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24話「筐の水」

「こんなもの、どうしろと言うんだ……?」


 一定のリズムで飛ばされそうなほどの暴風が吹き寄せる。時折、クロノエイトが振るっただろう剣の閃きがキラリと光る。

 その剣閃けんせん狂風きょうふうが森を少しずつ更地にしつつある。斬撃が地をも割り、風が緑をえぐり飛ばしている為だ。

 自分は、彼らの斬り合いを風と光でしか把握出来ない。いくら目を凝らそうと、双方の繰り出す攻撃どころか、その姿すら捉えられない。


 細剣レイピアを握る手が、震える。


 あのルナとかいう童女とクロノエイトとの戦いには、とてもついていけない。手出しも敵わない。援護というものは、有効な攻撃手段があって初めて可能になる。

 全力で細剣を突こうと、たとえ《水禍の弥終(ナウィ・アトル)》をけしかけようと彼女には傷一つつけられない。


──では、頭上の月はどうにか出来るのか?

 蒼い三日月。同じく神水しんすいを操る自分にはわかる。あれはかめだ。


 世を滅亡させる大水があの中に満ちている。そして、それが傾いているのだ。ルナという少女の手を離れた今、魔力マギア──その神本来の為すべきことを実行するだけだ。


 善も悪も、是非もなく文明の全てを押し流そうとしている。属性が同一であるが故に、その力量差がよくわかる。

 横溢おういつしつつある水を止めることも、瀑布ばくふとなって落ちるだろうそれを操ることすら出来ない。


 戦闘を続けるクロノエイトへの援護する術。

 すぐに決壊しそうな天の甕を止める手立て。


 自分はそのどちらも持ち合わせていないのだ。


 何も、なにもわからない。

 どうすれば生き残れる。

 何をやれば逃げ出せる。


 そもそも《七曜(セプティマーナ)》とは何だ。シャル達はその言葉を聞いて、違和を覚えていなかった。Aランク以上には知らされているのか? それともクロノエイトが教えたのか。

 知らない。わからない。出来ない。


 ただ、傍観者のように眺めることしか──


「……悔しいけど、今のアタシ達じゃ無理ね」


 シャルの絞り出すような、そんな言葉が聞こえて振り返る。

 いつもの猪突猛進ぶりはどこへやら。唇をキツく噛み、見えもしない剣戟を睨みつけていた。


 何を言っている。当たり前だろう。こいつはなぜ、そんなにも悔しそうなんだ……?


 手出し出来なくて悔しがる。そんなのは手の伸ばせる範囲の話だろう。目の届く領域の争いに向ける目だろう。

 どうして、こうも目を逸らさずに自分の弱さを見ていられる?

──こいつはおかしい。異常者だ。


「見りゃわかるでしょ、そんなん。私達がやるべきは──()()よ」


 もう一人のAランク、エクレールはそう言って空を見上げた。

 その輝く瞳は、天に浮かぶあの蒼い月を見据えている。


 は?


 止めるだと? 水の遣い手である自分ですら諦めた、あの天の甕を?


 いや、わかるだろう。憑彩衣ストラを纏い、魔力を操る者なら、嫌でも理解出来るはずだ。

 無理なんだ。明らかに人智を超えている。そんなこと、一見してわかるだろう。


 二人とも、おかしくなってしまったのか?

 きっとこの場の異様な空気にあてられて、変になっているんだ。なまじ力を持っていたから、何かしなければならないと意固地になっているんだ。よせ、力ある者の務め(ノブレスオブリージュ)などこんな物を前にして掲げることじゃない。


 あんな埒外らちがいを前に、多少魔力を扱えるからなんだというんだ。


 今すぐにでもこの命知らず共を連れて、この場を離れなくては。いや、クロノエイトも置けてはいけない。どうにかして、逃げなければ。


「なーんかさ。どうしたもんかね、この状況」


 上空からそんな声が降ってくる。こんな状況にも関わらず、間延びした能天気な声。

 ヴェルデ。そうだ、彼女がいた。

 彼女ならば出来るかもしれない。この異常者二人よりも、高みにいる彼女ならば──


「ヴェルデッ! この状況を変えられるか!?」


 もはや懇願だった。仕方ない。己の力ではどうしようもないのだから、他を頼むのは当然だ。


「んー無理? ウチが下手に憑彩衣使うと多分()()()()()()。かと言って、全力でパナすと玄野くろのくんもタダじゃ済まないじゃん?」


 一縷いちるの望みはあっさりと消えた。


 じゃあクロノエイトと代わってヴェルデが──駄目だ、それをしてどうする。どんなに強いといえども級友を置いて行けるか。それに、ヴェルデならばあの童女に勝てるとも限らない。

