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向島署に舞台を移してのインターバルパート。
武藤は本当に酷い上司ですけど、この先もっと酷くなります(はは)。
次回は岩代の尋問を通じて明らかになる武藤の過去話です。
次回は2月6日(日)深夜零時の更新を予定しています。
よろしくお願いします。
では、ごゆるりとお楽しみください。
「岩代清二。三〇歳。静岡県出身。静岡県立清水北高校卒業後、派遣会社経由で地元の自動車工場に機械工として勤務。その後、不況による派遣切りに遭って失業。上京して警備員などをしばらく続けた後、一〇年前に実家の人間に『タイのコールセンターで仕事があるから』と告げて出国。以後、消息不明──間違いないな?」
「………………」
「一〇年間、海外をほっつき廻った揚句、テロリストになってご帰還か。いいご身分だな、ええ? 貴様、一体何しに帰ってきた?」
「………………」
「聞いてんのか、貴様っ!」
向島署内の取調室で逮捕された兵士──岩代清二は、居並ぶ強持ての刑事達に囲まれながら、うっそりと口許を歪めて言った。
「カツ丼、出ないんスか?」
「はい、これでも飲みなさい」
「……ありがとうございます、先輩」
制服姿の香織からハーブティーの入った紙コップを渡された由加里は、小さく頭を頭を下げた。
現場で拘束された犯人一味の有力被疑者、岩代清二は、あの後、ひとまず現場から程近い向島署に連行され、取り調べを受けている。武藤と由加里もそれに同行する形で向島署にやってきたものの、被疑者との接見は捜査本部から拒絶された。武藤と本庁の町田捜査官との間で、再度胸倉を掴み合うような「話し合い」がなされたが、大方の予想通り物別れに終った。
その後、武藤は犯人の身柄を取り戻そうと、新庄や各方面と連絡を取って悪戦苦闘しているようだが、依然状況は変わらず。
その間、由加里はやることもないので、勝手知ったる古巣の交通課でぼーっと佇んでいた。ちなみに何で交通課かといえば、刑事課や臨時の捜査本部の設けられている大部屋からは丁重に立ち入りを断られてしまったからである。彼らからすれば、武藤も由加里も招かれざる客に過ぎない、ということらしかった。
なお、元々追跡の対象だったレクサスは、廃工場に車輌だけ取り残される形で発見された。SATで付近を捜索した結果、近くのマンホールに蓋を開けた形跡が残っていた。ここから離脱した犯人がいるらしい。だが、ブービートラップの可能性があるので、そのまま後を追うことは断念された。
外はもうとっぷりと陽が暮れて、真っ暗だった。本来なら一般職の職員達はとっくに退署している時間だが、今日ばかりは人の出入りが衰える様子はない。市民からの問い合わせの電話も引っ切りなしに掛かってくる。署の外も、殺到するマスコミで騒がしい。今夜の所は、ずっとこの騒々しさが続くのだろう。
「本当、大丈夫?」
「ええ、まぁ、なんとか」
心配を掛けたくなくて、無理をして笑ってみせる。
何にしても、今日一日でいろんなことが起こりすぎた。さすがに頭がパンクしておかしくなりそうだった。
「……根岸さん達だけどね」
初動の出動で駆けつけたパトカーに乗り合わせ、犯人側の待ち伏せにあって銃撃された向島署交通課警官の名前を、香織は口にした。
「やっぱり、ダメだったって」
「……根岸さん、お子さんまだ小さいのに」
紙コップを握る力を強めながら、由加里は呟いた。死んだ根岸の幼い娘が通う近所の小学校の下校時刻に合わせて、さりげなく正門前を巡回コースに入れるのは彼女達の重要な日課のひとつだった。パトカーの存在に気づけば、それだけでスピードを落とす車もある。たまに娘さんの姿を見かけてそれを報告すると、照れたような誇らしげな表情をするのが印象的だった。そうか、その根岸さんも死んだのか。
「火傷するわよ」
そう言って、香織が紙コップを取り上げる。
「まぁ、でも仇を取ってくれたんだもんね、由加里達が」
「……仇……?」
自分の放った銃撃で仰け反る犯人の姿を思い出した。そうだ、あたしが撃ったんだ。止めを刺したのは武藤だったが、生きた人間に向けて引き金を引いたのは、勿論、これが始めてだった。
