8話「フラムと定番デート」
「ふわぁ……」
空の色なんて改めて気にしたことはなかった。しかし、青空の色合いすらも所変われば品変わるというもので、言語化が叶わないくらいの微妙な差がある。俺の覚えている空よりも僅かに緑っぽい。海のような色味だ。
この世界の空にも慣れてきた。
屋上のテラス席。陽当たりのよい席だ。春の陽気がまだ残る温かい風にのり、食欲のそそるいい匂いがする。食堂の出張サービス、のようなものらしい。
それもビュッフェ形式らしく、少し離れたテーブルに惣菜がズラリと並んでいる。俺はそこまで空腹ではなかったので、オープンサンドイッチと紅茶だけいただいていた。
眠気も吹っ飛ぶような雲一つない快晴。だというにも関わらず、瞼が重い。紅茶を啜ってもサッパリしない。
「……勉強のしすぎかな」
実は俺には女神様から授かった力が二つある。《言語変換》と《知識導入》だ。
この二つがフラム達との意思疎通を助けてくれているのだが、なかなか曲者だ。今ひとつ痒いところに手が届かない。
その不甲斐なさが、俺の授業への意欲を駆り立てていた。ここ数日、寝る間も惜しみ青少年が夜更けに読み込むには少し"硬すぎる本"を読み漁っている。
「アタシと居る時くらい、もっとシャキッとして欲しいのよねぇ」
心底呆れ果てたような少女の声。ここ数日ですっかり耳に慣れてしまった──フラムの声だ。
そう、俺が面白くもない空なんか見上げてたのは何のことはない。彼女に『ちょっとご飯見てくるから、アンタは先に席取っときなさい!』と言いつけられたからだったのだ。
先の宣言通り彼女の持つトレイには牛肉のたっぷり載った──いや、やりすぎだろ。肉で埋もれてしまっている。ギョッとして注視するまで、まさかパンだとは思わなかったぞ。
「相変わらずよく食うな。……あと、この睡眠不足は半分お前のせいだぞ」
寝不足には他にも理由がある。……包み隠さず、端的に言えばフラムのせいで寝不足だ。
なにも艶っぽい話ではなく──むしろそうであってくれた方がよかったが──負けず嫌いのリベンジマッチだ。
彼女にエクレールとの校内戦が成立したと伝えた日から、ずっとだ。
ここ数日で思い知ったが、才能に恵まれている以上にフラムはかなりの努力家だ。スポ根というか体育会系のノリ。俺との試合を終えた後にも『じゃあアタシは日課のトレーニングがあるから』とハードトレーニングをこなしている。
あ、だからこんなにも炭水化物! 肉! って感じの食事なのか。さすが肉体派術師。
「アンタが受理しないのが悪いのよね。アタシからの申し出断るなんて、失礼しちゃうわよ」
フラムは悪びれもせず言ってのける。先ほどの肉山盛りにトッピングのパンを、ぺろりと平らげながら。コレでため息の出るようなプロポーションを維持しているのだから、世の女性から羨ま──いや、恨まれそうだ。
俺は大人しく通常サイズのパンをかじる。下は硬いパンだが肉汁を吸っていて、しっとりとした歯触りに変わっていた。濃いめの味付けも疲れた脳に嬉しい。
咀嚼していると、少しずつ頭のモヤが晴れてきた。フラムへの口答えもいくつか浮かんでくる。
「……だいたい、事実上やってはいるだろ。正式に手続きしてないだけで」
いわば模擬戦だろうか。だからといって加減はしないのがフラム流だ。
「そんなに嫌なら命令使っちゃえばいいのに。あの決闘ではアンタが勝ったんだし、それについては聞いてあげるわよ」
命令権。フラムと最初に行った決闘の際に『勝者は敗者に対して一つ命令を下せる』そんな取り決めがあった。俺も今の今まで、フラムに言われるまで頭から消え失せていた。
「あのなぁ、女の子にそんなことするかよ。使うつもりはないから、安心して他のイイ相手を見つけてくれって」
「しょうがないでしょ? アタシより強くて戦ってくれるのが、アンタしかいないんだもの」
天下のAランク術師様が俺なんぞを捕まえて"強い"とはなんと買い被りだろう。
ちなみに、戦績だけで言うと今のところ俺が全勝している。
"今のところ"と但し書きがつくのは、フラムの伸び代の恐ろしさにある。
最初は四度ほど死にかけながらも俺が勝った。次は六度、その次は十一度……と、徐々に死が近づいてきているのだ。その大剣が俺の命に届くのも時間の問題だろう。
「それにしたって連日はないだろ。体も心も、とても保たないって」
「だから今日はデートにしてあげてるじゃないのよ。存分に羽を休めなさい」
なんとこの少女、フフンと得意満面である。心の底から自分とのデートがご褒美になると思っているんだ。
……本音を言うと、フラムのような美少女との食事は嬉しい。それは大変喜ばしいんだが、些かシチュエーションが悪い。
「デートで校内ってのもねぇ……」
有り体に言って風情がない。かと言って、わざわざ学園に外出申請して遠出をするのも、こそばゆいというか……。
「じゃ、どんなデートコースがいいっていうのよ? 大人なエイトさんに教えて貰おうかしら」
変なことを言わなきゃよかった。時間を弄れるようになっても、この手の後悔というのは取り返しがつかない。
真っ当な男女のお付き合いの経験なんて俺にはない。憧れは人一倍強い。ホントに思いだけは強いが、全く実戦経験がない。修行だけ積んだが、披露する場所がなかった。
ドラマなんかで放送されるようなのだと、おうちデートか? それともアニメで見たゲームセンターのデート? はたまた漫画で見た王道の映画館デートが正解なのか?
