女子になっても君が好き
「やっぱりさあ!男は一途でなんぼだと思うわけよ!」
「なるほど」
「だから俺はこんな状態になっても、一途にあの人のことを好きでいようと、そう思うわけなんだよ!」
ふん、と鼻息荒く宣言するこの物語の主人公、山本ユキ。そんなユキに向かって隣を歩く友人田中は頷きながら
「なるほどな。それでそんなふうに・・・・・・例え女子になってもお前はあの学園の女神様と言われる白河佳織さんを落としたいというわけか」
と言った。
「そう!そうなんだよ!」
「出来るかね?そんなでかい胸で・・・・・・学園の女神様より学園の男子が落ちそうな胸だぞ。つーか俺が落ちる」
「落ちるな!気色悪い!」
ユキと田中はそんなふうな会話をしながら学校へと向かって歩いていた。
男女で一緒に登校。傍目からはそう見えたことだろう。客観的に見ればこれは付き合っている男女がイチャイチャしながら登校していく風景に見えなくもない。
しかし、実際はそういうのではない。というか、つい一ヶ月前までこれは普通に男子高校生の友達同士の投稿風景だったのだ。今でも実際、ちょっと変わったところはあるが当人たちは普通に男の友達同士で登校しているつもりでいるのである。
さて、一般男子高校生であった山本ユキがなぜこんなふうに女子になったのか。話は一ヶ月前に遡る。
ユキは朝起きたら女の子になっていた。なんでも、これは何万人かに1人ぐらいの奇病で、時々こういうふうに朝起きたら別の性別になっているということがごくたまーにあるらしい。原因も治療法も確立されていない奇病で、ユキも今の時点では治せないと言われた。
まあ、そういうことだ。ユキはこの日から終わりなき女の子生活を送ることを余儀なくされたのである。
ちなみに、ユキは朝起きた時点では自分が女の子になっているということに気がつかなかった。家族も気がつかなかった。そして普通に登校して、クラスメイトが大騒ぎしてから初めて気がついたのである。道理で胸が重いし、色々と体に違和感があると思った。田中には「そんなことある?」とツッコまれた。
そんな感じでユキは女の子になった。今のユキは男の時の一般男子高校生とは違って、背も大体頭一つ分くらい低くなっているし、髪も艶やかに長くなっているし、顔立ちも整い肌も綺麗ないわゆる美少女になっているのである。
そして何より胸がでかい。田中も言った通り胸がでかいのだ。胸がでかい。太もももなんかムチムチしてるし・・・・・・お尻も大きいね。いいと思う。
それでユキは女の子になったわけなのだが・・・・・・
「俺は女の子になった!それでも俺は一途に白河さんのこと想い続けたいんだ!やっぱり俺は白河さんのことが好きだ!お付き合いしたいんだよぉ!!」
・・・・・・それでもユキは好きな女子のことが諦めきれないらしいのである。
「お前は今女子だ。少なくとも、俺が知る限りでは白河さんが同性を好きになるタイプだという話は聞いたことがない。今のお前には茨の道だぞ。それでもお前は白河さんと付き合いたいというのか?」
「ああ!これくらいで諦められるほど、俺の恋心は柔くねえんだ!」
「ユキは本当に真っ直ぐなやつだな・・・・・・俺は応援するぞ。頑張れ!」
「おう!」
ユキは田中の応援を受けて、意気揚々と歩き出した。
「そういえば、あの動画見たか?」
「あー、あの動画ね!めちゃくちゃ面白かったよな!」
再び他愛もない話をしながら2人は歩いていく。その他愛もない話の途中で、ユキは地面に引いてある白い線に乗った。そして乗りながら「よっ・・・・・ほっ・・・・・・」と言いながら両手を飛行機のハネのように水平にしてバランスをとりながら歩き出した。
「お前さ・・・・・・そうやって脈絡なく可愛い仕草すんのやめろよ。男の時とは違うんだぞ!わかってんのか!?」
「え?何?」
「上目遣いやめろ上目遣い!死んじゃうから!」
「は?きも」
と、そんなやり取りをしていたらやがて学校について、クラスが違う2人は高2の階についてから別れてそれぞれのクラスへと向かったのであった。
ユキは自分の席に向かう時、同じクラスにいる学園の女神様白河佳織の方を見た。白河佳織は銀色の髪に銀色の目をして、まさに女神のような美しさで座っていた。
ユキは熱のこもった目で気がつかれないようにそっと佳織のことを見つめながら、自分の席に向かったのだった。
