12話「石黄の咆雷-①」
ヴェルデに背中を押され、降り立った闘技場。既に対戦相手であるエクレールが来ていた。来ていたのだが──
「あの、なんでそんな濡れてんだ? お前」
少し雨に降られた、なんて生易しいレベルではない。『ちょっとひと泳ぎ』と着衣水泳でもしたような仕上がりになっている。
……あと、さすがに触れられないが、制服が濡れたせいで下着が透けている。黄色なら『真っ黄色か』とツッコんでしまっていただろうが、黒だった。大人っぽいレースの刺繍のされたランジェリーは、チラッと盗み見るのも憚られる。
本気で全く微塵もこれっぽっちも全然そういう目で見ていなかったが、エクレールは目を奪われるほどのスタイルの持ち主だった。水で張り付いたせいか、見事なバストやくびれのある柳腰がはっきりと、女性的なメリハリが否応なく主張してくる。
「……傘はね、差してたのよ。出る頃にはもう暗い空だったから」
水も滴るいい女が、ぽつりぽつりとその訳を話し始める。
「まさか、あんな大技出すと思わないじゃない!? お陰でびっちゃびちゃになったわよ!」
……あぁ、こいつは対角の席に居たんだろうな。向こうはシアンの《水禍の弥終》の残骸が降り注いでいた。
あの場にいたならまぁ、傘があったところで用を成さないだろう。
「双方、前へ」
騒ぐエクレールに完全無視を決め込む審判に促され、中央へ進む。
近づくと一層びちゃびちゃだなこいつ……。
「《霹靂》、エクレール・ファン・キトリネス」
「──石黄の咆雷じゃないのかよ」
びちゃびちゃの件には我慢してたが、思わずツッコミがこぼれてしまった。あんなに自信たっぷり名乗ってたのは何だったんだ。
「あっ、アレは私のあだ名っていうか……。って、いいから名乗んなさいよ!」
「へいへい……《陽神》、玄野影徒」
始まる前からグダグダだ。どうして俺はこうも締まらないのかね。
「今回はAランクであるエクレール・ファン・キトリネスさんと転入生のクロノエイトさんの戦いになります。ランクの変動はありませんが、対戦結果によってクロノさんのランクが決定します」
先ほどの試合とは違う文言に、少し驚いた。転入生はそんな扱いになるのか。敗北による降格がないなら負けてくれよとも思うが、彼女は手は抜かないだろう。
エクレール。あのフラムと同格である、間違いなくトップクラスの術師。俺との相性はおそらくすこぶる悪い。
「では、尋常に──始め!」
──《緩流》を実行。
エクレールは俺より速い。どれだけやっても、警戒しすぎるということもない。用心するにこしたことは──
咄嗟だった。
身を屈めた、その頭上数ミリを何かが掠める。遅れて届く割れるような轟音。
何かはわからない。けれど想像はつく。超高速で行われたエクレールの攻撃だろう。
顔を上げると、前に彼女の姿はなかった。
矢継ぎ早に追撃が来なかったことも併せると、火球や水流のような魔力の類ではなく、エクレール自身による攻撃であるようだ。
だとすると、追い討ちをかけなかったのは様子見だろうか。
「オイ! 開幕で死ぬとこだったぞ!?」
怒声をあげながら振り返る。
透けるような黄色の馬面裙。その旁翼には鮮やかな龍の姿が躍る。羽衣を纏う姿はさながら天女のよう。
そして、その手には幽艶さにそぐわぬ、無骨な大槌。巨大な戦鎚、それがエクレールの得物か。
「あら、当然じゃない。私のこと舐めてるみたいだから即ぶち殺すつもりだったもの」
舐めているか、これでも相当に警戒していたつもりだったが。彼女に言わせれば、それでもまだ足りないのだろう。
「そんなデカブツ振り回して、何でそんな──」
俺の言葉を遮るように、下から振り抜かれるアッパーカット。
今度は目が慣れたお陰か、しっかりと見えた。
半歩下がり、拳をすんでの所で避け、その左手首を掴む。……こんな角のない拳でなんて威力なんだよ。どこか懐かしい仇敵の顔を思い出す。
こんな小腕の癖に、全力を出しても握り潰すことはおろかピクリとも動かせない。
「……気持ち悪いわね、あんた」
エクレールは苦虫を噛み潰したような表情で俺を睨む。
