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お嬢様Saga:ドラゴン肉のポワレ〈焦がしバター〉 狂食淑女の微笑みを添えて  作者: 財務白関
第1章:お嬢様、ドラゴンにフォークを突き刺す

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3話「渇望」

「ドラゴンを……食べる? レア、お前は何を言っているんだ」


ギヨームは眉をひそめ、信じられないというように娘を見つめた。


「お父様。このドラゴン、生きていますわ。放っておけば、きっと目を覚まします。一刻を争う国家存亡の危機ですわ」


「国家存亡……?」


ギヨームは巨体へ視線を移した。

横たわる紅赤の怪物は、こちらを向いたまま微動だにしない。

呼吸の動きも、脈動の兆しも、遠目には掴めない。


「レアよ、状況をもう少し説明してくれないか」


「あのドラゴン、先ほど動きましたの。気を失っているだけですわ。もし意識を取り戻して王都へ向かったら、きっと国が滅びてしまいますわ。だから、目覚める前に絞めて――」


エレオノールはそこで一息置き、目を輝かせた。


「食べてしまえば良いのですわ!」


ギヨームは一瞬言葉を失った。


リュシールが震える声で、雷が落ちたときの出来事を端的に説明すると、ようやく事態が見えてくる。

ギヨームは視線をドラゴンから外さず、短く息を吐いた。


「なるほどな。お前が放った水魔法が上空を飛んでいたドラゴンの頭部に命中し、そこに偶然に雷が直撃した……のかもしれん。これが真にドラゴンかどうかはともかく、確かにこれが目覚めれば厄介極まりない。放ってはおけぬ」


表情が引き締まり、ギヨームの声から余計な温度が消えた。


「レア。お前の判断は正しい。ここで仕留める。私が引き受けよう」


ギヨームは一歩前へ出て、エレオノールへ向き直った。


「だが一つだけ、はっきり言っておく。モンスターを食するのは禁忌だ。“モンスターの肉を口にした者はモンスターに襲われる”と言われ、王宮も許さぬ。もし知られれば、我が家であっても無事では済まない」


「でも……」


言いかけたエレオノールに、ギヨームは目を細めた。


叱責の色はない。

代わりにその視線は、獲物の動きを読む狩人のように静かで、娘の瞳の奥――すでに言葉になる前から形を持ち始めている考えを、慎重に量っていた。


張り詰めた空気の中、誰も次の言葉を継がない。

倒れ伏した巨体から、かすかな熱が立ちのぼり、焦げた土と血の匂いが風に混じって流れてくる。


そのとき。


「……旦那様」


低く、抑えた声が割って入った。


リュシールが一歩前へ出る。

両手は胸の前で組まれている。

指先が、わずかに震えていた。


「ドラゴンを仕留めた後、解体してすべてを回収なさるおつもりなのですよね」


ギヨームの視線が、ゆっくりとリュシールへ向けられる。


「でしたら――」


リュシールは一瞬、息を整える。


「“肉”をどう扱うかも、決めておくべきかと存じます」


短い沈黙が落ちる。

風が倒れたドラゴンの鱗を撫で、硬質な音を立てた。


「お嬢様は、“食べたいもの”を前にして、諦める方ではありません。もし今ここで、“禁忌だから駄目だ”と切り捨てれば――お嬢様は、誰にも告げず、誰の目にも触れぬ場所で、必ず試されます」


リュシールは視線を落とさず、続けた。


「それは……よほど危ういことだと思います。それよりも、目の届くところで試させる方が、まだ安心できるかと」


言い切ると同時に、リュシールは深く頭を下げた。


「……出過ぎた真似をお許しください。ですが私は、お嬢様の侍女として、お嬢様のことを誰よりも存じているつもりです」


その言葉のあと、ギヨームはしばし黙したまま、リュシールからエレオノールへと視線を移した。


エレオノールは、じっとギヨームを見つめている。

唇を噛みしめ、何かを訴えるのを必死に堪えるようにしながら、淡い青の瞳を潤ませている。

一歩、わずかに身を乗り出し、縋るように向けられたその眼差しは、幼い頃、無理を承知で願い事をするときと、まったく同じものだった。


ギヨームは、思わず目を伏せる。


「まったく……」


低く、唸るような息が漏れた。

理屈では退けられる。

だが、この視線だけは、昔からどうにもならなかった。


「……分かった」


短く、区切るような一言だった。

その一言に、場の空気がわずかに緩む。

エレオノールの表情がぱっと明るくなるのが視界の端に映ったが、ギヨームは見ないふりをした。


「ドラゴンは私が仕留める。これが真にドラゴンなら、鱗も革も角もすべてが宝だ。解体し、一欠片も無駄にせず回収する」


わずかな間を置いて、ギヨームは続けた。


「肉は――捨てる」


断定するように言い切ると、念を押すように言葉を重ねる。


「しばらく〈ケーヴ〉に置いておくが……後は好きにするが良い。ただし、他の者には決して目に触れさせるな。館の外へ持ち出すことも、このことを漏らすことも許さぬ。これは遊びでも、贅沢でもない。忘れるな」