◇
ホームルームが始まって、終わって、一時限目も始まって、終わって・・・・・・一般TS男子高校生の一日は何事もなく過ぎていく。
女の子になっても、ユキの一日は変わり映えがなかった。男子の時も女子の時も、ぼーっと授業を受けて、ノートに落書きをするだけ。
ユキも女子になった当時は日常に何か変化が起きるものと思っていた。アニメや漫画みたいなことが起こって、日常から非日常へ足を踏み入れることができるのではないかと。
しかし結果は変わらなかった。女子になっても特に非日常的なことが起こることもなく、日々は何事もなく過ぎていった。
やがてお昼休みになった。ユキはお弁当を取り出して、自分の席で食べ始めた。ユキは女の子になってから食べる量が少なくなったので、男の時より小さいお弁当だ。作る量が少なくなったから、お母さんは少し楽になったと喜んでいた。
そのお弁当を、ユキは1人で食べた。いつもは田中と一緒に食べるのだが、田中は所属する委員会の人と昼食兼会議をしなければいけなくなったので今日はユキ1人だ。
ユキはクラスにあまり友達はいない。以前はたまに話をしたり、一緒に昼食を摂ったりする友人のようなクラスメイトも幾人かいたのだが、ユキが女子になってからというものみんなどう接したらいいかわからないようで全く話さなくなってしまったのである。女子も同様だ。だから今、ユキは田中がいない時は1人で行動している。
一度ユキは以前時々話をしていた男子クラスメイトに話しかけたりしてみたこともあるのだが、男子の時とは反応が違っていて、何かじっとりとした嫌なものを感じたからもう話しかけないことにした。田中は男子だった時とは違って多少セクハラめいたことをしたりするものの、じっとりとしたものは感じない。彼はあくまで、『友達』であることを守ろうとしてくれているのだ。だからユキは彼とまだ付き合いを続けているのだ。
ユキの日常は変わらなかった。細かいところで色々と変わったところはあったものの、日常は変わることはなかった。
少しずつ染み渡るような小さな苦しさも、地面から5センチくらい浮き上がるような小さな喜びもそのままだった。
女子になるというのも、こんなものなのだろう。アニメや漫画とは違うのだ。そんな劇的なことが起こるわけがない。
このお弁当の卵焼きだって変わらないのに、女子になったくらいで自分の人生が変わるわけがない。ユキはその卵焼きをじっと眺めてパクッと食べた。
お昼を終えて、五限目の授業、六限目の授業も普通に受けた。ユキはぼーっと窓の外の水色の空を眺めていた。授業はもう右から左に抜けている。ユキは水色の空を見てあの水色はどんな食感がするんだろうと思っていた。しゃくっと軽い歯応えで、サワサワと舌の上を、まるで何もないみたいに、通り抜けていく予感がする。
そんなことを考えているうちに、ユキはいつの間にか寝てしまっていた。
ユキは夢を見た。初めて佳織を好きになった日のことだ。
ユキはその当時、高校生になったばかりだった。その時は男で、ユキは好きな漫画の新刊を買うために家の近くの本屋に出かけた。
しかし、残念ながらその本屋では新刊は売り切れてしまっていて、ユキは家からちょっと遠いところにある本屋へ足を伸ばすことにしたのだ。
バスに乗って、最寄りのバス停まで行って、降りてからは徒歩でその本屋を探した。しかし、やはり普段はあまり行かないような場所まで足を伸ばしたからか、ユキは迷ってしまった。
ユキがスマホで色々と調べたり周りの建物を見たりして、必死に目的の場所に行こうとしていると、困っているというのが見え見えだったのだろう。見るに見かねた佳織が声をかけてくれたのだ。
佳織とは一年の時も同じクラスだった。しかし、高校に入学したばかりで、まだクラスメイトの顔も名前も一致しないような時だ。全く話したことがない。接点も何もない。そんなユキを助けるために話しかけてきてくれた。接点のないクラスメイトの男子に話しかけるのは勇気が必要だっただろう。
それでも話しかけてきてくれた。そしてユキのために道案内をしてくれた。せっかく道案内をしてくれたというのに、ユキはちょっと寄り道をしたくなったりして余計時間をかけさせてしまったのだが、佳織は嫌な顔一つしなかった。