「人を殺す」という行為への畏れや生理的な拒否感とはまったく切り離されて、自分の身体は自動的に引き金を引き絞っていた。これが武藤の言った自衛隊研修の成果なのだろうか。そしていずれは武藤のように、動けなくなった怪我人でも平気で撃てるような人間に自分はなってしまうのだろうか。……。
何か、自分の中で、今の自分とは異なるもうひとりの別の自分が育っているようで、気持ちが悪かった。
それを察したのか、香織が先廻りして謝る。
「ごめんね、嫌なこと思い出させちゃった?」
「いいえ。すみません、気を遣っていただいて」
「いいのよ、水くさい。そんなことより、あんたがそんな格好で署に顔を出したときは驚いたわよ」
「はぁ……」
言われて、改めて自分の姿を見返す。結局、着替えるタイミングを逃したまま、戦闘装備で向島署まで来てしまっていた。たまに前を通りかかる職員が、ちらちらとこちらに視線を投げかけてくるのが恥ずかしい。そう言えば、着替はあのまま武藤のBMWの中だった。もしかすると、まだ現場に放置されてるんじゃなかろうな。
「それは何? SATか何かの制服なわけ?」
「ええと、まぁ、そんな感じで……」
守秘義務があってあまり詳しく話せないため、適当に濁してみる。
「それと同じ格好で一緒にきたあの背の高い男の人、あれあんたの上司?」
「はぁ……すみません」
何だかよく判らないが、とりあえず謝っとく。
「いやぁ、凄いわねぇ、あれ。本庁の人と胸倉掴みあって怒鳴り合ってたわよ。廊下まで聴こえるんだもの。びっくりしちゃった」
本当にすみません、だ。人の古巣で何やってくれてんだ、あのバカ上司は。
「あんなのが上司だと大変そうよね。あんた気が小さいわりに一言余計だから」
そう見られてたのか。いや、一言余計なのは自分でも多少自覚がないでもなかったが。
「まぁ、どこに配属になったか知らないけど、ちゃんとやれてるようで一安心よ。何だか、娘を嫁に出した気分だわ」
「娘って……歳だって大して違わないじゃないですか」
「そうよね。せめて妹にしときゃ良かった」
そう言って笑う香織の笑顔に、由加里はやっと緊張をほぐすことができたような気がした。
「そこにいたのか、潮」
「警部……」
づかづかと遠慮なく人ごみをかき分けて、武藤が交通課までやってきた。
「本部に戻るんですか?」
「いや、しばらくここに待機だ」
「待機……ですか?」
「そうだ。捜査本部が一通りの取調べを終えたら、あいつを引き取って邀撃捜査班で尋問する」
「捜査本部がよく納得しましたね」
「捜査本部が納得しようがどうしようが、知ったこっちゃねぇ」驚く由加里に、武藤はぶっきらぼうに言い放った。
「引き渡さざる得ないよう、新庄に上を動かさせたんだよ。あいつに棒給分の仕事させただけだ」
何をやらせたんだろう。知りたくないな、と由加里は心の底から思った。
「ま、どの道、すぐにあいつらの手に負えなくなって泣きついてくるだろうがな」
そう言って、どっかと交通課のソファーに腰を下ろす。
どうしてこの上司はどこでもこんなに偉そうなのだろう、と呆れて見る横で、先程の本庁の町田捜査官が仏頂面でやってきた。
「ほら、おいでなすった」
悪戯の成功した小学生みたいな意地の悪い笑みを浮かべる武藤に、町田が「ついて来い」とばかりに顎をしゃくる。口も利きたくないのだろう。よく判ります、その気持。
などとひとりで肯いていると、「お前も来い」と耳を掴まれて引っ張られる。
「痛い痛い、痛いです! 離してください、警部っ!」
「うるせえ、とっとと歩け、このどアホう」
「頑張ってね、由加里~」
にこやかに手など振ってる香織に見送られ、由加里は交通課を後にした。
「岩代が、貴様が相手でなければ何も話さんと言ってる」
つい先程まで立入禁止扱いだった刑事課にふたりを連れ込み、町田は切り出した。
「そうかい」
武藤が尊大な態度で答える。
「貴様、犯人と顔見知りなのか? 何で、あいつがあんたの名前を知ってる?」
「さあな、どこかで擦れ違ったかな」
「ふざけるな!」
周囲を囲む捜査一課や所轄の刑事達が、一気に険悪なムードを募らせてゆく。既に警官に犠牲者が出ていることもあって、元より空気は殺気だっている。そこへ喧嘩腰の武藤がやってくれば、どうしたって場の雰囲気は荒れ気味となる。
