5話「堅物委員長の校内案内」
「この道を突き当たりまで直進し、左へ曲がると学園を出られるぞ」
「……席のことなら悪かったって。謝るからちゃんと案内してくれないか?」
これで会話は終わりだと言わんばかりのシアン、その去ろうとする背中を呼び止める。
学校案内が出口だけってのは如何なものか。学園のパンフレットがペラ一の紙切れで終わってしまうだろう。
「別に自分は貴様が誰の隣になろうと、どうでもいい。ただな──」
今にも胸ぐらを掴みかからんという勢いでこちらに振り返る。
「なぜ貴様の席の都合で自分の隣にシャルラッハロートが来るのだ! 授業中もいちいち癇に障って敵わん!」
あまりの剣幕に眉根を顰める。俺がそれぞれ嫌われるだけなら構わないが、俺のせいで二人の仲が悪化してしまったら遣る瀬ない。
「なぁ、お前らって仲悪いのか?」
「貴様と違って、な。ソリが合わんのだ」
言外にフラムとの仲を嗜められてしまった。アイツとは噂ほど仲良くもないんだが。
「だいたい、自分でなくヤツに頼めばいいだろう? なぜ貴様の案内をせねばならないんだ」
「あー……ザハル先生のアレには俺もちょっと同情するけどさ」
授業終わりの脳内ピンクが何を言うかと思えば『シアンちゃん案内お願いね〜。あ、これ実質学園長命令だから』とのこと。
大方アズスゥからの頼まれごとを、そっくりそのままシアンに投げたのだろう。
「まったく、あの人は……」
シアンは額に手をあて嘆息をもらす。
この口ぶりから察するに、シアンがいつも尻拭いをさせられているんだろうな。
ややあって、苦労人がこちらへ向き直る。
「自分も暇ではない。全ての案内は到底無理だ。だが、少しは付き合ってやろう」
この辺りがシアンの頼られる性分なのだろう。ザハルもこの面倒見のよさにつけ込んでいるのかもしれない。
しかし、案内を受けるならどこだ。決闘場と教室、それとフラムを担ぎ込んだ際に医務室はもう見ている。他に見てない場所で下見が必要そうなのは──
「昼食。食堂とかはあるのか?」
「ん、了解だ。ついてこい。の前に、手を出せ。こちらの方に前へならえだ」
「こうか?」
言われるままに腕をまっすぐに伸ばす。
ガシャン。
…………………は?
「なぁシアン。これ、なんだよ」
「フン、貴様は物を知らんヤツだな。これは手錠といってだな──」
「じゃなくて! なんで俺がワッパかけられなきゃならないんだよ!?」
手錠、というかもはや冤罪のかけられた両手首をシアンに突きつける。
シアンは目の前に出された手が目に入っていないように俺の目を見ていた。鍵束を人差し指でくるくると回しながらどこか得意気である。
「後ろから何をされるかわかったものではないからな。必要な措置だ」
それだけ言い捨てるとくるりと踵を返す。俺もその後に続こうとしたが、シアンが二、三歩先へ進んだところでピタリと止まり、僅かに振り向きこちらに覗きをくれる。
「……捲るなよ?」
後ろ手にスカートの裾を抑えた。ホント、どれだけ信用がないんだ俺は。
このままでは、こうまでされてはこちらだって居心地が悪い。シアンに提言するため、重い口を開いた。
「シアン、手錠外してくれ」
「きっ貴様! まさか今の自分の仕草にフェチを燃やしたのか!?」
「違う。そんなに気になるなら、いっそ後ろに手錠かけ直してくれよ」
今よりも窮屈になるだろうが、このままシアンが落ち着かないよりはずっといい。
「──ほぅ、貴様は思ったより誠実なんだな」
感心したような声を漏らすと、手早く手錠を外した。手首を掴むと後ろ手に捻り上げて──
「……痛いぞ」
「むっ、すまない。つい癖で……。ともかく、これで良しだ」
再びヒヤリとした金属が手首に巻きつく。かなり窮屈な姿勢ではあるが、これでシアンも多少は安心するだろう。
程なく歩きだしたシアンのすぐ後ろをついていく。腕を後ろにしていると、重心がズレて思いのほか歩きにくい。
しかし、この一幕の間、通りすがる生徒が皆チラリと盗み見てはそっと視線を外していった。これも偏に俺が男だからなのか?
