旅立つ花は
まだ秋の気配の残る季節に、彼女はやってきた。
「 紫苑 百合です。よろしくお願いします」
黒板前でぺこりと頭を下げた彼女は、今朝どこからか用意された机に案内され座る。
「よろしくね」
儚さを纏う1輪の野花のように笑った。
「よ、よろしく…」
一目惚れ、とはまた違う、もどかしく、こそばゆい気持ちが胸をくすぐる。
しらない感情に戸惑いながらも挨拶を返した。
さらさらとした漆黒の髪は、ほんの少しの風に煽られカーテンのように揺れている。
同じく瞳も漆黒で、目が大きく見える。
肌は人形のように白く、草原に咲く白い花のような雰囲気を纏っていた。
「ね、君の名前はなんて言うの?」
ぴょこっと俺の視界に入ってきた彼女は、柔らかい笑みを浮かべながらそう尋ねてくる。
先程までクラスメイトに質問攻めされていたというのに、元気が有り余っているようだ。
「お、俺?俺は片栗 稜」
「カタクリって片栗粉の片栗?面白い名前だね!」
「よく言われるよ」
やっぱり言われた。
俺はこの苗字が嫌いだった。よくいじられるから。
そんな俺を気にすることなく彼女は続けた。
「私ね、自分の名前が嫌いなの」
彼女の口から飛び出した言葉に、俺は全ての動作を止める。
血液、呼吸、心臓さえ止まった気がした。
なにか言おうと、カラカラに乾いた口を動かし声を振り絞る。
「どうして?」
『百合』なんて、彼女にピッタリの花の名ではないか。
俺の訴えを感じ取ったのか、彼女は少し寂しそうに笑った。
「秘密」
それから彼女は、俺にくっついて回るようになった。
男友達からは『お前にだけは負けたくなかった』と謎の捨て台詞を吐かれ、クラスの女子たちにはコソコソとなにか言われ、俺はストレスに潰されそうである。
「学校来んのやめようかな」
「え!なんで?!」
ビクッとして振り向くと彼女がいた。
どうやら声に出ていたようで、俺は慌てて口を塞ぐ。
「いや、これは…」
しどろもどろになりながら言い訳を探していると、彼女は“とっても不満です”と顔に出しながら呟いた。
「君がいるから楽しいのに…」
俺はその言葉に顔が熱くなる。
その事実に俺は困惑した。
なんで恥ずかしがってんだ?別に彼女のこと友人としか思ってないのに…。
俺が戸惑っている間も、彼女は話し続けていた。
「私、引越しの準備とかでしばらく学校来れてなかったから、友達できるか不安だったんだ」
でも。彼女は俺の手を握る。
「でも、君がいたから。君が友人になってくれたから、私は学校が楽しいの!」
にっこりと、今までで1番の笑顔を浮かべた。
それこそ、周りに百合の花が見えるくらいに美しい笑みだった。
「ありがとう、稜くん」
ふわっと宙を漂うような、そんな感覚に包まれる。
春風が頬を撫で、暖かな太陽の熱に抱かれ、野花の香りが鼻をくすぐる、そんな心地。
俺は、頷くことしか出来なかった。
『ありがとう』が木霊する。
何も考えられない。
周りの冷やかしさえ、気にならないくらいに。
「では、紫苑さん。この数式のXに当てはまるのは何だと思いますか?」
先生に当てられ、彼女は嬉しそうに席を立つ。
「6yです」
「正解。よく出来ました」
ふふっと楽しそうな笑みを浮かべ、ノートにメモをとりはじめた。
そんな彼女を横目に、俺はノートの端にラクガキをする。
百合と紫苑に囲まれた、彼女の姿を。
今、俺は何をしているんだろうか。
愛読している小説の続編が出たので買いに来ている。
それはいい。
それはいいけど!
俺はちらりと右横を見る。
そこには、紫苑百合がいた。
彼女は目を輝かせながら、キョロキョロと周囲を見回している。
「わっ!天井高〜い!」
彼女は田舎の方から来たのだろうか?
だとしたら、都市部にあるこのショッピングモールは初めてなのかもしれない。
「紫苑さんは何買うんだ?」
俺の問にこちらを振り返った彼女は、うーん、と悩む素振りを見せたあと、手を合わせて言った。
「私、イヤリングとか小物が欲しい!」
カノジョがいたらこんななのかなと、俺は思った。
目当ての本を買い、学生向けの小物店へ向かう。
全体的に安く、お金の少ない学生には重宝されている店だ。
「おお!凄い沢山!すごい!」
たたた、と小走りで店へ入っていった彼女を追いかける形で、俺は店内へ入っていった。
「んふふ」
大満足の彼女は、笑いを漏らしながら購入したイヤリングを眺めていた。
手のひらのそれは、白い宝石のようなものがついている。
「これ、宝石?」
彼女は含み笑いを浮かべ、目を細めながら言った。
「なんだと思う?」
いたずらっ子のような声音に、俺も釣られて笑いながら答える。
「白い宝石なら、オパールとか?」
おっ!と彼女は目を丸くする。
「正解だよ!凄い!よく分かったね!」
べた褒めされ、俺は少しむず痒がった。
あれが、たった1週間前の話。
「……なぁ、紫苑」
眠る彼女は答えない。
ピ。ピ。ピ。という機械音だけが聞こえてくる。
あんなに元気に笑っていたのに。
あんなに、笑顔で、はしゃいで、た、のに…!
「どうして、言ってくれなかったんだよ」
余命、1ヶ月だということを。
「言ってくれたら、もっと、色んなところに、連れてって…!」
冷たい。体に当たる全てのものが冷たい。
体温が奪われていく。
そんな中、彼の声が聞こえる。
「ごめん、ごめん、きづけなくて」
ちがう、ちがうの。私が言わなかっただけ。
知られたくなかったの。
普通の、ただのクラスメイトとして接してほしかったの。
気を、使わせたくなかったの。
だから…。
「あや ま らな い で」
「っ!!」
かろうじて口を飛び出した言葉に、彼は目を丸くする。
「紫苑!紫苑!聞こえてるのか?!」
必死な呼び声に申し訳なくなりながら、私は彼と繋がっている手を握りしめた。
「…紫苑、なにかしようか?俺、なんだってする」
優しい。優しすぎるよ、稜くん。
こんな優しい人を騙して、私、最低だなぁ。
こんな最低な私は、最後の願いさえ最低なんだ。
「な まえ よん で」
百合って、呼んでよ。
私の事は忘れて、ただ、呪われていてよ。
黒百合に、さ。
【紫苑】花言葉:「あなたを忘れない」「遠くにある人を想う」「追憶」他
【黒百合】 花言葉:「呪い」「愛」「恋」他
【片栗】 花言葉:「初恋」「寂しさに耐える」他




