最近まで存在した、衆議院という名のバンドについて ―某大手レコード会社A&R部 社員の回想―
私の名刺には、今も「A&R部」と書いてある。
でも、正直に言えば、私はもうあの仕事を終えてしまった人間だと思っている。
衆議院。
あのユニットを担当していた、と言うと、今でも人は少しだけ声のトーンを変える。
「……あの、衆議院の?」
まるで、実在した国家プロジェクトでも語るように。
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最初は、ただの社内企画だった。
新人時代、先輩がデスクに投げてきた企画書のタイトルが「衆議院」だったとき、私は本気で聞き返した。
「……冗談ですよね?」
先輩は笑っていた。
「冗談で売れたら、どれだけ楽か」
メンバーは四人。
ボーカル、作詞、作曲、ビジュアル。
それぞれが突出していて、そして揃うと異様に“説得力”があった。
デビュー曲は『我ら、選ばれし者たち』。
炎上すると思った。
けれど実際に起きたのは、炎上ではなく、妙な納得だった。
「腹立つのに、なぜか最後まで聴いてしまう」
「嫌いじゃない。むしろ、信じてしまいそうで怖い」
そんな感想が並び始めた。
売れた、というより、根を張ったという感覚だった。
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二年もすると、空気が変わった。
ファンが勝手に言葉を作り始めた。
•再生数 → 支持率
•売上 → 議席数
•人気 → 勢力
•ライブ → 総会
最初は内輪ノリだった。
けれど、音楽誌が拾い、テレビが使い、SNSが拡散した。
紅白初出場の夜、トレンドに並んだのはこういう言葉だった。
「衆議院、単独過半数」
「今日のパフォーマンス、圧倒的多数だった」
「野党(他アーティスト)が息してない」
私は制作会議の席で、それを見ながら、少しだけ怖くなっていた。
音楽ユニットに対して、人々がここまで本気で語るようになるとは思っていなかった。
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衆議院が社会現象になって一年ほど経った頃、
別レーベルからデビューしたバンドがいた。
名前は「参議院」。
最初はオマージュだと思った。
次に、パクリだと思った。
そのうち、競合だと理解した。
音楽性は違っていた。
参議院は、派手さよりも構造を重んじるバンドだった。
即効性はないが、何度も聴くほどに深く残る。
自然と、比較が始まった。
「数字なら衆議院」
「質なら参議院」
「結局、衆議院の優越は動かない」
ある評論家が書いた「衆議院の優越」という言葉は、
火をつけるには十分すぎた。
衆議院のファンと参議院のファンが、
互いに相手を論破しようとして、
いつの間にか、音楽の話よりも“立場”の話をするようになっていた。
私は会議でよく言った。
「これは音楽だ。政局じゃない」
誰も否定しなかった。
ただ、誰も止められなかった。
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転機は、参議院側からの打診だった。
「合同イベントをやりたい。名前は『両院協議会』でどうか」
あまりにそのまますぎて、逆に美しかった。
対立を無かったことにはしない。
でも、対話の場として並ぶ。
社内では賛否が割れた。
炎上する、という意見も多かった。
それでも、実現した。
最初の「両院協議会」は、奇妙な空気だった。
観客は、どちらのファンでもあり、どちらの支持者でもあり、どちらの批評家でもあった。
曲が終わるたびに起きる拍手に、わずかな「評価」が混じるのが、分かってしまう。
それでも、最後のアンコールで、
衆議院のボーカルと参議院のボーカルが並んで歌ったとき、
客席の空気が、初めてただの「音楽」になった。
あの瞬間だけは、たしかに、すべてが溶けていた。
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だが、長くは続かなかった。
衆議院の内部では、すでに亀裂が走っていた。
「社会にもっと踏み込むべきだ」
「これ以上背負わせたくない」
「音楽を、制度に近づけすぎた」
会議室で、私は何度も同じ光景を見た。
メンバー同士が言い争い、
その横でマネージャーが沈黙し、
私はただメモを取るしかなかった。
最後のライブタイトルは、『信を問う』だった。
その夜、ステージ上で、彼らは初めて、観客の前で本気の口論をした。
配信の同接は過去最高だった。
コメント欄には、
「もう限界だろ」
「解散したほうがいい」
「いや、ここからだ」
という言葉が並んでいた。
数週間後、記者会見で解散が発表された。
ボーカルが言った。
「私たちは、最後まで“代表”ではあり続けられませんでした」
翌朝の新聞の見出しは、ただ一行だった。
「衆議院 解散」
それがバンドの話だと気づかず、
本気で時代が終わったような顔をしている人を、私は何人も見た。
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今、衆議院はもう存在しない。
参議院は、静かに活動を続けている。
両院協議会は、二度と開かれていない。
それでも、ときどき、SNSでこんな投稿を見る。
「衆議院がいた時代に生きていてよかった」
「あれは音楽じゃなくて、現象だった」
「今のシーン、ちょっと静かすぎるよね」
私はそれを見ながら、思う。
たしかに、衆議院は音楽ユニットだった。
でも同時に、人々が「何かを信じようとした」最後の装置だったのかもしれない。
もし、またあんな存在が現れることがあるなら、
今度は、もう少しうまく守れるだろうか。
……いや。
たぶん、また同じように、燃え尽きるまで見届けるしかないのだろう。
それでも、
あれほど真剣に“聴かれた音楽”を担当できたことだけは、
私のキャリアの中で、唯一、誇っていいことだと思っている。