ギヨームの視線は依然、父としての情が残っていたが、声は当主としての厳しさを帯びていた。


「禁忌を破るなら、その罪ごと食うことだ」


エレオノールの瞳が、喜悦に濡れた。


「はい。もちろんですわ、お父様」


返事は澄み切っていて、迷いがなかった。


ギヨームは苦い表情のまま小さく頷くと、「館へ戻り、人を集めよ」と背後の衛兵へ短く指示を飛ばす。

そして、腰に下げていたミスリルの双剣の一本、〈ゲンエイ〉を抜き放つ。

刃が陽を受けて黒々と鈍く光る。


ギヨームはそのまま、倒れ伏した巨体へと迷いなく歩み寄った。

ドラゴンの鱗が放つ熱波は、近づくたびに肌を焼くように強さを増していく。


ギヨームは〈ゲンエイ〉を構えると、巨体の喉元へとじりじり歩み寄り、構えを取った。

刃を上向きにし、喉元に押し当てる。


「むんっ!」


低く唸るような声とともに力を込める。しかし、硬質な鱗はびくともしない。

刃先は表面を滑るだけで、傷一つ入らなかった。


「やはり簡単にはいかんか……。ならば――」


ギヨームは短く息を吸い、〈ゲンエイ〉へ魔力を流し込む。

握る手の中で剣が微細な震えを帯びた。

目では捉えられないほど細かな振動が刃全体へと行き渡り、周囲の空気がわずかに歪んだ。


再び力を込めると、わずかな抵抗の後、鱗が断ち切られた。

刃は確かに奥まで届き、手元には貫いた感触だけが残った。


実のところ、ギヨームは魔法を使えない。

しかし、魔力そのものは持っているらしい。


ある日偶然、〈ゲンエイ〉に魔力を注いだとき、剣がこの“震える刃”に変貌し、近くの巨木をバターのように切り裂いたのだ。

ギヨーム以外の者が魔力を注いでも同じ現象は起こらず、ギヨームがもう一本の双剣〈ハクヨウ〉に魔力を注いでも何も起きない。

まるで〈ゲンエイ〉だけが、ギヨームの魔力にだけ応じているかのようだった。


ギヨームはそのまま喉部を切開すると、気管に沿って動脈を一気に切断する。

蒸気とともにドバッと鮮血が流れ出ると空気が一瞬で鉄の匂いに満ちた。


その匂いに触れた瞬間、エレオノールの胸がひくりと跳ねた。

嫌悪ではない。恐怖とも違う。


ただ――

この先に足を踏み入れてしまえば、二度と同じ場所には戻れない。

そんな予感だけが、はっきりと形を持って立ち上がった。


胸の奥が抗いがたく疼く。

ずっと探していたものが、すぐそこにあるのだと告げられているような感覚。


(……ああ)


