6話「校内戦とランク」
「校内戦とは平たく言えば模擬戦のことだ。対戦相手を指名し、相手方が受諾すると成立する」
昼をだいぶ過ぎた頃、ランチの盛りも過ぎ、食堂の生徒は少なかった。俺たちはカウンターのすぐ近くの席で『よくわかる校内戦とは?』の講義を開いていた。
俺は先ほどまで手錠をかけられていた手首をさすりながら、辺りを見渡す。
学生食堂とはどこもそうなのか、注文を受けるカウンターがいくつも並んでいる。天井も高く、まるでスーパーのフードコートのようだ。
小洒落た軽食からボリュームのある定食まで何でもござれという様相で、つい目移りしてしまう。けれど、俺もシアンもそう空腹でなかったので、紅茶を飲みながら──シアンには俺からのささやかなお礼のスフレがあるが──彼女から講義を受けていた。
本来は様子のおかしい担任から聞くべきなのだが、任せていてはおけないというシアンの親切心に甘えさせてもらった。あのザハルから話を聞くのは俺としても不安が残る。
きっとあの担任のことだ『じゃあ手取り足取り教えてあげなきゃね〜。いいのよ、ぜーんぶお姉さんに任せなさい』くらいのセクハラをしてくるだろう。その毒牙の恐ろしさに身震いし、目の前で紅茶を喫するシアンには心から感謝した。
「そして校内戦で勝ちを重ねれば、ランクが上がっていく。……この時期は気をつけろよ? みな、月に一度の昇格の機を逃すまいと殺気立っているからな」
シアンの視線に促され、そっと横目で見ると、確かにチラホラといる生徒は皆こちらを窺っている。てっきり男に対する好奇の目とばかり思っていたが……。そんな時期に実力未知数の転入生が来たから、というのもあるのだろうか。
単に試験の成績というには、その目に宿るものの度が過ぎているようにも思う。ランク、というのは学園生にとってそんなに重いものなんだろうか。シアンへと向き直る。
「で、そのランクってのは何なんだ? 成績みたいなものなのか?」
「あぁ、そうだな。貴様はランクの説明もまだだった。……ランクは成績以上の意味を持つ。基本的にAからEの相対評価で決められるそれは、ある種の勲章なのだ」
校内のランクがそのままスクールカーストになるのか。それならば合点もいく。
しかし、俺も学校生活には疎いが、闘技場の件といいこの学園は大丈夫なのか? 目に見えるランク付けなんて、そのままイジメだとかの問題がでそうだが。
「ちなみに、自分はBランクだ。これは学年に十人ほどだな」
フフン、と得意気なシアン。相対評価の下での競争だから、そのBランクともなれば相当な上澄みだろう。
「本当に凄いじゃないか。一クラス三十人くらいだから、上位一割くらいか?」
暗算で算出できるほど頭が回らないから、大まかな数字にはなるが。シアンも一流の域にある術師という見立ては当たっていたようだ。
「競争率は高いぞ? なにせ、Bランク以上には特権があるのだ。……ランチの割引とか、本当にちょっぴりだがな」
最後の方は恥じらいからか、消えいりそうなほど小さかった。褒められて素直に誇らしげになるあたり、年相応で微笑ましい。
ダメだな。フラムもそうだったが、どうも周りの子が妹のように思えてしまう。彼女らが十五、六歳だとすれば(精神的には)四つほど上なのだから当然かもしれないが。
「アタシはAランクだけどねッ!」
叫びと共にプレートをドン! と机に叩きつけて、隣に座るフラム。ジジくさいことを考えていた俺は飛び上がりそうになった。
その勢いが良すぎて、せっかくの綺麗な盛り付けがぐちゃぐちゃになっている。パンと赤い挽肉、ソースのかかったアスパラとジャガイモ、湯気の立ち上るオニオンスープ、香ばしいムニエル、彩りを添えるピクルスなどなど……。いや、随分山盛りだけど、これ全部一人で食べるのか?
俺の心配もよそに、フラムは紅茶をグイと一口に飲み干して割れんばかりの勢いで机へ。
「で、仲良くデートかしら? それともエイトを誑かしてアタシの対策? あのシアン・アズールともあろう者が、ずいぶんとまぁ女を使うじゃない!」
朝の自己紹介ぶりに会うフラムはかなり機嫌が悪かった。こいつもシアンみたいに、席が思い通りにならなかったことに腹を立てているのか?
……何で俺を睨むんだよ。俺は何も言ってないし、俺じゃなくてシアンの方を向けよ。
「まさか。自分がそんな卑怯な真似をするか。なに、今に待っていろ。すぐにそこから引きずり下ろしてやる」
フラムを睨み据えながら宣戦布告するシアン。闘志に溢れた眼だった。
対するフラムは涼しい顔で受け流す。
「何度目よ、その挑戦。今回ばかりは応えられるか怪しいわよ、アタシも挑戦者だから」
……いや、だから、俺を見るなよ。
やんわりと校内戦を断られてしまったシアンは、俺に訝しげな目を向ける。
「たしかにそういう噂は耳にしたが、貴様が手加減したのではないのか?」
「神階解放まで使っておいて一撃で倒されたのが手加減なら、アタシは本気出したことないわね」
シアンは未だ怪訝なままこちらを見つめていたが、フラムの言葉に押し黙る。
というか、まるで俺がフラムの挑戦を受けるような流れになっている。あんな綱渡りをまたやるつもりは毛頭ない。
「受け取った側が拒否すれば不成立なんだろ? 俺はもう戦いたくないぞ」
シアン曰く校内戦には指名された側に否定する権利がある。なら、俺が拒否してしまえばむざむざ戦うこともない。
そう突っぱねた俺に、フラムが勝ち誇ったような顔をぐっと近づける。
「あら? 勝ち逃げなんて意外と臆病なのね」
「別に。もうお前を傷つけたくないだけだ」
煽られたってもう闘らない。
別世界の力云々で闘技場が機能しないってのは否定されたけど、心臓に悪かった。ザハルに嫌ってほど揶揄われたし。散々な目に遭ってる。
「……シアン。なんだよ、その目は」
「──あ! いや、なに。そうか。うん。結構情熱的なんだな……」
何やらシアンは頬を赤らめながら、スフレを凄まじい勢いで口に運んでいる。それはもう親の仇のような苛烈さで一心不乱に。
「うーん、まぁ。そうね、許してあげるわ」
「……ん? あぁ」
気づかない内に何か許されないことをしていたらしい。それも知らない内に許されたので、よしとするか?