「そう面と向かって言われると、俺でも傷つくんだぞ?」
「違うわよ。いや、そっちも気持ち悪いけど」
口調はジョークを飛ばすような軽いものだが、顔つきは険しいままだ。不可解なものを見るような、訝しみの目が今も注がれている。
「なんか速くないのに躱される。あんたって先読みとか予知とか、そういう手合い?」
「さて、どうかな」
手が振り解かれる。拘束──というには心許なかったが、俺の手から逃れたエクレールは二、三飛び退いて距離を空ける。
先の速さを鑑みるに、一足飛びで詰められる距離だろう。こちらも備えなければ対応できない。
「────唵」
己の内から神気を奮わせ、召喚び出すは神秘の石剣。破格の神剣を宿した磐座。
その外殻が剥がれ、露わになる黒の刀身。これが十拳剣である。
十拳剣を執ったところで、どうするか。
エクレールは警戒して手を出さない。その前提がある以上、俺もおいそれとアクションを起こすことはできない。
下手に半端な攻撃をするとこちらの力量を知らせることになる。そんなことをしたら、そのまま雷雨が如きラッシュを叩き込まれてゲームオーバーだ。
一番避けなければいけない展開は、このエクレールの力に任せた連続技の押し付け。二発はなんとかやり過ごせたが、それが続くととても太刀打ちできない。
結局フラム戦よろしく接近戦に持ち込んで……というのがベストではある。理想ではあるものの、今回は情報、実力、覚悟の何もかもが足りていない。
一旦は《逆流》頼みで仕掛けるのも選択肢としてはあるが、時間を戻しても対応できない──いわゆる『詰みセーブ』の状態になってしまう惧れもある。
せめて"弓"が使えればまだやりようはあるんだが、ないものねだりしたとこでな……。
結局手詰まりか。あれこれと思考を巡らせたところで、手札の中で唯一可能性がある《逆流》に賭けるしかないのが悲哀を誘う。
「ま、何とかなるか──!」
覚悟を決めて駆け出す。《緩流》は常に最大に、この遅さであれば一挙手一投足を逃さない。
依然としてエクレールは動かない。いっそのこと向こうから動いて欲しかったが、釣りにはかからなかった。
間合いを詰め、渾身の袈裟斬り。
狙いは左肩から切り裂く一撃。射程に捉え、彼女は動きを見せない。感覚として、既に捉えたという確信に近い予覚があった。
大きく振りかぶり、振り下ろそうという瞬間、エクレールが消えた。
直後、背後からの衝撃。周りの視界が引き延ばした線のようになった瞬間、壁面に叩きつけられていた。
後ろを取ったエクレールによる一撃で、上半身だけ捩じ切られて飛ばされたのだ。その顛末を理解した頃には視界が暗く──
──《逆流》を実行、《緩流》は引き続き最大展開。
間合いを詰め、渾身の袈裟斬り。
狙いは左肩から切り裂く一撃。射程に捉え、感じる手応え。たしかに捉えていた。
大きく振りかぶり、そのまま背後へと十拳剣を回す。
直後襲いかかる衝撃。抵抗も、呻き声の一つもあげられずに勢いのまま体が運ばれ、壁面に叩きつけられることでなんとか止まることができた。
背骨がひしゃげた感覚を覚えながらも、瓦礫から身を起こす。杖代わりの十拳剣がピンピンしてるのがどこか恨めしい。
「これでハッキリしたわね。あんたは何か異常しい」
肩に大槌を担ぎ、戦闘の頭から感じ取っていた異変を確信したらしいエクレール。
「だって誰だろうと避けられない一発よ? 完全に"殺った"はず、なのに生きてる」
「こんな……死に損ない、だけどな」
半死半生。生きてこそいるが、戦いに臨めるとは言い難いコンディション。正直言うと、もう勝つのは厳しい。
「あのねぇ、これで褒めてんのよ。普通は勝負決まってたはずなんだから」
「そりゃどうも。俺が勝った時は"もっと分かりやすく"褒めてくれよ」
真っ直ぐに立つことすら出来ていないのに、我ながらなんとも子供じみた強がりだ。
どんなに敗北が見えていようが、自分から試合は捨てられない。
譲れない意地で一歩踏み込み、投擲。それと同時に再び走り出し、身軽のまま間合いを詰める。