武藤に引きずられて、その真っ只中に放り込まれた由加里は、真っ青な表情でガタガタと震えていた。そういや、ウサギってストレスで死ぬんだっけ、などと、どうでもいいことまで考える。
「一〇年間、海外で消息不明だった男と、二〇年間、小笠原で派出所勤務だったはずの男が、どこでどうやって擦れ違うっていうんだ?」
「俺が知るか。俺の名前を出したのは向こうだ。あいつに聞けばいいだろう」
「それで口を割らんから、こうして頭を下げとるんだろうが!」
さすがにそれは「頭を下げる」の用法が間違っているように思ったが、本庁の幹部捜査官相手に突っ込みをする度胸は由加里にはなかった。
「あんたらが手こずってるなら、とっとと邀撃捜査班に引き渡せ」
「移動命令の話をしてるつもりなら、貴様の思いどおりにはいかんぞ」
町田もまた、怯むことなく告げた。
「身柄の引渡しはこちらの取調べが終わったら、という条件だ。我々が納得しなければ、いつまでもこのままだ」
「ふん。そうくるか──まぁ、いい。相手をしてやる。ただし、こちらからも条件がある」
「条件、だと?」
「そうだ」武藤は肯いた。
「取調べの録画はなしだ」
「……ちょっと待て」町田は眉間に指を当てた。
「取調べ可視化法の導入で、録画の裏付けのない自供は公判では使えない。録画なしに自供させても、参考意見にもならんぞ」
「犯人側は〈グランドスラム〉をクラッキングして、防犯カメラなどの情報を抜いている」
周囲の刑事たちが、一斉にざわめきだす。
「取調べ内容が録画されて〈グランドスラム〉にアップされたら、そのまま内容が犯人側に筒抜けになる可能性がある」
「信じられるか、そんな話!」
「裏付けの根拠は後で邀撃捜査班の若いのに説明させる。今はここで俺の話を信じるかどうかだ」
「くそっ! だとしても我々だけでは判断できん。地検(地方検察庁)とも話し合って──」
「地検は相手にしなくてもいい」武藤は何でもないことのように言った。
「どうせこの事件は裁判には掛けられない」
「何だと?」
「こいつは国の安全保障に関わる、高度な政治判断が関わっている。国家はその存亡のぎりぎりの局面では法的正当性より政治的統治力を優先する。上に問い合わせてみろ。だから、あいつの身柄は遊撃捜査班で預かることになったのさ」
武藤が悪魔のように声もなく嗤う。
「……判った。取調室のカメラは止めさせる」
「町田さん!」「こんな奴の話なんか──」
「うるさい! 責任は俺が取る!」町田は周囲を一喝して黙らせた。
「その代わり、取調べには我々も同席させてもらうし、調書も取らせてもらう。いいな?」
「いいぜ。好きにしな」
冷たい笑みを浮かべる武藤の横顔を眺めながら、こんなことやってるから遊撃捜査班は嫌われるんだな、と由加里は深い諦観とともに胸で呟いた。
「武藤さん、待ちくたびれましたよ、本当。ここ、カツ丼もでないんスよ、カツ丼。取調室って言ったらカツ丼じゃないスか。ガッカリですよね」
「……調子良さそうじゃねぇか、岩代」
取調室のパイプ椅子に腰掛けながら、武藤は眼前の岩代に言った。
「武藤さんも元気そうで何よりです。まぁ、元気が有り余ってるのは、俺のチーム鏖にしてくれたの見れば、よく判りますけどね」
「ふん。大方、部下を甘やかして、訓練に手を抜いてたんだろう。部下を泣かし倒すくらいじゃねぇと、実戦じゃ使い物にならねぇ」
普段からそんなこと考えてるのか。勘弁してくれないかな、と由加里は胸で呻いた。
「ついでに紹介しとく。こいつが今の俺の部下の潮だ」
「あ、どうも……」
つられて思わずぺこりと頭を下げてしまう。ふと横を見ると、町田が苦い表情で睨んでいた。そりゃそうだ。居酒屋で大学の後輩に職場の部下を紹介してるんじゃないんだから。
「お前をぶっ飛ばして拘束したのは、この女だ。近接格闘戦であっさり女にやられてんじゃねぇよ」
「いや面目ない。で、俺らの関係って、こちらの皆さんには説明済みなんですか?」
「いいや」
「話しちゃってもいいスかね?」
「好きにしろ」
突き放すような武藤の言葉に、岩代は声もなく笑った。
「じゃあ、まず俺が日本を出たあたりからですかね──」