「こう、なんかいい景色の見れるようなレストランとかで美味しい食事をさ」
「それって、今と何が違うの?」
言われてみればそうだ。立派な校舎からの眺めはそれなりに見応えがある。食事も美味。指摘されてみれば今の状況と変わらない。
「ダメダメね。こんなんじゃ彼女いなかったのも頷けるわ……」
「待て、何でそんなこと──」
「だってデートプランもスラスラ言えないし、それどころか会話だって怪しいじゃない。でも女の子には慣れてるから、会話が少なくてもいい姉弟──いえ、妹がいるわね。違う?」
「……正解だよ」
フラムの推理は全て的中。その洞察力に思わず舌を巻く。
「ついでに教えてやるけど、今までそれらしい関係になった相手も居ない」
「……そうなんだ。って、そんなアタシ達じゃ背伸びもこれが限界ね」
フラムは照れ笑いを溢す。彼女もいいとこの箱入り娘だろうし、婚前に男女交際をどうこうってのはないのかもな。
「ねぇ。その、エイトはさ。一人じゃ寂しいって思うことないの?」
「あー。ある、な。そういう夜もあるけど、まぁ孤独に耐えてるから平気だよ」
半分本音で、もう半分は建前。
不正解しか重ねてこなかった俺は、幸せになるべきじゃない。
諦めてしまった。選ぼうともしなかった。話さなかった。揺れていた。見ようとしなかった。舐めていた。告白しなかった。考えてもなかった。悩んでいた。踏み込まなかった。本気にしなかった。侮っていた。触れなかった。
そして、彼女に言わせてしまった。
だから憧れはあるけど、恋愛はするべきじゃない。俺には誰も救えないから。
「ねぇなに急に黙り込んでんのよー。ねぇってば……あっ、アンタまさか──!」
突如、サッと腕組みの形で胸を隠すフラム。
「なっ! おい待て待て待て! お前なんか勘違いしてないか!?」
少しセンチな回想も消し飛ぶ冤罪に、思わず立ち上がってしまった。
「だってそうじゃない! 恋人とか欲しくないの? って問いに夜一人で耐えてるって……そういう文脈じゃないの!」
「だー! 仮に、仮にそうだとして! なんでお前が隠すんだよ!」
フラムはその自慢の髪色と同じくらい赤面したかと思えば、俯く。
「…………アンタ、見たじゃない。何度もアタシの、裸! 見てるじゃない!」
「ちょっ──!? お前こんな公衆の面前で大声はやめろ!」
ザワザワとやおらに騒ぎ出す。このままフラムがヒートアップするとまずい。燃料を投下し続ける彼女を止めなければ。
「それを言うなら、お前も見てるよな。俺の裸」
「…………えっ?」
裸! 裸! と騒ぐフラムの口が止まる。
「いや、だから裸だよ。俺もあの時は風呂に入ろうとしてたから、色々と見えてたよなって」
「──な、なんのことかしら? アンタと一緒にしないで欲しいのよね!」
……なんか、惚け方がマジっぽくないか? 自分がイジってたネタでカウンターされたからってだけだよな?