そういう経緯があって、ユキは佳織のことを好きになった。別に特別なことは何もなかった。普通のどこにでもありそうなエピソードだ。
だが、特別である必要がどこにあるだろう。人を好きになるのに特別な理由などはいらない。別に普通でもいいのだ。
困っている人を助けるのは普通のことだ。しかし、実際、明らかに困っている様子のユキを見て、普通に助けてくれたのは佳織だけだった。だからそんな人を好きになるのは、普通のことだ。
その日はよくある平凡な休日だった。しかし、ユキにとってはその日は特別な日だった。
ユキはその日のことを今でも憶えている。自分の前を歩く、佳織の清らかな銀色の髪を憶えている。しかし、佳織はその日のことを憶えていないだろう。別になんでもない平凡な一日なのだから。ただでさえ、女子になったユキの、男子時代の記憶なんていうものはみんなの中で風化していくだけのものなのだから。ただそれだけのものなのだから。
◇
ユキは目が覚めた。気がつくと、もう帰りのホームルームも終わって放課後になっていた。しかし、まだ夢の中みたいに、辺りは嘘みたいに美しい濃密なオレンジ色に包まれていた。
「ん・・・・・・」
ユキは目を擦りながら体を起こした。窓の外、校庭の方からは運動部の掛け声が聞こえる。もう帰らなければいけない時間だ。
とりあえず、机の上に出しっぱなしになっていたノートやら教科書やらを鞄にしまって、家路につこうとした、その時だった。
「あれ?髪の毛ちょっとはねちゃってるよ?」
後ろから声が降ってきた。清らかで軽やかで、優しい声だ。そしてこの声には聞き覚えがある。ユキの心を深く掻き乱し、そして安心させる声だ。
振り向くと、果たしてそこには白河佳織が・・・・・・ユキの好きな人がいた。
「しっ・・・・・・白河、さん・・・・・・・?」
天使が目の前にいた。白河佳織が覗き込むようにしてこちらを見ていた。
ユキはまだ自分が夢の中にいるのかと思った。こっそり手の甲をつねってみたら痛い。どうやら夢ではなさそうだった。ユキは慌てて背筋をシャキっと伸ばして椅子を動かし佳織の方に向き直った。
「え、えと・・・・・・佳織さん、何か御用でしょうか・・・・・・?」
「ううん、別に用事はないけど、ずっとうとうとしてて起きないから、大丈夫かなと思って・・・・・・」
「あっ!す、すいません・・・・・・うっかり眠ってしまって・・・・・・もう起きたのですぐ帰ります!すぐ帰りますから!!」
ユキが慌てて帰ろうとするところを、佳織は制止した。
「ちょっと待って!そのまま帰っちゃダメだよ!髪の毛はねちゃってるから!」
佳織に言われて、ユキはちょっと自分の髪を触ってみた。確かに、机に突っ伏していたからか前の方がちょっとはねている感じがする。スマホを取り出して確かめてみたが、ユキ的には言われてみれば気になるな、ぐらいの感じでそこまで変には感じなかった。
「大丈夫ですよ、このくらいなら。多分誰も気にしないと思いますよ」
ユキはそう言ったが、佳織は納得しなかった。
「ダメだよ!山本くんも今は女の子なんだから、身だしなみはちゃんとしなきゃ!」
佳織はむっとした顔でユキに注意する。そんな表情を彼女がするのは珍しい。
(白河さんの珍しい表情だ・・・・・・)
佳織の珍しい表情が見れて、ユキは嬉しかった。しかし、続く佳織の言葉はユキの心の湖面を激しく動揺させた。
「ちょっと待ってて!私が梳かしてあげるから!」
ユキは突然のこの展開に激しく動揺して、しどろもどろになりながらもなんとか断ろうとした。しかし、意外にも佳織の押しが強くて、結局言われた通りに佳織に髪を梳かしてもらうことになってしまった。
「・・・・・・」
(なんでこんなことになったんだろう・・・・・・・)
ユキは自分の席に小さく縮こまって小動物のようになりながら座っていた。
佳織は自分の席の鞄から持ってきた携帯用ヘアブラシでユキの髪を梳かし始めた。
「あ、ありがとうございます、白河さん・・・・・・」
「ううん、別にいいよ。お礼なんて。ただのお節介なんだからさ。・・・・・・というか、そんなにかしこまらなくていいよ。クラスメイトなんだし」
「し、白河さんがそういうなら・・・・・・」
ユキは大人しく佳織が髪を梳かすのに任せていた。ふと、会話が途切れて沈黙が流れる。ユキは必死に頭を回転させて何か話題を見つけようとした。