度々顔を覗かせるコミュニケーション不全、学校生活にまたも不安が募る。やっぱり学校は通うべきか。
「で、エイトはどうなのよ」
「どう、とは?」
打って変わってやたらご機嫌になったフラムに聞き返す。
「校内戦の指名よ。相手が受けるかはともかく、エイトにも指名権はあるわ」
「特権たって、ランチ代くらいなんだろう? 」
金銭面に関しては元より不自由していない。入学金やら授業料がどのくらいかすら知らない。なんならアズスゥから生活費として幾許か支援を受けているほどだ。
「ハァ? 誰がそんなこと──あぁ、シアンか」
無心でスフレを貪るシアンを眺めながら、フラムは大きく溜息をついた。
「確かに学費やらお金の部分もあるわ。それ以外にもあるけど、シアンじゃまぁ知らないわよね」
「随分と含みのある言い方だな」
フラムが肩を寄せた。そのまま俺の耳元にその唇を近づける。
「言える範囲で教えてあげると、特別な施設へのアクセス、カリキュラムがあるのよ。その内容までは流石に……」
そう声を潜めて耳打ちされた。直前に紅茶を飲み下したせいなのか、かかるフラムの息が熱い。話の各所が伏せられていることもあり、彼女の言っている内容の半分も理解できなかった。
唯一わかったことと言えば、俺は耳が弱いらしいことだけだ。
「……あー。えーと、つまりAランクにならないと詳しくはわからないってことか?」
フラムは無言のまま頷いた。
たしかシアンには知らないことだと言っていた。Bランクでわからないが、Aランクならば知っている。つまりはそういうことなんだろう。
俺の願いは『誰も死なせないような世界でやり直したい』というだけだ。
だが、アズスゥの狙いは違う。
アイツは俺に『この連環を救え』と言っている。その為に転生させたのだと。
どこにいるかもわからない敵を打倒しろ。改めて考えると、それだけで気が滅入りそうな重責だ。少し冷めてしまった紅茶を飲む。
あぁ、この紅茶だってアズスゥの奢りか。いや、学費やら寝床もそうか。なんならシアンが注文したスフレだってそうだ。
思い出してふと見ると、シアンはすっかり綺麗に平らげていた。食べ終わったというのに、心ここにあらずという感じで天井を仰いでいる。
気づいてしまうと、いい茶葉も途端にまずくなった。人から貰った小遣いの癖に我が物顔で奢るだなんて、情けない。
アズスゥの頼みをどこまでやるかは置いといて、貰った分くらいは働いてやるか。
「なぁフラム。ちなみになんだけど、Aランクって他に誰がいるんだ?」
「やる気ね、エイト。……そうね、同じクラスだとエクレールがいるわ」
同じクラスにAランクが二人もいたのか。そんなクラスを受け持つザハルは案外優秀なのかもしれない。
「アイツなら放課後はだいたい図書館にいるわね。この前のテストでアタシに負けてから、ずっとそうなのよ」
その大層ご立派な胸を張って誇らかす。
ぐっと釘付けになりそうなところを、必死に目を下に逸らす。だけではとても足りないので顔を伏せる。
「すまん、同じクラスらしいけど俺はシアンとお前くらいしか記憶にない」
本当はもっと挨拶回りをこなしたかったが、担任であるザハルの奇行によりそんな時間はなくなった。だから席の件で一悶着あった二人くらいしか記憶にない。
「むー……。まぁいいわ。真っ黄色のヤツがいたらソイツがエクレールよ」
なぜまたご機嫌斜めに。下を向きながらも必死に上目遣いで覗いてたのがバレたのか?
というか真っ黄色って、人を表す特徴としてどうなんだ。それで伝わるような人間とはとても話したくはないぞ。
さらに聞きたくなる衝動をなんとか抑えて、紅茶を飲み干す。
あぁ、さっきよりずっといい味だな。
「ま、アタシに勝ってる以上は変な相手に負けないで欲しいのよね」
言い終わるとフラムは食事を摂り始めた。マナーが様になっているあたり、やはり彼女もさる名家のご令嬢なのだろう。……その食事量はあまり可愛いと言えないが。
負けん気の強い彼女としても、自分を負かした相手が低ランクなのは許せないだろう。
「はいよ、応援ありがとう。喉詰まらせるなよ」
まったく、素直じゃないヤツだ。きっとこれがツンデレってヤツだな。デレはまだ見せてくれてそうにないけど。
席を立ったところで、ようやっと顔を上げると、眼前で呆けている少女を思い出した。
「あとシアンも。ありがとな。校内戦とランクについての説明、助かったよ」
「──んえっ? あっ、あぁ! これからも不明なことがあれば自分に訊くがいい!」
声を掛けられてようやくハッとしたようだ。シアンは寝起きのような間の抜けた声を出した。
「じゃあ早速一つ、図書館って何階だ?」
「二階の奥だな。食堂を出て左の階段を上って右の突き当たりだ」
図書館、覗いてみるか。