エクレールは剣に一瞥もくれず、戦鎚で叩き潰す。
「普通もっと見るだろ剣を! 少しは油断しやがれ!」
声を張り上げて、再び利き手に召喚び戻した十拳剣で斬りつける。
「そんなんで油断するか! Aランク舐めんな!」
分厚い戦鎚の打面がそれを阻む。
正面から剣を弾かれ、右腕に引っ張られるように俺の体は再び宙を飛ぶ。
「人をポンポン飛ばしやがって……!」
上体をを起こしバランスを取るが、右肘から先がなくなったような強打。次いで痙攣と共に感覚が戻ってくる。血が弾けているような感じが指先まで広がるにつれて、気づく。
剣を落としている。
しまった。すぐに追撃が──
来ない。
エクレールは微動だにせず、その戦鎚を後ろに振りかぶり、前傾に構えたまま。
警戒している? なぜだ。こんな剣も落としたような俺の、どこに警戒する要素があるんだ。
ともかく、この間に左手に二本目の十拳剣を作り、構えなければ──
剣を作り出し、柄を握った。
「はい、これで三度目ねッ!」
防御の上から崩される。左腕は砕け折れて、腕の骨が肋骨と肉も巻き込みながら全て綯い交ぜになる。
意識が激痛に薄められ、ぼやけながら冷たい水底に落ちていく中、一つの推論が泡のように浮かんできた。
──《逆流》を実行。
ともかく、この間に左手に二本目の十拳剣を作り、構えなければ──
ならないが、俺は剣を作らない。体勢を整えながらそのまま着地する。
着地した後も、俺は敢えて徒手空拳のままでいる。
エクレールは動かない。彼女からすればたいした距離ではないはずなのに。
推理が当たっていたらしい。
「なぁ! もしかしてその速いのって十拳剣に左右されるんじゃないか!?」
最初の違和感は一度目の死亡時での一幕。背後に回ったエクレールによる一撃を、なんとか耐えた時の話だ。
わざわざ十拳剣の上から殴りつける必要はない。だというのに、防御ごと猛打した。あの距離を瞬く間に移動できるスピードがあるにも関わらず、横合いなどから攻撃しなかったのだ。
次に、空中へ弾き飛ばされた時。
絶好の機会であったというのに、追撃が来なかった。その後、わざわざ俺が剣を握ってから移動し、追い討ちを加えた。
「金属、いやきっと多少の物なら無視できるんだろうな。ただ剣くらいの大きさなら、移動に影響されるんじゃないか?」
「さぁどうかしらね」
エクレールは鼻も動かさずにしらばっくれる。答え合わせは出来なかったが、大筋は当たっているはずだ。その異名も考慮すると、雷にでもなっているのかもしれない。
「種が割れたとこで、第二ラウンド開始だな」
「……諦めないのね。嫌いじゃないわよ、そんな感じの熱血野郎」
暑苦しいと馬鹿にされるもんかと思っていたが、お嬢様は存外に泥臭いのも嫌いじゃないようだ。
「素手はしんどいが、まぁ俺が強くなるよりお前が弱くなってくれた方が戦いようもあるだろ」
あくまで理不尽な速度を封じただけで、どだい無理ゲーのままだ。Aランク術師を相手にシンプルな白兵戦で勝ちを狙う、誰が出来るんだそんなこと。
そんな綱渡りなぞ心底やりたくないが、捨て鉢にもなれない事情がある。
「ホントはぶっ飛ばされたまま寝てたかったけどな。このまま諦めると、フラムにどやされるんでな」
フラムに土をつけた以上、そう情けない戦いはできない。『アンタがボロ負けしたら、アタシがエクレールに負けたみたいじゃない!』そんな声が、今にも聞こえてきそうだ。
「悪いけど、シャルには怒られなさい。なっさけなく慰めて貰うがいいわ」
バチリ、と空気が爆ぜる。
幾筋もの稲光が走り、エクレールを中心に一帯が青白く光り出す。
一層と存在感を増すエクレール。魔力を感じられない俺ですら気圧されてしまう圧力。
奔雷を撒き散らし、その輝きを増す。彼女の本領が今、明かされる。
「神階解放。閃電娘々」
顕現するは一対の鏡。《知識導入》の影響なのか、一目でわかる。あれは照魔鏡だ。
遍く善悪を暴き照らす明鏡。鏡は上から吊られているかのように、絶え間なく空を彷徨う。
「さて、これでもあんたは躱せるかしら」