(何か話題を見つけないと・・・・・・)
しかし、話題は何も出てこなかった。先に口を開いたのは佳織の方だった。
「そういえば、あの漫画はまだ読んでるの?」
「え?」
「あれ?憶えてない?ほら、高校に入学したてぐらいの時に山本くんが道に迷ってたから案内したことあったよね?その時に買ってた漫画、面白そうだったから私も買って読んでるんだよ。まだ買ってたらその漫画の話をしたいな、って思ってたんだけど・・・・・・」
「あ、ああ!あの漫画、まだ買ってるよ!もちろん新刊が出るたびに買い続けてる・・・・・・というか、白河さんは、その日のこと憶えてたんだ。てっきり、白河さんはもう忘れちゃったもんだと・・・・・・・」
「いやいや、忘れないよ!クラスメイトとのエピソードを忘れるなんて、そんな薄情な人間じゃないからね!それに・・・・・・」
佳織はユキの髪を梳かす。梳かしながら話した。
「それに、山本くんはけっこう印象的な人だったからね。私が案内してる時、急に走り出してどうしたのかと思ったら、知らないおばあちゃんの荷物運ぶのを手伝ってたし。私、道案内中にそんなことする人初めて見たよ?」
ふふ、と佳織はそう言って笑った。
「あ、あの時はごめん。ただでさえ時間を割かせてるのにさらに時間をかけさせることになって・・・・・・」
「いやいや、謝ることじゃないよ。私だって山本くんと同じ状況なら同じことしたと思うから。・・・・・・それが印象に残って、山本くんはクラスメイトの中でも最初の方に名前と顔を憶えたんだ」
ユキは少し俯いた。頰がかなり赤くなっていたが、佳織がそれに気づいたかどうかはわからない。
「だから、山本くんが女の子になった時、ほんとに心配したんだよ?大丈夫なのかなって・・・・・・。でも、けっこう大丈夫そうでよかったよ。この髪だって、羨ましくなるくらい綺麗だし」
「い、いや俺なんかの髪が綺麗だなんて、そんな勿体無い・・・・・・えーっと、俺には実は姉がいて、その姉から女子になった時色々と髪の毛のケアの仕方とか、洗い方とか・・・・・・その他もろもろ、叩き込まれたから。だからそこそこちゃんとしてるのかも・・・・・・」
「へー、山本くんお姉ちゃんいるんだ!羨ましいなあ・・・・・・私、一人っ子なんだよね」
他愛もない会話を、放課後の教室で好きな人とする。
ユキには、急に教室の中が綺麗になったように見えた。
窓から差し込む夕日はこの教室をどこか神秘的に彩り、そこに留まった夕日は、信じられないくらいに綺麗な、夢みたいに綺麗な深い蜂蜜の色だった。
佳織の手が髪に触れるたび、ユキはふわっとした。体も心も、甘い蜂蜜になって溶けていくような心地がした。ユキは安らかに、この空間の中を揺蕩った。
佳織はこれほどまでに深い感情を抱いてはいないだろう。けれどもそのカケラでもいいから、佳織がこの、自分と同じこの気持ちを持っていてくれればいいな、とそう思った。
やがて、佳織は髪から手を離した。
「どう?」
佳織が手鏡を手渡してきた。それを覗き込むと、ユキはなぜかツインテールになっていた。
「えと、白河さん、これは・・・・・・」
ユキが佳織の方を向いて尋ねると、佳織は笑って答えた。
「いたずら!」
そしてこう続けた。
「やっぱり私の見立て通り、似合ってるね!かわいいよ!」
◇
次の日の朝。
「なんだ、お前今日はずいぶんかわいらしい髪型にしてんじゃねーか」
ユキを見てそう田中が言った。
ユキは、いつもはただ流れるままにしている髪を、今日はツインテールに結んでいた。ユキは、自信なさげにツインテールの先っぽをいじりながら
「に、似合ってるかな・・・・・・?」
そう田中へ聞いた。
「おう!めちゃくちゃ似合ってるぜ!かわいい!」
田中はサムズアップして言う。ユキはほっとした顔をして呟いた。
「よかった。姉さんに教えてもらって、夜遅くまで練習した甲斐があった・・・・・・!」
「しかしユキ、なんでまた髪型を変えたんだ?イメチェンか?」
「うっせなんでもねーよ!」
ユキは登校中、佳織がこれを見てどんな反応をするだろうかと少し不安で、少し楽しみだった。
そして女子になるのも悪くないものなんだな、とそう思った。
7,000文字も書いたわけですが、結局うまく書けなくて微妙な短編になりました。
やっぱりこういう真面目な文学風の作品は難しいですね