それとも『噂の転入生が早速お縄になっている』と誤解されているのか? どちらもあり得そうな話だ。
「やっぱり男って悪目立ちするのかね」
「ハッ! 何を今さら。当然だろう? ここは清らかな乙女の園なのだぞ?」
何を今更わかりきったことを、と先行くシアンはそんな風に鼻で笑った。
「ムッツリスケベが乙女の園ねぇ……」
ついそんな言葉がこぼれた。今朝方、フラムがこの堅物シアンのことをそう評していたのを、なんとなく覚えていたせいだろう。
「──待て、貴様なんと言った?」
それは当然のことだった。シアンは俺の眼前を歩んでいるんだから、フッと呟いた独り言だって聞こえるだろう。
「あっいや。違うぞ! フラム、フラムがそう言ってたよなぁって思い出しただけで──」
後退るが、後ろ手に手錠があるせいで、その足もおぼつかない。ズンズンと近づいてくるシアンによって距離が詰められる。
「俺は全然シアンのことそんな風に思ってないし、ていうか、むしろムッツリって言うヤツの方がムッツリだよな! わかるぞ!」
命乞いの様相で尚も逃げていたが、ついに壁へと追い詰められた。
顔の横にドンと手を突かれる。こんな《《キュン》》と来ない壁ドンは初めてだ。
「黙れ。質問にだけ答えろ」
ささめき声ではあるものの、有無を言わさぬ忍び声で囁く。
「やはり、男子としては清楚な方がいいのか……?」
なんだって?
「皆まで言うな……! わかっている。こうして訊ねること自体、慎み深い行為ではないからな……。しかし、気になるのだ」
「ひ、人に依ると思う──みたいな一般論を求めてらっしゃるわけではないですよねわかりますよ俺は」
こえぇ。月並みな言葉で誤魔化そうとしたが、シアンにギロリと睨まれただけで謝ることしかできなくなった。
「度合いにもよると思うのですが、その、どのくらいで……? いらっしゃいますか……?」
「うっ! ……他言するなよ? その、小説をな。少し嗜んでいるというか……」
ホッと胸を撫で下ろした。なんだ、可愛いものじゃないか。
よく巷で言われた『女子のシモってエグいよ〜』みたいな、リアルだけ求めたようなグロテスクなものでなく。腐り果てた妹のような趣味でもない。R指定のつかないレーティングの話しで、きわめて健全だ。
「なんだ、そのくらいか。もちろん度を超えたら何事もダメだけど、人間なんだから《《そっち》》のが自然だろ。そんなに躍起になって蓋をしすぎるのも──」
「そ、そうだよな!? これが普通だよな!」
割り込みには面食らったが、晴れやかなシアンの顔を見て俺まで明るい心地になる。悩める思春期女子を一人救えたと思えば、心が軽い。
「そうだそうだ。普通だよ普通……」
「ははっ、いやな? かねてから図書館へ要望を出していたのだが、毎回『こんな内容だと教員しか、いえザハル先生しか読めなくなります』と、止められていたのでな。少し不安になっていたのだ」
「……俺はいいと思うぞ!」
固まったままの笑顔で返した。こいつ、あの色情狂担任に肩を並べようとしている修羅の者だったのかよ。なんだ、本にレーティングって焚書するレベルの不健全図書じゃねぇか。闇雲に禁止するのは愚かしいとは思うが、公共の場って前提を崩しにかかるなよ。
そんな俺の心中は露程も知らないシアンは、気が増長するにつれ、段々と声まで大きくなっていく。
「や、やはりそうか! うむ、そうだよな。興味は持ってしまうよな、人として!」
しょうがないよなー! 三大欲求ばかりはなー! 生物として逃れられないよなー!