言葉にする前に、理解してしまう。

これは禁忌だ。

けれど――


これを口にすることこそが、自分がずっと探してきた答えなのだと。

思考がそこまで辿り着く前に、エレオノールは小さく息を吐き、視線を伏せた。


血はまるで栓を抜かれた樽が脈打つように、規則正しいリズムでどくどくと溢れ続けた。

ギヨームも、エレオノールも、リュシールも、誰ひとり言葉を発さず、放血の終わりを待った。


その背後では、ギヨームの目配せを受けた衛兵が館に戻り、使用人とともに裏手の狩猟場から滑車や吊り下げ用の鉄杭など獣用の備品を急ぎ運び込んでいた。


ドラゴンの瞳は開いたままだ。

動かないのに、ギョロリとどこかで焦点が合っている気がする。


深い闇が、遠くから覗き込んでいるのだろうか。

その凝視が恐ろしくて目を逸らそうとするが、同時に胸の奥がひどく疼く。

まるで、こちらが狩られる側になることさえ甘美に思えるほどに。



やがて三十分ほど経つと、ドラゴンの全身を包んでいた熱がゆっくりと引きはじめた。

口から漏れていた火煙も完全に止まり、巨体は沈黙のまま動かない。

光を宿していた瞳も、今はただのガラス玉のように虚ろだった。


「絶命したようだ。さあ、捌くぞ。リュシール、手を貸してくれ」


ギヨームは〈ゲンエイ〉を手に、ドラゴンの背中へまわり込むと、厚い鱗の隙間へ刃を差し入れた。

そして、リュシールを手招きする。


「この刃の先に風魔法を送り込んでくれ。鱗の下に風を送り込むんだ」


リュシールは「魔法を使うのは久しぶりですけど」と緊張に喉を鳴らしながらも、両手を刃の上へかざし、そっと呪文を紡ぎはじめた。


「蒼空に揺蕩(たゆた)う風の精霊よ、わが求めに応じて集えたまえ。透き通る息を吹き込め、『息吹風(スッフル)』!」


風が送り込まれると、鱗が浮き上がる。

同じ作業を部位ごとに繰り返すと、空気は四肢から腹、頸へと行き渡り、巨体は次第に風船のように張り詰めていく。


「よし、これで剥ぎやすくなったな」


ギヨームは膨らんだ四肢の関節へ手を伸ばし、指先で隙間を確かめると、刃を入れた。

筋と靭帯を断つたびに、ぶつり、と鈍い音が返り、一本、また一本と四肢が切り離されていく。


続いて、ギヨームは喉元へ刃を戻すと、正中線に沿ってゆっくりと胸元へ切り進めていった。

肩、そして頸のあたりまで切り剥ぐと、鱗の下から淡く白い膜が現れ、その奥に赤肉の層が見え隠れした。

強く締まった筋が表面に浮き、熱と蒸気が立ち上る。


「骨格が他の獣とはまるで違うな。これが本当に、伝説に語られる存在の……」


続いて腹の正中線を大きく開く。

内側の圧が抜け、熱い湿気が立ち昇る。


腹腔には、太い肝の塊と、長く伸びた肺らしき器官が広く場所を取っていた。

ギヨームは、大腸、小腸、胃を順に引き出し、衛兵たちとともに力を合わせて脇へ運ぶ。

肝臓と腎臓も、絡みついた組織を断ち切り、大きな塊として取り出すことに成功した。


「このドラゴン、子供かもしれないな」


ギヨームの言葉にエレオノールは思わず目を丸くした。


「え? この大きさで子供ですの?」


「うむ。雄ではあるが、腹の臓に比べて種の袋だけが妙に小さい」


「み、見ないでおきますわ」


エレオノールが顔を背けると、ギヨームはわずかに笑いながら胸の奥へと刃を進めた。

この間、衛兵と使用人たちは切り分けた部位を荷車に積み、〈ケーヴ〉へと何度も往復している。


「しかし、これが子供だとすると、親がどこかにいるのかもしれないな……」


ギヨームは独り言のようにつぶやいた。

その言葉に、エレオノールの喉が小さく鳴る。


親。


つまり――もっと大きい“本物”がいる?

結い上げた髪の頂の一本が、抑えきれぬように、ぴんと跳ねた。



解体は館総出で続けられ、すべての部位が運び終わるころには東の空が白んでいた。

皆、足元がおぼつかないほど疲れ果てている。

ギヨームは最後の確認だけを済ませると、低く言った。


「道具は洗っておけ。あとは休め」


そう言い残し、ギヨームはふらつく足取りで館へ向かっていった。



エレオノールはその背を黙って見送った。


体中に(まと)わりついた血の匂いが、胸の奥で熱を帯びていく。

不思議と、それは不快ではなかった。

むしろ、遠い記憶の底に沈んでいた“甘さ”を、そっと揺り起こすようだった。


すでに恐れはない。

禁忌という言葉は、エレオノールの中ですでに朝靄の向こうへ溶けてしまっている。


これほど“美味しそう”な食材は、今までに出会ったことがない。

火を入れ、手をかけ、皿に載せれば、きっと。

きっと、皆が笑顔になる。


それが、たまらなく嬉しい。

それ以上の理由など、必要だろうか。


ふと振り返り、潤んだ瞳のまま穏やかに微笑む。

朝の光を受けたその表情は、いつもの令嬢らしい優雅さで澄んでいて――


リュシールは一瞬だけ、そこに獣じみた気配を感じて立ち尽くした。

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