「フラムも一人で色々とあるだろうから、まぁ俺は許すよ。また見たいって言うなら、一肌脱ぐのもやぶさかじゃないぞ」
「何ヘンなこと言ってんのよ! まだ鮮明に覚えてるから! 平気だから!」
目に焼き付けてたのかよ!
これじゃフラムが掘った墓穴に自分から飛び込んだようなもんだ。
「なぁ、デートってこんな感じなのか? こうやって馬鹿話出来たのはよかった? けどさ」
「……でもこの屋上は結構人気なのよ? 定番デートプランってヤツね」
こちらの動物園やテーマパークのようなものだろうか。百里にして習わしを異にすと言うが、世界の数だけ定番デートコースの数もあるか。
ん?
「定番?」
「えぇ、定番」
「昔からあるデートプラン?」
「昔からあるデートプラン」
俺の二度にわたる確認に、言葉を反芻して頷くフラム。
…………清らかな乙女の園は伊達じゃないってことかね。
「あ、さてはアンタ変なこと考えてるわね?」
「ソンナコトナイゾ」
偏見はない、つもりだ。妹の趣味の犠牲になったことがある手前、かなり苦手意識はあるが。
「まぁ、わからない文化ってのには賛成だけどね。シアンとかアレで結構モテてるのよ? アレでお姉様扱いよ?」
シアン・アズール。やたら物々しい口調の堅物委員長。凛とした佇まいに、規律を重んじる姿は高潔な騎士を思わせる。が、その実態は"比較的"と頭につけなければ、とても常識人にはなれない女子だ。
こんなのでも、美人であるのは事実だから、まぁ数人くらい"妹"がいても不思議ではない。
「あいつも顔がイイからな。変な言動しなければ凛とした美人に見えるだろ」
「へー。アンタってやっぱりシアンみたいなのが好みなのね」
どうしてそうなる。
そして、またしてもフラムの不興を買ってしまったみたいだ。
彼女が一度こうなると、褒めて宥めてご機嫌を取るのは時間がかかる。俺は素知らぬ顔で、話題をズラす。
「次の校内戦じゃシアンと戦うのか?」
「えぇ。ちょっと物足りないけど、今戦える中じゃ一番よ」
他に数名いるだろうAランクを差し置いて、Bランクのシアンを選ぶのか。なんやかんやその強さは認めてるんだな。
「で、アンタの方は勝てそうなの?」
「……正直かなり無理筋だな」
まばゆいほどの黄檗色。Aランク術師、エクレール・ファン・キトリネス。その戦いを目にしたことはないが、楽に勝てるヴィジョンはない、フラムとはタイプが違いすぎる。
エクレールがフラムより強いってことではなく、単に相性の問題だ。
俺のスタイルの強みは逃げ回って分析し、その上で読み勝てる確率を上げるところにある。
フラムの速さならば十分に《緩流》で見極めて対応できる。最悪の場合も《逆流》させてしまえば、回避くらいはワケない。そこで仕切り直せる。
だが、エクレールにはスピードがある。
図書館で俺は捕えられた。無論、本気ではなかったが、逃げ仰るつもりはあった。それも《逆流》まで使ってやり直したにも関わらず、いとも容易く簡単にだ。
自分よりも速いのを相手取るなんて、いつ振りだろう。久しく忘れていた挑戦者としてのやりにくさに、自然と強張る。
バチン!
爆発。鼻を掠めるほどの距離で空気が爆ぜた。こんなとこで魔力を使うなんて、心臓に悪い。
「ほーら、そんな顔しないでよ。仮にもアタシに勝った男でしょ?」
不器用なフラムなりの慰めかもしれない。労いとしては過激にすぎるが。
「ちゃんとご飯食べて、しっかり戦いなさいよね。……よかったら、これ。食べる?」
フラムは胸焼け確定の脂ギッシュな肉の山をこちらへ寄せる。……これ善意なんだよな、多分。
「腹減ってるから弱気になってるってのはあるかもな。それは遠慮させてもらうけど」
「なんでよ! アタシの肉マシ特製ブロートが食べられないっていうの!?」
激昂するフラム。変なとこに地雷のあるヤツだな。その業務用肉塊に妙な名前があったこと以上に驚きだ。
「その、間接キス的な問題もあるだろ」
「…………アタシの分も頼むわね。当然、肉マシでよろしく」
まだ食うのかよ。呆れながらもトレイを手に立ち上がり、料理の並ぶテーブルへ向かう。