そんな風に言い聞かせるようにしてシアンは再び歩き出していた。……ま、納得したならいいか。いや、ホントに思春期の女子だな。当たり前だけど。
「あ、だからといって決して調子に乗るなよ? 貴様に向けられているのは好奇であり、好意などではないからな」
「はいはい」
そんなこと言われずともわかっている。自分の容姿が所謂女子ウケのするようなものでないことくらい、ここに生まれる前から知っている。顔の造形を誉めてくれたのは唯一の身内とあいつくらいのものだ。
遥か遠く、昔に受けた世辞を思い返していると、改めて切ない気持ちになってきた。
そんな風に遠い昔の記憶を偲んでいたせいだろうか。はたまた、伏し目がちに下げていた視線のせいか。
ぶつかった。壁のような硬いもの。弾かれてよろめいたが、なんとか踏みとどまった。
「っと、悪い。大丈夫か? ……って、アズ──学園長か」
壁と間違えた相手はアズスゥだった。咄嗟に名前が口をついたが、言い直す。シアンはそうした礼節にはうるさいだろう。それに、万が一にも女神様と転生者が露見するのは避けたい。
……それよりも『転校生は学園長にも手を出していた!』というぞっとしない噂が流れそうなのが嫌だ。
大前提として、相手が誰だろうと浮ついた話題なんて性に合わない。その上で、俺が絶対にないと断じるのはアズスゥだろう。ザハルよりもあり得ない。天地がひっくり返るようなものだ。
俺の不埒な思考も読めているだろうに、アズスゥは鷹揚に頷いてみせた。
「えぇ、わたくしは全くもって大丈夫ですよ。……こちらこそ、すみません。お二人のデート中に」
──《逆流》を実行。《順流》へ移行。
「えぇわたくし全くもって大丈夫ですよ。……こちらこそ、すみません。お二人のデート中に」
……聞き間違いではなかったみたいだ。
デート? この連行めいた学校案内が? どこを切り取ればそんな偏向報道が成り立つっていうんだ。この女神様は、かなりトチ狂った感覚をお持ちらしい。
「これのどこがデートだってんです?」
体を捩って背中に隠れていた囚われの両手を見せつける。
「あら。確かに単なる逢引きにしては倒錯してますね。クロノさんの趣味ですか?」
「いやどっちかと言うとシアンの趣味──だっ!?」
脇腹を刺された痛みに声が上擦る。
それはシアンによる鋭い肘打ちだった。
「学園長、誤解があるようなので言っておきます。そもそも自分はこの男を認めてはいません」
毅然とした態度でアズスゥへと詰め寄るシアン。暖簾に腕押しのザハルに痺れを切らし、直訴に打ってでたのだ。
「憑彩衣も使えない男が、なぜここにいるのか理解できません。婦女子だけだった環境に転入というのは悪影響では? この学園は魔力の使い方を教える場所ではないのですか」
実に滔々と。さながら立て板に水が如くに陳情を述べるシアン。
対するアズスゥの面持ちは硬いままだ。実際、後ろ暗い取り引きもあったのだから、痛い腹には違いなくて当然なわけだが。
「んー少し違いますね。男の子のことも知っておくべきなんですよ。これについてはお家の方も賛成されてますし」
そこは腹芸の得意な腹黒女神。それらしい言葉でのらりくらりと躱わす。
「ですが、これでは清いと学園は到底……」
尚も食い下がるシアンに、アズスゥが一言。
「ではシアン・アズールさん。我が校の理念は何でしょう?」
「それは──恭謙。慈しみの心を培い、振るうべき力とその指針となる心を育むことです」
事もなげに誦じてしまえるのがシアンが優等生たる所以だろう。
「その通りです。わかっているのなら、異を唱えることもないでしょう?」
「そう、ですね。学園長の仰る通りです」
腑に落ちこそしないが、今は反論できるほどの意見も持ち合わせていないのだろう。
「よろしい。次の校内戦もその調子でお願いしますね。期待してますので」
「テレティ?」
急に出てきた耳慣れない言葉に、俺はついそのまま反芻してしまう。
「おや、ザハルから聞いてませんか? あの子にも困ったものですね」
またアイツのせいなのか。
「校内戦は模擬戦のようなものだ。勝敗は相対としてランクに反映される」
「……ランクってなんだ?」
アズスゥとシアンはきょとんとした顔で互いの顔を見合わせる。
「運がいいですね、クロノさん。なんと今ならザハルに代わってアズールさんが教えてくれます」
「が、学園長!? お待ちください! なぜ自分に委ねるのですかッ!」
今度は打って変わってアズスゥの方が答えられず、足早に去っていった。
「……シアン、その。昼時だし、お腹とか減ってるんじゃないか? よければ、俺に奢らせて欲しいんだけど」
「自分に変な気を回すな……と言いたいが、少し疲れた。甘いものを頼む」
意外と女の子らしいところもあるんだな。口に出してしまうとひどい折檻をされそうなので、胸の裡でそう思った。