仇を討ってくれましたからね」
「ならば、何で俺達があの場にいたと思う?」
「………………!」
岩代の思考がある結論に達した。はたと顔を上げ、愕然とした表情で武藤を見る。
「まさか……!?」
「そうさ。イラン兵が非武装のお前らを鏖にする場面を映像に収めるため、そして事が終わったらイラン兵を鏖にして、イラン軍の更なる動員を引き出すためだ。ついでに付け加えれば、生贄の羊が喰い詰め者の日本人だと後から判ったんで、後腐れないように屍体を始末しておいて欲しいとの外務省からの要請に基づいて、俺達はあそこにいたんだよ。お前が生きていたのだけが、唯一の誤算だったがな」
「………………」
嘲笑うかのような武藤の言葉に、由加里は強い吐き気を覚えた。同時に今度の事件を通じて一貫して感じていた違和感の正体が理解できた。人の命が本当に何の意味も持たないと考えている連中が引き起こした犯行なのだ、今度の事件は。
そう、それは多分、この上司と同じように──
「武藤……いや、灰色鷹──っ!」
岩代がいきなり椅子を蹴って、武藤に殴りかかる。
が、武藤は待ち受けていたかのようにわずかな体捌きでその攻撃を避けると、逆に見事なカウンターで岩代の鼻柱に拳をのめり込ませる。岩代の身体はそのまま背後の壁に叩きつけられ、床に崩れ落ちた。
床の上の岩代を見下ろしながら、武藤は吐き捨てるように言った。
「その名前は捨てたって言ってんだろうが」
「警部!」「いい加減にしろ!」
町田が慌てて岩代に駆け寄る。
「大丈夫か、おい」
町田の身体を片手で掴んで岩代が起き上がろうとする。もう片方の腕で鼻から溢れる出血を押さえながら、岩代は問うた。
「……武藤さん、あんた何でそっちにいるんですか? あんたは、今こそボスのそばにいるべきなのに」
「……そうか。城島も来ているのか。そうだろうな」
肯きながら呟く武藤に、岩代は喉を鳴らしながら言った。
「すぐに会えますよ。すぐにね」
「そうかい。そいつは楽しみだ」
気のない口調で答える。
武藤はそれ以上、何も言わず、由加里と町田を残して取調室を後にした。