 既に自分の読める範疇の外の戦いだ。あっさりと勝つかもしれないし、惨たらしく死んで終わりかもしれない。


 あたら手助けの方法もわからない。考えを巡らすほどに、自分の無力を味わい弱音を吐いてしまいそうになる。苦渋に浸りきった舌の根が腐ったのか知らん。或いは、もうとっくに性根にまで回ったか。


「ま、逆に言えばウチもあの子の風をイジれるから援護くらいは出来るかな」


 ヴェルデはそんなことを言うが、それにも希望が持てない。それで勝てるという確証もないし、勝ったところで天の甕はどうする? 誰が、どうやって止めるというのだ。

 問わず語りの自問には誰も答えない。


 そのはずだった。


「じゃ、やっぱりアタシ達でアイツをどうにかするしかないワケね!」


 シャルはそう宣言すると、天の甕を指を差す。

 見れば、既に半月ほど溜まっている。刻一刻と迫る終わりは、もう折り返しを過ぎていた。


「消し飛ばしてやるわよあんなもの!」


 ちょっと待て──


「だから私はそう言ったじゃないの。あれが穴なのか何なのか知らないけど、万事叩きゃなんとかなるのよ」


 アレが何かすら理解出来ていないのに──


「ま、そうなりますわな。ウチは大っぴらに風起こせないし、向こうで玄野くんの援護かな」


 貴様達は──


「本気で言っているのか!?」


 どう()()()と話し合っていた三人は、水を打ったように静まり返る。

 全員が全員疑問符を浮かべ、急にどうしたという目で自分を見る。


 目を細めたエクレールが、その薄ら笑いを隠すように口元に手を当てる。


「あらあら怖気づいたの? あぁ〜無理もないか! Bランクだものねぇ」


 いつもの自分なら『貴様ァ!』と食ってかかるのだろう。幾度となく繰り返した、お約束のよつな流れだ。

 この期に及んで弱気の自分に発破をかけようとしたのかもしれない。エクレールという女は、そういうヤツだ。


「──それ、は」


 だが、今の自分には答えられない。いつも通りの軽口を叩く余裕すら、既に失せていた。


 事実だから。


 恐れて剣も執れず、及び腰でびくびくとしているだけ。敵どころか、身内からのこんな問いも真っ直ぐに受けられない。


「──貴様達はッ! なぜそう立ち向かえる!?」


 代わりに口をついたのは、そんな八つ当たりめいた癇癪かんしゃくだった。


 一つ口にしてしまった所為で、堰を切ったように止めどなく溢れてくる。すんでの所で堪えていた感情が決壊した。


「わかるだろう!? 勝ち目があるとかないとか、そういった次元の相手じゃない! なぜ折れない? どうして今も上を見られる? 答えてっ──答えてみろ!」


 無力。焦心。羨望。矜持。猜忌さいき。恐怖。

 様々な思いがい交ぜになり、どす黒く渦巻いていた。それが一息にすべて垂れ流されている。自分の口から出ているはずなのに、頭の内で反響するようなボヤけた音として伝わる。


 気づけば、息を切らしていた。何を口走ったか、などあとの祭りだ。


「あんたね、そんな──」


 一歩踏み出したエクレールをシャルが止める。


「アンタ、相手に勝てないからって何もしないの? そんなのつまんないじゃない。腹立つし」

「…………は?」


 この馬鹿者は何を言ってるんだ?

 蓋を開けてみれば、飛び出したのは子供じみた自分勝手な理屈だ。

 さぞ立派な大義名分があると思いきや、拗ねた童よりも筋道だってない。ただの感情論だ。


「アタシは急ぐから、先に行ってるわね」

「……んじゃ、ウチも加勢行くんで。エクレール、後は()()です」


 シャル、ヴェルデはそれぞれ別の方向に飛び立つ。クロノエイトへの加勢、天の甕の破壊。どちらも自分が出来ないと踏んだことだ。


「今のフラムの言葉聞いて、どう思ったの」


 一人残っていたエクレールが、自分に問いかける。シャルは、かつての好敵手ライバルは一体、何を言っていたか。


「……わからない。」


 偽らざる本音だった。もう、自分には一切合切が理解不能だった。


「──あっそ。ここで答えられないからBランクなのよ、あんた」


 彼女も一条の雷光となり消えた。恐らく、あの甕へと向かったのだろう。

 自分は、それを見送ることすら出来なかった。

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